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磐梯・吾妻・野岩線

1986.10.09.〜10.12.

[北に向かって]金曜日に体育の日がきた関係から三連休になるところが多いらしく、木曜日の午後9時頃の大阪駅9、10、11番ホームは、信州、北陸方面に向かう人でごった返していた。

大阪23:20発新潟行急行「きたぐに」を待つ。この時刻だと、一番後の自由席車両停車で並ぶ人は二三人しかいなかった。

信州方面へは急行「ちくま」が季節、臨時列車をあわせ、21:43発「ちくま1号」のあとの約1時間で合計3本出ていく。北陸方面には「越後」(この列車は、途中直江津で「きたぐに」に追越される新潟行)、「アルペン」(この列車は特急電車の編成を使用した急行で、「きたぐに」より発車が17分遅いが、長時間停車する敦賀、福井で顔を並べる。富山到着は「きたぐに」より16分遅い)。

昨年(1985年)もこの時期に「きたぐに」に乗ったのだが、連休にならなかったせいか、出発が10日だったせいか、さほどの込み方ではなかったが、今年は連休前日のため、発車30分前には各列20人くらいの長さになり、座れない人も出るくらいの込み方を呈していた。

急行「きたぐに」、 583系電車のボックス席、あまり深い眠りにはいらないまま富山まで来た。アルペンルートに向かう若い女性グループたちが下車していく。富山を出るとうっすらと東の空が明るくなりかける。天気予報によれば、体育の日は天気がぐずつくといっていたが、立山連峰は晴れ渡った空にくっくり浮かび上がっていた。

糸魚川で大糸線に乗り換える乗客が下車する。それとは入れ替えに用務客が増えてくる。新幹線連絡の一番列車の色あいがあるのだろう。長岡でどっと下車、車内はかなりすいてくる。新津8:31到着。磐越西線に乗換える。

[磐越西線]新津から快速「あがの」に乗り継ぐ。「あがの」は仙台−新潟(東北、磐越西線経由)間の準急として誕生、長く福島−新潟間の急行として走っていたが、上越新幹線開業にともなう1982年11月ダイヤ改正で急行区間が郡山−五泉間に縮小され、両端は快速となった。さらに85年3月ダイヤ改正では、郡山−新潟間の快速に格を下げられて今日に至っている。

天気予報は見事に外れ、天気は快晴。快速車内は休日ということもあり行楽客で全席埋まっている感じ。五泉まで座れなかった。

ほとんど稲刈の終わった越後平野をあとに、五泉を出ると次第に阿賀野川沿う。紅葉にはまだまだ早いが、その時期には楽しめそうな沿線風景だ。ダムや発電所をいくつももつ阿賀野川に沿うこと約1時間40分、トンネルを抜けて会津盆地の北端にたどり着き、土蔵の街喜多方に到着。ここからは電化されていて、会津盆地を南下、約20分で会津若松に到着。この「あがの」はふだんは会津若松止りだが、季節運行で郡山までそのまま走る。

午前10時もまわったので、食料の買い出しに会津若松でいったん下車。駅前のニチイに立ち寄る。
買い出しを終え、快速「ばんだい」に乗り継ぐ。「ばんだい」は上野−会津若松・喜多方を結ぶ急行だったが、82年11月ダイヤ改正では夜行を除き急行として残ったものの、84年2月改正で東北本線内の急行が廃止され、「ばんだい」は郡山−会津若松・喜多方間の快速に格下げされた。

会津若松を出ると猪苗代に向かって登りにかかる。S字カーブが連続、右に左に磐梯山が見え、なかなかの眺め。翁島を出ると猪苗代湖がちらりと見える。猪苗代で下車。磐梯山が駅前にでーんとそびえている。

[磐梯吾妻スカイライン]駅前のバスターミナルから磐梯高原に向かう。裏磐梯の五色沼から磐梯山に登ったのは7年前のことだ。

檜原湖そばにある磐梯高原バスターミナルで30分の待ち合わせでスカイラインを経由して福島に抜けるバスに乗り換える。10人たらずの乗客を乗せたバスはバスターミナルを出るといったん休暇村と五色沼に寄ってレークラインに進む。時刻表をじっくり確かめてなかったので、猪苗代から始発の高原バスターミナルまで行ったが、五色沼で乗継げば、五色沼付近を散策できたなと思う。紅葉にはまだ早いが・・

レークラインは小野川湖の南岸から登りにかかり、小野川湖から檜原湖の眺めが素晴らしい。峠付近からは秋元湖が見えてくる。秋元湖の湖岸を過ぎ、東岸の少し開けたところを東に向かい、高森で国道 115号線にぶつかる。ふたたび登りにかかり、途中にあるのが横向温泉、さらに登り土湯峠。ここから磐梯吾妻スカイラインに入る。車内がすいていることもあり、右へ左へ、景色がよい側へ席を移る。標高も1300mくらいになると、いくぶん紅葉しかけている。浄土平でいったん下車。

次のバスまで約2時間あるので、あたりを散策する。まず、鎌沼のほうへ行ってみる。どうも曇ってきたとみえガスが流れてくる。吾妻小富士がときどきガスに隠れる。鎌沼は蓬莱山の西側にある沼で、酸ヶ平は湿地になっている。角材で遊歩道が設けられている。鎌沼から引き返し、浄土平のバスターミナルに戻り、さらに東側にある吾妻小富士に登る。駐車場から10分も登れば火口が眺められることもあり、多くの人が登ってきている。ただし、あたりはガスがかかり展望がきかないのは残念。火口を一周できるが、何も見えないので仕方なく、早々に下山してバスターミナルに戻る。

最終バスで福島に向かう。午前中とは打って変わってあたりはガス(雲というべきか)の中で展望がきかないうえ、すぐに日が暮れてきた。
猪苗代から福島までのバス運賃は3500円くらいかかったが、なかなか乗りごたえのあるバス路線だった。この日は福島駅前に泊まる。

[飯坂温泉]翌朝は雨模様、ただし傘をさすほどの降りでないのが幸い。飯坂温泉へは福島交通の電車が通う。国鉄福島駅とホームが繋がった北端に乗り場がある。福島を出ると東北本線に並走し信夫山の西端あたりで国鉄をオーバークロスし、国道13号線に沿う。沿線は福島の近郊住宅街から田園地帯、そしてリンゴ畑も見える。

飯坂温泉は福島盆地北端摺上川べりの温泉街。福島とは電車、バスで結ばれ、通勤、通学時間帯の7〜8時台は10分ヘッドで、2、3両編成の電車が走る。
終点の飯坂温泉駅から数分歩いたところに鯖湖湯という外湯があったので、朝湯につかる。料金は50円。泉質は単純泉。
温泉につかつたあと、隣の花水坂駅までぶらぶら歩き電車で福島に戻る。

[会津若松へ]福島から東北本線を南下する。この区間は何度か上り下りしているが、昼間通るのは初めて。電車は 583系からの改造車。ほとんど稲刈の終わった沿線。

福島から約55分で郡山、夏の臨時列車ダイヤによれば、このあとすぐ磐越西線の快速「ばんだい」に乗継げたのに、秋の臨時列車は、この電車が到着する前に出てしまっている。約30分の待ち合わせ。

磐越西線の電車は3両編成、クハ 455系の 600番台はグリーン車サロからの改造車、座席はグリーン車当時のものだが、相当ガタがきている。会津方面へ向かう観光客などでけっこう乗客がある。
郡山盆地の外れに磐梯熱海温泉がある。そこから次第に山越えの路線となって中山宿はスイッチバック駅、今までこの区間は急行でしか乗ってないので、行きつ戻りつするのを初めて体験。

上戸を過ぎると猪苗代湖が見えてくる。このあたりの電車に乗っていると、車掌が名乗るのがふつうになったようだ。場合によっては運転手の名まで告げている。この電車は普通にもかかわらず、猪苗代湖が見えてくる、磐梯山が見えてくる、との案内を流してくれる。国鉄も変わってきたものだ。
会津若松では会津線のディーゼルカーにすぐの接続となる。

[会津線]会津線には7年前、上野から夜行「ばんだい」で会津若松に向かい、それに接続する一番列車で会津滝ノ原まで会津線を往復した。このとき湯野上で途中下車して、旧街道の宿場の面影が残る大内宿を訪れている。(:会津線は、1987年7月16日会津鉄道に転換された。)

今回は昨日10月9日に開業した野岩鉄道の初乗り。乗り換えた会津線のディーゼルカーは新しもの好きの人がどっと繰り出したせいか、車内は満員。先が思いやられる。
会津線は大川に沿って南下する。途中には芦ノ牧温泉、湯野上温泉があるが、下車する人はわずか。この列車に乗っている人の大半が野岩線めあてだといえる。

終点会津滝ノ原駅は野岩鉄道との接続にともない会津高原駅に改称された。会津線もこの接続により会津田島止まりの列車が会津高原まで延長運転されるようになったが、1日6往復、それも利用するのに都合がいい列車となると、会津側からは8:09発とこの12:03発の2本しかない。込むのも仕方がない。

約2時間で終点会津滝ノ原改め会津高原に到着。ホームは接続する浅草行を待つ人で埋め尽くされていた。山間の小駅には不釣り合いな真新しい架線柱が立っている。ホームも電車にあわせて嵩上されたようだ。人をかきわけかきわけ、駅の外に出てみる。駅舎は昔のままで、国鉄としては無人駅の扱い、待合室も薄暗い。駅舎から外に出ると駅舎から少し下ったところを通っている国道 352号線を跨ぐ真新しい通路が設けられ、真向かいのドライブインのような白い建物に伸びていた。ドライブインのような建物こそ野岩鉄道の会津高原駅舎で、切符の販売のほか、ここでは特産品の販売なども行われ、人でごった返していた。

[野岩鉄道会津鬼怒川線]野岩線は通常2両編成ときいていたので、この混雑でどうなるかと思ったが、4両編成でやってきた。しかし、座席にはありつけなかった。車両は乗り入れる東武鉄道の6050系と同形の車両。

会津高原駅を出ると福島・栃木県境を山王トンネルで抜ける。抜けたところが男鹿高原。鬼怒川支流の男鹿川と国道 121号線に沿って南下していく。山間の人家のまれなところである。

野岩線は新藤原−会津高原間30.7㎞のうちにトンネルが18ヶ所、橋梁が62ヶ所もある。湯西川温泉駅は五十里湖を渡ったトンネル内にある。川治温泉街はトンネルとトンネルの間から覗けるという感じ。

約40分で東武鉄道との接続駅新藤原に到着。ここで5分ほど停車して電車はそのまま東武線にはいり浅草まで行く。

[東武鬼怒川線・宇都宮線]川治温泉や鬼怒川温泉で少し下車客があったものの車内はまだ立つ人が多い。鬼怒川温泉郷を横目に今市まで各駅停車。ここで日光からの電車と併結されて浅草に向かう。

関東平野の北端部を南下していく。新栃木で下車して宇都宮線に乗換える。

新栃木から北北東方向に進む。全線単線だが、用地としては複線分ある。レールの敷かれてない部分は勝手に畑のように使われてる。
この線の途中におもちゃの町という駅がある。玩具メーカーなどが集まる工業団地らしいが、愉快な駅名だ。約35分で終点東武宇都宮。

宇都宮の繁華街は東武の駅があるあたりらしい。国鉄の駅に向かうにつれ、淋しくなる感じ。国鉄駅前にきてやっとホテルなどが増えてくる。
宇都宮に泊まろうかとも思ったが、明日のことも考え小山まで進む。小山へは栃木から近いが、東武宇都宮線の初乗りを果たすため、かなりの大回りをすることになった。

[東武佐野線]翌朝、小山から両毛線で佐野に向かう。小山駅の両毛線ホームは新幹線の高架下、いちばん離れたところにある。カメラを持った高校生などが目に付くと思ったら電気機関車EF55が両毛線を走るらしい。

小山から両毛線に乗るのは1982年3月以来。栃木で東武日光線に接続し、約25分で佐野に到着。ここは東武佐野線に接続している。

まず、北に向かって、葛生に向かう。日曜日だというのに高校生が乗り込んでいる。運動会でもあるのだろうか。約20分で終点葛生。この先、レールはさらに会沢線、大叶線という石灰石を運ぶ貨物線として伸びており、その関係で葛生駅はヤードが広がり電気機関車が停まっている。

佐野線の歴史は古く、石灰石を運びだすため鉱山から越名の渡良瀬川岸まで安蘇馬車鉄道が設けられたのが明治21年のことで、その後、明治27年3月佐野鉄道の手に移り蒸気機関車による運転に替わり、明治45年に東武鉄道に合併され、館林まで延長され現在に至っている。

ヤードに停車している機関車の写真を撮ったりしながら、1時間ほど葛生で過ごし、折り返し、佐野を経て館林に向かう。これで東武鉄道の大半は乗り終えた。

館林で伊勢崎線に乗換え久喜に向かう。久喜まで約25分。東北本線をオーバークロスして駅に到着。東北新幹線の高架が久喜駅の上を走っている。東武から国鉄は直接いける跨線橋があるが、通勤時間帯だけ使用されているようで、きょうはシャッターが下ろされていた。東北本線に乗り換え東京に向かう。

[営団地下鉄]赤羽で京浜東北線に乗り換え西日暮里で下車した。ここは営団地下鉄千代田線との接続駅。乗り換え改札があるが、精算する人が多いとみえ、乗り換え出札口のところには「次回からは次のきっぷを用意して下さい」てな感じの大きな切符の絵入り案内がなされていた。国鉄常磐線に乗っているつもりで地下鉄線にはいり、西日暮里で山手線、京浜東北線に乗換える人が多いのだろう。

西日暮里から大手町まで千代田線に乗ったあと、東西線に乗り換え、残っている大手町−茅場町間を乗り終え、茅場町から日比谷線で中目黒に向かった。地下鉄だから面白みに欠けるが、営団地下鉄の路線にかなり乗ったことになる。
西日暮里で下車して約1時間、ほぼ想定した時刻通りに移動、中目黒の手前で地上に出て、東急東横線に合流、電車は乗務員が交替して日吉まで行く。

[東急目蒲線・池上線]中目黒から目黒まで歩く。山手通りと目黒通り、約 2.5kmあまりあったが30分ほどで歩くことができた。目黒川を渡って権之助坂を登って行くと東急目黒駅に行き着いた。国鉄目黒駅は谷間にある。

目蒲線沿線は家々、という感じ。田園調布と多摩川園の間は東横線と並走。この界隈は高級住宅地といった感じ。進路を多摩川に沿って南東にかえ、約25分で終点蒲田に到着。

歴史的にみると、目黒蒲田電鉄が大正12年3月に営業を始め、それが核となって池上電鉄、東京横浜電鉄を次々に吸収合併し、戦時中には今の小田急、京浜急行、京王まで傘下に取込み大東急をなした。

蒲田は目蒲線、池上線接続駅。今日は10月12日で、日蓮宗本門寺の「お会式」の日にあたる。駅構内は、池上までの往復乗車券の特設販売に駅員が出ていたり、たいへんな賑わいをみせている。池上線は蒲田と五反田とを結ぶ路線で、沿線は目蒲線に比べ住宅の密集具合がさらに高いというか、ゴチャゴチャした感じをうけた。

五反田駅は東急ストアの4階に突っ込む感じでホームがある。国鉄への乗り換えは中間改札がある。いったん、東急ビルを下まで降りて国鉄の正面にまわる。東急ホームはまさに見上げる位置にある。五反田から山手線で品川に向かう。

[東海3号]品川からは想定していた通り静岡行急行「東海3号」に乗継ぐことができた。

「東海」は1955年7月に東京−名古屋間の準急として運転を始めた列車で、64年10月の東海道新幹線開業まで7往復走っていたが、その後、廃止、運転区間短縮され、現在は東京−静岡間2往復が残るだけとなっている。しかも、 185系新特急のなかにあって、東京を発着する唯一の 165系急行になっている。(:急行「東海」は、165系車両の老朽化により、1996年3月ダイヤ改正で373系特急に格上げされた。)

東京−平塚間は10〜20分おきに普通電車が走っており、気軽乗り込んで来る人に注意を促すため、駅に停車するごとに、「この列車は急行で、乗車券のほかに急行券がいります、定期券でも別に乗車券がいります」とくどいほど案内を繰り返していた。まちがって乗ってきた乗客には、たまたま通りかかった車掌が、急行券高いよ、てな声をかけ、乗客はあわてて降りる始末。

車内はというと、最初はがらがらだったが、停車するごとに人が乗ってきて、大船を出たあたりで、1ボックス2〜3人、車掌は指定席券をチェックするあんばいで、乗客の急行券を確認、ひんぱんに車内を行き来し、新しい顔を見付けるとすかさず検札を行い、たいてい、急行券を買っていただいている様子であった。

三島で下車して新幹線に乗り換える。東京から「ひかり」に乗るより 700円安い。車内にはいると、座席が全部ふさがっていた。しかし、次の静岡で下車する人があって、そのあとはゆっくり座ることができた。



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