このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



一畑薬師へ

1986.6.21.〜6.22.

[だいせん5号]大阪駅1・2番ホーム、午後8時半を過ぎると九州方面に向かう「明星・あかつき1号」「彗星」と次々に入線しては発車して行く。20:56発篠山口行ディーゼルカーが発車して10分ほどすると「だいせん5号」が入線してくる。

車両は機関車DD51のあと荷物車、電源車、座席車、寝台車が繋がれている。20系寝台車両はかつてブルートレインの花形だったものだ。座席車はナハ21はナロネ21型を改造したもの。室内は電車寝台 581系の座席にそっくり。時刻表に載せられた編成は自由席車が1両だが、増結車を1両繋ぐのがふつうのようだ。かつては指定席だけだったが、京都発夜行普通列車の「山陰」が1985年3月ダイヤ改正で廃止されてから「だいせん」に自由席が設けられるようになった。

発車間際になると勤め帰りの人たちが乗ってきて、1ボックス2〜3人程度の込み方。せいぜい三田、篠山口で下車していく。早々に足を伸ばしてくの字になって寝る。

ふと目を覚ますと高架にさしかかっており鳥取だった。またうとうとするうちに倉吉から快速になり、大山口から各駅に停まりだす。曇り空で大山は全く見えず、いつ雨が降りだしてもよいような空模様。
伯耆大山からは電化区間を行く。米子を過ぎ、荒島付近から中海が見えてくる。午前6時前に車内放送が再開されて松江6:02到着。

:「だいせん」は、昼間の急行列車は特急に格上げされ、夜行だけが急行として残った。その後、1999年10月ダイヤ改正でキハ65に置き換えられ、運転区間も大阪−米子と短縮されたりしながら2両編成で細々と走っていたが、それも2004年10月ダイヤ改正で廃止されてしまった。)

[松江]午前6時の松江駅前はひっそりしていた。初めて松江を訪れたのは1977年9月で、ホームが高架になって間なしの頃で、平地の駅舎がまだ残っていて、改札口はこちらにあった。

駅前は高いビルもあれば二階建の住宅もあるって感じで、県庁所在地の駅前にしては繁華な感じがうすい。
中海と宍道湖を結ぶ斐伊川べりには柳が似合う。商店街のむこうに松江城が見える。松江駅から斐伊川を渡り30分ほどで一畑電鉄の松江温泉駅に着いた。

[一畑電鉄]1982年8月一畑電鉄を訪れたときは、出雲大社から松江温泉まで乗っており、川跡−電鉄出雲市が未乗のまま残っている。わずか 4.9㎞だが、それだけに乗るのもなんだから、松江温泉からスタート、途中、一畑口で下車してみることにした。

松江温泉から一畑口にかけて宍道湖に沿って走りなかなか眺めがよい。車両は1927〜29年に走り始めた自社製もあるが、大半は西武から転入してきた車両で、「くにびき」「いなさ」「やうがき」といったネームプレートを付けている。

一畑電鉄は最初、今の出雲市から一畑薬師の麓まで、参詣鉄道として敷設されたことに始まる。その後、松江へ、また出雲大社へと路線を伸ばした。一畑薬師に直進できる線形だったため、今の一畑口はスイッチバック駅になっている。一畑口−一畑薬師間は先の大戦中の昭和19年レールが供出させられ、休止に追い込まれ、そのまま復活することなく、昭和35年廃止された。現在は一畑電鉄のマイクロバスが一畑薬師やその麓の坂下まで走っている。

今回、一畑口駅で下車したのは、この廃線跡をたどってみようと思ったのだ。残念ながら廃線跡は道路になっているで、鉄道が走っていた痕跡は見えなかった。一畑薬師の麓までやってくると、まず大きな木造の建物が見えてきた。今は車庫のように使われているようだが、よく見ると妻面に「一畑薬師駅」ともうほとんど消えかけていたが、赤く書かれているのが読めた。当時の電車庫だったらしい。その先には駅舎だった思われる建物も残っていた。

一畑薬師は麓から1269段の石段を登ったところにある。石段だけでなく石畳になったようなところもあるが、なかなか登りがいのある参道だった。
そのあと、歩いて一畑口まで戻るつもりだったが、参拝を終え石段を降りてきたところで、ちょうど一畑電鉄の一畑口駅前行のマイクロバスがあったので、めげてそれに乗る。その結果、予定していた電車より一本早い電車に乗ることができた。

当初の予定では、川跡から出雲大社に向かうつもりでいたのだが、そのまま出雲市に向かうことにした。川跡から電鉄出雲市までは初乗り。沿線は田園地帯、山陰本線に沿うあたりに大和紡績工場がある。

電鉄出雲市駅は、国鉄出雲市駅に隣接しているが、駅は一畑百貨店になっており、ちょうど百貨店の荷物搬入口のところに位置し、まるで裏口という感じなので、電車の駅としてはほかにない、ちょっと異様な雰囲気。

[出雲大社]出雲市駅から大社線の列車に乗り継げて、大社に向かう。出雲大社までバスだと 410円、一畑電鉄だと 390円、それが国鉄だとたったの 170円の安さ。ただし、駅から歩く距離はいちばん長く、1km以上離れている。(:大社線は、1990年3月31日限りで廃止された。)

国鉄大社駅は出雲大社の玄関駅にふさわしい大きく立派な駅舎だ。大正13年に建てられたもの。参道を行くと一畑電鉄の出雲大社前駅がある。ちょうど、電車がやってくる時刻だったので写真を撮った。

そのあと、出雲大社に詣でる。ここにくるのも3度目。おみくじを引くと、願望叶わず云々、とあった。ここのおみくじは吉とか凶とか明記されてないが、概してよくない卦が出てしまったようだ。
出雲大社から大社線で出雲市駅に戻る。

[帰路]出雲市駅から山陰本線に乗り換え玉造温泉で下車する。温泉街は駅から南へ少し離れている。外湯でもないかと思ったが、あるのは特殊浴場だけだった。

玉造温泉から乗った電車は横須賀線色のだった。車両番号から、かつて三鷹電車区に所属して中央西線を走っていた車両らしく、米子に転属してきたようだ。
米子で「まつかぜ4号」に乗り換えて大阪に戻る。



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