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北関東近代建築めぐり 1989.8.12.〜8.16. [東の旅]「青春18きっぷ」の季節がめぐってくると、また列車に揺られたくなってくる。今回は北関東の近代建築を見てまわるつもりだ。 大阪始発の快速としては一番の上り電車なのだけれど、こんな朝早くからどこへ出かけるのだ、と自分のことはさておいて、いいたくなるくらい大きな荷物を持った人などが乗り込んでいる。適当に座って文庫本を読み出す。 米原7:59到着。2分の接続で豊橋行に連絡。「青春18きっぷ」で東海道線を上る人が多い。大垣から快速になる。 豊橋10:15到着。5分の接続で静岡行がある。しかし、このまま静岡まで行っても、次の接続では富士までしか行けないので、熱海行始発の浜松で下車する。確実に席を占める始発駅で、早めにホームで電車を待つほうがよい。 熱海13:45到着。15分の待ち合わせで東京行快速「アクティー」がある。普通なら東京まで2時間前後かるところ、快速なら1時間半ほどだから速い。 東京15:30到着。文庫本を一冊読み終えた。東京で京浜東北線に乗り換えて上野に急いだ。 上野15:45発黒磯行快速「ラビット」にぎりぎり間に合った。しかし、かなりの混雑で席がない。小山16:49到着。けっきょく、小山まで座れなかった。 小山で両毛線に乗り換えて栃木で下車。 [栃木]まだ、日が残っていたこともあり、すぐに宿には向かわず、街を歩いてみる。栃木には明治の洋風建築もさることながら、水運の町として発展してきた古い町並みが残っている。 市内に古本屋が何軒かあって、それらを覗いてみる。森田屋書店、パチンコ屋のそばにあり、現金交換所も兼ねる。小さい店舗である。その西側の通りにある吉本書店はここより大きい。その通りを南へすこし行ったところに滝沢書店がある。ここも小さい店だ。並んでいる本のまとまりとしては、吉本書店がよかった。しかし、これといって発見はなかった。 翌日は早朝から洋館めぐりを始める。まずは、栃木市役所別館。そばを流れる小川には鯉が泳いでいる。その近くにある栃木高校、門が閉まっていたが、鍵がかかってなかったので、校内にはいりの記念図書館、講堂を見た。それから栃木病院にまわる。古い洋館のほうは、道路から引っ込んだところにあった。 栃木駅から新栃木駅まで約4㎞ほどが、街めぐりのコースとして整備されている。途中にはあっと驚いてしまった奇抜な看板建築もあった。ここは、日光に通じる街道筋で、そんな建物も建てられたのだろう。東武鉄道新栃木駅も建物としては昭和初期のもののようだが、かなり改修されている。 新栃木から栃木までひと駅、東武電車で移動する。 [足利]栃木から両毛線、約30分で足利。ここは、足利学校があったことで有名。 駅から東へ10分くらい行ったところに、足利市助戸公民館があり、その敷地内に旧木村浅七工場(明25)および事務所(明44)が保存されている。 [桐生]足利から両毛線、約15分で桐生。この付近は高架になっている。この駅に初めて下車した1983年3月はまだ足尾線(現わたらせ渓谷鉄道)が高架ホームに乗り入れる前で、まだ乗り換え通路が設けられたりしてごちゃごちゃしていた。その頃に比べ、駅前の様子も大きく変わってしまった気がする。 駅の南側に庶民信用金庫の建物がある。しかし、すでに看板がはずされ空き家のようだった。 駅の北側には旧桐生遊廓の建物がそのまま残っている。木造三階建で、ちょっと凝った窓とか、玄関の唐破風とか、どうみてもふつうの民家ではない建物がかたまって建っている。しかし、今はふつうの人が暮らしているようで、細い露地をきょろきょろしながら歩いていると、そこに住んでいる人に不審がられてしまった。 駅から東のほうに行くと桐生倶楽部(大8)がある。 本町を北にとると金善ビル(大10)がある。今はレストランになっているらしい。本町三丁目角には桐生信用金庫本町支店があるが、大正時代に建てられた建物はすでになく、その建物をイメージした新しい建物に建て替わっていた。 さらに群馬大学工学部まで歩く。途中に藤江医院があった。工学部には大正4年に建てられた建物が記念館として残されている。門衛所も当時のものらしい。生協で昼食を取りたいところだが、今日は日曜日で休みだった。 上毛電鉄西桐生駅に向かう途中に森口レースの建物があった。ハーフチンバーの建物。西桐生駅も開業当時の建物らしく、壁面には昭和初期らしい装飾がある。 重要文化財「桐生明治館」は相老駅の近くにあるので、上毛電鉄で近そうな天王宿駅まで行くことにした。上毛電鉄の電車の塗色が以前乗ったときに比べ、明るい色に変わっていた。渡良瀬川を渡り、約7分で天王宿駅に到着。無人駅だった。 とくに案内が出ていたわけでないが、駅から数分歩くと「桐生明治館」にたどり着いた。この建物は、もと群馬県衛生所として、前橋に明治11年に建てられたもので、その後、昭和3年、現在地に移築され、相老公民館として使用されてきた。それが、重要文化財の指定を受け。建築当初の姿に復元、改修され、現在、「桐生明治館」として一般公開されている。 館内では、この建物が建てられた当時の資料や改修工事の様子を伝える写真パネルなどが展示されていた。また、特別展として、桐生市内を中心にした煉瓦建築物に関する展示「レンガ展」が開かれていた。 桐生に戻るときは、今年(1989年)春、足尾線から第三セクター鉄道として新しく生まれ変わったわたらせ渓谷鉄道に乗ることにし、相老駅に向かった。この駅は東武鉄道との接続駅でもあり、窓口では硬券切符を売っていた。切符の下地に動物のイラストが描かれ、洒落たものだった。 ふたたび渡良瀬川を渡り桐生に戻る。現在は、JR線と同じ高架に列車は止まる。無人駅から乗った人は下車するときに、運賃箱に運賃を入れ、運転手から下車票を受け取っていた。わたらせ渓谷鉄道線内だけの切符を持つ場合もそうする必要があったのかもしれないが、運転手に切符を見せて下車した。JR線の切符(青春18きっぷ)があるから、記念にこの切符を手元に残すことができた。 [伊勢崎]桐生から両毛線、約20分で伊勢崎。ここは東武鉄道との接続駅でもある。 駅前から受ける印象は、それほど高いビルもなく、こじんまりとした町に見える。市街地の再開発を進めており、あちらこちら道路が掘り返され、拡張工事をしている。 駅から歩いて5分くらいのところに煉瓦造の望楼(大4)が残っている。近代建築としては、ほかに黒羽根医院を確認したくらいで駅に戻る。 [前橋]伊勢崎から両毛線、約15分で前橋。ここは群馬県の県庁所在地。駅が高架になり、この付近大きく変わったようだ。 駅前には銀行、オフィスビル街で、高いビルが並んでいる。駅前にぽつんと煉瓦倉庫があったりもする。メインストリートから少し離れると住宅街のようで、全体的にあまり古い建物は残ってないようだ。群馬県庁舎を見にいく。県庁前の群馬会館も含め昭和初期に建てられた官庁建築である。 [高崎]前橋から約15分で高崎。今日はここに泊まる。まだ、早いので街を歩く。あまり古い建物は残ってないようだ。駅前通りの突き当たりを左に折れてしばらく行くと、古本屋「みやま書店」があった。そこそこ本は並んでいるものの、興味がわく物件は発見できなかった。 高崎の繁華街も歩く。アーケード街、ふつうのおもちゃ屋の向かいにピンク産業の呼び込み人が立つ店が並んでいたりする。すこし変な感じ。関わり合いにならないよう足早に通り過ぎ、駅前のダイエーで翌日の食糧などを調達する。 [軽井沢]下り一番電車である高崎7:10発長野行に乗るために20分くらい前にホームに立つ。横川方面から到着した電車が停まっていたので、これかと思いドアのところに並んでみたら、この電車は回送扱いでどこかへ引き上げられてしまった。 どこで待てばいいのか、わからないものの、ドアの位置(先ほどの電車ではいちばん前なのだが)に並ぶ人がたくさんいて、そのあとに続いた。電車の停車する位置はホーム(または線路)に掲げられている停止票を見ればわかるのだが、今並んだ位置とは別に停止票があって、乗る列車の編成が短かったら、ここに停まらない、と思っていたら案の定、編成が短く、並んだ場所に電車が停まらなかった。 もう少し早くから案内放送をしてくれればいいものを、電車がホームに入線してから多くの人がホーム上を右往左往することになる。けっきょく、高崎−軽井沢間立つはめになってしまった。ホームの案内放送では、30分ほどあとに臨時軽井沢行があるので、こちらはすいています、といっていたが、1時間ほどだから辛抱しよう。 横川で電気機関車EF63をうしろに連結、機関車に後押しされながらゆっくり碓氷峠を登っていく。 軽井沢で初めて下車する。軽井沢駅舎は明治43年に建てられたもの。軽井沢は中山道の宿場であるが、明治時代の中頃から外国人を中心に夏の避暑地として発展してきたところで、しだいに政治家や貴族たちの別荘が建つようになり、駅舎も貴賓室を備えた駅として建てられた。当初は左右対象の整った格好だったと思われるが、現在は正面左側がかなり改造され、バランスが悪くなっている。 駅前のレンタサイクル屋で自転車を借りることにした。1日2000円だった。 まず、碓氷峠を下って、鉄道記念物にもなっている碓氷第三号橋梁を見にいくことにする。国道18号線を自動車に注意しながら軽快に下る。約30分ほどで、めざす煉瓦造の橋梁のところに着いた。この橋梁は横川−軽井沢間に鉄道が敷かれた最初の路線だが、現在は少し離れて敷設されなおしているので廃線となっている。 ちょうど煉瓦アーチ越しに信越本線の列車を見ることができ、鉄道写真によく取り上げられる場所である。下り普通電車と特急電車を見送ったあと、丸山変電所まで下りたいところだが、ふたたび軽井沢まで登ることを考えると気が遠くなるので諦めた。軽井沢に戻る途中で熊の平信号所跡に立ち寄った。ホーム跡と変電設備があるものの、昔の建物はなにひとつない。アプト鉄道開通の碑が建っている。ここで、写真を撮っている人を見かけた。もちろん、自動車できている人だが、なかには銀箱下げて坂を歩いて下ってくる人も見かけた。たいしたものだ。 (注:長野行新幹線開業のため、信越本線横川−軽井沢は1997年9月30日限りで廃止された。) 下りは30分だった道程も、登りは自転車を押し、たびたび休みながら1時間半もかかって、ようよう軽井沢駅前まで戻ってきた。天気は次第に下り坂となり、にわか雨も降ることがあった。これから、軽井沢別荘地の近代建築めぐりを行う。 まず、旧三笠ホテルを見にいく。明治39年に建てられた洋式ホテルで、現在、国指定の重要文化財になっている。一般公開されているので、見学に来る人も多い。 そのあと、前田郷別荘地を走りまわり、前田郷本館、東京電機大学寮を経て、あめりか屋注文別荘である山崎別荘を探す。近くに田中角栄(旧徳川圀順邸)別荘があったが、建物は道路から奥まったところにあるのか、見えなかった。 軽井沢ショオ記念礼拝堂(明26)に立ち寄ったあと、旧軽井沢へまわると、人出がすごい。観光会館(明44)はもと郵便局。斜め向かいの土田写真店では、昔の軽井沢の町並みや横川−軽井沢間沿線の写真などをいろいろ並べて販売していた。昔から軽井沢で商売している写真屋らしい。 ヴォーリズ設計のテニスコートハウス(昭12)、万平ホテルなどを見てまわる。 そのあと、軽井沢町資料館に向かう。三笠ホテルを見学のとき購入したチケットは、ほかに軽井沢資料館、追分資料館も見学できるようになっていて(2日間有効)、少し離れていたが、ここで「軽井沢鉄道展」が開かれていたので見学する。開業当時の写真パネルなどが展示されていた。けっこうまとまった資料ももらえ、おまけにポスターまでいただいた。さすがに、追分まで足を伸ばす元気はない。 朝8時過ぎから自転車に乗りっぱなしで、もう7時間あまり経った。いささか疲れてきたこともあり、16時頃、軽井沢駅前の自転車屋へ自転車を返しにいく。 [長野]予定より早く長野に向かうことにする。高崎から先の電車には冷房がない。それほど暑くないのが幸い。 軽井沢から約1時間半で長野。もともと、どこかで泊まることも考えていたが、夏の信州、どこもいっぱいだろうと、長野−名古屋間別払いで夜行急行「ちくま」に乗ることにした。駅前の食堂街で夕食を取ったあと、「ちくま」の発車23:29まで、そうとう時間があるので、いったん篠ノ井まで戻る。 たまたま、長野に向かう電車のなかから篠ノ井駅の近くに銭湯があるのを発見。長野駅近くに銭湯があったかもしれなかったが、「青春18きっぷ」を使っているので余計な出費はなく、時間もたっぷりあったから出向くことにしたのだ。 篠ノ井駅前の銭湯でさっぱりし、長野駅に戻り「ちくま」を待つ。 [ちくま]23時過ぎにホームに入線。1ボックス、2人程度の込み方。動きだすと同時に座席に横になって寝てしまった。 松本でどやどやと多くの人が乗り込んできて起こされ、ほぼボックスがうまった感じ。そのあとも、うつらうつらしていたらしく、気がつくと中津川だった。4時半頃には完全に目を覚まし、名古屋で下車する。 [帰路]『JR時刻表』には、大きな駅の電車の入線時刻が記されている。名古屋5:48発大垣行の入線時刻は5:12とあって、「ちくま」から乗り換えてすぐに座席に座れる、と思っていたのだが、実はこのホームに4両編成の電車が2本停車していて、東京寄りが5:31発の岡崎行、大阪寄りが5:48発の大垣行、けっきょく、誤乗を避けるため、大垣行電車のドアは、岡崎行が発車したあとまで、開けられず、車内にはいれなかった。これでは、入線時刻の意味がないではないかと思ってしまった。しかし、記してあると便利なことも多い。 天気は下り坂で、西へ向かうにつれ小雨模様。途中下車してもこの天気では街歩きする気になれず、大垣からすぐの西明石行に乗り継ぐ。 一路西へ西へ、大阪駅で下車して、モーニングコーヒーを飲む。 |
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