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北九州近代建築めぐり

1990.8.12.〜8.18.

[ムーンライト九州]京都21:32発臨時博多行快速「ムーンライト九州」で九州に向かうことにする。席を確保するために早めに夕食を取って、18時前に京都駅ホームに戻る。すでに、人の列ができかけていた。

ホームで三時間半ほど待って座席を確保することができた。京都を発車するときにはすでに立ち客が出た。

「ムーンライト九州」に使用されている14系座席客車は、もともと特急客車として作られた車両だが、特急座席客車が不要になり、十年ほど前から老朽化した急行用12系客車の替わりに使用されるようになったきた。しかし、当時の座席は簡易リクライニングシートで、お尻を動かすだけでガクンと元に戻るというような代物だった。しかし、今回乗ろうとする14系客車は座席をすべてグリーン車なみの(というより、グリーン車のお古のといったほうがいいかもしれない)リクライニングシートに取り替えたもので座席を倒して寝る夜行にはもってこい。冬場はスキー列車に使用されたりする車両なのである。

リクライニングシートを倒して寝る体勢で、大阪、三宮と停車するうちに本格的に寝入り、気がつくと岡山に停まっていた。そのまま、また寝入って次に気がついたのは、徐々に空が明るくなりかけた小野田付近だった。岡山を出て最初の旅客扱いする停車駅は厚狭。もう完全に目を覚ました。下関を出ると関門トンネルをくぐり九州にはいる。

このまま乗って博多に向かってもいいのだが、門司で下車し、3分後に発車する電車に乗り換えた。この電車のほうが、ゴトゴト走る客車列車の「ムーンライト九州」より10分ほど早く博多に着ける。

[博多南線]新幹線博多車両基地までの回送電車を旅客扱いすることになって、車両基地に隣接して博多南駅が設けられ、今年(1990年)4月1日に博多南線が開業した。電車はもちろんすべて新幹線車両で運賃( 190円)のほかに特定特急料金 100円が必要。 8.5kmを10分で結ぶ。

「ムーンライト九州」に乗ったままだと、博多7:35発の博多南行には乗れないのだが、電車に乗り換えたので、乗り継ぎ余裕ができた。「青春18きっぷ」では特急に乗れないので、この区間は、新幹線構内改札口前の出札口で特急券と乗車券を購入した。

7:35発博多南行の電車は小倉発の下り一番電車が基地に帰る回送電車だったわけだが、旅客扱いしている今もホームの案内掲示板は「回送」となっており、ほんとに乗れるのか不安をおぼえる。ホームの案内放送で博多南行だと告げていたものの、何人かの人に、博多南へ行くんですね、と尋ねられた。開業から四ヵ月以上経っているにもかかわらず、案内表示を直さないのはJR西日本の怠慢だ。

下り電車のせいか、乗客はまばら。発車すると高架なので見晴らしがよい。大正10〜11年頃に建てられた煉瓦造りのアサヒビールの工場が見える。10分で終点の博多南駅に到着。車両基地には新幹線車両が出番を待っている。基地のいちばん端に片面ホームが設けられ、小さな駅舎がある。利用者が多いとかで増築中とのこと。駅前は西鉄バスのロータリーになっていて、バスでやってきて乗り換える人も多そうだ。

当初、バスで天神あたりに出ることを考えていたが、バスの運賃は 390円かかるとわかり、ふたたび新幹線で博多に戻ることにする。こちらのほうが 100円安いのだ。旧盆時期とはいえ、博多行はけっこう人が乗った。ふだんだったらもっと多いにちがいない。定期券利用者が大半。

[福岡]博多に戻って駅の外に出る。前に来たのは1987年4月で、新しく開業した福岡市地下鉄の貝塚まで乗ったりしているのだが、街を歩いたとなると1983年9月に天神から博多までぶらぶらして以来ということになる。その頃は、建物に対して興味はなかった。

今回は『近代建築ガイドブック』を頼りに福岡の街を歩いてみる。しかし、すでに戦前の建物は少なく、県庁舎などは取り壊されおり、重文に指定され保存されている旧福岡県教育庁舎(明43)、旧日本生命九州支社(明42)のほかは、見るべき物件は少ない。

このあと、九州大学に行くべく、地下鉄に乗ることを考えていたが、JR箱崎駅からも近いのでJRで行くことにした。

[九州大学]箱崎駅に下車。箱崎神宮を抜けて九大の箱崎地区へ。ここには理工系、文系学部が集まっている。とりわけ、工学部の建物のなかに明治時代に建てられた煉瓦造りの校舎など近代建築が多数残されている。

『近代建築ガイドブック』に載っている建物のなかにはすでに取り壊されてないものもあるが、煉瓦造の事務局本部(大14)、工学部本館(昭5)、工学部図書室(大14)など多くの建物が残されている。
そこから2kmほど西に行った堅粕地区には医・歯・薬学部があって、医学部の建物などこちらにもいくつか残っている。

[筑肥線から唐津線へ]すこし歩くたびに汗がだくだく。缶飲料の自販機を見つけるたびに一本、また一本。

九大の堅粕地区から地下鉄の馬出九大病院前駅に向かう。わずかの差で筑肥線に入る電車を逃す。姪浜までは10分間隔くらいであるのだが、筑肥線に乗り入れているのは30分おきになっている。とりあえず中洲川端で乗り継いで姪浜まで行き、そこで電車を待つことにする。

筑肥線に乗るのは1983年3月、電化開業当日以来だ。電車が西に向かうにつれ玄海灘に沿った海岸べりを走る。なかなか美しい風景だ。虹ノ松原を出ると高架になって唐津に向かう。電化される前は東唐津でスイッチバックしていたのだが、その痕跡も見られない。終点の西唐津駅は電化開業前夜一夜を過ごした駅である。

西唐津駅から北へ15分ほど歩いたところに旧三菱合資会社唐津支店の建物(明41)がある。唐津市の歴史民俗資料館のはずだか、看板はかかってない。建物は市の文化財に指定されているそうだから壊されることはないだろう。
唐津線の列車まで30分ほどしかなかったので、急いで駅にとって返す。電車の冷房でひいた汗が、またどっと吹き出す。

昔の車両には扇風機がねっとりした空気をかきまわしていたが、最近では、キハ47にも冷房装置の取り付け改造がなされるようになった。しかし、ちっぽけな装置のためほとんど冷房が効いてなくて、不十分な改造になっている。まあ、ないよりはまし、というところか。

唐津線に乗るのは1979年3月に乗って以来。唐津から山本へ。ここはかつては筑肥線とのジャンクションだった駅で、電化されなかった伊万里までの路線が分岐している。山本からしばらくは筑肥線と並走、低い分水嶺を越えると多久という駅がある。駅名標の所在を見ると、多久市、とある。駅を見るかぎり市制を敷いているほどの大きな町には見えないが、かつては唐津線沿線の炭鉱で栄えたのだろう。

佐賀17:37到着。高架駅である。駅前に東急インや西友ができたりしているが、高架になる前に駅だったあたりは広いスペースがあいたままになっている。

[鳥栖から久留米へ]明日は筑豊本線に乗ってみたいと考えていた。本線といっても原田−桂川間の本数はひじょうに少なく、佐賀に泊まるよりもうすこし近いほうがよかろうと、鳥栖まで進むことにした。

佐賀から電車に乗って鳥栖で下車。駅付近には大きなヤード跡が広がっているだけでホテルらしい建物が見えない。とりあえず、駅前のメインストリートを行くと商店街が並んだ比較的賑やかな雰囲気をもつところもあるのだが、それもすぐに途切れてしまう。

しかたがないので、鳥栖から南へ下って久留米に行くことにした。ここならホテルがあるだろう。かりに泊まれなくても夜行「長崎旅博号」という臨時列車があるので、気は楽だった。JR久留米駅前は、西鉄久留米付近に比べ、工場があったりするせいか、淋しい感じがするが、駅前にBHがあって、そこに泊まることができた。夕食は近くのレストランへ。昼間は汗をたっぷり流したことだし、ビール半額サービス、というのに気をよくして、二杯も飲んでしまった。

[筑豊本線]朝6時半頃にホテルを出て、久留米から原田に向かう。原田駅の外れのホームに停まっている7:09発若松行に乗車。冷房もない50系レッドトレイン、機関車がひっぱる客車列車だ。筑豊本線原田から出る上り列車の時刻は7:09の前は、5:15、あとは、9:29と前後二時間もあき、さらにそのあとになると、15:38までないという、凄まじいダイヤだ。かつては、寝台特急「あかつき」の一部編成が走っていたこともあるのだが…。

約50分で飯塚に到着。南のほうにボタ山が三つ並んでいる。駅前を新飯塚駅のほうに向かって歩く。飯塚駅前から飯塚の町はそれぼと大きくないなと思いながら歩いていると、川があってその向こうにあるのが中心街のようであった。吉原町は飲み屋街、すこぶるたくさんの店が寄り集まっている。かつて炭鉱で栄えた頃の過去を引きずっているのだろうか。この近くに嘉穂劇場(昭6)がある。戦前からの雰囲気を残す劇場としてその筋では有名な劇場らしい。

マクドでおそめの朝食を取ったのち、ふたたび川を渡って、麻生セメント社屋に立ち寄ったりしながら新飯塚駅まで歩く。新飯塚駅も古そうな駅舎だ。

[直方]駅にたどりつくと、9:22発若松行の発車間際で、この列車に駆け込む。かつては沿線の炭鉱の輸送機関として栄えた筑豊本線群も淋しくなったもので、平成筑豊鉄道として伊田線、糸田線、田川線の三線が残ったものの、上山田線、漆生線、宮田線、香月線は廃止されてしまった。これらは1983年3月に一度乗ったきりである。約20分で直方に到着。

市街地に残る銀行建築などを見たあと、郊外にある二字町遊廓のあとを見にいく。あまり正確な地図をもってこなかったので、すぐ近くだろうと思って歩き始めた方向がとんちんかんだったため、けっきょく一時間ほど彷徨ってしまった。この間、自販機を見つけるたびに缶飲料を口にしたのはいうまでもない。

ようようたどりついた遊廓あとは、直方郊外の丘陵地にあって、今はひっそりした町並みながらその当時の建物が残り、当時の雰囲気を感じさせる。近くにJR九州バスの二字町バス停があって、帰りはバスに乗ると直方駅前まで約10分、 120円で運ばれた。最初にもっと調べればよかった…。

駅に戻ったものの、ぐったり疲れてしまい、歩きまわる気になれず、たまたまあった列車で黒崎に向かう。

[北九州市]筑豊本線から小倉方面に直通する列車は、かつては折尾駅に寄らず、駅手前から分岐する連絡線で鹿児島本線に進んでいったのだが、この連絡線上に折尾駅が設けられた。本来の折尾駅からかなり離れた場所にある。はたして乗り換えの便がよいといえるのだろうか。

黒崎に下車したのはJTBで「青春18きっぷ」を買い足すためである。最近のみどりの窓口では、発券端末からこの切符を印字して売ってくれるので、従来の印刷した切符が入手できなくなっている。これからは発券端末からの印字切符ばかりになり、味わいある印刷した切符はなくなっていくのだろう。JTBでは思い通り印刷切符を入手できた。

駅前の「そごう」で昼食を取って、そのあと若松に向かう。筑豊連絡線の折尾で下車してみようかと思ったが、接続の都合で鹿児島本線からの乗り換えにしておく。

若松へ行くのも7年半ぶりである。この駅舎も昔は風格のある駅舎だったらしいが、今はなんの変哲もない駅舎である。若戸大橋の下というか、渡船乗り場付近にいくつか近代建築が残っている。

渡船で若戸大橋を仰ぎ見ながら戸畑に渡る。船賃は20円。この渡船に乗るのは1984年11月西鉄北九州線の路面電車に乗りにきて以来。すでに戸畑付近の路線は廃止になってしまった。
戸畑から下り電車に乗る。当初は、さらに長崎方面に向かうつもりでいたのだが、今年の夏の暑さ、その炎天下を歩きまわったことでそうとうくたびれた。今夜の「ムーンライト九州」で帰路につくことにした。

[帰路]まだ時刻も早かったので博多を通り越して二日市まで行ってみる。初めて下車する駅で、二日市温泉が近い。温泉街まで歩いて10分ほど。行ってみようかとも思ったのだが、もう歩く気にもなれず、ただ、缶飲料のがぶ飲みしただけで、博多に戻る。

まだ、四時半を過ぎた頃で「ムーンライト」を待つ人はまだいない様子。博多駅界隈で早めに夕食を取っておく。
京都行「ムーンライト九州」21:11発。三時間ほどホームで待ったので楽々席にありつけたけれど、それほどの混み方ではなかった。歩き疲れから発車するなり寝てしまった。



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