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五島列島教会堂めぐり

1992.5.2.〜5.5.

[五島に向かって]佐賀7:04発の電車で長崎に向かう。ふだんは二両なのにゴールデンウィーク中は四両で走っているようだ。長崎9:20到着。

駅から歩いて大波止に向かう。五島行のフェリーやジェットフォイルはここから出ている。12:40発のフェリーの切符を求める列ができていたが、隣のジェットフォイルの窓口の列がない。予約が主体だからだろう。なくてもともとのつもりで窓口へ行くと、11:30発の席を入手することができた。
約一時間半ほど時間ができたので、ダイエーヘ食料の調達に行く。

11:30発福江行のジェットフォイルは福江からやってきて乗客の乗り降りを済ませてすぐの出航となる。この便は多客時の臨時便である。福江まで85分。長崎湾を出外れると時速75〜80kmで走る。直行のフェリーだと三時間以上かがるから所要時間は半分以下だが、運賃は5840円でフェリー二等の2140円の倍以上である。所要時間と運賃は比例関係にあるわけだ。

[堂崎天主堂]福江港ターミナルの観光案内所に寄ってまず、今晩の宿を押さえる。そのあと、五島バスのターミナルへ行ってバスの時刻を調べる。ジェットフォイルのおかげで、時刻はまだ13時を過ぎたところである。

14:15に堂崎天主堂方面へ行くバスがあったのでそれに乗って見に行くことにした。バスで20分、堂崎入ロバス停で下車。海を隔てて半島の先に煉瓦造りの天主堂が建っているのが見える。バス停から歩いて約10分。明治41年に建てられた天主堂は煉瓦造りでは一番古いもので長崎県指定文化財になっている。

内部は、キリシタン資料館となっており、禁制時代の「マリア観音」や禁教が解かれた明治時代の布教関係の資料などが展示されている。
三十分ほど見学してバスで福江に戻る。

[福江]福江は五島藩一万二千六百石の城下町。石田城は黒船来航に備えて1849(嘉永2)年から造営が始まり、1863(文久3)年に竣工している。旧来からの城廓としては、一番新しいものに属する。竣工後ほどなく明治の世になり、現在は、内外の堀をはじめ、石垣が残っているだけで、城跡は五島高校、文化会館、歴史資料飴などが建っている。

城跡の南側は武家屋敷のあったところで屋敷の回りを囲っていた石垣が残っている。石垣の上部は拳大の丸石が積まれており、侵入防止(丸石だと崩れやすく石垣を乗り越えにくくしているそうだ)、いざというときの武器として利用するためらしい。

[大瀬崎灯台]翌日、福江から大瀬崎に向かう。福江島のバス路線は福江から前日乗った戸岐方面、岐宿、三井楽方面、富江方面、それに島を横断して荒川、玉之浦方面に行くのと、島を縦断して富江−岐宿を結ぶ路線が主で、それ以外に支線と通学バス路線がある。横断、縦断する路線は島の中ほどの二本楠で連絡している。

当初、レンタサイクルで島を回ろうかと考えていたが、島は平野部が少なく、起伏に富んでいるようである。二本楠に行くまでに峠を一回越え、さらに玉之浦に行くのにもう一回峠越えをした。自転車にしなくてよかったと思う。

バスは小型のバスで休日ということもあるのか乗客はわずか二、三人である。中須を過ぎて玉之浦湾に沿って走る。といっても山が迫り起伏がある。「ルルド前」バス停で下車する。降車ボタンを押しているのにすこし通り過ぎたのにはまいった。ふだん、下車する人もいないのだろう。

ここには、井持天主堂がある。五島最古の煉瓦造り天主堂(明28)はなく、新しい建物に建て替わっていた。あとで、知ったことだが、1987年の台風で被害を受け、翌年建て替えられたそうである。天主堂のそばにルルドの聖母が安置されている。

井持教会から1kmほど北に行ったところから大瀬崎灯台へ通じる自動車が走れる道が分かれている。海岸辺りから標高250m近くまでの登り坂が2kmほど続くが自動車道なので勾配がそれほどきつくないのが幸い。南側は数十mの断崖が続いている。

大瀬山展望台まで自動車でいけるが、灯台はさらに山道を1kmほど下ったところにある。灯台まで行く人はそれほど多くない。大瀬崎は、過ぎし日露の戦いでバルチック艦隊が沖合を通過する第一報を発したことで有名なところである。

[福江島縦断]大瀬崎灯台から来た道を引き返し、玉之浦まで歩く。福江島の西端にある町で町役場がある。町営渡船の発着場があって、向かいの島山島を経由して荒川まで三往復ある。現在、向かいの島山島へは橋の工事が行われている。

荒川まで陸路を取れば、20km以上ありそうだが、海路を取れば、25分ほどで着く。荒川には温泉がある。旅館だけでなく一般の人も入れるようになっている。バスがすぐに連絡していたので、立ち寄ることができず残念。

荒川から15分ほどで島の交通の要衝二本楠に着く。しかし、このバスに接続する便がないので、岐宿に向かって歩くことにする。二本楠から北に向かっては、島中央部の比較的平坦なところである。約8km、1時間半あまり歩いて、楠原郷にたどり着く。

[楠原教会・水ノ浦教会]東楠原に楠原教会がある。明治43〜45年に建てられた煉瓦造りの教会で、設計施工は五島出身の教会建築家鉄川与助である。

楠原から2kmほど行くと岐宿の町はずれのバイパスにたどり着く。手元の地形図は昭50年編集と十年以上前のものなので、この道路は記されてないが、とりあえず水ノ浦方向に向かって歩く。バイパスを20分ほど歩くと丘の上に白い教会の建物が見えてきた。木造下見板張りの水ノ浦教会も鉄川与助の設計施工で昭和13年に竣工している白亜の教会である。
水ノ浦からバスで福江に戻る。

[上五島]翌日、中通島南端の奈良尾経由長崎行のフェリーで奈良尾に向かう。久賀島、奈留島、椛島などを横目に約1時間10分の航海である。奈良尾の町外れの桟橋に着岸。

まず、バスの時刻を調べることが必要となる。中通島は西肥バスのエリアである。フェリーの到着に合わせて青方行のバスがあるのでそれに乗ることにする。バス路線から外れたところに福見教会があるのだが、パスして先へ進む。この島も福江島同様リアス式海岸の入り組んだ海岸線に平野部がない島である。バスの窓から木造の中ノ浦教会を見ることができた。

[大曽教会]奈良尾桟橋から1時間近くかかって青方に到着。西肥バスのターミナルがあって、島内各地へのバスの発着場となっている。ここから西へ2kmほど行ったところに大曽教会がある。海越しにバスの窓からも見えた煉瓦造りの教会だ。設計施工は鉄川与助で大正5年に竣工している。たまたま、そこを訪れたとき、商業写真を撮っているひとが教会の内側から声をかけてくれたので、はじめて教会内部にはいることができた。

[冷水教会・青砂ケ浦教会]青方に戻り奈摩経由青方行循環バスに乗って奈摩に向かう。バスによっては矢堅崎方面を往復する便もあるらしいが、乗ったバスはそのまま似首の方へ向かうバスだった。峠を越えると奈摩湾で湾越しに煉瓦造りの青砂ケ浦教会が見える。奈摩から湾沿いに2kmほど北に向かったところに冷水教会がある。この教会も鉄川与助の設計施工によって明治40年に竣工した木造の教会だが、外観は装飾性の乏しい下見板張り建物であった。

奈摩に戻って奈摩湾に沿って2.5kmほどいった青砂ケ浦の丘の上にある煉瓦造りの教会が青砂ケ浦教会で、この建物も鉄川与助の設計施工である。明治43年に竣工している。
教会の前にバス停があるが今の時刻にバスがないので1kmほど戻って循環バスを捕まえる。

[鯛ノ浦教会]バスはバスセンターの青方行なので有川方面行に接続している五島高校前で下車する。ところが有川行は30分ほど待たねばならないのでバスを待たずに歩くことにした。

1kmほど行くとトンネルがあった。手持ちの地形図は、これも昭50年編集とかなり古いので新しくバイパスができたようだ。そちらに向かわず旧来の道路を中野のほうへ向かう。バスはこちらの方を通っているようだった。

中野には鯛ノ浦教会がある。新しい教会堂の裏手に明治36年竣工した木造の建物がある。設計施工は不詳。戦後に正面に煉瓦の塔が設けられたらしい。ここはキリシタン殉教の地で、ルルドの聖母も安置されている。
鯛ノ浦からは有川ヘバスが通じているのでバスを待つ。

[有川]有川桟橋に着いたのはまだ午後四時前であった。ちょうど、佐世保からフェリーが着くころだったが、まだ、着いてないめは遅れているのだろう、くらいに思っていた。

ターミナルのなかに観光案内所があったが、宿の紹介まではやってくれなかった。仕方なく有川桟橋の近くの民宿を探して落ち着く。

翌日、9:50発の佐世保行フェリーに乗るつもりで、乗船券を入手するため、七時半頃ターミナルに行ったらすでに、窓口に行列ができていた。ところが驚いたことに、連休中は、臨時ダイヤで運行されており、第一便は10:40発なのだ。きのう来たときには全く気がつかなかった。昨日気がついておれば、佐世保行第二便に乗れたはずで、昨日のうちに佐賀に戻ることも可能だったのだ。一泊分の費用を無駄にしたわけである。

約1時間半ほど乗船券の発売を待って乗船券を入手。そのあと、出発までさらに1時間半あるので、桟橋近くにある鯨の骨のアーチがある海童神社や鯨見山に立ち寄った。鯨見山の展望台には無料の望遠鏡がおいてあった。そのあと、食料の調達と船中で読む本を求めに行って桟橋に戻った。

[有田陶器市]当初の予定では、有川9:40発のフェリーに乗れば、佐世保に昼過ぎに着けるので、すこし佐世保市内を歩いて有田に向かうつもりでいたが、その時間がなくなった。当初、予定していた電車に乗れただけでよしとせねばならない。佐世保桟橋から佐世保駅までバスが連絡していたが、歩いても10分あまりである。

佐世保から40分ほどで上有田に着く。有田陶器市はゴールデンウィークに催され、多くの観光客がやってくる盛大な行事である。上有田から有田にかけて近在の窯元などの露店が並ぶ。たいそう安いらしい。

今日は最終日である。午後四時を回ると「半額」などとさらに値下げしている。はては、無料というものもある。さすがに、有名な深川製磁、香蘭社などに並べられているのは高価な製品も多い(ふだんよりはかなり値引きされているのだうが)。

ある店で皿を一枚百円で貰うとおまけに小皿を数枚つけてくれた。半端物ばかりでしまうのが面倒なのだろう。 有田の街には、洋館がいくつかあるのでゆっくり歩きたいところだ。
有田から電車に乗って佐賀に戻る。



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