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「豪遊券」で九州ひとめぐり 1992.7.23.〜7.26. [豪遊券]JR九州では九州内の鉄道線と特急のグリーン車、「かいもん」「日南」のB寝台に自由に乗れる「豪遊券」というトクトクきっぷを発売している。3日間用が19800円、5日間用が29700円であった。(その後、3日間用が値上げされ、5日間用は廃止された) 7月15日にダイヤ改正が行われ、新型特急電車が博多・門司港−西鹿児島(現鹿児島中央、以下同じ)間を走ることになり、往年の愛称「つばめ」が復活することになった。今回は、この電車などに乗ることもひとつの目的に「豪遊券」の旅を行うことにした。7月15日から料金が改定されることがわかったので、希望の指定席の確保もかねて、7月11日にJTBで購入。指定券も希望通り入手できた。 [出発]3日間を有効に活用するのに打って付けなのが、鳥栖0:26発の「かいもん」西鹿児島行である。佐賀から鳥栖までは別払いとなるが、3日間をこれ以上有効に使える列車はない。 その日は午前中、北九州地区で人身事故があったとかで、鹿児島、長崎本線などかなり乱れているのを知っていたので予定よりすこし早めに駅に向かう。最終の鳥栖行は22:32発で、そのころには回復しているのではなかろうか、と期待していたのだが、特急を中心に大いに乱れたままであった。 22:30頃に一本前の電車が15分ほど遅れてやってきたので、それに乗って鳥栖に向かう。鳥栖では一時間半ほど待つ予定だが、特急など二時間くらい遅れて運転されている様子。車両運用だけは崩さない考えか、相当な遅れになっていても運転打切とせず、電車を走らせているようだった。けっきょく、「かいもん」は45分遅れの1:11頃やってきた。 この列車は途中の駅で長時間停車するのでこの程度の遅れは回復し西鹿児島到着は遅れないだろうと思われた。せっかくの寝台だが、五時間も使えないのは残念。国内の寝台車に乗るのは初めてであるが、すでに消灯されており、指定されたベッドにもぐりこみ寝てしまう。 [鹿児島(1)]鹿児島まで来たのは1984年11月、鹿児島市電を乗り歩いたとき以来で今回は近代建築めぐりが主目的である。 まず、西鹿児島駅から歩いて十分ほどの甲南高校(昭5)を見る。 さらに10分ほどのところに鹿児島地方気象台(昭9)がある。当時としては斬新なセセッション様式の建物である。 駅に戻る途中に日本ガスビル(昭6)を見る。初日はこのくらいにして、鹿児島交通のバスターミナルである山形屋バスセンターまで歩く。 鹿児島市内には、市営バスをはじめ、鹿児島交通、南国バス、林田バス、JR九州と多くの会社のバスが走っており、必ずしも西鹿児島駅前を経由するわけではない。鹿児島交通のバスターミナルは、繁華街天文館の先にある山形屋の一階にある。大きなターミナルで同時にバスが発車することもある。 案内が不親切であやうく乗りまちがいそうになった。 [知覧]バスは西鹿児島駅には寄らず、電車通りに沿って南へ下る。平川まで指宿枕崎線に沿って走る。そこから山に向かう。鹿児島から1時間20分ほどで知覧の市街地にはいる。武家屋敷を見るなら市街地にはいった武家屋敷入口で下車すればよい。バスは市街地を抜けた知覧バス停に止まる。ここは、鹿児島交通知覧線の駅跡である。その痕跡は全く残っていないが、加世田方面に向かって廃線跡が続いている。 知覧は先の大戦では、特攻基地の町だったところで市街地から2kmほど離れた飛行場跡には平和観音や資料館がある。 また、知覧の市街地は江戸時代の武家屋敷の石垣がそのまま残る落ち着いた町並みを見せ、伝統的建造物群保存地区に指定されている。邸内に当時の庭園を残す家が七戸あり、名勝に指定されている。小規模なものながらも枯山水や背後の山並を借景とした立派なものである。これらの庭園をもつ武家屋敷そのものは残ってないが、二ツ屋という形式の藁葺き屋根の民家が残っているところもある。 これらの庭園をまわって知覧から枕崎へ向かう。 [枕崎]知覧から山越えの道を枕崎に向かうと、開間岳が整った山様を見せる。海が広がり、遠く島々が見える。硫黄島などの島々なのだろう。素晴らしい眺めである。 枕崎まで足を伸ばしたのは1983年3月以来、9年ぶりである。鹿児島交通南薩線に乗りにきたときであるが、その南薩線も廃止になって8年ほどたつ。もともと南薩線の駅舎もJRに引き継がれて残っていた。鹿児島交通関係の会社が建物を一部使っているので残っているようで、JR駅としては無人のままである。さらにこの7月15日ダイヤ改正からは一部列車がワンマン化されることになった。 駅前の食堂でかつおのたたきを食する。そのあと、指宿行の列車まで二時間ほどあったので街を探索する。駅からほど近い丘の上に「南瞑館」という文化センターがあったのでいってみる。研修室をもつ美術館で、木をふんだんに使った建物である。枕崎市出身のコレクターの寄贈による絵画などが展示されている。地元出身の山口長男、吉井淳二らの作品が並ぶ。無料で公開しており、地方美術館としては立派な展示内容と思えた。 街を散策するが近代建築の発見はなかった。14:25発指宿行に乗る。前回、枕崎まではバスを利用したので、指宿枕崎線に乗るのは1979年以来となる。ワンマン化されてまだ日が浅いので、運転士以外にも添乗員が乗り、利用者に乗り降りの仕方について周知徹底させているようだった。 指宿で西鹿児島行に乗り換え、次の二月田で下車する。駅の近くにかつて島津の殿さんがつかったという「殿様湯」があるのでつかりに行くことにする。温泉自体は小さなもので、入浴料は二百円であった。 三十分ほどで駅に戻り西鹿児島行に次の乗る。二月田は駅員配置駅で切符を売っていたので、隣の駅までの切符を記念にする。最近は硬券切符を扱っている駅が少なくなっているだけに貴重である。 この日は西鹿児島のBHに泊まる。 [鹿児島(2)]翌日、まず、甲突川に沿って上っていく。まず、島津興業の事務所の前にいったが、すでに建物はなかった。あとで磯公園へいってみてこちらに移築されていたことを知った。この建物は島津家の金山事務所だったもので、明治42年に建てられたもの。 さらに行くと旧鹿児島刑務所がある。かつては街はずれだったところが民家に取り囲まれ移転せざるをえなくなった。現在、門だけが保存され、その跡地は体育館などが建設中である。 川沿いに戻って、川にかかる石橋を眺めたあと、中央高校(昭9)を経て天文館まで歩く。そこから林田バスで磯公園に向かう。南国バスなどでも磯公園の方に向かうバスがあるのかもしれないが、バス停の案内に、磯公園に停車します、とあるのは林田バスだけなので、これしか頼ることができない。 バスの案内は全般的に不親切な気がする。 鹿児島駅を経て、約15分で磯公園に着いた。ここには幕末島津藩が設置した洋式工場跡である尚古集成館(慶応元年)がある。さらに、先にふれたように島津家が明治時代に建てた金山事務所や山林事務所の木造洋風建築も移築されている。また、この近くには、異人館と呼ばれている木造の建物がある。英国人技師らの住んだ建物だ。今回は時間の都合でともに外から眺めただけで市内に戻る。 鹿児島市内は先の大戦で戦災にあっているので残っている建物は鉄筋コンクリートや石造りのものだけである。官庁関係では鹿児島県庁舎(大14)、鹿児島市庁舎(昭12)、鹿児島県教育会館(昭2)、鹿児島県立博物館(昭2)、考古資料館(明16)、鹿児島市中央公民館(昭2)が残っている。民間では建て替えられたのもありそうだが、朝日通に南日本銀行(昭12)が残っていた。 建物を見てまわったあとは、県立博物館から順番に見学していく。考古館とも無料の施設で、鹿児島県に関する各種資料が展示されている。さらに、市立美術館に寄る。企画展もやっていたが、それは無視して常設展を観覧する。黒田清輝、山口長男、吉井淳二ら地元出身の作品や西洋絵画としては、ルノワール、モネなどの作品もあって内容は充実している。 昼食後、その近くの県歴史資料センター黎明館に立ち寄る。古代から現代まで鹿児島の歴史を紹介している。 そのあと、鹿児島駅近くの滑川温泉につかりに行く。市内には温泉銭湯がいたるとにろにあってそのひとつである。街は多賀山神社の祭りのようで神輿が練り歩いていた。さっぱりして、鹿児島駅から一駅西鹿児島に向かう。 [つばめ]7月15日ダイヤ改正で復活した名籍である。西鹿児島までの「有明」を「つばめ」とし、熊本・水前寺までのを「有明」と名前をわけた。しかも「つばめ」には新型電車を使用してスピードアップをはかっている。西鹿児島−博多は約四時間である。 今回の旅行は「豪遊」なので、グリーン席を予め確保してある。グリーン車をグリーン券不要の普通車として使用できる、いわゆる「グリーン開放」してた列車のグリーン車に乗ったことがあるものの、正式に乗るのは初めて。 座席は、二列、一列シートのゆったりした空間で、「つばめ」の場合、グループが使用可能な個室も設けられている。「つばめレディ」が乗り込んでおり、検札などを行っている。グリーン車では、おしぼり、飲み物のサービスがある。座席で音楽を聴けるようイアホーンも配ってくれたり、週刊誌もある。なかなかのサービスなのである。 西鹿児島15:22に発車。この時刻の「つばめ」にしたのは串木野付近の海岸線沿いの眺めを楽しみたかったからである。 八代までカーブが多いせいかスピードはそれほど速いように感じなかったが、そこから先はスピードが上がったようだ。 熊本着17:59。西鹿児島を出発して2時間半余り。熊本を出て再度飲み物のサービスがあり、筑後平野を快走して暗くなってきた19:21博多に到着。快適な4時間だった。 次に乗るのは博多22:15発の「日南」なので約三時間の待ち時間となった。博多駅前のいつもの牛丼屋で久々に牛丼を食したのち、時間があったので特急で佐賀往復する。 [日南]今日は、寝台車に始発から乗る。車内にはいったときは冷房がきいてなくて蒸し風呂のようだった。検札を早々とすまして寝る。小倉を出るあたりまで車内放送があるので起きていたが、そのうちに寝てしまった。 午前六時前くらいに目を覚ます。宮崎到着6:56。かつてより一時間くらい到着が遅くなったようだ(いつからか確認をしてないが)。高架工事が東側で行われている。 [宮崎]宮崎に立ち寄ったのも1984年11月、妻線の廃止前に乗りに来て以来である。今回は近代建築めぐりであるが、この街も戦災を受けている。 まず、県庁舎を見に行く。昭和7年の建物が健在。その近くに旧第一勧業銀行宮崎支店がある。現在、県庁舎のひとつに転用されている。 橘通りを南へ向かうと旧宮崎銀行宮崎支店(大14)がある。現在、店舗は移転し、建物だけが残っている。取り壊されるのかもしれない。宮崎市に残る建物はこの程度である。 そのあと、宮崎神宮に参って、その北側にある宮崎県総合博物館に立ち寄る。 隣接した民家園には、重要文化財に指定されている民家など四棟が移築され見学できるようになっている。博物館は歴史、民俗などの資料が展示されている。美術館併設で、訪れたときはタイミングが悪く展示替えで休館していた。 見学を終えて宮崎神宮駅まで歩く。神宮を意識した造りの駅舎だが現在は無人である。 [美々津]予定より一時間ほど早く駅に着いた。予定では宮崎神宮から宮崎まで戻り特急「にちりん」のグリーン車で別府まで行くつもりだったが、時刻表を見れば上りの普通電車があったので美々津へ行くことにした。ここは普通しか止まらない。 都農を出ると海岸側にリニアモーターカー実験線の高架が沿う。宮崎神宮を出て約50分ほどで美々津に到着。 リニアの実験センター最寄り駅であるが、無人駅でわずかに家が建っているだけである。美々津の中心はここから歩いて20分ほどのところである。 廻船問屋などで発展した港町で江戸、明治、大正の民家が残っており、伝統的建造物保存地区に指定されている。廻船問屋が歴史民俗資料館となっている。かなり昔の姿に補修されたりしているが、建て替えられたりしている家々も多く、町並みとしては、今後それらをどう修景していくかだろう。 町並みを一巡して美々津駅に戻るとちょうど指定をとった「にちりん」がやってきて停まった。単線区間の行き違いなのでもちろんドアはあかない。 日向市まで普通でいって昼食を取る。そのあと、「富士」のヒルネに乗車する。ワイド周遊券などではヒルネ(寝台列車の座席利用)はもとからできないが、「豪遊券」の場合、乗車前に立席特急券で車両の指定を受ければ乗車できる。「富士」に乗るのも初めてならヒルネも初めての経験である。 延岡から先は宗太郎越えである。この区間、いままで夜行列車でたびたび通っているのだが、昼間通過するのは初めてかもしれない。 大分近くまで平野部が少ない。約2時間半で大分に到着。 [豊肥本線]この線に乗り通すのは1979年3月以来ということになる。いままで、別府−熊本間には、急行「火の山」が走っていたが、7月15日ダイヤ改正で特急「あそ」に格上げされた。185系気動車の改造車である。四国からきたものらしい。 大分県から熊本県にはいり阿蘇の外輪山を下っていく風景がよい。阿蘇中岳の眺めが素晴らしい。あえて豊肥本線経由にしてよかったと思える車窓だった。立野のスイッチバックを経て熊本平野に下っていく。 熊本で20分ほど待って、また「つばめ」に乗り継ぐ。駅で駅弁を買っておこうかと思ったが、「つばめ」にはビュッフェがあるので、そこで購入しようと考えた。さっそく3号車のビュッフェにいったものの、期待の弁当類はすでに売り切れ、またまた残っていた弁当で夕食とする。前回も座ったのと同じグリーン車に腰を落ち着け、弁当を開くと、つばめレディがさっそくお茶をもってきてくれた。 たった一時間しか乗らないのを残念に思いながら鳥栖で下車。長崎本線に乗り換える。 さて、三日間で乗ったキロ数は1679.3kmで、単純に通しの乗車運賃(幹線)とすると16630円に相当する。特急・急行料金は11920円で、さらに、寝台・グリーン料金は18720円である。しめて、47330円となり、「豪遊券」19800円との比較で約2.4倍使ったことになる。 しかし、こんな計算をして喜んでいるようでは、ほんとの「豪遊」とは無縁なのかもしれない。 |
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