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酔古ざつがく

おきなわの風習、文化、生活、その他もろもろ

  石敢当

  沖縄の街を歩いているとT字路の突き当たりに”石敢当”と書いた物が塀や石垣に置かれているのを見る事ができる。これは魔よけとして置かれているものである。悪鬼などは曲がる事が出来ず道に沿ってまっすぐに進む性質があるという。このため突き当たりの家は不幸が家の中に入ってこないように、この様な”石敢当”を置くのである。この風習は中国の風水からきたもの様である。昔の中国では石姓のものに勇敢な人が多かったという。”石敢当”の意味はその石は向かうところ敵無しという事で、そこから”石敢当”と書いたものを置く様になったという事である。那覇の平和通りの突き当たりには三越がある。ここには大きな石の”石敢当”が置かれている。

  ヒンプン  ガジュマル

那覇の市街から離れた昔からの集落にある家にはヒンプンと呼ばれるものが門の内側の庭に建てられている。同様の壁を中国福建省で「屏風」と呼び、悪鬼などの侵入を防ぐためとしている。また、外から家の中が見えない様に衝立状に建てられているので目隠しの意味もあるかもしれない。本来は家の入口と母屋との間に造る石造りの壁であるが、沖縄の場合は珊瑚礁の石垣やブロック、塗り壁、木製の板塀状のものなどがある。木製の壁では悪鬼などは防げないかもしれない。
名護の入り口の道路には道を塞ぐ様に大きなガジュマルが生えている。このガジュマルは名護の町のヒンプンのように見えるところからヒンプンガジュマルと呼ばれている。
ヒンプンはさえぎる所などから類推すれば魔よけの意味もありそうであるが、”石敢当”が無い場合、壁や石垣でも悪鬼は通り抜けてしまうようであるから、この矛盾はどう解決するのであろうか。沖縄の気候に関係して開放的な住居を外部の目から守るため、と考えた方が良いのであろうか。あるいは海風などの風よけの機能があるかもしれない。又は家のステータスを上げる役目もある様な気がする。本土の旧街道の重要拠点の町を通過する場合、町の出入り口は鍵型に曲がっている事が多い、一直線に侵入させない為と方向感覚を狂わせる意味があると思われるが、ヒンプンにはこれと似たような役目も考えられる。

  シーサー  琉球瓦

沖縄の澄み切った青い空には赤い琉球瓦の上に置かれたシーサーが良く似合う。シーサーとは獅子の意味で魔除けの一種である。沖縄で、瓦屋根にとりつけいる素朴な焼物の唐獅子像である。このシーサー、本土の神社などに置かれている狛犬と形は良く似ている。最近では琉球瓦の家も減り、コンクリートの家が多くなってきている。シーサーの本来の置き場所である屋根瓦が無くなり置き場所に困ったのか門柱の上にシーサーを飾る家もあり、ますます神社の狛犬と似てきている。屋根の上の魔よけという意味ならば、形は違うが本土では鬼かわらがその役目を果たしている。

  キジムナー

沖縄に住む妖怪で木の精だという。姿形は子供で髪は赤くざんばら髪で赤い顔をしている。東北などの座敷わらしとの類似性を感じる。座敷わらしとは東北地方の旧家に住むと信じられている家神で小児の形をして顔が赤く、髪を垂れているという。枕返しなどのいたずらもするが、居なくなるとその家が衰えるという。沖縄のキジムナーも子供の格好である点や、いたずらをするところなど良く似ている様である。キジムナーは恐ろしい存在の魔物ではなく、愛嬌のある存在である。沖縄にはキジムナーを歌った、歌もできているくらいである。 

  落とした魂を拾う

那覇の友達の家に遊び行く。数日前、子供が交通事故に遭って入院しているという。今日はその事故現場で落とした魂を拾うのだというのである。沖縄では何かびっくりした目に会うと、魂を落とす事があるらしい。落としたのだから、拾うのは当然の理屈であるが・・・。たとえで魂が抜けた様だと表現するのは本土にもあるが落とすとは初めて聞いた表現であった。そして実際にそれを拾うというのである。この話しを聞いた時、我が耳を疑い、つい聞き直してしまった。本当らしい。本土で何か悪い事が続くと神社で厄払いしてもらう様な感覚であろうか。葬式の時などもやはり、魂を落とすらしい。この場合は四十九日の法事の時に神女(カミンチュウ)を呼び、落とした魂を拾う儀式を行うという。カミンチュウは専業のものではなく、普段は普通の家庭生活を営んでいる主婦が作法を習いとりおこなっている。これもあまり顔なじみのカミンチュウだと、有難みにやや欠ける事もあるようである。 

  ニライカナイ

沖縄では海の彼方にあると信じられている楽土があり、そこから年ごとに神が訪れ、豊穣をもたらすと考えられている。その楽土がニライカナイである。一方、ヤマトの場合は、天から天下り地上に降りてくるという。ヤマトの神は垂直方向に移動し、沖縄では水平移動である点が違っている。海洋民と山岳民の違いであろうか。住む環境による差なのであろうか。海は豊かさをもたらし、海流に乗せて幸を運ぶそして見知らぬ国の旅人は神のように歓待される。しかし、最近はオイルボールなどの重油も送り届けられ、海岸をよごし、必ずしも幸せばかりとはかぎらない。

 ノロ ユタ

ノロとは沖縄で、部落の神事をつかさどる世襲の女性司祭者を指している。宮古・八重山諸島ではツカサといい、これも女性神職者である。宮古ではくじによって、八重山では家系によって選ばれる。本土では通常男の神職者、神主になっている。沖縄の場合は母系社会であった頃のなごりであろうか。ユタは沖縄で、口寄せをする巫女をいう。本土でいう、口寄せとは巫女(ミコ)などが神がかりになって霊魂を呼び寄せ、その意思を伝え告げることである。神霊を寄せるのを神口(カミクチ)、生霊を寄せるのを生口(イキクチ)、死霊を寄せるのを死口(シニクチ)という。沖縄の場合もほぼ同じであると思われる。本土のユタに類する人はカンナギといい、神に仕え、神楽を奏して神慮をなだめ、また、神意を伺い、神おろしを行いなどをする。青森、下北半島の恐山のいたこなどがこれに当たると思う。沖縄では予感の強い人の事をユタの様な人だという言い方も現在においてもなお使われているようである。

  御嶽 (うたき)

沖縄の村々にある聖地で、多くは森。石やクバ・ガジュマルの木などがあり、最も神聖な場所とされ、祭りの多くはここで催される。おたきとも言う。
拝所(うがん‐じゅ)沖縄地方で、神を拝む場所をいう。大部分はうたき(御嶽)に相当するが、岬など神がおりてくるとされる場所もさす。
威部(いび)奄美・沖縄地方で、巫女たちが神祭りを行う聖地。または、神。うたき(御嶽)の中でも最も神聖な場所で、神の依代(ヨリシロ)として神木や自然石があり、香炉が置かれている。いべともいう。
場所によっては戦前の神道の影響か、鳥居が立てられている所もある。古神道であるという見方もある。
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