このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

瀬戸線 車両カタログ

(600ボルト車両/その後)

[11/21 1998 UP]
(Sorry, only Japanese)


瀬戸市民公園に屋外展示されているモ760形(左)とデキ200形(右)

瀬戸電鉄が送り出した2形式をかつての塗装に戻し、モ760形のヘッドライトをヘソの位置に復元した。車体に描かれている印章も瀬戸電鉄のものにされている。
ここのデキ202のほか、南知多ビーチランドにデキ201が、本線系統で活躍したナマズこと850系電車とともに保存されている。

モ760形
旧 瀬戸電鉄ホ103〜 → 名鉄モ560形 → 名鉄モ760形

瀬戸電鉄発注の大正15年製。車体外板をすべて鉄板とした車両。当初は路面電車のように乗降扉にステップを設けていたが、後にプラットホームを嵩上して、ステップを縮小した。その後名鉄においても重宝され、昭和53年まで揖斐・谷汲線で余生を送ったほか、岐阜県の北恵那鉄道で廃線まで使用された。

【昭和53年、全車引退】


揖斐線 忠節駅付近
ク2300形・ク2320形

主として瀬戸線の特急用として活躍したグループだが、昭和53年の1500ボルト昇圧を機に瀬戸線を去った。ク2300形は全車廃車解体。
ク2320形は以前より、2325・2327が揖斐・谷汲線にも配置されていたが、やはり昭和53年にロングシート車3両(2322・2323・2326)が移って行った。

【平成10年、全車引退】


ク2325、揖斐線 忠節駅
昭和50年頃

揖斐線 尻毛駅

解体中のク2300形
モ750形

モ700形・モ750形の一族は、元名古屋鉄道(名岐鉄道系)のデセホ700形・デセホ750形を受け継いだグループ。昭和40年代は瀬戸線と揖斐・谷汲線という、600ボルト路線の主役であった。瀬戸線が徐々に近代化されるにつれ、揖斐・谷汲線に集結するに至った。
近年、同線の体質改善が推し進められて、黒野以遠の折り返しワンマンカーとして3両のモ750形が残るのみ。

【現役】


谷汲線 北野畑〜赤石
モ900形

クロスシートの設備を活かしたまま昭和53年以降、他社に譲渡され好評を博した。
北陸鉄道ではすでに引退、福井鉄道では元・長野電鉄の車両とコンビを組んで、福井市内の路面電車から郊外の鉄道線を武生まで直通するインターバンとして活躍。余談だが、同社には平成10年、名古屋市交通局名城線の電車も譲渡されデビューした。
【現役?調査中】


福井鉄道の併用軌道にて
前よりの扉が移設されている

車内
モ3700形+ク2700形

瀬戸線への在籍は5年にも満たなかった。元々1500ボルト車両を瀬戸線用に降圧改造したものだが、昭和53年の同線昇圧に際しては同線から引き揚げてしまい、全車本線系統に復帰した。
その後本線系統でも同系一族は淘汰された。余談だが、現在名鉄では最新型の通勤電車が3700系を名乗っている。

【全車引退】


名古屋本線 批杷島分岐点


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