このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

The commuter express train "Meitetsu-Seto line."[5/3 1998 追補]


名鉄瀬戸線。人々は親しみを込めて

「せとでん」
と呼ぶ。...とされている...

(瀬戸電…名鉄に合併される前、明治39年〜昭和14年の会社名である瀬戸電気鉄道に由来する)
名古屋市都心の栄町駅より東へ20キロ、20駅を有するアーバン・ライン。


(6000系電車/平成9年)
(旧・特急車両900形/昭和47年頃)
昭和40年生まれの私と名鉄瀬戸線との関わりは、幼少時の「お出掛け」から。マイカーのない家庭であった事に感謝するほかありません。

年表に表現し尽くせない90余年の歴史には、その生い立ちの数奇な経緯、先人の先見性や世相、地域の歴史を感じることができます。それらは順次ご紹介してまいりましょう。

「半世紀以上も昔に合併により消滅した鉄道会社名が全く違和感なく通用する」事例は極めて異例、この世の奇跡とも言えるのではないのでしょうか!! ...しかし...

実際今も「せとでん」と呼び続けているのか、私は承知していません。オイルショック等を経て産業構造も変化し、「せとものあっての瀬戸」というよりも「名古屋にほど近い良好な住環境」として流入する人達が着実に増えています。地場産業と共に歩んできた歴史を知るよしもなく「そこに初めから通っていた便利な通勤電車」という評価に、歴史は埋没してしまうんでしょうか。それが時の流れというものなんでしょうね。


「探訪 旧路線/廃駅」は写真が多く、読み出しに時間がかかりますことをご了承ください。


このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください