このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
6600系(国鉄中央西線/大曽根、昭和53年1月21日) 1500ボルト昇圧に備えて、その搬入が始まった。車種は第1陣にふさわしく新造車両の6600系。写真は国鉄のディーゼル機関車に牽かれて大曽根に到着したところ。瀬戸電鉄以来何年ぶりかの新製投入とあって、地元紙にも写真入りで記事が掲載された。 当時の搬入は日本車両豊川工場から国鉄経由で大曽根駅まで牽引されてそこで名鉄側に引き渡し。貨車の受け渡しのためにつながっていた連絡線路を、瀬戸電の機関車が子守りをするように自社線に導いた。 | |
3780系(瀬戸市役所前〜尾張瀬戸、昭和53年2月) 旧型車が架線電圧600ボルトで最後の営業を続ける中、車両を回送。当然ながら1500ボルト用の車両は自力で走行できない。このため機関車デキ201とデキ202が前後を固めて2両ずつ運び入れる。 夕方に、終点・尾張瀬戸駅の留置線まで運転された。 これら1500ボルト車の試運転は3月19日の昇圧を前に、3月1日から夜間に電力を切り換えて実施された。 | |
左)6600系、搬入初日。今はなき大曽根駅構内の貨物用留置線に移動して待機中。相棒の残り2両を待つ。 中)6600系、搬入翌日には喜多山の留置線に。積雪のディスプレーとなった。 右)搬入車両が佇む尾張瀬戸駅。当時700形緑色編成がサービスで(?)連日走行。一方3700系1本が本線に返還された。 | |
6650系(国鉄東海道線/豊橋、昭和61年) この車両が製造された頃には、大曽根駅付近が既に高架化されて連絡線は途絶していたため、名古屋市内は陸送となった。 日本車両豊川工場を出発して名鉄に引き渡されるまでに、国鉄の飯田線をディーゼル機関車に牽かれて豊橋駅へ、そこで折り返して東海道線を笠寺駅へ向かう。 |
以上の、名鉄側に引き渡されるルートは今まで変更ない。ただし陸送ルートは変更されている。 当初の搬入地点、つまり瀬戸線の線路に車両を載せる場所は大曽根以西であり、広い搬入路と側道があって車両をクレーンで吊るスペースが充分確保されていた。ここに深夜、車両をトレーラーに載せて運び込み、一時的に架線をはずして作業を行なった。 現在は大曽根以西の全区間が高架化されたので、搬入地点はうんと東に移動した。 また、名鉄の新造車両はすべてJRの笠寺経由で名鉄側に引き渡される。実は豊川のメーカー工場から豊橋駅に運ぶ際、JR飯田線と名鉄電車が共用している区間(小坂井信号所〜豊橋駅)を走行するのに、豊橋周辺で引き渡されずに東海道線を延々と下るのが面白い。豊橋周辺の、名鉄側の受け入れ施設・体制が整っていないからと思われる。 ただし近年、豊橋に近い場所に舞木検車場が設けられ、それに伴って名古屋市内の鳴海検車場が廃止されているので、逆に豊橋寄りでの受け渡しにメリットが生まれつつあるのかも知れない... と、筆者は勝手に思っている(でも、だったらどうして豊川線に入らないの... って?)。
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