このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
山形紀行 米沢・山形・上山温泉・山寺・松島 |
向かって左側は、偶数代の藩主の墓所が続きます。 | 10代藩主上杉治憲(鷹山)の墓所 |
武田信清の墓(信玄六男) 武田氏滅亡後、生残った信清は姉菊姫の夫景勝公を頼って米沢にやってきます。景勝は、高家衆筆頭として優遇しました。最後に上杉家を頼ったというのは、ええぇ話しですねぇ。 | 直江山城守兼続夫妻の墓 ひときわりっぱな墓なのが印象的です。有能で家老もつとめ、謙信、景勝の信頼が厚かった。米沢城主となり、基礎を築いた。奥方も賢夫人で有名だそうです。墓の大きさはどちらも一緒でした。 |
鷹山公の隠居所のあったところ。今は碑があるのみです。 |
上杉家の邸宅として明治29年に建てられ、その後火災のため大正14年に総檜の入母屋造で再建された。今は郷土料理のレストランになっています。ちょっとだけ中に入って見せてもらった。 |
お昼は米沢牛♪料理と一緒に米沢牛の証明書?まで渡された。ガイドブックに載っていたお店だったけど、味の方は前回食べに行ったお店の方が断然美味しかった。 |
霞城公園に建つ最上義光の像。 仙台の伊達正宗像 に劣らず立派です。公園近くの最上義光歴史館は、義光が可愛がっていた次女駒姫(秀次の側室で三条河原で処刑)の資料もありお奨めです。 | 山形城一文字門の復元現場 山形城、前回来たときは何もなかったのに、こんなものを造っていました。 |
春雨庵 紫衣事件で幕府に抗議した大徳寺153世沢庵禅師が上山に流され、3年間流刑生活を過ごした場所です。沢庵といえば、沢庵漬もここで発明したとか?!流刑生活とはいえ、待遇良さそう!沢庵自身もここをとても気に入っていたとのこと。藩主土岐頼行も沢庵に帰依して教導を仰ぎ、また京都、江戸文化を上山に伝えた。 |
武家屋敷 かつての城下町の名残か、4軒武家屋敷として旧家が残っている。現在も人が住んでいるので中は入れない。 | 上山城 かつては最上家の城塞だったが、最上家改易後は土岐氏の城となるが移封とともに取り壊され、290年ぶりに復元されたという。今はよくある資料館に展望台だ。 |
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