このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
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落書き帳
12年2月25日
お子さまランチ
船舶法第7条
「日本船舶ハ 法令ノ定ムル所ニ従ヒ 日本ノ国旗ヲ掲ゲ且其名称、船籍港、番号、総トン数・・・(途中略)・・・ヲ表示スルコトヲ要ス」
(↑ 文字化けでは、ありませんよ・・・)
日本国籍の船舶は、日出時刻から日没時刻まで、船尾に「日の丸」を掲げている。ちなみに、船首は「社旗」である。旗の掲揚は、私の仕事のひとつ。旗を扱うとき、私は手が汚れていないか、確認する。清潔な素手で、旗に触れる。新人のころ、国旗に、うっかりグリスを付けて汚してしまい、上司に、こっぴどく叱られた。国旗は、大事な物だ(値段的にも、高価なものです・・・)。
朝、旗を揚げ、海風になびく、船尾の「日の丸」を見る度、ふしぎだが、清々しい気分になる。ああ、僕は、日本国民なんだ・・・。決して大袈裟ではなく、洋上で、ちょっとした、幸せを感じるのである。
戦争を知らない、昭和49年生まれの私にとって、「日の丸」・「君が代」といえば、第一に思い浮かべるのは、小学校の運動会。つぎに、始・終業式、卒業式。あと、相撲と高校野球、オリンピックだろうか・・。中学・高校は「日の丸」はあっても、「君が代」を耳にすることはなかった気がする。船の学校は国立だったので、久々に「君が代」を斉唱した(懐かしく、私は歌った)。もちろん、国旗と国歌に忌まわしい過去があった事は、歴史等で習った。君が代の歌詞の内容も知っている。
しかし、どういう訳か、私にとっては、平和な、運動会のイメーのほうが強い。運動会の練習も含めて、6年間、毎年、行っていた行事である。雲一つない、青空の下。開会式で、国旗掲揚の時。君が代の音楽と共に、「日の丸」が、徐々に高く上がる光景は、今でも覚えている。
そうそう、僕らの時代、お子さまランチといえば、
「0系新幹線の皿」、「ヤクルト」、「日の丸」の旗のつまようじ。
この、3点セットが基本であった。
「日の丸」「君が代」の問題は、色々と、難しい。
私が、高校の時の卒業式では、一部の教諭が職員室の前で「日の丸」掲揚反対の座り込みをしていたり・・・
小4の担任の先生は、運動会で国旗掲揚の時、児童・先生みんなが、国旗の方を向くのに、ただ一人、向かなかった。でも、この先生は、小学校の中では、個人的に、一番いい先生だった。
「なんでやろ・・?」当時、疑問だったので、親に質問した記憶がある。
この時、はじめて、国旗や国歌を、嫌う人がいることを知った。
教育の場で、私は、このような混乱を、実際に体験した。
中途半端な、2千円札を、作るくらいなら、21世紀を記念して、そろそろ、国旗と国歌を、フルモデル・チェンジしてみてはどうだろうか。もちろん、国会内だけで、決めるのではなく、国民の応募で。そうだ、どうせなら、これから日本を担う、子供達にデザインや作詞してもらえばいい。
素手で、国旗に触れる人間として、個人的な意見ですが・・・
ああ〜!。一度でいいから、生ビールを片手に、
丸っこい0系新幹線の皿で、お子さまランチを、食べてみたい。
食後は、国旗のつまようじで「シー・ハーハー」
なんちゃってね・・・。(^0^)/
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