このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

名滝を求めて(巡り〜偕楽園&東京国際マラソン〜帰宅)


 今朝も早くから目が覚めた。のんびりとゆっくり出発の準備をしたが、まだ7時30分。 早速偕楽園は出かけてみた。  偕楽園は一部を除き無料であり、気軽に入る事が出来る。また、偕楽園の隣には常陸神 社、常磐線と道路を挟んで千波湖(公園として整備)がある。偕楽園付近は水戸市民の大 きな公園といってもよさそうだ。  楽園は梅の名所として知られ、園内には多くの梅が植えられていた。まだ、咲いていた 梅の木は少なく、つぼみが多かった。来週(2月20日)からは偕楽園梅祭りが始まるそ うだ。その期間にはJRの臨時駅が開設され(友人からのリクエストもあり行ってみたが、 片側にしかホームがなかった)、遠方からも含めて多くの人で賑わうことだろう。  偕楽園は日本三名園と言われるほどの名所であり、当然土産物屋もあった。そこで売ら れている土産は、梅や納豆に関するものが多かった。いかにも水戸らしい。また、園内で も弁当が販売されていた。「印籠」という弁当もあったが、普通の弁当を買ってしまった。  午前9時になり、有料である好文亭に入ってみた。印象に残ったのは、武家は80歳以 上、それ以外は90歳以上の老人をもてなす間があった事だ。年寄を大切にするというこ とは今も昔も変わらないことなのだ。また年齢に身分の差があるが、それでも江戸時代に 武士以外の者が招かれるというのは意外だった。  バスに乗って水戸駅に向かった。偕楽園でのんびりしたせいか、乗車予定の特急は出発 していた。特急券を買って改札口の中に入った。水戸駅の上りの特急は鹿島臨海鉄道と併 用しており、さらにもう一度改札口の中に入った。まるで新幹線みたいだ(上野駅の常磐 線もそうだが)  10時25分発の特急「スーパーひたち18号」に乗車。この前とは違い、席を確保で きホッとした。この先上野までノンストップ。取手を越すと都会に近づいてきた気がした。  上野には11時34分着。一息ついてから、秋葉原へ行きそこでさらに乗り換えた。市 ヶ谷駅のあたりでは、北側の道路に黄色い服を着た人が等間隔で並んでいた。 「どうしたんやろ。あっそうか、ここを走るんや、これがあの急な坂やな」 どうやら、マラソンのためだったのだ。  国立競技場最寄駅の千駄ヶ谷駅で下車した。駅を出ると、新聞を配っている人がいた。 これも、マラソン関係だった。  私が競技場に着いた頃にちょうどレースがスタートするようだった。選手がゲートを出 てくるのを見て中に入る事に決めた。その頃から、それまで中にいた人がたくさん出てき ていた。ゲートを出てきた所を見るためのようだ。選手がゲートを出て一般道に走り始め ると、さらに多くの人が競技場を離れていった。どうも、大抵の人は沿道で選手を応援す るようだ(入場する際、コースマップ下敷きを戴いた)。私は足が痛くてその元気もない。 大人しく予定通り、中で観戦する事にした、人の流れに逆らって。  競技場の中では、大画面で実況放送されているので、観ている人も少ないけれどいた。 ただ、音が聞こえにくく、時々中継を中断していたのは残念だった。ただ、5kmごとの ラップがよく分かり、特にレースの後半では選手の位置関係が良く分かった。 また、競技場内でも飲食物の販売があり(高い!)、買って食べている人も多かった(私 もそうした)。    日本人選手はレース後半になり、次々脱落していった。最後に残った犬伏選手が、先頭 集団から遅れ始めた時、場内に溜息が漏れた。また、韓国の李鳳柱選手がケニアのコスゲ イ選手に何度も離されそうになりながらも、粘って追いつき一歩前に出た時には歓声が沸 いた。そして、コスゲイ選手が先頭で、競技場内に戻って来た時、盛大な拍手で迎えられ た。以下の選手がやって来たときも同様だった。やはり実際に競技を目の前で見るのはい いなあ、何というか雰囲気が。  表彰式までしっかり見て、陸上競技場を後にした。これで、あとは帰るだけである。千 駄ヶ谷駅から電車に乗り、お茶の水駅で乗り換えて東京駅に着くと、15時40分頃だっ た。16時07分発の「ひかり127号」の指定席を押さえていたが、ちょうどいいくら いの時間になった。時間が余ると思っていたのだが。  この「ひかり127号」には食堂車が連結されていた。夕食にはまだ時間が早いので、 17時頃になれば覗いてみよう。  東京を出発した時点では、指定席には空席が目立った。意外だと思っていると、新横浜 から大勢乗車して来た。そういうことだったのか。  三島を過ぎたあたりで、食堂車を覗いてみた。すると待つ人の列が。私の前には8人。 どうも来るのが遅かった様だ。まさか、食堂車にこんなに人が来るとは思わなかった。食 道車の様子を覗きに来る人もいたが、大抵行列を見て断念していた。また、いつになって も入れ替わらないので、20分ほど待って断念する人もいたほどだ。  客が代金を支払って、食道車を離れてもすぐにはお客を中には入れなかった。正確には、 入れる事が出来ない様だ。何しろ少ない人数で営業しているため、見ていて忙しさが実感 で来た。  結局1時間待ってようやく席につく事が出来た。メニューを注文の際、折角だからいい ものを食べようと思い、1600円のビーフステーキセットに決めた。相席の方がビーフ ステーキを注文すると、ウェートレスさんは売りきれとの事。次に高いビーフシチューセ ットも売りきれとの事だった。どうも、皆同じ事を考えている様だ。私が座ったテーブル は4人とも鉄道ファン。鉄道に関する話をして、食事した。車内を見ても半分ぐらいはカ メラ等を持ったそのような感じ。鉄道ファンでないにしても、記念乗車という雰囲気であ った。    採算面の問題もあるのだろうが、新幹線から食道車の営業が姿を消すのは非常に残念で ある。スピードや安さも大切だが、利用客が寛げるような空間というのも必要ではないだ ろうか。一部の列車だけで十分である。ビジネス色の強い東海道新幹線にこそ、オアシス が必要だ。利用客も多いのだから、ゆとりという需要も少なからずあると思うのだが…。  京都付近で食堂車を離れて自席に戻った。次の新大阪で下車するので、こうなると分か っていれば指定券はいらなかった。  新大阪からは、「スーパーはくと11号」に乗車した。今日は利用客も多い。上郡には 20時45分に到着。家までリュックを背負って歩いて帰った。  久々の旅行、もう少しゆっくりしていたかったが、それは許されない。けれど、満足で きた部分も多く、行って良かった。 (平成12年3月23日完成)
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