このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

I Remember 修学旅行  〜やっぱ九州はサイコー!〜
旅行日:97.10.29〜11.1


<早起きは何文のトク?   2日目  10/30(木)

 案の定目覚ましの数分前に起き、早速着替えて荷造り。まだ寝ているやつを起こして、6:10頃にロビーへ出る。今日の付き添い・国語の加藤先生と合流し、弁当を受け取ってまだ真っ暗な夜道を博多駅まで進む。横目に「ドリームにちりん」が着くのを見て、38分発の「かもめ1号」に乗り込み、一路諫早へと向かう。

鯉の泳ぐ街。津和野以上の長い距離の側溝に、鯉がたくさん泳いでいた 昨日は乗り継ぎが多くて聞く気にならなかったラジオも今日は聞きまくり、FM福岡・FM佐賀・FM中九州・FM長崎という風に列車が進むに連れて周波数を変えていく。中でも入り組んだ海岸で何も聞こえないと思っていた肥前鹿島−諫早間で、FM中九州が熊本からサポートしてくれるとは思わなかった。

 4分で新型キハ2500系の南島原行きに乗り換え、いま来た線路を有明海越しに見ながらどんどん南下し、普賢岳が見えてきたら9:41分の島鉄本社前下車。終点まで行く先生と別れ、駅で「愛野→吾妻」の切符(これでいとしの我が妻と読ませる)を買い、市内観光へと歩を進める。ガイドブックの通りの道で、「鯉の泳ぐ街」(津和野みたいな感じ)を見て、商店街の真ん中にある「水屋敷」も見せてもらう。

これが島原水屋敷。2階の雨戸の開き方が、人の目のようで何ともかわいい 個人の家とは思えない位なかなか風情がある所で、縁側で寝ころんでいる黒猫がまたかわいい!2階には昔ながらの生活道具や手回し式の計算器、和文のタイプライターまで展示してあり、こっちも見物である。時間がないのに15分も居させてもらい、お礼代わりに50円寄付しておいて、島原城へ急ぐ。ここで他校の女子高生に紛れて不意に加藤先生が現れ、島原駅までまた一緒に歩くことに。

島原駅で行き違う、新型2500系の急行かずさ(左)と旧型の20系 郵便局から帰る頃にちょうど入ってきた加津佐行きに乗り、外港で先生が下りると右手にはいよいよ普賢岳が間近だ。ただ、今年4月に復旧したばかりの安新大橋で水無川を越えれば、火山灰だらけで家などの人気が全くない荒野にビックリ。ダンプカーだけがむなしく過ぎ去っていく光景に、自然災害の恐ろしさが改めて胸に刻まれた。がまだす島原!
 (ちなみに“がまだす”とはガンバレの意味で、阪神大震災の時の“We Love KOBE”や“がんばろう神戸”と同じように、島原復興の合い言葉になっている。)

 深江からはもとのガタガタの線路に戻り、旧型のキハ20系からは天草諸島が見えてきた。「ほんまやったらあっち行きたかってんけどなぁ…」と思いながら、島原から1時間20分もかけて終点加津佐に到着し、ここからはバス。30分もあるのでファミリーマートで昼食を仕入れ、貯金も済ませてからの乗車だ。道路のおかげかさっきまでよりもより海岸沿いを走り、きれいな海を見ながらの昼食はまた格別。といってもパンだけなんだけどね。

水無川の鉄橋から写した普賢岳。黄土色の山肌が噴火を思い出させる 班員の鉄ちゃん2人組はバスに安心したのかおやすみ中で、小浜温泉で運転士が交代し、愛野からはさっき乗った島鉄沿いに走れば、14時25分定刻に諫早駅前に着いた。もちろん長崎へはJRに乗り換えで、15時過ぎの到着である。

 ここからは18時の門限まで長崎ミニ観光、と言うよりは長崎電軌乗りつぶしツアー。まず駅前から蛍茶屋を経由して賑橋で下りよう。すぐ前のFM長崎でステッカーをもらいに行く。ラッキーな事に各地のFM局の番組表集めもできて、“Pleasure of trip”のコーナーに相当な助けとなった。この場を借りてお礼を言いたい。

 20余りの予期せぬおみやげに、ホクホク顔になってで次は眼鏡橋。一通り見たら、もう公会堂前から石橋行きに乗車で、何ともあわただしい観光だ。石橋からはオランダ坂・中華街を通り、ひとまず出島で休憩。春に来たときはいろいろあったような気がするのに、いま来てみると保存工事やらで閉まっていたり、壊されていたりして寂しかった。もうすぐ江戸時代の姿への復元工事が始まるそうだが、確かにそうでもしてもらわないと、出島という感じがさっぱりしない。

夕暮れ時の眼鏡橋。写りが悪くてすいません 長めの休憩のあとはまた早足になって正覚寺下まで歩く。土産物屋の多い観光通り、飲み屋街の思案橋も横目にだけ見て、1系統の赤迫行きに飛び乗った。蛍茶屋とは違って片面ホームなので、ひっきりなしに電車が出入りしている。さっきいた出島・変わったデザインのフェリーターミナルなどをあっという間に通過し、長崎駅前に着いたのは17時半頃。中央局に寄り、コンビニで夜食の買い出しをすませば、やっとの事でチェックイン。部屋に入ってもしばらくはついつい寝転がってしまった。

 昨日のビジネスホテルとはうって変わって、今日・明日は畳敷きの大部屋で、となれば夜はもちろん騒ぎまくり。僕たちのところは寝るやつへの配慮もなかなか上手くやっていて、2部屋共同で隣を騒ぐ部屋・こっちを寝る部屋と分けていた。僕はと言えば12時頃まで隣にいたが、明日も6時おきだからとこっちに移ったのだった。ちなみに隣は3時頃までトランプとかをしていたらしく、その元気には感心(?)する。     
<前半 おわり>


 ○写真1・・・鯉の泳ぐ街。津和野以上の長い距離の側溝に、たくさんの鯉が泳いでいた。
 ○写真2・・・これが島原水屋敷。2階の雨戸の開き方が、人の目のようで何となくかわいい。
 ○写真3・・・島原駅で行き違う、新型2500系の急行かずさ(左)と旧型の20系。
 ○写真4・・・水無川の鉄橋から写した普賢岳。黄土色の山肌が、以前噴火があったことを伝えている。
 ○写真5・・・夕暮れ時の眼鏡橋。写りが悪くてすいません。


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