このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

2日で回る!!  四国・九州欲張り旅行記

旅行日:98.4.6〜4.7

<えっ、もう? 予想より2年半も早かった四国完乗の日  1日目>

 かなり前の予定では、沖縄でゆっくりしているはずの今日4月6日。そのためにも東京を31日で切り上げることにしたのだが、諸般の理由から行けなくなり、しかも18きっぷが余ったために、残りわずかとなった春休みの2日を四国・九州へ旅することになった。

 あまりに急な話で、細かい列車の選定などが行えないまま、当日4時半に目覚めた。残念ながらかなりの雨で、JR高槻まで父の車の世話になる。ただ着いたのは5時を少し回った頃で、37分の快速にはあまりに早く、京都行きの普通で長岡京まで迎えに行く。221系なら足も伸ばせてゆっくり出来るなぁ、と思って待つと、ほどなく113系の快速がやってきて、がっかりしながらボックスに落ち着いた。やっぱり、早朝や朝ラッシュ時の快速は113だらけである。

 案の定大阪で4つとも席が埋まってしまい、窮屈な姿勢のまま、昨日開通したばかりの明石海峡大橋や、明石では未だに慣れない阪神車の直通特急を横目に見たりして、長岡京から遠路2時間でやっと播但線の103系が目新しい姫路に着いた。

 ここでこれまた113系の岡山行きに駆け込み、席を確保すれば、再び安心してさらに1時間半。上郡からはKISS−FMですら聞こえず、ましてテスト用に単語を覚えるような気力もないので、寝過ごさない程度に寝るしかなかった。「500系のぞみ」ならたったの40分で着く距離を3時間もかけるなんて、本当に“ひま人”としか言いようがない。

 気が付くと起きていて無事に岡山で降ると、次はいよいよマリンライナーで四国入り。こちらも混むことで有名なので、姫路に続いて一気にダッシュする。が、普通車指定席が8割ほどの混みだった割には、逆に自由席はがらがらで、思いっきり肩すかしを食らってしまった。どうも新幹線や岡山から乗車の客が多かったようで、発車直前にはどうにかいつも通りの混み具合になり、9時04分定刻に岡山を後にした。過ぎ去っていくホームを再び見てみれば、このあとの「南風」待ちの人も結構いる。

 さて、10年経っても相変わらず単線で乗り心地の悪い宇野線を、4月の10・11・12と運転された「海走瀬戸大橋号」の試運転列車が止まっていた茶屋町で終え、児島で乗務員が交代すると、今なお人気のある瀬戸大橋にさしかかる。やや曇りながらも橋の上からの眺めはいつもながらきれいで、今なおほとんどの客が海を眺めている。そして番の洲高架橋を渡れば、鉄塔の倒れた跡が左に見え(22日に来たときは残っていたのだが)、ほどなく坂出に着いた。この辺で少し休憩したいところだが、なにせ今日は八幡浜まで行かねばならず、9分後の「いしづち」、そして多度津からは「南風」で先を急ぐ。

珍しいボンネットバス。かずら橋へ行く定期観光バスだとか。 前3両が土佐くろしお車だった「南風1号」は、さすがに振り子の威力もあって阿波池田まではたったの30分。これだけでも感心するくらい速いのに、私が高知に着く頃には、この列車は終点の宿毛に着いているというのだから、実に恐ろしいスピードである。

 駅前でかずら橋へのボンネットバス(大人5200円)を見つけて写真を撮った後はまた各停に逆戻りで、高知までの2時間半をボロいキハ58の世話になる。ただ車両とは違って、車窓の方は大歩危あたりまで評判通りで、吉野川の趣といったら、ところどころに架かる釣り橋と相まって、実にすばらしかった。

渓谷美が有名な大歩危・小歩危。普通列車の車窓からの1枚 大歩危駅の桜がきれいだったが、それを過ぎればもう何もなく、相変わらずの曇り空に退屈しっぱなしだったが、ようやく13時39分、高知までやって来た。ありがたい事に次まで1時間余りあるので、せめてはりまや橋くらいはと、早速土佐電鉄に乗り込んだ。ただ東京の時と同じく、本来の予定とついでの行動の順序が逆転してしまうのが最近の傾向で、今日もステッカーをもらいにFM高知に寄ったものの、ここで予想以上に時間を食ってしまい、高知城とはりまや橋はちらっと見るだけになってしまった。

雨のはりまや橋。最近整備されてずいぶん橋らしくなった。 その上時間もギリギリで一時は乗り遅れを覚悟したが、運良く待ち時間なしで土電がつかまったので、「カツオのたたき弁当」は買いそびれたもののどうにか間に合い、1000系のロングシートでホッと一息。外を見れば高知城の辺りで降り出してきた雨がまだ降り続いており、さっき以上に景色が悪くなっている。そうこうしているうちに、高知からどんどん離れていき、和紙で有名な伊野や須崎を越えて、少しだけ海が見えたと思えばとうとう窪川。2時間半も乗っていたのに、書いてることが少ないという事は、疲れのせいかぼんやりしていた証拠である。

 30分の待ち時間を散策にあてて駅へ戻ると、もう夕暮れ時で雨の上がった空からは夕陽が少しだけ顔をのぞかせていた。そんな窪川の町を34分に発車した宇和島行は、ループ線で有名な川奥信号所を過ぎると、いよいよ“しまんとグリーンライン”の愛称も付けられた予土線に入った。確かに四万十川を右に線路が続いていて、実にのどかな風景ではあったが、ただ意外だったのは、下流で土がたまっていたり護岸がコンクリートで固められていたりと、四万十川というにはあまりにイメージの違いすぎる光景が広がっていた事。「公共事業」という名の自然破壊が清流・四万十にまで及んでいるのかと思うと、腹が立つのを通り越して悲しくて仕方がない。

夕暮れ時の江川崎。ちょうどサクラが咲いていた。 20分も上ればようやく清流が戻ってきてホッとしたのだが、残念ながら江川崎を過ぎるともう夜で、またラジオを聞きながらボーっとする状態になる。そして、新駅舎が出来たばかりとかの宇和島に着き、1駅だけ「宇和海」に乗った後は、卯之町から普通列車の人となる。

 ビックリしたことに終始客は私だけで、実に不気味だったが、おかげで誰も気にせず非常にのんびりした気分で、JR四国完乗となる伊予平野まで乗せてもらった。ただ、1年半ほど前に内子線に乗った時に何もないことは確認済みなので、ちょうど平野で交換となる宇和島行きを大急ぎで捕まえて、八幡浜まで2駅折り返した。

 とは言っても八幡浜ですら開いてる店はほとんどなく、どこででも時間をつぶせずに、港に着いたのは30分ほど後の事。時刻表を見ると、今晩のお宿・別府行きのフェリーは夜行利用を考えているように思えたので、乗船も23時には出来るかと思っていたのに、24時まで待って下さいとのことで、さらに2時間弱を何するでもなく、ただ待ちに待った。せっかく平野折り返しにしたのに、これだったら大洲まで行けば良かった…。


 ○写真1・・・・珍しいボンネットバス。かずら橋へ行く定期観光バスだとか。
 ○写真2・・・・渓谷美が有名な大歩危・小歩危。普通列車の車内からの1枚。
 ○写真3・・・・雨のはりまや橋。以前は橋らしさが全くなく、来てがっかりするようなところだったが、
         今ではきれいに整備され、はりまや“橋”の名にふさわしい橋になった。
 ○写真4・・・・夕暮れ時の江川崎にて。ちょうどサクラがちらほら咲いていた。
 
旅行記 index へ 欲張り旅行 2日目へ

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください