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2日で回る!! 四国・九州欲張り旅行記
旅行日:99.4.6〜4.7
<また来てしまった、WONDERLAND KYUSYU 2日目>
目が覚めたので降りてみると、もうそこは別府観光港。時間にして5時少し前である。当初の予定では5時間弱をじっくり寝るはずだったのに、まわりが結構うるさいわ、減光しないわで、結局十分に寝られないままの2日目のスタートになってしまった。
何にしても、日豊線の始発に間に合うべく駅へ行かねばならない。着いたのは観光港だから、別府大学駅まで1.5キロ、別府までは2.5キロといったところだが、時間だけはまだ1時間もあるので、コンビニの便も考えて別府乗車が決定した。
確かに35分ほどで駅が見え、10人程の「朝帰り」客としばらく改札が開くのを待つ。そして空が白み始めたなと思う頃に、18きっぷの5日目に“別府駅 4.7 JR九州”と小振りな改札印を押してもらい、柳ヶ浦行きの人となる。てっきり、眠さのあまり乗ったとたんに寝始めるかと思ったが、意外と大丈夫で、別府湾のきれいな景色をしっかり見ることが出来た。2年前に「ソニックにちりん」の中から見たはずの景色なのに、やはり特急の中から見た景色は忘れやすいようだ。
国東半島の付け根の山あいを抜けて柳ヶ浦に出ると、ラッシュを考えたのか倍の8両になった門司港行きに引っ越す。そして、ダイヤの合間を使って中津と行橋で10分ずつ途中下車し、今日最初で最後の813系で城野まで出たのは8時11分。さすがに時間がいいのと、快速だということもあって、なかなかの乗車率だった。この状況は日田彦山線でも同じで、降りた志井公園では近くに高校があるのか、ホームは高校生だらけだった。
志井公園からは走ってたったの2分で企救丘に着いて、程なく来た列車の一番前を確保した。さすがにモノレールだけあって車窓は抜群で、特に始めの丘陵地を走るあたりは、実に気分がいい。ただニュースかなにかで、ジミー大西がデザインオたペイント列車が走っているというのを聞いたのだが(12/2までとの事)、この日は車庫に入っていて、乗るどころか見ることすら出来なかったのが心残りである。
小倉一の商店街・旦過市場を見下ろせばもう小倉で、出来たばかりの改札を出るとJRはすぐ目の前。いくら延伸したからって2分はかかると思っていたら、わずか30秒程で着いてしまい、おかげで隣のホームに入ってきた「はやぶさ」まで見れた。
さて、9時02分の大牟田行きを降りたのは黒崎。急いで階段を駆け下り、西鉄のホームへ立つと、新型が待っていてくれた。シングルアームのパンタだったのでインバータ車かと思えば、それどころか釣り掛けで、しかもよく見れば車内にテレビが付いていて、ダブルで驚かされた。京阪特急のテレビカーがあれほど有名なのに、なぜ筑豊のが話に上らないのか、不思議な上にかわいそうな話である。
熊西で以前乗った折尾への線とお別れし、小さい停留所に次々に止まっていくが、やはり路面電車と言うよりは郊外電車の雰囲気で、客の乗り降りが少ない。また車掌がいるにはいるのだが、切符を売っている様子はなく、なぜ車内を回っているのかと思えば、両替が必要な客のためだった。
さらに神戸にしかない
と思っていたバンドール(ダイエー系の大型店)も途中に見える等、実に奇妙な筑豊電鉄だったが、筑後川を渡ればすぐ終点の筑豊直方に着いてしまった。なかなか変わった線やな、と思いながらホームへ降りたが、よく見れば意外にもここは高架になっていて、オチまでつけられてしまった。あぁ関西人としたことが…
まだ30分もあると思い郵便局とNTTにゆっくり寄り道していたら、意外と時間を食ってしまって、門司港行きに乗れたのは発車直前。なかなかの混み具合で、誰か降りないかと思っているうちに、大した乗り降りのないまま小倉に着いてしまった。別にもう関門トンネルを通っても良かったのだが、CROSS FMに寄るのと、何より小倉の駅ビルを一通り見ておきたいので、40分足らず時間をとる。
駅ビルの方はさすがJR九州の駅だけあってすばらしいデザインで、3階のコンコースから上を見上げればモノレールが止まっているところなど、普通の駅には真似出来ないような凝った造りになっていた。とは言え、CROSSが遠かったために、駅ビルの見学に5分しか使えなかったまま九州を後にし、門司の電留線にサヨナラ運転の看板を付けた715系を見れば、もう関門トンネルで、わずか5分ばかりで下関へ運ばれた。
ここからは郵便局と宇部線経由というおまけはあるものの、高槻までの500キロほどをただひたすら東へと進めばよく、気楽と言えば気楽な行程。長府と小月で2局増殖し、長府から3両という実に風変わりな編成の105系で宇部線を完乗して、さらに小郡から広島行きに乗り換えれば、もうここからは気にする事は何もなく、ちょうど眠くなってきたこともあって睡魔に任せる。
寝た心地のしなかった今朝なので、寝過ごして車庫送りにならないかと心配したほどだったが、起きたのは1時間余り後の柳井だった。途中JR九州の12系による甲子園臨とすれ違ったり、ちょっと物騒だが南岩国では自衛隊の飛行機が飛んでいたりと、頭は寝ていたものの、変化の多い車窓を楽しみながら、17時過ぎに広島到着。昨日と同様、朝食を軽くとっただけなので、ホームの立ち食いでラーメンを食べておく。あわてて舌を少しやけどしたが予想以上の味で満足し、ついでに改札出てすぐのキオスクで、夜食代わりのもみじまんじゅうを仕入れておいた。あまり知られてないが、ここのキオスクではバラでかなりの種類がそろえてあり、特にサツマイモ味はおすすめだ(各種1個65円)。
さてさてお次は、といった感じで5番線に戻ると、夕ラッシュにかかってしまったようでかなりの行列になっていた。このままだと確実に立つことになりそうで、もしそうなれば西条までの30分は確実に座れないので、非常手段を用いてなんとか115系3000番台の転換クロスにありつけた。まさか私のように岡山まで乗り通す人はそうざらにはいないだろうが、三原辺りから通勤となればさぞ大変だろう。
ただ糸崎までにかなり空くだろうとタカをくくっていたが、不思議と客が全然減らない。かろうじて県境現象によって尾道の前後で空いたものの、福山あたりからは今度は岡山への流れ、さらに倉敷からは大阪方面へのおばちゃん連中と、結局2時間半、最後まで気の休まることなく、岡山に着いてしまった。一応12分あるが、ここはもちろん姫路行きへ猛ダッシュ。ご存じの方も多いと思うが、朝方の姫路→岡山、夜の岡山→姫路は相当混むのである。案の定すでにかなりの人が立っていて、いつ座れるやら心配である。
ただ私が18きっぷを使い初めてもう10年、最初の行き先が高松だったこともあって、この岡山−姫路間も10年になるが、ここ区間ほど18きっぷの浸透に伴う混雑が激しいところは見たことがない。確かに10年前も瀬戸あたりまでは通勤客で立つほどの混み具合だったが、それ以降はどんどん減って、上郡の手前では1両に20人ほどしかいなかったのが、今ではこの“谷”の区間ですら立つほどというのが実状で、もちろん高松や倉敷から一目で18きっぷ利用と分かる客、特に女性グループが7割ほどになっている。増結してくれれば気分良く乗れるのだが、一過性のものだし、そもそも18きっぷは学休期に空いている普通列車に乗ってもらうものなのだから、JRもそんなことは毛頭考えないのであろう。18きっぷが有名になるのも、ある意味困ったものである。
まあ今日に限っては立っていた位置が良かったために何とか瀬戸で座れたが、もちろんボックスのために窮屈なことはご承知の通り。しかも和気で他の席が空いた時には例の倉敷のおばちゃん連中が座ってきたので、やかましくて仕方ない。ロングでも空けば…、と思ってはみたものの、和気を過ぎても5人ほど立っていて、仕方ないから上郡に近づいたと同時にKISS−FMへ逃げ込んだ。実にオバハンの話と存在はうっとうしいものである。テープを作っておけば良かった。
さて、暇になると下らないことを考えるのが私の習性なのだが、いつまでもバカなことを考えていると本当にバカになりそうなので、乗り換えた新快速からは知的に英単語の続きを覚える。luminous:夜光(性)の twilight:薄明かり radiant:明るい……などと、キャッチコピーなど耳にする単語がいろいろと出てきた。
そして明石海峡大橋のイルミネーションが乗客の注目を集め、神戸・三宮・尼崎・大阪・新大阪と、1駅ごとに旅の終わりが近づいて、とうとう23時15分、高槻にたどり着いた。
ちょうど小倉から11時間半かかったわけで、ホントに18きっぷの旅も暇なものである。しかしたったの2日で、四国と九州を18きっぷで回れるとは、実際に旅した自分ですら今でも不思議なくらいで、広い広いと思っていた日本もやっぱり狭いようだ。とは言え、欲張るあまりにあわただしかったものの、こういった暇があるってある意味幸せなんだなと、再びバカなこと考え始めた私でありました。
○写真1・・・・どちらも特急「ソニック」。しかし左の赤い方は、1日1往復しかない貴重な「ニセソニック」である。
新車購入費用の面などから、こんな変なことになってしまった。
○写真2・・・・新しい小倉駅。モノレールに違和感を感じない、一体感のあるデザインになっている。
○写真3・・・・上を向いて歩いたら、なんとそこにはモノレール!! 恐るべし小倉駅。
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