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レトロな旅Ⅱ

平成12年8月1日(火)

門司 5:58 5720M → 下関 6:04 JR山陽本線 門司ゆき 411系4+4両 

再び関門トンネルをくぐって本州に戻る。

下関 6:06 5420M → 厚狭 6:38 JR山陽本線 宇部ゆき 414系4+4両

厚狭で乗り換える。

厚狭 6:41 3524M → 小野田 6:46 JR山陽本線 小郡ゆき 113系4両 

1区間だけの乗車。

小野田 6:48 424M → 雀田 7:02 JR小野田線 宇部新川ゆき 105系2両 ワンマン

初めて乗る小野田線はローカル線だ。

雀田    7:03 621M → 長門本山 7:08 JR小野田線(本山支線) 長門本山ゆき クモハ123型1両
長門本山 7:14 624M → 雀田    7:19       〃        雀田ゆき       〃
雀田    7:25 623M → 長門本山 7:30       〃        長門本山ゆき     〃
長門本山 7:39 626M → 雀田    7:44       〃        雀田ゆき       〃
雀田    7:58 625M → 長門本山 8:03       〃        長門本山ゆき     〃
長門本山 7:39 626M → 雀田    7:44       〃        雀田ゆき       〃

今度は、同じ線区を繰り返し乗車する。ただし期待していた電車でないのだ。7/10〜8/10までクモハ123形で運転している。期待していた電車は、クモハ42型電車という日本でココだけしか走っていない旧型国電なのだ。レトロな車両の第1弾!といきたいところだが5年前にココを訪れていたので、その時の写真をアップしておきましょう!

長門本山に入線するクモハ42型

クモハ42型の車内

どうです?なんか懐かしい電車でしょう?定期列車としてはJR最後の旧型電車です。昭和8年から現役で走り、今年で67歳です。

<クモハ42系とは?>
42系は、昭和8年に東海道本線大阪口の電化にあわせるために登場した形 式で、クモハ42型も、その一員として製造されました。 横須賀線用32系の車体を拡張したようなスタイルで、本格的な2扉クロスシー ト車として、競争の激しかった京阪神間の集客争いに一石を投じました。 他に同系の車両として、クモハ42を片運転台としたクモハ43(登場時はモハ4 3と呼ばれた)・クハ58(後のクハ47−100番台)・クロハ59・サロハ46の、 4形式がクモハ42とともに製造されました。 戦前は東海道本線の京阪神地区で、急行から緩行線の普通列車にまで幅広く 利用され、兄弟ともいえる流電52系や半流43系、緩行線用の3扉セミクロス車51系などとともに、華々しい一時代を築き上げていきました。 しかし戦時中、急行列車そして2等車の廃止と暗い時代が訪れ、さらに戦時輸送力増強のため42系を全車3〜4扉に改造する計画が浮上し、一部の車両が改造された時点で終戦を迎え、辛くも全車改造だけは免れました。 戦後、復興の兆しの見えた昭和24年春には、京都−大阪間に急行列車が復活される事となり、その第1号として運行された42系4連の中には、現在も本山支線で活躍している、クモハ42001の姿が見られました。 しかし、昭和25年になると東海道本線大阪口に急行用として流電と同様の関西急電色を纏った80系2次車が新製配置され、さらに緩行線の普通列車を3扉車に統一する事となり、関西地区の42系など2扉車と、関東地区の51系との大交換が行われました。また、一部転出を免れた42系たち2扉車は阪和線 に転出、共に第2の人生を送ることとなりました。関東に渡った42系は、横須 賀線・伊東線で活躍、しかし昭和30年代に入ると70系の増備により、地方線区へと再転出されられていきました。本山支線で活躍を続けているクモハ42001・クモハ42006の2両も、昭和32年初頭に現在の線区に移り住みました 。その後の42系は飯田線や身延線などで、また4扉改造車は城東線(現在の大阪環状線)や片町線などで、それぞれ活躍しましたが、昭和58年までにほとんどが廃車され、現在は2両のクモハ42のみが、定期仕業に就く最後の旧型国電として活躍しています。

 
車体側面(リベット:突起がレトロ)                 長門本山駅に停車中

ただし、日中の10〜15時の間は1本も列車が走らないので注意!

雀田 7:58 428M → 小郡 9:51 JR小野田線・宇部線 105系2両 ワンマン

宇部線直通電車で小郡へ向かう。小郡では、7/22・23と本日(8/1)、山陽本線下関〜小郡間「快速ミレニアム42」というクモハ42型が運転されている(全車両座席指定)。そして、10:10、その列車が小郡に入線してきた。


快速 ミレニアム42(小郡)

小郡 10:37 9521レ → 津和野 12:39 JR山口線 快速SLやまぐち号 
                                 SL重連+マイテ49+レトロ客車6両

レトロな車両、第2弾。今度はSLやまぐち号だ。編成は、C57 1+C56 160+マイテ49 2+スハフ12 702(明治風)+オハ12 703(大正風)+オハ12 702(昭和風)+オハ12 701(欧風)+オハ13 701(展望車風)。

運行開始から昨年で20周年を迎えた。国鉄〜JRの復活列車の老舗的存在とも言える。昭和54年8月に運転が開始され、今年4月29日は乗車130万人を突破し、記念イベントが開催された。牽引機は貴婦人の愛称を持つC57 1号機。今年は3回だけC56形160号機との重連運転があり、本日(8/1)は重連運転の日。夏休みの期間の重連運転は今日だけなのですごい乗客と鉄道ファンが詰め替えている。使用される客車は、外観・内装ともレトロ調に改造した12系で、5両編成。津和野方から明治風・大正風・昭和風・欧風・展望車風となっており、車両毎に外観・内装が異なっている。3110が乗車したのは4号車の大正風だ。

  
C56 160号機                        C57 1号機


ツーショット

SL重連の本日は、さらにレトロな車両がもう1両増結されている。それは、「マイテ49形」展望車だ。

 
マイテ49 2 展望車               マイテ49 2車内

かつて「特急つばめ」に使用されていた車両で、マイテ49形の3軸の独特の乗り心地が楽しめる(昭和13年製造)。

〈マイテ49形とは?〉
 昭和13年9月に鉄道省大井工場で製造された1等展望車で、当初はスイテ37041と称され東京〜下関間の特急「富士」で活躍した。車体は丸屋根で溶接構造となり近代的なスタイルとなった。昭和16年11月にスイテ49 2 へ改番されるが、戦争の激化により昭和19年4月に「富士」が廃止され休車となる。昭和20年11月に連合軍の接収を受け、軍番号LITTLE ROCKとなり特別列車AMBASSADOR(アンバサダー)号等で使用された。昭和24年に接収解除後は大井工場で整備の上、特急「はと」号に使用、昭和28年4月に冷房改造によりマイテ49 2に改番され、昭和31年の東海道線全線電化の際に青大将色に変更されて「つばめ」号の予備車となる。昭和35年5月に「つばめ」が電車化された際に第一線を退きマロテ49 2に改番される。翌昭和36年に廃車となった後は大阪の交通科学館で保存展示されていたが、昭和62年3月に鷹取工場で復元され活躍中である。

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