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支笏湖洞爺湖定山渓温泉松尾ジンギスカン



【北海道観光】 2006/08/23-24
 北海道はほとんど行ったことがないという人を、2日間観光案内することになった。小樽は行ったことがある、支笏湖、羊蹄山、定山渓を見てみたい、というリクエストがあったので、支笏湖、洞爺湖を案内することにした。
 支笏湖も洞爺湖も、もう何度も行ったところである。ではあるが、今回、観光となるとあらためて意外と知らなかったことを知った。あっ、それと、観光地の駐車場は『わ』ナンバーの車が9割以上を占めていることも、今回あらためて知った。

【支笏湖】
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 支笏湖は札幌からだと40キロ。峠越えとなるが、自転車のトレーニングとしては最適なルートでもある。近くには恵庭岳という、札幌オリンピックのときに滑降コースとなった火山があり、ここにも登ったことがある。滑降コースを作るために森林を伐採し、その後のケアがうまくいかない、と自然保護団体からのクレームのモデル箇所のようになってしまったところである。
 紋別岳という山は、何かの電波の中継アンテナのあるところだが、バックカントリースキーを始めた頃に仲間に連れて行ってもらったところである。
 学生のときはスキー部に所属していたが、オフシーズンのイベントとして、北海道学生スキー連盟によるスキー部対抗駅伝というのがあって、千歳市内から支笏湖までの約25キロを6人だったかな。そんなこともやっていた。
 それ以外にも、千歳空港に人を迎えに行くと、支笏湖経由で札幌に入ったりすることもあった。そんなこんなで、何回行ったかわからない。ところが、である。

【ビジターセンター】
 たいていの観光地には、ビジターセンターなる公立で無料の観光および自然学習ハウスのようなものがある。今回も、とりあえず駐車場の脇にあったのでそこに入った。支笏湖はカルデラ湖なので、当然、その成り立ち(一連の火山活動の流れ)や、その周辺に生息する動植物の紹介がある。その中に、別記する 身勝手な環境省 の件があった。

【水中遊覧船】
 次に、湖畔を散歩してみた。紅葉の時期でもなく、雲が低くて湖周辺の山がほとんど隠れているような天気なのでつまらないかと思ったのだが、「水中遊覧船」という文字が見えた。他に面白そうなものもないので乗ってみる。
 いわゆるグラスボートで、湖底が観察できる船。何度も来ている支笏湖であるが、ここで船に乗るのはたぶん初めて。透明度が高いことで有名な支笏湖なのでちょっと期待したのだが、この日はやや濁っていたようで、はずれてしまった。
 見えるのはかわいい小魚がときおりちょろちょろ。六角形の見事な柱状節理も所々見えていたが、窓から見えるのは狭い範囲でまるで迫力がない。ルアーや釣り糸が沈んでいるのに、やっぱり、とあきれてしまった。
【長沼ジンギスカン】
 船から上がるとちょうどお昼。飲食店を物色したが、あまり魅力を感じない。それで、北海道ならでは、ということで「ラム肉 長沼ジンギスカン」の店に入る。
 私が現在住んでいる東京・学芸大学駅周辺にもジンギスカン屋が2件あり、そのうち1件はラム肉を売りにしている。先日そちらに行ったが、はっきり言ってラムはまずかった。試しにと思いマトンも食してみたが、こちらのほうがまともだった。
 長沼ジンギスカンも、長沼町で食べたときはそこそこおいしかった記憶がある。それで期待したのだが、今ひとつであった。私の味覚が変わったのだろうか、、、  参考: 松尾ジンギスカン

【コケの洞門】
 大学3年のとき、ここが観光用に整備されたと聞いて出かけた記憶がある。22年前、かな。
 以前は駐車場もちゃんとしたのがなかったか、停められる台数が少なかったかで、道路脇に無理やり駐車したような記憶もあるが、今は観光バスも停められるような駐車場が整備されていた。そして遊歩道の入り口をふさぐように、2人の年配のおじさんが机を広げて座っている。机の上に箱が置いてある。「洞門の保全のために、100円の募金をお願いしています」と言う。何も考えずに100円を箱に入れて通り過ぎたが、考えてみれば『洞門の保全』てどういうことなんだろうか? 
 この洞門は、1600年代の樽前山の噴火で出てきた火砕流が溶結凝灰岩となり、その割れ目が侵食されてできた峡谷である。最大高さ9mにもなるその壁面に各種のコケが一面に張り付いていて、その断崖絶壁の峡谷とコケが数km連続するというものだが、近年はその絶壁の一部が崩落したりして、人が入ると危険なので入り口から眺めるだけとなっている。このため、ほとんど何も見えず、まったくつまらないものであった。ただ、駐車場から洞門の入り口までの数100m、往復20分程度、林の中を散歩しただけ。
 さて、『洞門の保全』募金で、なにをしているのだろう。入り口にいたおじさんの人件費だろうか?
 絶壁の崩落防止対策? 弱い岩盤が崩落するのは自然の摂理である。コケが大事だから岩盤を補強しようとしているのであれば、自然に逆らっている行為である。ちょっと気になった。


【洞爺湖】
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 洞爺湖と聞いてもぴんと来ない人も多いだろうが、ここは30年ごとに火山噴火災害を受けているところで、有珠山というと、聞いたことのある人は多いだろう。
 今はどうかわからないが、私が小学生の頃は、私が育った道央地区の小学校の修学旅行先の定番だった。そんな小学生を受け入れる宿も限られていたようで、札幌やその他道央の小学校出身の友人に聞くと、みんな光風園(こんな字だったかな?)に宿泊していた。ひとつの布団に2人が頭を反対に寝かされるという、たぶん今だったら許されないような待遇だったのをよく覚えている。

 洞爺湖も人が来るとよく案内しているし、洞爺湖畔をぐるっと1周するマラソン大会もあって、洞爺湖温泉街には何度も行っている。ところが意外と行っているようで行っていなかったのが昭和新山であることに今回気づいた。駐車場が有料なので、入り口でちょっとのぞいただけで引き返したこともあったことを思い出した。
【昭和新山】
 修学旅行で洞爺湖に行ったのは1977年の有珠山噴火前だったので、その当時、洞爺湖と言えば「昭和新山」、「熊牧場」、「わかさいも」であった。
 昭和新山は、今回行ったら山麓はずいぶん植生が回復していたが、20年くらい前までは、山麓もほとんど植生などなかったような気がする。
【熊牧場】
 熊牧場と言うと、熊の臭いにおいと、餌をもらおうと立ち上がって手をたたく哀れな姿しか思い浮かばない。
 今回行ったら、アライグマのオリがあった。こんなのはなかったはずだ。どこかで捕獲された、逃げたか捨てられたかしたペットの行く末だろうか。
【有珠山ロープウェイ】
 ロープウェイに乗るのは、たぶん小学校6年生のとき以来だから、33年ぶりかな。
 大学生のとき、1977年の有珠山噴火の6年後になると思うが、この有珠火山を研究している先生の案内で、関係者以外立ち入り禁止となっている林道を歩いて登って、噴火口を覗き込んだことがある。噴気があちこちから上がっていて、そのうちのいくつかには噴気を計測する機械がついていて、データ回収するのも命がけだな、と思った記憶がある。
 ロープウェイに乗ると、すぐ道路を越えるが、その道路の山側に綱製スリットダムが繁茂した植物に見え隠れしながらも設置してあるのが見えた。綱製スリットダムというのは、土石流などが発生した場合、全部を一気にとめるのは困難なので巨石や流木など大きなものだけを捕捉し、水や細粒なものは流して下流で別途処理するようにするものであり、今では日本全国にあるが、最初は1977年の有珠噴火後に採用されたと聞いている。その頃のものなのかな、と思ったしだい。

【火山博物館】
 これはずいぶん以前からあったと思うが、展示内容が、半分以上は2000年の有珠噴火のものになっていた。もちろん、最新の資料ということで重要であるには違いないが、噴火規模が大きかった1977年の経験が忘れられてしまうのではないか、というのが気になった。


【定山渓】
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 定山渓は札幌市南区に属している。南区は札幌市の区の中で最も面積の広い区であるが、実は定山渓を含め、その周辺の山岳地帯も南区だったりする。
 明治初期、北海道開拓の頃から知られた温泉地で、近くに豊羽鉱山があったり、木材の集積所であったりして栄えていた、と記憶していたが、○○定山(じょうざん)という人物名に由来していたのは今回初めて知った(○○は忘れた)。
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苗字は「美泉(みいずみ)」さんというお坊さんでした。これを見て教えてくれたTさん、ありがとう。(9/3追記)

【河童大王】
 数年前、たぶん、北海道を離れてからだと思うのだが、北海道に行っているときに新聞記事で、温泉街の川を少し歩いてさかのぼったところに河童の像を作った、というのを読んだ。河童伝説は古くからあるけどあまり知られていないから、と書いてあったように思う。
 そこで今回、定山渓に着いてすぐ、「河童の像はどこですか?」と聞いたら、「さぁ、大王のことかしら。像はあちこちにいっぱいありますけど。」となんとも心もとない返事。
 しょうがないので怪しげな記憶を頼りに川沿いを散策することにした。すると、確かにあちこちに小さな河童がいる。「河童大王」なる道標を見つけ、それに従って進むと、あっけなく見つかった。でも、何も説明書きがない。なんなんだ?
 川沿いに散策路があるので進むと、あちこち行き止まり。無視して進んだらとあるホテルの裏に出て、露天風呂が見えてしまった。男湯だったのが残念だったが、へんなことにならないうちにさっさと退散。
【豊平峡ダム】
 怪しげな記憶だが、昭和30年頃に建設されたダムだったと思う。アーチダムで、観光放水をしていたが、やっぱり黒部ダムなんかとどうしても比較してしまい、貧弱、と言うか、さびしく感じた。
 ここは早くから環境に配慮していることを売り物にしていて、20年前にはすでに車輌は侵入禁止にして、観光客は電気バスで輸送していた。歩くと30分。バスで5分、だったかな。
 観光としては峡谷と紅葉を売り物にしており、確かに紅葉はすばらしい。しかし、夏のこの時期なので、今回はなんということもなかった。  展望台まで遊歩道があったが、これも途中は林の中。新緑の時期や紅葉の時期ならよかったのかも知れない。展望台からの眺望も、いまひとつ迫力に欠ける。
 立派な資料館があった。2階は動植物の展示らしくて、時間がなくて上がらなかったが、1階の展示も、なにかいまひとつ。ダムサイトの資料館なのだから、ダム建設に関するものがあるかと期待したがほとんどなく、簡単な地質の説明、定山渓温泉の歴史、札幌市の開拓の歴史など、どれも中途半端な感じがした。


【松尾ジンギスカン】 (番外)
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 長沼ジンギスカンのことを書いたので、松尾ジンギスカンのことに触れておく。
 北海道ではジンギスカンがポピュラーであるが、ジンギスカンを最初に広めようとしたのが松尾ジンギスカンだそうだ。羊特有のくさみを取るための研究をし、りんごを使ったタレが有効であることを見つけたのが最初だとか。
 松尾ジンギスカンでは、羊肉をタレに漬け込んだ状態で販売している。私が育ったのは松尾ジンギスカン本店のある滝川市の近くだったこともあり、ジンギスカンというのはタレつきのものだと思っていた。
 大学に入って、ジンギスカンとビールが飲み食べ放題という店に行って驚いた。タレの入った皿が置いてある。肉は普通の生肉。カルチャーショックを受けた思いがした。

【ジンギスカンの正しい食べ方】
 本当は、『正しい食べ方』なんてなくて、正確には、『こだわりの食べ方』なのかもしれない。
 ときどき、「ジンギスカンはこれが正統だ」と主張する鍋奉行がいる。それはそれでいいんだけど、右に書いたように、場所や店によっていろいろある。食べ方、焼き方は、まずは店の人に聞くのが正しいように思う。その上で、それに従うのか、自分の方法でやるのかはもう個人の自由。
 その後、ジンギスカンと言ってもタレに漬け込んだものとそうでないものがあること知った。そして、焼き方もいろいろあることを知った。
 松尾ジンギスカンはなべの中央に肉を置き、周りに野菜を入れる。肉からタレが流れ出て、野菜にも味がつく。
 長沼ジンギスカンは、なべの中央にまずもやしを敷き詰め、その上に肉を置く。もやしから出てくる水蒸気で蒸すようにして肉を焼く。これもタレに漬け込んだ肉であるが、さらに漬け汁に漬けて肉、野菜を食べる。
 札幌・羊が丘のジンギスカンは、この長沼ジンギスカンと焼き方は似ているが、肉はタレに漬け込んでいない。
 ジンギスカンなべは、通常は中央が盛り上がったものを使う。長沼温泉で食べたとき、なべの半分はメッシュになっていて、直接火であぶるようにもできるようになっていた。

2004年頃から全国的にジンギスカンがはやりだしたようだ。新潟にも何軒かできた。駅南のけやき通りにできた七輪亭は、新潟県内のチェーン店だそうで、漬け込んでいない肉だがなかなかおいしかった。
 東京ではまだ上記の1軒しか行っていないが、あまり期待していない。

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