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憲法論議は如何にあるべきか
〜憲法調査会の議論から〜

 中島 健

■1、はじめに
 
昨年の国会で設置が決まった衆参両院の憲法調査会が、通常国会で2月16日(参議院:村上正邦会長)、17日(衆議院:中山太郎会長)活動を開始した。1947年の現行「 日本国憲法 」施行以来はじめて立法府において憲法が包括的な論題となって扱われることになるが、報道によれば、初会合の自由討議では各党委員から憲法問題に対する基本的な立場が表明され、今後の運営を巡っても対立が鮮明になったという(今後の調査会は有識者の招聘等の活動を行うことになっているので、主として政治家自身の見解が大胆に表明されるのはむしろ初回であろう)。

▲憲法調査会が設置された国会

■2、各党の主張
 ところで、2月16日の参議院憲法調査会第2回会合では、45人の委員の内28人が登壇し、各党を代表した討論のあと各委員による自由討論を行った。
 改憲に積極的な自由・自民両党は、「憲法は実際は一週間でGHQが素案を作った。」(自民党・ 海老原義彦氏)、「(憲法を起草した)連合国軍総司令部(GHQ)の民政委員二十四人がいる。生き証人を参考人として招き、一言述べてもらいたい。」 (自由党・扇千景氏)といった憲法の制定過程を問題とする発言も多く(参議院クラブの椎名素夫氏も、「先入観を捨てて議論したい。ふつうの法律を作るのにも時間はかかるのに、この憲法は二週間で起草され、一カ月で成立したという異常な要素がある」 と発言している)、また調査会の今後について、「審議期間は、参院議員の半数の任期が切れる来年七月末を一つのメドにし、第一次中間報告を。テーマは安保や教育など緊急の国家的課題から入るべき。」(自民党・小山孝雄氏)、「拙速は避けるべきとの意見があったが、参院は解散がないのだから任期内に仕上げるのが一番いい。」(自民党・ 海老原義彦氏)等、改憲を具体的な政治日程として扱う姿勢が見られた。そして、基本的な立場としては、「憲法改正を念頭に置いた議論をする必要がある。改憲を是とする国民世論が大きくなっている。」(自民党・久世公尭氏)等として、改憲志向を鮮明に打ち出した。更に、「憲法の解釈運用はどこまで可能で許されるのか検討すべき。」 (自民党・亀谷博昭氏)「ただ調査で終わるだけではないというのが国民の視点。憲法と国内の現実とのかい離だけでなく、国際社会とのかい離も考えるべき。」(自民党・中島真人氏)といった本質的な発言も聞かれた。
 もっとも、同じ与党側でも、公明党はむしろ民主党とは同じか民主党以上に護憲的で、「 憲法九条 を厳守する立場で議論していく。」(公明党・白浜一良氏)と明確に九条護憲を打ち出している他は、「半世紀ぐらい耐え得るような議論を。拙速は避けるべき。」(公明党・魚住裕一郎氏)、「現代社会が抱える深刻な問題の根底に憲法があるとしたら重大な問題。外国人の権利もきちんと憲法に位置づけるべき」(公明党・高野博師氏)、「憲法には、変えてはならないもの、変える余地があるもの、変えるべきもの、新たに付け加えるべきものの四つのカテゴリーがある。」(公明党・大森礼子氏)といったあたり障りの無い発言に終始していた(特に、大森議員の発言は意味内容が無い)。民主党も、「憲法は不磨の大典ではない。改憲を前提とはせず、改正絶対反対という姿勢もとらない。知識人に大所高所の意見を聞くことから始めてはどうか。」(民主党・江田五月氏)といった無難な発言や「憲法の理想に現実が追いついていない。そこを調査すべき。その一つが両性の平等など女性問題」(民主党・笹野貞子氏・元民主改革連合代表)といった護憲的なものが多かったが、護憲的とはいえ多少本質的な議論としては、「日本国憲法の成立過程前史の総括というものがやはり必要なのではないのか」「明治憲法も決してまずい憲法ではありませんでした。当時の世界史的な比較の中からいっても大変すぐれた憲法であったと思いますけれども、そういう中でなぜ軍部の独走というようなものが生まれてきたのかという、そういう因果関係の分析、これもまた大変重要だろうと。」「対外的な信頼醸成を払拭するために、歴史の失敗といいますか、それの本質についての冷静な分析をする」「憲法改正はまさに日本人の自己決定能力が問われるこの国にとって最重要な課題だと思う」「自分の自信というようなものの根拠が、まだまだ歴史に求めることができない」(民主党・簗瀬進氏)、「今の憲法ができたときの国際情勢と日本が今置かれている立場には大きな隔たりがある。五十数年を経て変わったものと変わらないものを確認すべき。」(民主党・直嶋正行氏) というのもあった。もっとも、「現状が憲法にあっていない」とする議論は厳密な意味では憲法問題ではなく政治の問題であって、憲法調査会という憲法問題(法律問題)を議論する場の発言としては適切ではないのではないだろうか。
 一方、野党側、とくに護憲派とされる日本共産党社会民主党の各議員の発言は、(当然とはいえ)要領を得ないものばかりであった。典型的なのが、「憲法の先駆的、先進的中身を調査することが一番大事」(共産党・小泉親司氏)、「調査会は、調査目的に限定の機関。憲法と現実のかい離は、憲法の諸原則が、政治により忠実に国民生活に生かされなかったから。」(共産党・橋本敦氏)、「憲法の三原則は普遍的原理であり、恒久的な規範であるべき。調査会は、九条問題が中心ではないことを確認したい。」(社民党・大脇雅子氏)といった主張だが、もし現在の憲法に問題が無いのであれば、国民の税金を使って態々国会の中に憲法を賛美する調査会を作る必要は無いのであって、それは各党・各議員個人レベルでやってもらればいいことである。また、後述するように、「現実が憲法に適合していない」という議論は、そもそも憲法調査会で行うべき議論ではない(むしろ、調査会の目的を骨抜きにするものですらあろう)。実は、現行憲法の「先進的中身」は、(その妥当性についての議論は措くとしても)護憲派の思うように日本社会に定着しているとはいえない面があって、さればこそ簗瀬参院議員が主張するような法社会学的な側面や法と経済学的な側面からの分析は必要なのだが、恐らく護憲派の中でそうした深みのある護憲論を展開している議員は皆無であろう。
 更に、「護憲派」として格別目をひくのが社会民主党の福島瑞穂氏で、「本当に重要なことですので、総合的かつ慎重に、憲法一条も含めて、すべてについて総合的かつ慎重に議論する必要があるというふうに考えております。」と発言しており、事実上象徴天皇制の廃止を主張している(こう書くと、福島氏は「単に議論すべきだと言ったに過ぎない」と主張されるかもしれないが、そうおっしゃるのであれば、「核武装についても議論すべきだ」という発言は「核武装発言」として糾弾するといったこともまた慎むべきであろう)。「護憲」の看板に第1章が含まれないことを正直に告白しているというべきであろうか。

■3、調査会が行うべき「憲法論議」とは何か
 ところで、既に上記の「各党の主張」の中でも軽く触れたが、調査会委員の中(特に護憲政党)には「憲法調査会」の意義を(意図的にかもしれないが)誤って理解していると思われるふしがあるので、ここで「憲法調査会は何をすべき会か」について一言触れておきたい。

▲参議院憲法調査会の様子

 護憲政党の最大の誤謬は、「憲法に関する議論は全て『憲法論議』であり、従って少しでも憲法にまつわる議論であれば憲法調査会において調査すべき事項である」と考えている点にある(あるいは、そう主張することによって憲法改正を阻止しようとしている)。憲法という「理想」と政治という「現実」が乖離したとき(=広い意味での『憲法論議』が生まれたとき)に、それを是正する方策としては、①「現実」を「理想(規範)」にあわせるということ(法適用、あるいは立法・行政・司法裁量上の問題である『憲政論議』)と②そもそも「理想」を再検討する(『狭義の憲法論議』あるいは『立憲論議』『立憲政策上の問題』と呼んでもよい)という2つが考えられるが、「憲法調査会」とは専ら②(立憲論議)について扱う場ではないだろうか(※図1参照)

【図1】改憲、護憲と立憲、憲政の位置付け

憲法調査会の議論
立憲論議
(立法政策論)

 →改 憲 
 (理想の誤り)


 憲 法 
(理 想)
 
→悪しき改憲
 (憲法改悪)


 
問題群A

←より妥当な国政→


問題群B
国会・裁判での議論
憲政論議
(執行裁量論)

悪しき護憲←
(憲法護悪)
 
 
  政 治 
(現 実)

 護 憲← 
(現実の誤り)
 

 無論、国政上「理想」と「現実」の乖離がおきた場合において、「理想」のほうが妥当であるが故に「理想」を追求すべきだという局面(図では「問題群B」に相当する憲法問題。例えば、「権力による人権侵害」など)では、原則として①の解決方法がとられるべきではあるが、そうした「理想」とて(人間の作ったものゆえ)誤っていることもあり(図では「問題群A」に相当する憲法問題)、そうした「妥当でない理想」を改革する必要が出て来る(※表1参照)(※注1)。例えば、 憲法第9条 に関する論議であれば、「自衛隊は憲法に抵触しないかどうか」を議論するのが①の「憲政論議」であり、「憲法上、国家の軍事力をどう規定すべきか」を論ずるのが②の「立憲論議」である(別の言い方をすれば、9条問題が「問題群A」に該当するかしないのか、の議論でもあり、護憲政党にしてみれば、それはむしろ「問題群B」に該当するということになる)(※注2)。そして、現在「論憲」という言葉で求められているのは、「広義の憲法論議」ではなく、「狭義の憲法論議」即ち「立憲論議」である。

【表1】憲法論議の種類から見た分類
大区分小区分具体例結果
広義の
憲法論議
(単に「憲法」に
まつわる議論)
立憲論議
(狭義の憲法論議)
理想(大前提)そのものを問い
直す。憲法調査会での「論憲」
本質的には立法政策上の問題。

「憲法第9条を見直すべきか」
「首相を直接公選制にすべきか」
改正必要
改憲
改正不要
護憲
憲政論議理想に基づき現実(小前提)を
問い直す。国会での「論政」
本質的には三権の裁量権の問題。

「この行政処分は憲法違反である」
「破防法は結社の自由を侵害している」
そもそも
検討作業
をせず

護憲

 ところで、通常の法律では、(欧州的な考え方では)それを「作る」(広義の「立法」)のが立法府=国会(判例法国では司法立法もある)であり、それを「使う」(広義の「執行」)のが行政府及び司法府=裁判所であるが、憲法レベルでは、憲法を「作る」(「立憲」)のが憲法制定権力である国民及び(憲法改正発議権を有する)国会であり、それを「使う」(「憲政」)のが憲法によって授権された司法、立法、行政であるとも考えられる。換言すれば、憲法制定権力の一端(憲法改正発議権)を担う国会に、「通常の委員会審議でも議論できる」という護憲政党の主張を退けて設置された「憲法調査会」は、正に「立憲」のために設置されたのである(何故ならば、①<憲政>の問題は通常司法、立法、行政の各憲法執行機関でそれぞれ議論すればよいのであって、特別に調査会を設置する必要は無いからである)(※注3)。つまり、原則として、通常の国会審議や司法(「憲法」という法規範を実際に執行する「憲政」の各場面)では①(憲政論議)が志向され、執行さるべき大前提としての憲法を再検討する特別な場である憲法調査会では②(立憲論議)が志向されるのであって、故に憲法調査会までも①(憲政論議)の場にして②(立憲論議)を回避しようとする社民、共産両党の試みは全く不見識、と断ずることが出来るのである(※注4)
 実際、1957(昭和32)年、内閣に設置された憲法調査会は主として下記のような論点を扱ったが、1・2は総論であり、3から8は日本国憲法の第2章から各章ごとに設問したものである(もっとも、章ごと検討の結果とはいえ、「天皇制のあり方」に言及しているのは、なかなか大胆かもしれない)。そして、これらの設問は全て「〜はいかにあるべきか」と表現されており、つまりは(「理想」と「現実」の関係をどうするか云々ではなく)「理想」のあり方そのものを問う「立憲論議」を行っているのである。

【表2】「討議に関する問題点」(内閣憲法調査会)

1、日本の憲法はいかなる憲法であるべきか
2、現行憲法の改正に関していかなる態度をとるべきか
3、天皇制のあり方はいかにあるべきか
4、日本の自衛体制はいかにあるべきか
5、基本的人権の保障はいかにあるべきか
6、政治の基本機構はいかにあるべきか
7、司法権の組織及び権限はいかにあるべきか
8、地方自治のあり方はいかにあるべきか
9、緊急事態ないし非常事態に対処する制度
はいかにあるべきか
10、政治機構の基礎にあるものとしての政党
及び選挙について憲法はいかなる態度をとるべきか

 以上、まとめると、例え共産党の橋本敦代議士が言うように「調査会は、調査目的に限定の機関」だったとしても、調査会は(発見した「理想」の問題点を放置するつもりなら別として)自ずから「改憲」を視野に入れたものにならざるを得ないのである(※注5)

※注釈
注1:私としては、「法」つまり大前提たる「規範」を再検討する議論を『憲「法」論議』(国際法における「法律的紛争」と同義)、「政治」つまり「事実」を再検討する議論を『憲「政」論議』(国際法における「政治的紛争」と同義)として、「法」と「政治」を対置して表現したかったが、それでは「広義の憲法論議」と混乱を来すので、本文では「憲法論議」「立憲論議」「憲政論議」として表記している。
注2:もっとも、9条問題が「問題群B」にあたるかどうかは、最終的に「法の適用」をチェックする裁判所が判断すべきことであり、憲法調査会において主張すべき問題ではない。
注3:もっとも、「立法府が、立法権を与えてくれた『親』(上位規範)である憲法のことを(下剋上のように)アレコレ調査することはおかしい」という考え方もあるだろうが、現行憲法が憲法改正発議権を国会=立法府に与えている以上、国権の最高機関たる国会には「立法」権とともに「立憲」権(憲法制定権力)があると見るべきである。
注4:そもそも両党は、憲法調査会設置に反対する際、「憲法論議は通常の予算委員会でも出来る」等と主張していたが、それは「①(憲政論議)が出来る」という意味では正しいけれども、必ずしも②(立憲論議)が十分出来るわけではない以上間違っている。
注5:逆の場合を考えてみるとよい。例えば、「問題群B」に該当する憲法問題が無いかどうか調査する国会が仮に違憲問題を発見した場合、「この調査は『護憲』を視野に入れないで行われるべきだから、問題化しない」等という強弁が通るであろうか。今回、国会に調査会が設置されたこと自体、政治家が「問題群A」に該当する憲法問題があるということが強く認識していたからに他ならない。

■4、護憲政党に残された役割
 以上のことからすれば、そもそも「現行憲法に規範的問題なし(理想は正しい)」と主張している護憲政党の役割は、調査会に参加する意義も薄いように思えるが、実はそんなことは無い。護憲政党としては、以下に述べる2種類のことで、「憲法調査会」に貢献する余地はある。
 1つ目は、改憲論に対して、「事実認定」の部分で反論することである。というのも、先ほどから「立憲論議」と「憲政論議」の2つの概念を区別して扱ってきたが、実は、これら2つの方法論は(手続上の制約はあるが)(※注1)究極的にはそう違わないからである。即ち、両者の「憲法論議」とも、①大前提である(憲)法を理解し、②小前提である事実(現状)を理解する、というプロセスを経るところまでは変わらないのであって、ただ、「立憲論議」では、それらの齟齬を②(事実)を適用して①を変更することによって解決するのに対して、「憲政論議」では、①(法)を適用して②(事実)を変更することである。例えば、典型的な法の適用場面である「裁判」では、裁判官は、まずは適用すべき条文の意味内容を明かにし、次いで、事実関係を調べることで、最終的に判決を下すのだが、その結果変更されるのは②(事実)のほうである(※注2)。また、「行政権の行使」(裁判と共に欧州型分類の「広義の執行権」に含まれる)も同様であり、例えば道路交通法では公道を走行する「車両」についていくつかの規制を加えているが、警察は①「動力つきキックボード」は道路交通法の言う「車両」に該当する(法の意味内容を明かにする)(※注3)、②ところで被疑者Aは公道で「動力つきキックボード」を使用して走行していた(事実の認定)、よってAは道路交通法に違反すると判断している。そして、被疑者Aを道路交通法違反で逮捕して、②(事実)を変更したのである。逆に、事実の適用場面である「立法」では、①「動力つきキックボード」は「車両」に該当し、②ところで被疑者Aは「動力つきキックボード」を使っていた、までは「裁判」と同じであるが、そこで「『動力つきキックボード』を車両と扱う行政はおかしい」として道路交通法(理想)を改正し、「動力つきキックボード」を明文で除外することになる(「護憲」の立場であれば、「除外しなくてよい」として一件落着で終わることになる)。以上より、護憲政党としても、その後の態度はどうであれ、①前提的法理解と②事実理解それ自体は共有することが出来るはずであり、その点で「憲法調査会」に貢献できるのである(もっとも、その際、いくら「護憲」が前提だからといって、①や②を、改憲の可能性を100%消すことが出来る「裁判」や「行政」のように「法適用」的に行ってはならないであろう)。
 2つ目は、護憲政党側が独自に、その党是を基にした改憲論を提起することである(いわゆる「護憲的改憲」である)。例えば、前述したように福島参議院議員は「象徴天皇制のあり方」についても議論すべきであると主張しているが、これこそは「憲法調査会」において左派政党が主張できる「憲法論議」の一つであろう(その意味で福島議員は、さすが弁護士出身だけあって、議論のあり方自体は正しく認識されているようであるーその見解や主張の多くには全く賛同できないが)。また、(一応、村山内閣当時に自衛隊を合憲と認めたとはいえ)社民党や共産党は、象徴天皇制廃止の他にも、例えば 憲法9条 の厳密化改正(芦田修正を削除して、どうあがいても自衛隊が違憲になるように 第9条 を改正する)といった「憲法論議」の主張は可能であろう(無論、こうした「改憲論」に私は断固反対であるし、それは「憲法改悪」であると考えるが)。少なくとも、現在のように、「法の適用」的な手法で「現行憲法が素晴らしいことを調査する」等という、議論の方向を見誤った発言をしているよりは遥かにましではないだろうか。
 もっとも、2つ目については、実際の見通しは暗いというべきであろう。それは、現在「憲法調査会」で改憲の対象として問題となっているのが事実上 第9条 をはじめとする国防・非常事態法制に関わるものだからであり、これらの問題こそ【図1】の「問題群A」に含まれる憲法問題であると思われるからである。例えば、護憲派で知られる樋口陽一上智大学教授(憲法)は、政府・自民党の改憲論について、しばしば「改憲派は『新しい人権を盛り込むためにも改憲が必要』と言うが、それらは 第13条<幸福追求権> の規定を準用すればよく不必要で、単なる 9条 改悪の口実に過ぎない」と主張しているが、樋口教授の主張の前半部分は正しいだろう。つまり、こと権利章典の部分( 第3章「国民」 )については、「問題群A」に該当するような特段改憲を必要とするような事態(即ち、憲法の理念に対する深い疑義)は生じていないのであって、生じている齟齬があるとすればそれはむしろ「問題群B」に該当する、「憲政論議」に関わるものなのである。しかし、それは護憲派が主張するように、憲法に現実を合わせることが妥当でない「問題群A」の問題が存在しないというわけではなく、むしろA群B群含めて 現行憲法最大の問題点と目されているのが 第9条・平和主義 であることは、論争の経緯からも又判例や有権解釈の蓄積からも、否定できない事実である。

※注釈
注1:例えば、「憲政論議」の典型的な担い手である裁判官は、例え「理想」のほうが間違っていると思っていても日本国憲法を改正するまでの権限は持っていないし(従って、憲法判断を回避する)(もっとも、アメリカの場合は、連邦最高裁判事は改憲権も持っているし、日本でも、判断回避が重なって「憲法の変遷」が成立する場合はある)、逆に「立憲論議」の担い手である憲法調査会委員は、裁判官ではない。
注2:もっとも、厳密に言えば、裁判官あるいは行政官も一定の範囲内で、事実上法を変更(立法)している。そうした「裁判官によるちょっとした立法」が積み重なったものが「判例(判例法)」である(詳細は、拙稿
判例とは何か ー1999年6月号掲載を参照のこと)。現行憲法では司法立法は認められていないので、そうした「裁判官によるちょっとした立法」はあくまでその判決にだけ適用されることになっているが、実際は、最高裁判所が出した判例に下級裁判所が逆らってもほぼ必ず最高裁で逆転されるので、実際は事実上司法立法が行われているといってもよい。もっとも、そうした立法も、あくまで現行(憲)法を土台として、その枠組みの中で行われるものであって、最大限憲法から明白にはみ出ることは出来ない(法令違憲判決は、例外的に法律の枠組みから出て法律のほうを変えてしまう判決のことだが、こうした立法的な権限は「違憲立法審査権」(憲法第81条)として認められている。但し、それも憲法の枠内での話である)。また、その目的も、裁判にかけられた法律問題を解決する限りにおいて行われるのであって、裁判とは全く無関係に司法立法をすることは出来ない。
注3:注2の解説にあった「ちょっとした立法」が、ここでも行われている。即ち、国会が制定した「道路交通法」には、「公道を走る車両は本法で規制する」としか書いていなかったが、ここで警察が「動力つきキックボードも車両に該当する」と判断したことで、「道路交通法」は事実上「公道を走る動力つきキックボードを含む車両は本法で規制する」と改正されたに等しくなる。

■5、おわりに
 21世紀まで、残すところあと300日である。20世紀の日本を巡る最大の事件はやはり太平洋戦争の敗戦であったと思うが、そうして外国軍隊に7年間国土を占領されたことの結果は、我が国にとっていくばくかの利益をもたらしたと同時に、その歴史的事実が簡単には拭い去れないように憲法典に刻印されてしまったとも言える。「憲法調査会」が負っている任務は、まさにそうした剄を含めて、現在「理想」として鎮座している 日本国憲法 をタブーなく再検討することによって、我が国にとってより相応しい「憲法」のあり方探ることである。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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