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判例とは何か
〜「裁判の先例」
と「一定の規範性を持った判決」〜

中島 健

1、はじめに
 「裁判所が判例を変更した」「判例が積み重ねられる」。我々がよく耳にするこの「判例」
precedents)という言葉であるが、いざ「判例とは何ですか?」と正面から問うてみると、その答えはなかなか難しくなる。とりあえず、簡潔に表現すれば、「判例」とは次の二つの意味を持つといえよう。即ち、第一にそれは「裁判の先例」であり、裁判所の判決として示された法的判断を指す(※注1)。また第二にそれは「裁判・判決によって明かにされ将来に向かって遵守される規範」であり、判決が繰り返される中で生じた(生成された・創造された)抽象的な法則のことである(※注2)
 しかし、無論、以上のような形式的な解説のみでは、判例の本質を明快に指摘するまでには至らない。そこで本稿では、上記の二つの観点から判例について考察し、以って「判例とは何か」という問いに対する本質的な解答を提示することを試みる。

※注釈・参考文献
1:我妻 栄他『新法律学辞典』新版 有斐閣、1967年 1005ページ。
 より正確には、判決の結論を導出する上で意味のある法的理由づけの部分=「判決理由(
ratio decidendi)」のことであって、傍論(obiter dictum)は含まれない。
(:芦部信喜『憲法』新版 岩波書店、1997年 352ページ。)
2:『新法律学辞典』、1005ページ。

2、裁判の先例
 前述したように、判例とは「裁判の先例」のことであって、単なる社会的な先例や慣行とは区別される。つまり、他の法源(「制定法」とか「慣習法」といった、法の観念的な存在形態のこと)と比較した場合の判例の特徴は、(判例を「判例法」として認めるかどうかはともかく)それが形成される「裁判」という法的判断行為の特徴に由来するといえるであろう。
 では、そもそも「裁判
judgement)」とは、一体どのような営みなのであろうか。『新法律学辞典』によれば、「裁判」とは①形式的には司法機関である裁判所又は裁判官による法律行為のことであり、②実質的には具体的な争訟を解決するためにされる公権的な法的判断の表示のことである(※注1)(その意味では、例えば行政機関が行う審判(海難審判、公正取引委員会の審判、特許審判、電波監理審議会の聴聞等)における裁決・審決・決定も裁判に含まれる(※注2))。また、③訴訟法上は、裁判官によって構成される裁判所の機関の判断もしくは意思の表示として、その内容に従った法律的効果を生じる訴訟行為のことを指す(※注1)。つまりは、裁判官という名の公務員が為す法的判断(思考)こそが「裁判」なのであるが、より正確には次のような特徴を持つものなのである。
 即ち、第一に、それは既存の一般的な実定法規範(文章となって実際に公布、施行されている法律)に準拠して一定の法的決定を要求し正当化する点であり(※注3)、大前提となる判断基準はあくまで実定法規範に制限されているということである。換言すれば、実定法規範に無い根拠付けのなされた判決(例えば、単に「私は犯人が憎いから死刑を下す、といったこと)は、正当性を持ち得ない。無論、「法の支配」原則の要請するこうした実定法規範への全面的な依存は、判決の予測可能性(実定法が明文でわかっていれば、裁判官の下す判決もある程度予想がつく)や法的安定性を高める一方、時として裁判及び準拠法を絶対のものとし、個別的正義(個々のケースでの妥当性)や柔軟性を圧迫する(※注4)。だが、後述するように、法適用の過程においては先ず大前提となるべき実定法規範の解釈を要するのであり、そこには固定的な実定法を揺り動かす法創造の過程が含まれているのである。
 第二に、それは過去に生じた具体的紛争(権利義務の争いや刑罰権の存否)を事後・個別的に解決するという過去志向性及び個別性である(※注5)。つまり、法律上のケンカが起きて、裁判所ははじめて動き出すということであって、その点、当事者以外の利害関係や将来発生するであろう紛争に対する配慮等(例えば、判決の中で、傍論として何等かの基準を示す)はあくまで二義的なものであると言えよう。換言すれば、裁判はあくまで「法的な紛争処理手段」として、複雑な紛争関係を法的側面から単純化し争点や参加者を限定することで、その合理性や実効性を高めているのである(そして、そうした裁判の本質的性格の故に、「裁判は何も解決しない」といった批判が生まれることになる)。とはいえ、それは将来志向性や一般性を全く欠くというわけではなく、そこに判例の発生する余地がある。
 第三に、それは結論に至る手順や論理が重視される点であり、具体的には、裁判は原則として公開の法廷で当事者主義(原告、被告の法廷での争いを中心に据えるということ)を旨として行われなければならない、ということである(※注6)。法廷の公開は裁判官の恣意的判断や不正を防止し、当事者に公的な場での主張の機会を担保するものであり(特に、社会的弱者や少数者が訴訟を起こした場合、公開された法廷は世論や政策形成過程への影響を及ぼすことも出来る)、また当事者主義の原則は、それらに加えて「私的自治の原則」(私人は、自分で意識して法律行為をしなければ、権利を得たり義務を課せられることは無い、ということ)の観点から訴訟当事者同志の解決を奨励し、かつ双方が判決の如何に関わらずこれを承認させて裁判を正当化する効果も持つ(※注7)。そして第四に、(これは第二点と一部重複するが)それは事実認定や法的判断について「全か無か」というニ分法がとられる点である。その意味で、裁判の判決は、一義的かつ自明な解答が不可能な命題に対する公権力的な「決定」であり、一方を社会的に認定し他方を否定するドラスティックなものである(※注8)
 以上をまとめると、「裁判」という法的システムが有するこれらの特質こそ、「裁判の先例」としての「判例」の本質と言うことが出来るのである(※注9)

※注釈・参考文献
1:
『新法律学辞典』、461ページ。
 なお、「裁判官(
judge)」とは公権力に基づいて紛争・利害対立を法律的に解決調整する判断を下す権限を持つ者のことであり、「裁判所(court)」とは具体的事件に対して公権的に法律的裁断を下す権限を持つ法律社会の機関(狭義には「司法権を行使する国家機関」)のことである。
2:実際、戦前の行政裁判所は、判例集に相当する「判決録」を発行していた。
(:『新法律学辞典』、222ページ。)
3:田中成明 『法理学講義』 有斐閣、1994年 316ページ・326ページ。
4:田中前掲書、316〜317ページ。
5:田中前掲書、317ページ・328ページ。
 また、六本佳平 『法社会学』 有斐閣、1986年 350ページ。
6:田中前掲書、318ページ・326ページ〜327ページ。 
7:田中前掲書、326ページ。
 裁判官の役割について田中は、「プラトン流の哲人王のごときものではなく、〜ソクラテス的な産婆役であろう」と表現している。もっとも、そうしたあり方は「望ましい」ものであり、裁判本来の三面性や「裁定」<=当事者の同意を得る事無く第三者が判断を下し拘束する問題解決方法>の本質までも否定するものではない。
8:法廷の荘厳な儀式的行為(裁判官の法衣等)は、こうしたドラスティックな性格を少しでも緩和するためにあるという。もっとも、そうした裁判のあり方が日本人の間に定着しているかどうかは疑問であるとの指摘もあるが。
(:六本前掲書、349ページ。)
9:これらの伝統的な制約原理は近年では修正を受けつつあるが、しかし裁判全体の正当性や有効性を担保する上で、これらの諸原則はなお有効である。

3、一定の規範性を持った判決
1、裁判判決の法創造性
 近代以降の「裁判」等公的機関による法適用の過程(司法=立法及び行政に対し、法規を適用してある事項の適法違法又はこれを規整する権利関係を確定することにより具体的争訟を解決する国家作用)においては、適用すべき法規範を「大前提」とし、確定された具体的な事実関係を「小前提」として、規範に事実を当てはめて結論を得る「法的三段論法」が行われる。しかし、法的三段論法においては、裁判官は単に(前述した伝統的な実定法規範からの制約原理に従って)機械的に法を選択し推論を加えているのではなく、個々の事実関係に即して適用すべき法規範を選別し、かつその意味内容を明らかにする「法解釈」を行っている(※注1)。これは、制定法の本質的特徴、即ち、その規定があくまで一般的抽象的な事例を列挙したに留まるからであり、制定時からの社会的経済的条件や価値観の変化に対応して弾力的な法適用を可能とするためには、法創造乃至法の解釈
interpretation of law)は避ける事の出来ないものである(※注2)。特に、「法の欠缺(けんけつ)(lack of law)」(※注3)を理由に訴訟受理を拒絶できない(※注4)民事訴訟においては、裁判官は、事実たる慣習慣習法の他、「条理(理法、naturalis ratio)」(※注5)や「一般条項(※注6)と呼ばれる非常に抽象的な規定から法的判断を下すことを求められる。
 そして、こうした法解釈や法適用の結果、必然的に実定法規範の欠缺を補充したり推論によって新たな規範を導出したりする場合が発生する。「法の欠缺」を補充する法解釈技術(※注7)としては「類推解釈
analogy)」「反対解釈argumentum e contrario)」「勿論解釈」が挙げられるが、「類推解釈」とは「ある事案を直接に規定した法規がない場合に、それと類似の性質・関係をもった事案について規定した法規を間接的に適用すること」(※注8)であり、明文の規定を欠く事項について他の条文を転用し規範として理解することであって、つまりは新たな規範(法律)を定立している(定めている)のである(※注9)。また「反対解釈」とは、一定の法命題から反対命題を引き出すことであるが(※注10)、ここで導出された反対命題は当然制定法には無い新たな法規範(法律)である。「勿論解釈(※注11)についても同様である。このことから、今日では、法適用の過程には新たな法規範の定立・発展機能があることが理解されている(※注12)
 ところで、こうした裁判所(裁判官)による法規範定立行為(法律を継ぎ足して作っているということ)は、(司法機関であるが故に)新たな一般的・抽象的な法規範を明示的に設定する訳ではなく、多くの場合は特定の事例における個別的判断として行われる(※注12)。しかし、前述したように、本来裁判は一定の実定法規範に準拠すべきであるし、また仮に裁判官による法規範の定立が認められたとしても、裁判官の恣意を否定し判決の予測可能性や法的安定性を維持するために、それはあくまで合理的かつ体系的でなければならない(「統一的秩序を保持していなければならない」)(※注13)。そこで、裁判所(裁判官)が定立した一連の法規範は、特定の事件における適用のみならず、類型化された同種の事件についても適用され得るようになる。つまり、ここに同類型の事案につき下される判決について一定の法則性が生じるのであり、個別的な「判決」が一般的な「判例」として、新たな法源を形成するようになる。これが、「『判例』とは一定の規範性を持った判決である」という定義の意味するところである。

2、裁判判決の法創造性
 もっとも、こうして現在では一般的に承認されている「裁判官による法の創造」は、法制史的に見れば必ずしも自明のことではなかった。
 近代市民社会及び市民法が成立した17〜18世紀、モンテスキュー
Baron de la Brede et de Montesquieu(フランス、1688年〜1757年)がかの有名な著書『法の精神(De l'esprit des lois)』(1748年)の中で政治的自由のために「三権分立」を説き、伝統的に裁判所(裁判官)に対する不信感があったフランス(※注14)では、1804年に「コード・シヴィル」(ナポレオン法典、フランス民法典)が制定された際、革命政府によって法典の解釈が禁止された。そして、法文を絶対視し、「一切の法的紛争が実定法規範によって解決可能である」とする、極めて法実証主義的な(=実際に施行されている法律を重視しがちな)「注釈学派」が誕生したのであった(※注15)。結果、当時のフランスの裁判官には、「司法権による侵害」から法を守るために、一切の法解釈も許さない機械のような役割しか与えられなかったという(※注16)。他方、同時代のドイツにおいては、近代経験主義法学・法実証主義の先駆をなす歴史法学(Historical Jurisprudence)派が現れたが(※注17)、その代表的法学者であるサヴィニーKarl Friedrich von Savigny(ドイツ、1779年〜1861年)は、「個人的確信による立法に過ぎない」としてドイツの統一法典編纂に反対し、「恣意的でない立法」とは歴史的な「民族の確信(Volksglauben)」や「民族精神」に基づくのであって、実定法は「民族の確信」の具体的成果であると主張した(※注18)。更に、法学の歴史的研究とその成果の現代への反映(体系化)という主張は、サヴィニーを継いだロマニステン(ローマ法派学者)プフタGeorg Friedrich Puchta(ドイツ、1798年〜1846年)は、諸概念はピラミッド状の体系的連関を為しており、必要な法命題は当然にその体系から論理的に演繹され得る(つまり、今ある法律で全ての問題は解決できる)と主張した(※注19)。法の体系性・論理的構成を重視するこれらの学派の主張は、しかし何れも裁判官による法創造活動(法解釈、判例法)を禁止し、国法体系を完全視・絶対視する硬直した法実証主義をもたらした。なお、近代市民革命時に市民側に立って信頼の厚かったイギリスのコモン・ロー法学者や裁判官は、しかし「先例拘束性の原則」に「法宣言的」裁判観(裁判官は、判決以前に既に存在している法を発見・宣言するに過ぎない、とする考え方)が加わり、法的概念の機械的組み合わせに終始する「機械的法学」の状態にあった(※注20)
 このように、近代市民法が成立した当初、特に裁判官に対する不信が根強かった大陸法諸国においては、法の完全性や論理性に対する過信から、司法判断に対して今日よりも遥かに厳しい束縛がなされていたのである。そして、こうした伝統的な拘束が改革され、裁判の機能に対する認識が変化したのは、19世紀末〜20世紀にかけてのドイツでの「自由法運動(
free law movement)」や「プラグマティズム法学(pragmatic jurisprudence)」(※注21)、「社会学的法学(sociological jurisprudence)」(※注22)、「リアリズム法学(legal realism)」(※注23)の登場によってであった。例えば、イェーリングRudolph von Jhering(ドイツ、1818年〜1892年)と共にドイツ私法学を「概念法学(Begriffsjurisprudenz)」と批判したカントロヴィッツHerman Kantorowicz(ドイツ、1877年〜1940年)やエールリッヒEugen Ehrlich(オーストリア、1862年〜1922年)らは、実定法(実際に施行されている法律)以外に「生ける法」も又法源として存在すること、法の完全無欠性を否定して「法の欠缺」の存在を指摘したこと、裁判官による「自由な法規範創造」を認めるべきことを強調して、自然法論の復権や法社会学の誕生を促した(※注24)
 今日、我が国においては、厳格な三権分立を採用するアメリカ合衆国憲法の影響を受けた
日本国憲法 の規定により、立法権・司法権・行政権の分離が図られている。例えば、 憲法第41条 は国会の地位について「国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。」と規定して戦前存在した行政府による立法(例えば、明治憲法における緊急勅令、独立命令等)を禁じているし、また 第65条 は「行政権は、内閣に属する。」と、 第76条第1項 は「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」とそれぞれ規定して、行政府・司法府の役割分担を決めているわけである。ところで、こうした統治機構を採用している我が国においては、 憲法第41条 により国会以外の機関による立法行為は( 憲法 が明文で認めている幾つかの例外を除いて)認められていないのであるから、判例法、つまり司法府による立法も又認められないと解することも出来る。そこで、我が国においては、判例を「判例法」としてその法規範性を直接に認めることについては争いがある(※注25)。但し、これは我が国裁判所において裁判官が「法の解釈」や「法の創造」を完全に禁じられているという意味ではなく、一定限度での法規範の定立は憲法の既に予定するところである(※注26)

※注釈・参考文献
1:田中前掲書、305ページ。
 例えば、「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは三年以上の懲役に処する。(刑法第199条)」(大前提)、「被告人Aは被害者Bを殺害した。」(小前提)、「よって被告人Aを懲役刑に処する。」(結論)となる。
 なお、我が国の刑事訴訟法第335条、民事訴訟法第191条は、こうした法的三段論法の過程を判決文に記述すべき旨定めている。
2:田中前掲書、308〜309ページ。
3:欠缺の生ずる理由としては、①自明のこととして規定されていない場合、②立法当時予測できなかった新たな事態の発生(狭義の「法の欠缺」)、③立法技術の不備等がある。
(:『新法律学辞典』、1108ページ。また、
  四宮和夫『民法総則』第4版補正版 弘文堂、1996年 8ページ。)
4:「裁判を受ける権利」は、日本国憲法第32条でも、「何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。」として保障されている。
5:「事物の本質的法則」を指す。例えば、
明治8年6月8日太政官布告第103号『裁判事務心得』 第3条は、「民事ノ裁判ニ成文ノ法律ナキモノハ習慣ニ依リ習慣ナキモノハ条理ヲ推考シテ裁判スヘシ」として、条理を法源として認めている。もっとも、『裁判事務心得』に関しては、近代民法編纂の途上にあった当時の実定法不足に備えるものであった。
(:山田 晟『法学』新版 東京大学出版会、1964年 52ページ。また、
  四宮前掲書、7ページ。)
6:「公共の福祉の原則」「公序良俗」「信義誠実の原則」「権利濫用の法理」等。なお、これらが「条理」に包摂される場合もある。
7:狭義の法解釈技術としては、「文理解釈」、「論理解釈」(条文の法令内の位置や体系性・関係性を考慮して行われる解釈。体系的解釈。)、「歴史的解釈」(立法過程や立法者意思を重視する解釈。沿革解釈。)、「目的論的解釈」がある。
(:田中前掲書、311ページ。)
8:田中前掲書、312ページ。
 『新法律学辞典』1241ページでは、「法規の定めた事項を拡充して類似の事柄に推し及ぼすことをいう」と定義している。
9:それ故、刑事法における「罪刑法定主義」(如何なる行為が犯罪として処罰されるのかは、予め国会の議決した法律の明文の規定によらなければならない、という原則)原則では、新たに規範を定立してしまう「類推解釈」は原則として認められていない。
10:『新法律学辞典』、1002ページ。
11:『新法律学辞典』、1179ページ。
 「勿論解釈」とは、「類推又は拡張解釈等が自明当然とされる場合をいう」。例えば、「授業中私語禁止」とある場合に、「勿論携帯電話の電源は切らなければならない」という解釈がそれである。
12:六本前掲書、350ページ。
13:四宮前掲書、9ページ他。
14:それは、フランス絶対王政の形成期(14世紀)に、「レジスト」達によって教会裁判権が縮小され、かわって王権(国王裁判権)が強化されていった歴史的経過と無関係ではない。
15:田中前掲書、300ページ。また、
  田中成明、竹下 賢他『法思想史』 有斐閣、1988年 64〜67ページ。
 こうした法典を絶対視する傾向は、フランスにおいては「裁判官に対する不信」ということの他に、「法に対する絶対的な信頼」ということが指摘できる。即ち、フランス革命の指導的理論を提供したルソー
Jean Jacques Rousseau(フランス、1712年〜1778年)によれば、公共的な利益のみを志向する「一般意思」即ち「法」は常に正しいものであって、「法」を一般意思の行為と見る彼は、「法こそあらゆる人間的制度のなかの最も崇高なものであり、神の不壊の掟に倣って地上の生活を営むことを人間に教える真の天の贈物である」とさえ考えていた。こうして、法を完全無欠・神聖不可侵・畏怖の対象と看做した革命政府によって、フランスの「旧体制」解体と『法の優越』の思想の普及がはかられたのであった。
(:大木雅夫『日本人の法観念—西洋法観念との比較』 東京大学出版会、1983年 79〜85ページ。)
16:田中前掲書、301ページ。
17:田中・竹下前掲書、114〜124ページ。また、
  『新法律学辞典』、1245ページ。
 歴史法学派の提唱者は、フーゴー
Gustav Hugo(ドイツ、1764年〜1844年)である。
18:山田前掲書、38〜39ページ。
 そしてサヴィニーは、「民族的確信」に基づいた法体系は、丁度自然発生的に発達してきた言語が文法によって統一されているように有機的な統一を為すと説き、ローマ法研究等歴史的な手段で「文法」に相当する「指導原理」を発見することが法学の任務であるとした。
(:亀本 洋「法解釈の理論」『法哲学綱要』(大橋智之輔他編)青林書院、1990年 229ページ。
  田中・竹下前掲書、114〜124ページ。)
19:山田前掲書、38〜39ページ。また、
  亀本前掲書、230ページ。また、
  田中・竹下前掲書、126〜128ページ。
 プフタは、法源の解釈は指導原理抽出の前提ではなく「先験的原理」から導出された帰結であるとし、「民族精神」を法解釈の目的ではなく正当化事由に据えた。
 もっとも、こうしたプフタの主張は、概念相互の関係性は判明しても概念そのものの意味については何等言及するものではなく(例えば、土台となるローマ法の正当性については何等言及されなかった)、ために「概念と構成を至上命題とし論理的体系性のみを追求するもの」として後にイェーリングによって「概念法学」と呼ばれ批判された。
20:田中前掲書、301〜302ページ。
21:法の実体を「諸種の社会目的間の相克に対する科学的選択並びにそのための技術である」とする。ホームズ
Oliver Wendell Holmes(アメリカ、1841〜1935年)、カードーゾBenjamin Nathan Cardozo(アメリカ、1870〜1938年)など。
(:田中・竹下前掲書、170〜175ページ。また、
  『新法律学辞典』、1063ページ。)
22:伝統的な形式主義的法学に反対し、社会学的手法を用いた実証的な方法論により法と社会の乖離を是正しようとする学派。ブランダイス
Louise Dembitz Brandeis(アメリカ、1858〜1941年)、カードーゾ、パウンドRoscoe Pound(アメリカ、1870〜1964年)ら。
(:田中・竹下前掲書、175〜178ページ。)
23:プラグマティズム法学を徹底し、「存在(ザイン、
sein)としての法」(現実)だけが法の本質であって、それを自然科学的方法論(因果律)で探究すべきであるとする。ケルゼンHans Kelsen(ドイツ、1881年〜1973年)ら「純粋法学(reine Rechtsleher)」(当為<ゾレン、sollen>としての法=「あるべき法」を規範科学的方法論で探究)とは正反対の位置にあり、例えば判例研究では判事の生物学的・心理学的事実から判決を理解しようとする。フランクJerome New Frank(アメリカ、1889〜1957年)ら。
(田中・竹下前掲書、178〜180ページ。また、
  『新法律学辞典』、1216〜1217ページ。)
24:田中前掲書、302〜305ページ。また、
  『新法律学辞典』、576ページ。
25:通説では、判例は後の裁判を事実上拘束するに留まる(裁判所はまれにしか判例を変更しないし、下級裁判所で判例を変更しても最高裁判所で元に戻される為)、とする。もっとも、判例法を認めない立場であっても、判例によって形成された事実たる慣習が慣習法に昇華した場合の法規範性は認めている。
(芦部前掲書、352ページ。また、
 山田前掲書、52ページ。また、
 四宮前掲書、9ページ。)
26:四宮前掲書、8ページ。

4、おわりに
 以上で、「判例とは何か」ということの考察を終了する。即ち、既に述べたように判例とは「『裁判』という名の法的判断の先例」であり、その点、法律や単なる社会的慣行とは性質を異にする。また、判例とは「裁判官によって定立された(造られた)法規範(法律)」であり、かつ、裁判官のこうした営みは、変動し続ける社会にあって法規範を維持するためには欠くことの出来ない現象であって、近代市民社会成立直後のように否定するどころか、むしろ(適切に)推奨すべきものであろう。
 もっとも、いくら「判例(裁判)に法律を修正する機能がある」とは言っても、実定法規範と社会が大きく乖離したまま放置し、法の創造を司法機関に委ねてしまうのは、やはり好ましくない。その点、これまで我が国において、判例による修正に次ぐ修正で運用してきた数々の「法」、中でも「憲法」は、時が経てば経つほど改正の必要性が生まれて来よう。

※参考文献
芦部信喜 『憲法』新版 岩波書店、1997年
大木雅夫 『日本人の法観念—西洋法観念との比較』 東京大学出版会、1983年
亀本 洋 「法解釈の理論」『法哲学綱要』(大橋智之輔他編)青林書院、1990年
小林 節 『憲法』増訂版 南窓社、1994年
四宮和夫 『民法総則』第4版補正版 弘文堂、1996年
田中成明 『法理学講義』 有斐閣、1994年
田中成明、竹下 賢、深田三徳、亀本 洋、平野仁彦 『法思想史』 有斐閣、1988年
長尾龍一 『憲法問題入門』 ちくま新書、1997年
山田 晟 『法学』新版 東京大学出版会、1964年
六本佳平 『法社会学』 有斐閣、1986年
我妻 栄他 『新法律学辞典』新版 有斐閣、1967年

 中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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