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第42回衆議院総選挙を見る(第1回)
〜国民は一体何を選んだのか〜中島 健
■1、はじめに
自民・公明・保守・改革の連立与党と民主・自由・共産・社民他の野党各党との戦いとなった第42回衆議院議員総選挙は、6月25日(日)に即日開票され、与党4党は、改選前の名目336議席・占有率67.2%から271議席・56.5%となり、安定多数(衆議院の全委員会で委員長ポストを獲得し、なおかつ各委員会で与党側委員と野党側委員が同数)の254議席を越え、絶対安定多数(衆議院の全委員会で委員長ポストを獲得し、なおかつ各委員会で与党側委員と野党側委員より多数)の269議席をも上回って4党の枠組みを維持した。しかし、総議席数は大きく減らし(名目上65議席減、実質10.7ポイント減)、自民党は単独過半数を割りこんで233議席・48.5%となった。一方、野党4党他は、改選前の163議席・占有率32.6%から209議席・43.5%へと躍進したものの、連立4党に安定多数を維持させる結果となった。投票率は62.49%となり、長期低落傾向に歯止めがかかったものの、投票条件をいくらか緩和した割には伸び悩んだ。
▲国会議事堂(東京都千代田区)
この選挙結果は、如何なる意味を有しているのであろうか。そこで、本稿では、全体を第2章と第3章の2つに大きく分け、第2章では主に選挙結果(議席数の推移、選挙公約等)について扱い、第3章では、第2章での検証を踏まえつつ、21世紀の我が国政治における各党の行方について論じて行きたい。
■2、選挙結果の分析
●2-1 全体の情勢
今回の選挙結果をまとめたのが、下の表である。各党の議席数、立候補者数の他に、「議席占有率(%)」、「占有率増加数(ポイント)」、「占有率増加率(倍)」の3つの指標を加えた。「占有率増加数」は「改選後占有率」から「改選前占有率」を引いた数、「占有率増加率」は「改選後占有率」を「改選前占有率」で割った数である。というのも、今回から衆議院議員の定数が20削減されているため、議席数の単純な比較は出来ないからである(例えば、公示前と議席数が同数であれば、事実上1.042倍に伸びていることになる)。第42回衆議院選挙結果
政 党 占有率
増加率占有率
増加数議 席
占有率当選者数 立候補者数 公示前 参議院
勢力参議院
占有率合計 選区 比例 合計 選区 比例 合計 占有率 自由民主党 0.90倍 -5.7 48.5% 233 177 56 337 271 326 271 54.2% 106 42.1% 公明党 0.77倍 -1.9 6.5% 31 7 24 74 18 63 42 8.4% 23 9.1% 保守党 0.42倍 -2.1 1.5% 7 7 0 19 16 3 18 3.6% 6 2.4% 改革クラブ 0.0倍 -1.0 0.0% 0 0 0 4 4 0 5 1.0% 1 0.4% 与党合計 0.84倍 -10.7 56.5% 271 191 80 434 309 392 336 67.2% 136 54.0% 民主党 1.39倍 +7.5 26.5% 127 80 47 262 242 259 95 19.0% 55 21.8% 自由党 1.23倍 +1.0 4.6% 22 4 18 75 61 72 18 3.6% 5 2.0% 日本共産党 0.81倍 -1.0 4.2% 20 0 20 332 300 66 26 5.2% 23 9.1% 社会民主党 1.43倍 +1.2 4.0% 19 4 15 76 71 76 14 2.8% 12 4.8% 無所属の会 1.25倍 +0.2 1.0% 5 5 0 11 9 2 4 0.8% 6 2.4% 政党自由連合 1.04倍 0.0 0.2% 1 1 0 126 123 33 1 0.2% 1 0.4% 第二院クラブ 1.0倍 0.0 0.0% 0 0 0 0 0 0 0 0.0% 2 0.8% 諸 派 1.0倍 0.0 0.0% 0 0 0 9 5 4 0 0.0% 0 0.0% 無所属 3.1倍 +2.1 3.1% 15 15 0 79 79 0 5 1.0% 11 4.4% 野党合計 1.33倍 +10.9 43.5% 209 109 100 970 890 512 163 32.6% 115 45.6% 合 計 0.0 100% 480 300 180 1404 1199 904 500 99.8% 252 100% ※注意
注1:候補者数の合計では重複立候補数は差し引いている。
注2:衆議院では、社会民主党は会派「社会民主党・市民連合」を組んでいる。
注3:衆議院及び参議院では、公明党と改革クラブは統一会派「公明党・改革クラブ」を組んでいる。
注4:参議院では、自由民主党と保守党は統一会派「自由民主党・保守党」を、民主党は会派「民主党・新緑風会」を、自由党と参議院の会は統一会派「参議院クラブ」を、社会民主党は会派「社会民主党・護憲連合」を、政党自由連合と第二院クラブは統一会派「二院クラブ・自由連合」をそれぞれ組んでいる。
注5:衆参両院議長は無所属に含まれる。上述したように、今回の総選挙で与党4党は271議席・占有率56.5%を獲得し、過半数の241議席、安定多数の254議席は無論のこと、絶対安定多数にあたる269議席をも上回って4党連立政権を一応維持した。その点からすればこれは連立与党側の勝利であったが、しかし議席数そのものは改選前の336議席・67.2%と比較して大きく減らしており(名目上65議席減、実質10.7ポイント減)、「政権交代を望まないが、さりとて与党側に対する批判そのものは大きい」という国民の姿勢が明らかになった。旧新進党に所属していた保守系議員を吸収して271議席・54.2%を維持していた自由民主党(森義朗総裁)は再び単独過半数を割りこんで233議席・48.5%となったが、前回96年の総選挙(239議席・47.8%)、前々回(228議席・44.5%)と比較すると、名目上議席数は更に6減らしたものの、実質占有率は公明党・創価学会の選挙支援も受けて微増(0.7ポイント)となった(勝敗ラインとして設定した229議席を超えたため、野中広務幹事長の続投が決定した)。
一方、野党4党他は、改選前の163議席・占有率32.6%から209議席・43.5%へと躍進したものの、連立4党に絶対安定多数を維持させる結果となった。当初、開票開始直後には、民主党の140議席獲得、あるいは連立与党側の過半数割れを観測する報道もあったが、開票が進むに連れて、民主党の伸びが予想以上に低調なことが判明。結局、野党第1党の民主党(鳩山由紀夫代表)は自民党の3分の1勢力から2分の1勢力に増加したものの、絶対安定多数の突き崩しもならなかった。
今回の衆議院総選挙により、自民党は衆参両院で単独過半数を割りこむ事態となり、仮に非自民勢力が共闘するような事態になれば政権交代も可能となったが、実際には、公明党(神崎武法代表)や保守党(扇千景党首)は4党の連携を維持することを表明しており(選挙中の公明・共産両党の対立ぶりからすれば、野党大連立に公・共両党が参加することはあり得まい)、参議院で与党側がなお134議席・54%を維持している以上、野党主導の政権交代はあり得ないことになった。
※注意
:上記「参議院勢力」は、その後、衆議院への鞍替え出馬に伴う補欠選挙に伴って、自民106議席・民主55議席・無所属5議席となっている。したがって、現在自民党は単独過半数(124議席)にはあと18議席足りないことになる。●2-2 選挙区別の情勢
今回の総選挙は、細川護煕内閣当時に改正された「小選挙区・比例代表並立制」の下で行われた2回目のケースで、今年春の定数是正で比例代表が20議席削減された中で行われたはじめての総選挙でもあった。
一般に、小選挙区制度の下では二大政党制になりやすく、与党と野党第1党の大政党が有利で、2位以下の小政党には不利であるとされているが、選挙結果はその傾向を如実に物語るものとなった。即ち、定数300の小選挙区では、自由民主党が177議席・占有率59%となお圧倒的な強さを見せており、しかも野党側も、第1党の民主党こそ80議席・26.7%を獲得したものの(ちなみに、民主党は、比例区でも占有率26.1%を獲得しており安定している)、他の政党は与野党とも軒並み4〜7議席に終わり(もっとも、保守党は、例外的に小選挙区で7議席を取りながら比例区では0議席に終わった)、党首・幹事長といった著名人以外では勝てないことが証明された。例えば、自由党(小沢一郎党首)は「小沢王国」と言われる岩手県で党首を含め3議席を獲得した他は、神奈川14区で藤井裕久党幹事長が議席を死守しただけに終わったし(占有率は僅かに1.3%)、日本共産党(不破哲三委員長)は小選挙区では全滅した。なお、与党の一角にありながら、自由民主党から選挙協力を拒否された改革クラブ(小沢辰男代表)は、全議席を失った(参議院に1議席)。
この結果から言えるのは、小選挙区制度はやはり所属政党もさることながら、選挙区が小さく身近であるが故に、その政治家個人の素質が問われる制度だ、ということである。逆に言えば、例え少数政党であっても、ある程度実績がある著名な政治家であれば、その地盤に限っては勝利出来ることを意味しており、現に小党の当選者は上述したように党首・幹事長クラスの著名人ばかりであった。つまり、浮ついた新党ブームに乗じただけでは、この制度では勝てないのである。
一方、比例区においては、定説通り、少数政党に有利な結果が出ていることは、下図を見れば一目瞭然である。小選挙区では占有率59%を誇った自由民主党も、比例区では56議席・占有率31.1%に留まっており、民主党も47議席・26.1%と堅調であったが、何よりも自由党(18議席・10%)、日本共産党(20議席・11.1%)、社会民主党(土井たか子党首)(15議席・8.3%)の躍進が目立った(もっとも、改革クラブと保守党は知名度の低さがたたって0議席に終わった)。政党のイメージはそのまま党首のイメージにもつながることを考えれば、この結果は、議席数こそ少数であっても、政治の世界で少数政党党首らになお一定の「少数者代弁」の役割が期待されていることを意味しているのではないだろうか。
以上の結果から言えるのは、国民は、連立の組み合わせとしての「自公保」にはなお一定の信任を与えたものの、党のイメージや党首の資質という点では現政権を否定的に捉えた、つまり森首相の退陣と交代を迫った、ということではないだろうか。
●2-3 どの政党が勝ったのか(与党編)
次に、以上の傾向を元に、「どの政党が勝ったと言えるのか」ということを検証してみたい。
前述したように、今回の総選挙から総定数が480議席に削減されたため、公示前勢力との単純な増減の比較(名目上の議席数の比較)は出来ない。例えば、ある政党が改選前と改選後で獲得議席数が同数であれば、その政党は事実上1.042倍に伸びていることになるからである。そこで、各党の議席占有率を計算し、議席の実質増減数を示したのが下図である。
また、各党の議席占有率(実質上の議席数)の数字が、改選前と比較してどれだけ伸びたのかを示したのが下図である。この図においては、1倍を越える政党が議席数を増やしており、1倍を下回った政党が議席数を減らしていることになる。各党の「勢い」を知るのに参考になる。
まず、与党4党であるが、いずれも議席占有率(実質議席数)を減らしており、増加率も軒並み1以下になっている。与党4党内においても、小選挙区での強さを見せた自由民主党が、占有率こそ48.5%・-5.7点(名目議席数で271議席→233議席の38議席減)と最大であったが、全体で見れば改選前の0.9倍の勢力を維持しており、「規模の経済」ぶりを発揮している。ちなみに、前回の 第18回参議院選挙 で橋本龍太郎が退陣したときは、自民党の増加率は0.72倍で、今回の公明党なみの負け方であったことを考えれば、自民党内のショックが98年当時よりも小さかった(そして森首相続投が決まった)のも頷ける。しかも、前回1996年の総選挙(239議席・47.8%)や前々回1993年のそれ(228議席・44.5%)と比較すると、名目上議席数は更に6議席減らしたものの、実質占有率は定数削減で逆に微増(0.7ポイント)している。旧新進党系議員を除外した「実力」で見れば、必ずしも「大敗北」とまでは言えないのではないだろうか。とはいえ、民主党に無党派層の「風」が吹いた都市部での敗北は甚大で、深谷隆司通産大臣(東京2区)、与謝野馨前通産大臣(東京1区)、松永 光元大蔵大臣(埼玉1区)、小杉 隆元文部大臣(東京5区)、船田 元元経企庁長官(栃木1区)、越智道雄前金融再生委員長(東京6区)、島村宜伸元農水大臣(東京16区)などが軒並み落選した。党内派閥の議席数で見ると(下図)、最大派閥・小渕派が一人議席数を伸ばしている他は、いずれも数議席ずつ減らしており、中でも江藤・亀井派は11議席と2ケタの敗北を喫した。なお、総裁を出している森派は、加藤派の相対的減少で第2位に昇進した。
自由民主党派閥毎の議席数
派閥名 参議院勢力 衆院改選前 衆参
合計衆院改選後 衆参
合計議席数 占有率 議席数 占有率 議席数 占有率 増減率 小渕派 36 14.3% 57 11.4% 93 58 12.1% 1.06倍 94 森派 22 8.7% 42 8.4% 64 39 8.1% 0.96倍 61 加藤派 17 6.8% 51 10.2% 68 42 8.8% 0.86倍 59 江藤亀井派 21 8.3% 42 8.4% 63 31 6.5% 0.77倍 52 山崎派 4 1.6% 26 5.2% 30 18 3.8% 0.73倍 22 河本派 1 0.4% 18 3.6% 19 12 2.5% 0.69倍 13 河野派 0 0.0% 17 3.4% 17 11 2.3% 0.68倍 11 無派閥 5 2.0% 21 4.2% 26 22 4.6% 1.10倍 27 合 計 106 42.1% 271 54.2% 377 233 48.5% 0.9倍 339
各派閥の「勢い」を見てみると下図のようになり、概ね小派閥ほど敗戦の「損害」が重くのしかかっていることがわかる。
●2-4 どの政党が勝ったのか(野党編)
一方、公明党と保守党は、占有率こそ共に約2点の減少(名目議席数11議席)であったが、占有率増加率は公明党が0.77倍、保守党が0.42倍(つまり半減以下)と、小選挙区制度のボディーブローが効いて少数政党ほど「被害」が甚大であったことを示している(自民党から選挙協力を拒否された第4党・改革クラブは全滅して0議席・0倍となった)。公明党は、前回「新進党」として戦い獲得した42議席(改革クラブと合わせて47議席)の維持を「勝敗ライン」としていたが、結果は31議席に留まり、比較第3党を維持したものの民主党との差は開いた。候補者でも、当選8回の草川昭三国対委員長(愛知6区)、大野由利子厚生総括政務次官(東京20区)らを失った。やはり、現在の公明党が元はといえば新進党解党で誕生した新党平和が公明、黎明クラブ(いずれも参議院)と合同して出来た党であり、42議席というのは自民党と同じく「ゲタを履いていた」議席数だったのであろう。公明党は、98年の 第18回参議院選挙 (「公明」として戦う)でも中規模の野党で唯一2議席減・0.82倍の敗北(これは、今回の自民党よりもひどい負け方である)を喫しており、選挙の度に議席を減らしている。保守党は2ケタの議席を「勝敗ライン」としていたが、自民党比例区で当選した3人を復党させてやっと10議席で、選挙直前の21議席にも及ばず、中西啓介元防衛庁長官(和歌山1区)と議案提出権を失った。こうした数字からも、自民党と公明党・創価学会との選挙協力では、「票の流入」という側面に関しては自民党側だけがトクをしたことがわかる。創価学会を母体とする公明党は、比較的よく組織された組織票が「きちんと」自民党候補に流れたものの、個人後援会単位、地元企業などを幅広く支持母体とする自由民主党支持層は、組織の締めつけが弱い分公明党に対するアレルギーから協力を拒んだ有権者が多かったのであろう。なお、反公明党・反創価学会で知られる自民党候補のうち、白川勝彦元自治大臣(新潟6区)は地元の公明党が民主党候補を支援して落選したものの、平沢勝栄前代議士(東京17区)は反学会票を受けて当選し、また自民党公認漏れで無所属で立候補した森田健作前代議士(東京4区)も当選した。
政党助成法上の要件である「国会議員5人以上」を目指して選挙を戦った改革クラブは、結局他の与党からも選挙協力を阻まれて、石田勝之幹事長など全議員が落選した。
他方、野党4党のほうは、議席占有率(実質議席数)では民主党が7.5点増(名目議席数で32議席増)とダントツの伸びを示し、社会民主党(1.2点増・名目5議席増)、自由党(1点増・名目4議席増)がそれに続いたが、もっとも激しい「勢い」を見せて文句なく「勝者」となったのが、1.43倍の増加率(名目議席数で14議席→19議席)を得た社会民主党であった。「がんこに平和、げんきに福祉」を旗印に、憲法問題も争点に含めつつ土井党首の個人的な人気を全面に押し出したのが功を奏し、1993年7月の第40回衆議院総選挙(細川連立政権誕生直前の政治改革選挙)で139議席・27.1%から77議席・15%(日本社会党当時)に減らして以来の長期低落傾向に歯止めがかかった形で、村山富市前首相、伊藤 茂前副党首が引退した分を補っての増勢となった。但し、目標としていた議案提出権獲得(20議席以上)はあと一歩のところで達成できなかった。ガイドライン関連法や国旗・国歌法といったいわゆる「重要法案」の通過で、日米安保条約になお違和感を感ずる革新層の票が集まったのであろう(民主党はこれらの全部又は一部に賛成している)。
野党第1党にして最も政権が近いはずの民主党の伸び率は1.39倍に留まり、野党第1党として小選挙区などで他の野党で有利なはずが、今一歩の伸びとなった。議席数で見ても、当初言われていた130〜140議席には及ばず、単独政権樹立はおろか非「自公保」連立政権をつくることも叶わず(かつて、最も政権交代に近かった新進党でさえ、180台の議席数を誇っていたのである)、100%の勝利とは言えないであろう。なお、「朝日新聞」などの報道によれば、今回の選挙では、下図のように党内保守系(旧民政党系、旧さきがけ系)議員が増えた一方で旧社会党系の議員が減り、党全体が相対的に「保守化した」とされている。もっとも、ここでいう「保守系」とは「非社会、非民社、非労組」の代議士のことであり、出身政党はともかく、これらの議員が政治思想としても「保守」系と言えるかどうかは微妙である(旧日本新党系、旧さきがけ系の議員は「保守」ではなく「自由」=「リベラル」という位置付けにあるはずである)。
その点、選挙直前に所属議員の過半数を失いながらも自自公連立政権から強行離脱した自由党は、1点増・名目4議席増(18議席→22議席・占有率4.6%)で1.23倍となり、党分裂で失った議案提出権を回復した。自自連立政権以来、一貫して連立与党にあって様々な改革を果断に実行し、かつ、自民党の政策・選挙協力合意不履行を不服として離脱した同党と小沢一郎党首の行動が高く評価された結果であり、この総選挙でも「死ななかった」小沢党首の豪腕ぶりが発揮されたと言えよう(過去に、同様に自社さ連立政権を離脱した直後の社会民主党や新党さきがけは、もっとひどい負け方をしている)。恐らく、同党は多くの保守系無党派層の支持を取り込んだのであろう、「与党派自由党」たる保守党(2.1点減、名目11議席減、0.42倍)の結果と比べても、明かな勝利であった。もっとも、小沢一郎党首としては投票率の上昇と保守系無党派層や公明党との連立に反対する保守票を集約して、連立与党を過半数割れに追いこむと共に50台の議席を確保したかったが、これは果たせなかった。また、今回の比例区での議席獲得は、保守党の分裂の有無に関わらず得られたかもしれない議席であったとすれば(つまり、旧自由党支持者としては、自由党と保守党が共に離脱しようと、自由党だけで離脱しようと、比例区には「自由党」と書くので、本来保守党に回るべき票が自由党にも回ってきた可能性がある)、手放しで喜べる状況では無い。更に、旧自由党系議員全体で見れば、分裂前まで39議席・占有率7.8%を数えたのが、総選挙後は与党派(自由党)、野党派(保守党)、移籍組(自民党)併せて32議席・6.7%となり、占有率増減率で0.86倍と自民党なみの敗北を喫してしまったとも捉えることが出来る。元々、保守政党でありながら、小沢一郎党首の下で「改革」という「未来に向かっての突破」を唱えて、自自連立政権時代にはかなりの成果を挙げていたのが旧自由党であり、その分裂は誠に惜しい事態であった。今、仮に由保両党が再び統一されれば、公明党を越えて比較第3党・野党第2党の保守系野党に成長することも出来るが(参議院では11議席で比較第6党だが)、保守党分裂時に政党助成法交付金を分与しなかったことで保守党内には自由党に対するわだかまりもあるようで、そう簡単にはいくまい。
この他、無所属の会(椎名素夫代表)も、渡部恒三前衆議院副議長などが再選を果たして1点増(名目1議席増)・伸び率1.25倍を記録した。政党自由連合(徳田虎雄代表)も失った議席を代表が回復して名目1議席を死守した。
野党勢の軒並みの健闘の中で唯一甚大な敗北を喫したのが日本共産党で、議席数を名目26議席・占有率5.2%から20議席・4.2%に減らし、占有率増加率は公明党なみの0.81倍に留まった。これは、自由民主党の0.9倍よりもひどい負け方である。98年3月の第18回参議院選挙以来党勢を拡大してきた同党は、不破委員長・志位書記局長の指導下に「民主連合政権」の樹立に向けて現実路線を採用して戦ってきたが、保守系の反与党票が自由党や民主党に、革新系のそれが民主党や社会民主党にそれぞれ流れてしまったこと、小選挙区で議席を完全に失ってしまったことが響いたようだ。これについて同党幹部は、「与党側が謀略のビラを撒いたからだ」として強く反発しているというが、そのビラに虚偽の事実が記載されているならばともかく、それが共産党の過去そして現在の体質について問題点を指摘したり、綱領で未だに社会主義政権の樹立を示唆しているという事実を指摘したようなものだとすれば、「身から出たサビ」に他なるまい。だが、それと同時に、共産党の敗北の原因はより本質的なところにあるのではないだろうか(後述)。いずれにせよ、日本共産党の敗北は明らかであるが、かろうじて議案提出権(20議席以上)は死守した。
なお、さきがけ代表の武村正義元大蔵大臣、東京比例区に社会党を復活させて出馬した上田 哲候補もそれぞれ落選した。
中島 健(なかじま・たけし) 大学生
製作著作:健論会・中島 健 無断転載禁止
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