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第42回衆議院総選挙を見る(第2回)
〜国民は一体何を選んだのか〜中島 健
■2、選挙結果の分析(続き)
第42回衆議院選挙結果
政 党 占有率
増加率占有率
増加数議 席
占有率当選者数 立候補者数 公示前 参議院
勢力参議院
占有率合計 選区 比例 合計 選区 比例 合計 占有率 自由民主党 0.90倍 -5.7 48.5% 233 177 56 337 271 326 271 54.2% 106 42.1% 公明党 0.77倍 -1.9 6.5% 31 7 24 74 18 63 42 8.4% 23 9.1% 保守党 0.42倍 -2.1 1.5% 7 7 0 19 16 3 18 3.6% 6 2.4% 改革クラブ 0.0倍 -1.0 0.0% 0 0 0 4 4 0 5 1.0% 1 0.4% 与党合計 0.84倍 -10.7 56.5% 271 191 80 434 309 392 336 67.2% 136 54.0% 民主党 1.39倍 +7.5 26.5% 127 80 47 262 242 259 95 19.0% 55 21.8% 自由党 1.23倍 +1.0 4.6% 22 4 18 75 61 72 18 3.6% 5 2.0% 日本共産党 0.81倍 -1.0 4.2% 20 0 20 332 300 66 26 5.2% 23 9.1% 社会民主党 1.43倍 +1.2 4.0% 19 4 15 76 71 76 14 2.8% 12 4.8% 無所属の会 1.25倍 +0.2 1.0% 5 5 0 11 9 2 4 0.8% 6 2.4% 政党自由連合 1.04倍 0.0 0.2% 1 1 0 126 123 33 1 0.2% 1 0.4% 第二院クラブ 1.0倍 0.0 0.0% 0 0 0 0 0 0 0 0.0% 2 0.8% 諸 派 1.0倍 0.0 0.0% 0 0 0 9 5 4 0 0.0% 0 0.0% 無所属 3.1倍 +2.1 3.1% 15 15 0 79 79 0 5 1.0% 11 4.4% 野党合計 1.33倍 +10.9 43.5% 209 109 100 970 890 512 163 32.6% 115 45.6% 合 計 0.0 100% 480 300 180 1404 1199 904 500 99.8% 252 100% ●2-5 女性議員の数
我が国は先進諸国の中でも、イタリアに次いで女性議員が少ない国として知られ、時にフェミニストなどから批判を受けている。もっとも、既に選挙法上両性の権利義務は対等になっており、「機会の平等」は十分に達成されている。とはいえ、フェミニストらは、「結果の平等」を求めて止まないのであるが、そんな中で、今回の総選挙は「女性党」(但し、「女性党」なる政党は実在する)の躍進として記録されるのではないだろうか。下図の通り、改選前の女性議員数は名目上23議席で占有率は4.6%だったが、改選後は35議席・7.3%に増加し、2.7点の議席増(名目上12議席増)で占有率増加率は1.59倍になった。35議席は現行憲法下では最多数の当選者であり、社会民主党のそれを上回って文句なく「勝利」である。特に社会民主党の貢献が目覚しく、同党は当選した19議席中過半数の10議席が女性議員で占められている(なお、25歳の最年少当選者は社民党の女性議員である)。
●2-6 改憲派と護憲派
今回の選挙戦で、憲法改正問題を意識的に争点に掲げていたのは社会民主党だけであったが、結果は「改憲派微減、論憲派微増、護憲派かわらず」で、やや護憲の方向に推移した。これは、従来改憲派であった自由民主党が名目上38議席を、同じく旧自由党系(自由党、保守党)が7議席をそれぞれ失った一方で、論憲派の民主党が名目上32議席を増やしたためで(もっとも、論憲派の公明党は11議席、改革クラブは5議席減)、憲法調査会設置以来の憲法改正気運に多少水を差す結果となってしまった。護憲派は、社会民主党が1.43倍・名目5議席増と健闘したのにも関わらず、日本共産党が名目6議席減となり、護憲派全体では1議席減となった(下図)。それでも占有率が8.1%とほぼ変わらず敗北ではなかったのは、定数が480議席に削減されたからである。
もっとも、この分析はあくまで政党全体を護憲・改憲で色分けしたものであり、①自民党内部にも河野洋平外相をはじめとする護憲的色彩の強い政治家もいること、②同じ改憲派でも、最大の焦点である9条改正については必ずしもコンセンサスは得られていないこと、から、憲法改正問題について単純な足し算・引き算は出来ないであろう。
類 別 該当政党 発議必要数 衆議院改選後 衆議院改選前 参議院勢力 議席数 占有率 議席数 占有率 議席数 占有率 議席数 占有率 改 憲 自民、自由、保守 320 66.7% 262 54.6% 307 61.4% 115 46.4% 論憲・他 民主、公明、改ク - - 179 37.3% 152 30.4% 97 39.1% 護 憲 共産、社民 160 33.3% 39 8.1% 40 8.0% 36 14.5% 現状では、改憲派は憲法改正発議が出来るようになるにはあと38議席足りない(定数削減で必要議席数も334議席から324議席に減った)が、民主党内部には当の鳩山由紀夫代表をはじめ改憲に積極的な保守系議員も多数(約4分の3)居るので、民主党の3分の1さえ取りこめれば、依然として発議は全く不可能ではないのである。いずれにせよ、かつての55年体制下のように、護憲派政党が3分の1を超える議席を占めるような事態は、もはや起こり得ないであろう。
■3、「構造改革」と21世紀の日本政治を巡ってー
●3-1 「勝者なき総選挙」と真の勝者
今回の総選挙は、条件つきで自公保連立政権を承認したものと言え、その点で「勝者なき総選挙」であったと言われる。その意味するところは、与党は政権を維持したものの議席を減らし、野党は議席を増やしたものの与党を過半数割れに追いこめなかったから、両方とも負けた、ということであろう。有権者は、連立与党にある程度批判を加えたものの、結局は景気回復に水を差すような財政出動抑制論には反対し、一応は現状維持を求めた、と言われている。
無論、議席数の増減は議会制民主主義である以上重要な事項であり、その観点から勝敗を語ることにも一定の合理性がある。しかし、私には、そうした論じ方だけで今回の総選挙を論じるのは、皮相的な見方のように思われる。何故ならば、今回の総選挙でも、なお自由民主党が巨大な比較第1党としてその勢力を維持しており、真の意味での「構造改革」と支持拡大を実現することが出来る条件はなお自民党の側に整っているからである。
例えば、今回の総選挙では、議席数の増加という意味では野党側が躍進しており、特に自由党と社会民主党は明らかに勝利を獲得している。特に、自由党については、与党派(保守党、自民党)と野党派(自由党)のその後の議席数の推移からすれば、野党に転じた小沢一郎党首の戦略が優ったと言うことが出来よう。但し、両党とも党首の個人的な人気に負うところが大きいという意味で、路線は180度異なると言いながらその存立基盤は極めてよく似ている。つまり、両党党首が引退したときには、両党ともそこで衰退の一途を辿るということであり(多少異なる事例だが、かつての田中派事務総長・小沢辰男前衆議院議員が代表を辞めたあとの改革クラブの衰退も、その一例であろう)、現代の日本政治の本質的課題である「構造改革」を断続的に実行するほどの「体力」は持ち合わせていない、ということである(よって、今回勝利した自由・社民両党と言えども、この結果を手放しで喜べるものではない)。そして、政権奪取の可能性がある自民、民主の両党に関しては、両者とも「大敗北」あるいは「大勝利」をすることは無かったのである。●3-2 産業構造の変化と「自民党」という存在の変質
かつての55年体制時代、自由民主党が日本社会党と厳しく対峙していた時代は、両党の存立する国家観、世界観は全く異なっており、東西冷戦の日本版国内代理戦争の観を呈していた。自身を労働者を代表する階級政党と位置付ける日本社会党は、マルキシズムを信奉する社会主義協会や総評などの左派に主導されて議会制民主主義を必ずしも肯定せず(議会制民主主義の堅持=社会民主主義や反ソ連帝国主義を掲げた社会党右派は、長い対立抗争の末脱党して民主社会党を結党した)、ソ連・中国にも親和的で、議会制民主主義の担い手として自民党の反対党の役割を期待することは出来なかった。社会党政権の誕生はそのまま日本の中立(日米安保廃棄)、東側世界への傾斜を意味したため、高度経済成長とブレトン=ウッズ体制の下での自由貿易という「生活」を失うわけにはいかないと考えた多くの国民は、右派主導の片山 哲社会党内閣以外では、決して社会党に政権を渡そうとは考えなかったのである。この間、議会制民主主義の必要条件たる「政権交代」は、自由民主党内部の派閥による首相交代という形で実現されていたのであり、言わば自民党という政党それ自身が一つの擬似民主制度、擬似国会であった(中道政党たる民社党、公明党は政権交代を実現させるほどの勢力を得ることは出来なかった)。それが証拠に、都道府県議会レベルでは、今でも自民党系議員が圧倒的多数を占めており、しかも、同じ自民党で2つの議会会派を持っているところすらある。また、我が国の戦後の経済状況も、「敗戦」によって国民全体が失うものが何一つ無い極めて均等な階層に統一されていたという意味で自民党に有利であり、更に非ゼロ和的な発展を保障した高度経済成長が都市と農村との格差、あるいは中央と地方との格差のある程度の是正を果たしたために、国民政党たる自民党の「永久政権」は揺るがなかった。国民には、民主制を望む限り自民党という選択肢しかあり得ず、また自民党という選択肢で十分満足できたのである(もっとも、80年代以降、こうした状況の中で東側世界の人気低下に伴って日本社会党は長期低落傾向を示すようになり、また自由民主党のほうも、公明党や民社党の登場で必ずしも「唯一の民主制政党」ではなくなって、絶対得票率では長期低落傾向を示すようになって、55年体制の構図は序々に変質していったが)。
しかし、旧ソ連をはじめとする東側世界が崩壊し、マルキシズムの幻想が霧散した。それと共に、「保革」(というより「民主制対社会主義」、「ブルジョア民主制対革命勢力」と言ってもよいだろう。本稿では、わかりやすくするため、「自由・保守対社会・革新」の意味で「保革」と使う)の対立の構図としての自由民主党と日本社会党との対立構造にも明確に終止符が打たれ、社会主義勢力のうち社会党は「自衛隊・日米安保容認」を打ち出して議会政党化し、残った「革新(革命)勢力」は日本共産党のみとなった。その後、社会党は「自社さ連立」の村山富市政権、橋本龍太郎政権の下で完全に議会政党となり(但し、政権担当能力の不足を露呈)、1996年1月には党名も議会制の中での社会主義を目指すことを明かにする「社会民主党」に変更された。ここで、「革新政党」としての役割を終えた社会(民主)党は衰退していくのだが、肝心なことは、55年体制の終結によって、もはや自由民主党が唯一の議会政党ではなくなった、ということである。即ち、冷戦下にあっては、議会制民主主義を維持することを明確にしていたのは(中道政党を除けば)自由民主党だけであり、故に自由民主党は民主制そのものであって、自由主義勢力と保守主義勢力を束ねたその地位が揺らぐことは無かった。しかし、現在では、自民党以外にも民主党、自由党(そういえば、これらの政党をよくよく観察してみると、いずれも旧自民党出身者、あるいはその他の議会政党出資者が中核となって運営していることに気づく。民主党の羽田 孜幹事長も、自由党の小沢一郎党首も、元はといえば竹下派七奉行の1人であった)といった、自民党に代り得る有力な自由主義政党が選択肢として存在しており(かつての自民党支持層=民主制支持層からすれば、社民党や共産党には投票しづらいであろう)、言わば「自民党の意味」それ自体が「唯一の議会政党」「議会制そのもの政党」(その意味では、「自由民主党」という党名は掛け値無しに本物であった)から「高度経済成長体制的存在の擁護党」へと変質している。そして、それまで自民党が持っていた「自由」という側面と「保守」という側面の内、前者を代表する議員らが離党して55年体制に終止符が打たれたのである(下図参照)。
※注意:勢力図は概念的なもので、議席数を忠実には反映していない。
この変質は、我が国の産業構造が高度化・成熟化した結果、かつてのように「非ゼロ和的経済成長」で都市と農村との格差、あるいはその一体的発展をなんとかできなくなったこととも連動しており、故に自民党が都市部で支持を減らす原因となっているのである。
●3-3 自民党の歩む道
となると、再び単独過半数を割りこんだ自由民主党が歩む道は、2つ想定され得る。
一つは、農村部、地方都市を中心に、産業構造の変化(高度化)で相対的に「遅れた」地域となった地域の利益を代表する「(地方)保守党」になる道である。ここにおいて「保守」とは、思想上の「保守主義」とも重なるが、微妙に異なる部分もあり、「高度経済成長的体制の擁護」というような意味で使っている(55年体制下の「保革対立」というときの「保守」のうち、都市・新産業関係者以外の者である)。恐らく、現在の自民党がこのまま、55年体制的マインドで党運営を継続していけば、やがては連立なしでは政権に参画出来ない中規模政党に転落するに違いない。そして、我が国における都市と地方、あるいは新産業と旧産業との調整は、専ら政権交代や連立政権内部での調整に移されるであろう(現状の自公保政権はこのパターンに属する)。つまり、自公保三党による地方・保守系政党と、民由(社)による都市・自由系政党の二大政党化の傾向が進み、55年体制当時自民党が単独で担っていた機能を、国会が担当するようになるのである(下図)。
二つ目は、こうした状況から脱するために、「未来へと突き抜ける」党改革を行い、再び経済を「非ゼロ和的成長」が可能たらしめるように主導権を握る道であり、現在の自由党(あるいは、いわゆる「石原新党」)が一つのモデルケースとなる(余談だが、その意味で、旧自由党が自民党と組む「保守」党と自由党とに分裂したのは興味深い事実である)だろう。この時、党内はかつての55年体制下と同じく「自由」派と「保守」派が同居することになるが、民主党側の出方によっては、再び自民党一党優位政党制にもなり得るし、民主党側の改革が進めば、双方とも相似的な二大政党制に移行するであろう(下図)。無論、これは相当の難事であり、党内論議だけでも一朝一夕には行かないだろうが、自民党が現在のよいな圧倒的多数党を維持するためには、こちらの道を選択する他あるまい。
ところで、第二の道を歩もうとする「新しい自民党」に対しては、既に都市部で支持を広げている民主党も反撃を加えてくるであろうことは容易に察しがつく。しかし、それに対して自民党は、一つだけ、民主党と比べて非常に有利な立場に立っている。何故ならば、一国経済の根本を変えるような「構造改革」は、「地方を切り捨てて都市を優遇する」といった「ゼロ和」的な方法では困難であって、実際には「地方も都市も、共に痛みと利益とを享受する」ような、「非ゼロ和」的な方法によってしか達成できない(そしてそれは、1回の総選挙によって変わるものではなく、10年単位での改革が求められる)が、その点、現在の自民党は既に地方、都市双方にある程度の基盤を持っており(加えて、これまでの政治的経験も当然自民党のほうが上であろう)、この「非ゼロ和的」な改革を推進するのに最も適した位置に居るからである。
最近、森首相はしきりに「IT産業の振興」を呼号している。これは、表面的には「ブームに乗った浅い政策」のようにも見えるが、恐らくはこの政策を思いついた自民党政治家の真意はもっと深いところにあるに違いない。即ち、この情報通信技術革命による経済の効率化・活性化を農村部にまで行き渡らせることにより、製造業と輸出主導では伸びなくなった日本経済を再び「非ゼロ和的」な発展軌道へと乗せること、それによってかつての自民党の「永久政権」を可能とした高度経済成長的な状況を再び創り出そうとしているのではないだろうか。
●3-4 野党各党の歩む道
逆に言えば、正にこの点こそが民主党と自由党が自民党に一歩劣る弱点であり(故に今回の総選挙では与党4党を過半数割れに追いこめなかった)、更に自由党以外の野党が二歩、日本共産党が三歩劣る弱点である。
民主党は現在、都市部での支持増にその党勢拡大を依存する傾向がある。即ち、自民党に対抗するだけの、「非ゼロ和的」な改革が可能な「体力」が都市部にまだ偏っており、また「知力」も十分でない。税金の配分を巡っていくら地方のハコモノ行政を批判して見せても、これまで半世紀に渡って余剰労働力を吐き出して「三チャン農業」で農産物を都市に供給し、原子力発電所や産業廃棄物処理場といった「迷惑施設」を受けいれてきた地方としては、「地方に税金を回して当然」という空気もある。業務管理の人口と本社所在地が東京に集中している以上、首都圏で消費や所得税収入が多いのは当然であり、地方交付税による移転も国土の均等な発展にとっては欠かせないはずである(余談だが、地方自治体の自主財源が3割しかないことを「3割自治」と呼び、いかにも「7割は中央から統制されている」かのうよな印象を与えているが、地方交付税交付金の基本的な部分は各自治体の人口や税収によって自動的に配分されており、自治官僚を接待したからといってかわるものでもないし指揮監督を受けているわけでもない)。その点、民主党の地方の自主財源案や道州制導入は、「自主財源」という美名の下に所得の地域的再配分を止めることを意味しており、地方の住民にとっては簡単には受けいれられまい。少なくとも、森首相の「神の国」発言や「国体」発言で生み出される「風」を待っている限り、本質的には政権奪還を狙えない中規模政党と同じになってしまうのである(現執行部の鳩山代表と菅政調会長は、中規模政党での経験が長いせいか、どうも政治手腕が中型政党のまんま進歩していないように思われる)。加えて、前述したように、現在同党には旧民政党・さきがけ系、旧民社党系、旧社会党系の議員が混じって野党版「自社さ連立」体制にあるが、「保守系」とされる旧民政党系、旧さきがけ系でも、思想としての悪しき「自由至上主義」の傾向が(特に結党後公募で選ばれた新人候補:例えば、「夫婦別姓」を唱える水島広子氏)見られ、今日の戦後民主主義が抱える問題点に対処するには力不足を感じざるを得ない。更に同党は、旧社会党系議員をなお多く抱えているがために、その安全保障政策が決定的に「革新」的(あるいは「戦後保守的」)である。例えば、選挙公約において民主党は、さすがにかつての「常時駐留なき安保」政策は廃止したものの、「わが国は「平和を享受する国」から「平和を創る国」へと転換し、主体性ある外交を推進するべく積極的に貢献していく時だと、民主党は考えます。」と言っているものの、そのための自衛隊兵力の強化、海外展開能力の整備については何等言及していない(わずかに、「PKF参加凍結の解除」にだけ言及している)し、ましてはその障害となる憲法第9条の改正については、あくまで鳩山代表の個人的見解として聞かれたのみである(しかし、その鳩山代表の見解も、「専守防衛」つまり「一国平和主義」のパラダイムから抜け切れていないように思われる)。自衛隊を専守防衛任務に固定したままで、「米国とのイコールパートナー」になることは不可能であるにも関わらず、である(例えば、イギリスは小規模ながら米軍と合同あるいは単独で各地の地域紛争に介入しており、そのために軽空母3隻、強襲揚陸艦1隻、ドック型揚陸艦1隻、王立海兵隊3個旅団などを持ち、最近はやりの「リットラル(沿海)作戦」のために原子力潜水艦にトマホーク巡航ミサイルを配備するようになった。翻って、我が国では、「はじめに削減ありき」の「新防衛計画の大綱」が定められて以来自衛隊の兵力構成にさしたる抜本的改革も行われず、東ティモール問題でも、<西ティモールに輸送機を出した以外では>遂に何等の具体的行動も起こさなかった)。ここが、外交・安保に至るまできちんとした政策を取り揃えている自由党との最大の差異であり、民主党を「責任政党」と認めるにはなお危ういと思われる理由である。
その点、「豪腕」の小沢一郎党首が率いる自由党(旧自由党系)は、さすがに上述の如き方策を(自民党時代に培ってきた政治手腕も含めて)きちんと持っており、「責任政党」としての資格は十二分に備えている。湾岸戦争当時、与野党ともに国際政治の急激な変化を認識することが出来ず、「一国平和主義」のぬるま湯に漬かっていた居た中で、冷戦後の国際情勢とその中での日本の役割を見抜いていたのは当時自民党幹事長だった小沢一郎現自由党党首だけであり、これが民主党の鳩山代表や菅前代表が小沢党首に決定的に及ばない点である。また、その政策も、経済政策としては自由主義を掲げているが、政治思想としては必ずしも無批判に自由主義をとっているわけではない。だが、同党は衆議院で22議席、参議院ではわずか5議席の中規模政党であり、いかんせんその「知恵」を生かすだけの「体力」が総合的に弱い。恐らく、今後同党のよさを生かすには、旧民社党系、旧民政党系議員がほぼ全部を占めるようになったあとで民主党と合同するのが最も近道であろう。
社会民主党は、傾向としては自由系政党でありながら、過去の経緯からなお革命政党時代の党是(「がんこに平和、げんきに福祉」)を捨てることが出来ず、「革新」色を消し得ていない以上「責任政党」の資格は無い。公明党は(現在は一応与党だが)、創価学会という支持母体を持つことで本当は議会政党としての資格を国民から強く疑われている(それが証拠に、新進党解党後の同党は、参議院でも衆議院でも選挙で一貫して敗北してきた)。改革クラブは(これも又今は一応与党だが)、結局「公明党の政策を採用した公明党補完勢力たる保守系議員」以上のものではなく(その点では、安保政策などは民主党に近い)、その存在意義が根本的に問われよう。選挙前から特に国民にアピールするわけでも無く、新聞報道でも「与党3党は・・・」等と書かれてすっかりその存在を消していた報いが、今「0議席」という形で現れたのである。政党自由連合は、支持母体が特定医療法人ゆえ「医療と福祉」を前面に打ち出しているが、それ以外の基本的な国家政策をきちんと手直ししない限り(例えば、同党の外交・安保政策は、かつての自民党と社会党のそれをごちゃ混ぜにしたような代物で、到底「責任政党」とは認められない)、「徳田虎雄党」以上の支持は集められまい。
いわんや日本共産党は、国民の間ではなお議会政党として認知されていないのである(55年体制下の日本社会党は「何でも反対党」と呼ばれていたが、これは議会政党の振る舞いではなかった。日本共産党が最近躍進していたのはこの「何でも反対」ぶりが一応承認されたからだが、逆に言えば、それは同党を「議会政党として見ていない」との意思表示でもあったのだ)。結局、同党の未来は、①時の経過と共に数を減らしていく革新政党支持者の受け皿として衰退していくか、②政権参画を本気で狙うために党名と綱領を一新し、議会政党(社会民主主義政党)に脱皮するか、の二者択一を迫られていると言えよう。
■4、おわりに
かつて、日本社会党は、党勢の沈下に対して「構造改革派」と「反構造改革派」の対立に明け暮れていた。そして、やっと党運営の改革に着手できたころには既に「新党ブーム」が始まっており、改革を断行して国民にその信を問う暇も与えられずに、議席を半分に減らして衰退した。そして今や、55年体制の一方のプレイヤーである自由民主党にも、その波が押し寄せている。党の支持構造の改革を断行して勝利するのか、それとも保守系議員を増やしていち早く本当の意味での責任政党となった民主党に打倒されるのか。IT革命の進展で産業構造の変化が加速された現代日本経済は、自民党にそれほど長い猶予を与えてはいない。中島 健(なかじま・たけし) 大学生
製作著作:健論会・中島 健 無断転載禁止
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