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健論時報
  2000年11月  


■朝鮮半島情勢は劇的に変化したか

 政府、北朝鮮に対して50万トンのコメ支援決定(10月4日)
 報道によると、政府は、4日の自由民主党政務調査会外交関係合同部会で、北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)に対して、世界食糧計画(WFP)が要請した19万5000トンを上回る、50万トン規模の5回目のコメ追加支援を実施する方針を提示し、了承された。部会に出席した河野洋平外務大臣は、「北朝鮮は来年までに約100万トンの食糧が不足する。この半分ぐらいは日本が持とうと、自らの責任においてこのタイミングで決めた。6月からの変化は歴史的な変化だ。あえてここは踏み込んで支援をしたい」と述べ、「拉致疑惑などで進展がないなかでの追加支援は国民の理解が得られない」との反対論も出たが、最終的に了承された。この方針は6日の自由民主党総務会を経て正式決定され、平成12年度補正予算案に当面必要な予算を計上するという。
 今回の決定は、日朝国交正常化交渉を担当する外務省の主導で行われたというが、果たして、1000億円の国費を投じたこのコメ支援が、北朝鮮側を軟化させるのであろうか。なるほど、確かに正常化交渉で交渉にあたる現場の専門家たる外務省の判断は、尊重されるべきである。しかし、例えば軍事作戦の分野において、戦場における部隊行動の決定は(交戦規定の範囲内で)専門家たる軍人(自衛官)に任せるが、大局的・政治的な判断は政治家=国民が担当する「シビリアン・コントロール」(文民統制)に服するのと同様、外交においても、最終的な民意による裏づけがあってはじめてその交渉が正当化されるのであり、またそのほうがより強力に交渉を進めることが出来る。なるほど国民は外交交渉の素人かもしれないが、しかしそもそも外交当局は国民の負託を受けて交渉を行っているのであり、その意向に注意を払うべきであろう。
 その点、今回の食糧支援に関しても、政府・外交当局は、国民に対して、「朝鮮半島情勢が劇的に変化したこと」(素人目には、依然100万人以上の軍隊を抱え独裁体制を敷いている北朝鮮それ自身に変化が無い以上、半島情勢が質的に変化したようには見えない)「過去のコメ支援では北朝鮮側を動かせなかったことの原因と対策」「コメ支援が国交正常化交渉と拉致疑惑解決に欠かせないこと」(これまで、北朝鮮側は、我が国がコメ支援をしたにもかかわらず、拉致問題を完全に否認している)について、あるいは、そもそも「日朝国交正常化が必要な理由」(民主政体の国家ならばともかく、強大な軍事力を持った独裁体制の国と何故「仲直り」しなければならないのか)について、わかりやすい言葉で具体的に説明すべき責務を負っている。

■罪を犯せば犯すほどトクをするのか
 東京地方検察庁、麻原裁判で一部事件の起訴取り下げ(10月5日)
 報道によると、地下鉄サリン事件、松本サリン事件等「オウム真理教」による17件の事件で起訴されている松本智津夫(自称「麻原彰晃」)被告人(45歳)の公判について、東京地検は、まだ審理入りしていない薬物密造事件等4つの事件の起訴を取消す方針を固めたという。これは、4事件では実質的な被害者が出ていないことや、遺族らに遅延している審理の迅速化を求める声があるためで、「起訴したらほぼ100%有罪」となる我が国検察にあって、一旦起訴した事件の取り下げは極めて異例だという。
 現在、東京地方裁判書で開かれている松本被告人の公判は、平成8年4月の初公判から4年半で169回行われたが、起訴された17事件の内、現在は12事件目にあたる「自動小銃密造事件」の検察側立証にようやく入った状態で、結審までの見通しが立たない状況になっている。これは、松本被告人の国選弁護団側が、その政治的信条によって詳細な質問を繰り返し、検察側と無用な対決姿勢を高め、審理を遅らせているためで、取下げを受けて阿部洋文裁判長は「弁護権の濫用ということもある」と述べ、こうした弁護団の活動を批判している。
 松本弁護団の行っている活動は、果たして「弁護活動」なのであろうか。無論、国選弁護人といえども他に抱えている事件があり、月3〜4回のペースで開かれる麻原裁判に全力投球できるわけではないことは理解できる。しかし、報道されているような検察側との無用な対決姿勢を見ていては、疑念を招かないではおれない。松本弁護団が、松本被告人を拘置所で自然死させ、それによって死刑廃止の流れを作ることを狙って、このような弁護活動をしているのであれば、それは、最も基本的な社会正義に反する、サリン事件にも劣らない「犯罪」であると言わなければなるまい。何故ならば、こうした詭弁的な弁護活動によって生じた「罪を犯せば犯すほどトクをする」「3人殺して死刑だが、100人殺せば自然死」といった状況は、国民の「法」に対する信頼そのものを破壊しかねない、危険な要素を孕んでいるからである。

■真の被害者は周辺住民ではないのか
 茨城県警、東海村臨界事故でJCO関係者を逮捕(10月11日)
 報道によると、昨年9月、茨城県東海村にある核燃料加工会社「JCO」東海事業所内でおきた臨界事故に関して、茨城県警は11日、放射線を被曝して死亡した作業員2人に対する業務上過失致死の疑いで、同社幹部ら6人を逮捕・家宅捜索を行った。逮捕されたのは、前東海事業所長の越島建三容疑者(54歳)と元製造部長の加藤裕正容疑者(61歳)、自らも被曝した現場責任者(元副長)の横川豊容疑者(55歳)ら同社製造部門の従業員で、6人は容疑を大筋で認めているという。
 警察の捜査によると、同社では本来、ウラン溶液製造には「溶解塔」と呼ばれる臨界防止対策を施した設備を使うことになっていたのに、横川容疑者らは作業手順を省くためバケツを使って沈殿槽に臨界量を超えるウラン溶液を注入。一方、越島容疑者ら製造部門の幹部は、こうした違法作業が臨界事故を引き起こす可能性があると認識していながら、業務上必要な注意を怠り、臨界事故で横川容疑者ら3人を被曝させ、大内久さん(当時35歳)と篠原理人さん(当時40歳)を放射線障害で死亡させたという。JCOは「原子炉等規制法」に基づく届出をせずに秘密裏に作業工程を変更し、1993年頃から違法な作業を繰り返し、1996年にはウラン溶液製造にバケツを使うことなどを記した、いわゆる「裏マニュアル」を作成。しかも、社内ではそれが正式な文書の如く扱われる等、臨界の危険性についての従業員教育がほとんど行われていなかった。
 もっとも、今回のこうした茨城県警の捜査方針には、少なからず疑問が残る。というのも、今回の逮捕で「被害者」とされたのは死亡したJCO従業員の2人だけであり、この臨界事故において真に被害を受けた周辺住民は含まれていないからである(付言すれば、周辺住民に対する被害の度合いからすれば、この臨界事故においてJCO幹部の刑事責任を追及するのは重すぎるように思われる)。県警は、JCOの組織的な過失責任を立証するために、自らも被曝した元副長の横川豊容疑者の被曝を「被害」としてではなく「自傷行為」と位置付けたというが、それは死亡した大内、篠原の両作業員も同じではないだろうか。むしろ、実際にウランをバケツで注いだ「実行犯」はこの死亡した2人であり、中核的な加害者だったはずである。2人が臨界事故の危険性について認識を持っていたかどうかは(死亡してしまった以上)他の従業員の証言を待つ他ないが、少なくともその作業が違法な「裏行程」だったことは知っていたのであり、責任は免れない。昨年の臨界事故当時、死亡した2人をまるで「国家の原子力政策の被害者」であるかの如く扱う報道が見られたが、(亡くなったことについてはお悔やみ申し上げるとしても)言語道断である。こうした矛盾は、結局のところ、法技術上の問題から周辺住民を被害者と構成しなかったことに起因すると言えよう。

■「東シナ海」は「東海」ではない
 外務省、公式文書で「東シナ海」を「東海」と表記(10月12日)
 産経新聞の報道によると、現在、外務省は、公文書等で「東シナ海」を中国側の表記である「東海」と表現しており、9月28日に北京で行われた日中協議後の記者会見で、外務省アジア局の佐藤重和参事官も「通常そう呼ぶことになっている」と説明したという。
 外務省は「東海」について「戦前からの慣行」と説明、根拠の一つとして、昭和50年に署名された「日中漁業協定」の文書に「東海」の呼称が使われたことを挙げている。国連海洋法条約の発効を受けて今年発効した「新日中漁業協定」でも「東海」が使われているが、水産庁では「昭和50年の表現をそのまま踏襲したもので、当時なぜ『東海』を使用したかについてはわからない」としている。外務省サイドは当面見直す考えはないとしており、今後の交渉などでも引き続き「東海」を使用する考えだという。
 しかし、そもそも一国の外交交渉の場では、「地名等は自国で使っている呼称を使うのが普通」(森本 敏・拓殖大学教授)であり、我が国の公文書で(大陸)中国に阿って「東海」と表記することは、「事大主義」あるいは「弱腰外交」との批判を免れ得まい。産経新聞によれば、海洋の名称の「世界標準」となっている国際水路機関(IHO)の刊行物では、「東シナ海」は「East China Sea(Tung Hai)」となっており、国内では、「水域の名称は運輸省、陸域の名称は建設省で決め、同一のものを使うようにしている」建設省国土地理院という(恐らく、「建設省国土地理院」と「運輸省海上保安庁水路部」とがあるのでこういう「棲み分け」になっているのだろう)。実際、国土地理院の地図や海上保安庁水路部の海図、市販されている地図は全て「東シナ海」で統一されている。最近では「『シナ』は蔑称だから使ってはならない」という議論もあるが、この議論自体妥当ではない(「シナ」は「China」であるし、蔑称のように思えるのは「シナ」という言葉のせいではなく、その言葉を使う者の蔑視感情そのものに由来する)上に、(「シナ」単独はどもかく)「東シナ海」は長年使われてきた名称で蔑称ではない。外務省は「東海」という名称の使用を「戦前からの慣行」「IHOの刊行物でもカッコ内で『東海』を認めており、これは『東海』が広く通用している証ではないか」と説明しているというが、「慣行」を重視するのならむしろ「東シナ海」を使うべきところである。第一、自国から見た位置を国際的な海域名称とされてはたまったものではないし、「東海」は、我が国「東海(とうかい)」地方や韓国が言うところの「東海(トンヘ)」(韓国は国際的に認知された名称である「日本海」を嫌い、「東海」と表記している)とも紛らわしい。

■歴史教科書は歴史的・学問的視点から評価されるべき
 教科用図書検定調査審議会の元外交官委員、検定不合格へ多数派工作(10月13日)
 報道によると、平成14年度から施行される新学習指導要領に合わせて、文部省に検定を申請している中学校用の歴史教科書について、文部大臣の諮問機関「教科用図書検定調査審議会」委員の元外交官が、執筆者に「新しい歴史教科書をつくる会」(西尾幹二会長の会員が含まれている産経新聞社発行の教科書を検定不合格とするよう、他の委員に手紙や電話で働きかけていることが12日判明した。この元外交官は、外務省研修所長、駐インド大使などを歴任し、現在は日中友好会館副会長も兼務しており、今年2月外務省の推薦で審議会委員に就任。同審議会第ニ部会歴史小委員会の委員に「あの教科書は日本の戦争犯罪の記述が足りず、おかしい」「元中国大使もこの教科書を憂慮している」「外国の戦争犯罪を書くのは外交上、失礼だ」「日本の戦争犯罪についてもっと書く べきだ」等として、中国・韓国などの意向に配慮して検定不合格とするよう協力を要請、官界に影響力のある元有力政治家や、外務省幹部らと協議したとの情報もあるという(元有力政治家は、教科書問題について外務省幹部を加え協議したことを認めた)。なお、この問題について山崎隆一郎外務報道官は、「元外交官の委員は個人の資格で本件審議会のメンバーとなっているものであり、外務省としては同人の活動につき関与していない」として、外交当局の関与を否定し、本人も取材に対し「教科書問題は非常に重要なことだと考えている。今回の働きかけは、自分の考えでしたことで、外務省の意向を受けてやっているわけではない」と話しているという。
 また、この問題に関連して、
自由民主党の亀井静香政調会長は13日、党の教育改革実施本部で事実関係を調査する考えを明らかにし、大島理森文部大臣は閣議後会見で「特に歴史教科書の選定は史実に基づいた客観性を基本にやってもらわねばならない」と懸念を表明した。 更に、東京・永田町の憲政記念館で開かれた超党派の「日本会議国会議員懇談会」麻生太郎会長総会でも、出席者からこの問題への批判が相次いだ。
 義務教育で使用される中学校教科書は、子供たちに我が国の歴史を教え、もって一人前の国民として必要な人格形成に寄与するために存在する。そして、その評価、検定の合否は、時の政治権力に一々流されることなく、あくまで歴史的・学問的視点からなされるべきであろう。そのためにこそ、審議会の下で検定作業を行っているはずである。今回の報道では、この委員が働きかけをした根拠を詳しく伝えていないので、この問題について安易に批評をすることはできない。しかし、仮に、この委員が「阿吽の呼吸」で外交当局の要請を受けて、一時的な国際情勢に左右され、「近隣諸国の批判をかわす」という短期的視点で検定不合格工作をしていたのだとすれば、そうした行動は不見識と評されても仕方がないであろう。それは、我が国教科書に対する他国の不当な介入を助長することになるし、第一、歴史学的良心によって記述されるべき検定教科書を歪めることになるからである。外交は、国民あっての外交である。無論、日本国民全てが国家の存立に関わる「外交」に関心を寄せているとは限らないのであるから、それについて外交当局が適切な広報活動をするのはよいことである。しかし、当面の外交活動に支障を来すというだけで、外交当局が不都合な国内事情に介入するというのは本末転倒であろう。誤解を招くような教科書が出来たなら出来たで、それを説明するのが外務省の役割なのではないだろうか。
 もっとも、最近の中学歴史用の検定教科書は、従軍慰安婦問題や南京「大虐殺」事件等の叙述について明らかに不適切なものが多かった(例えば、ある教科書は、虐殺数を「約20万人」としており、これは南京事件に関する研究成果に反する)中で、2002年からの教科書については改善が見られるが、その一方で、731部隊に関する記述が全く無くなる等、多少問題も残している(俵 義文「中学歴史教科書『加害者の視点』後退」『世界』2000年11月号、岩波書店より。但し、筆者は俵氏の見解に100%賛同するものではない)。事実を隠蔽せず、なおかつ、不必要に自国を貶めない。そうした、歴史的事実とその評価のバランスのとれた教科書が出来上がることを期待したい。

■平和賞は南北統一後でもよかったのでは?
 金大中韓国大統領にノーベル平和賞(10月13日)
 報道によると、ノルウェーのノーベル賞委員会は13日、2000年のノーベル平和賞を金大中・大韓民国大統領(74歳)に授与する、と発表した。東アジアでの民主化運動や北朝鮮との「太陽政策」に基づく南北首脳会談の成功、我が国との和解が評価されたもので、韓国人としては初のノーベル賞受賞となった。
 一度は政治的な理由から死刑判決を受けながら最後には大統領にまで上り詰め(1997年就任)、アジア経済危機を乗り切った上で南北首脳会談を実現した金大統領の功績は何人も認めるものであり、受賞を祝福したい。
 ただ、ノーベル平和賞は、他の賞と異なり、ときに授与者の政治的な意向が滲み出るものがある。例えば、1974年の我が国の佐藤栄作元総理大臣に対するノーベル平和賞も、東西冷戦体制下常に核戦争の危険があった中で「非核三原則」を打ち出したために受賞したが、これは逆に「ノーベル平和賞をもらった以上は、『非核三原則』を廃止してはならない」といった「圧力」とも理解できよう。同様に、1989年のダライ・ラマ14世(チベット元首)に対する授賞は、インドのチベット亡命政権を認知させるという意味で中国には面白くなかっただろう。1990年のミハイル・ゴルバチョフ旧ソ連邦大統領に対する授賞も、米ソ緊張緩和を「後戻りさせない」という意思表示が込められていただろうし、1994年のイツハク・ラビン元イスラエル首相、シモン・ペレス元イスラエル首相ヤセル・アラファトPLO(パレスチナ解放機構)議長、1996年のカルロス・ベロ司教とジョゼ・ラモス・ホルタ氏(東ティモール独立運動家)、1998年のジョン・ヒューム氏とデービッド・トリンブル氏(北アイルランドの政党党首)へのそれも又同じであろう。しかも、これらの内、パレスチナ問題、東ティモール問題、及び北アイルランド問題については、平和賞授与後も紛争が絶えず、今のところ最終的に解決したように思われるのは東ティモールだけである。
 たしかに、ノーベル平和賞には和平促進のカンフル剤としての役割が期待されているのかもしれない。しかし、カンフル剤はあくまでカンフル剤に過ぎず、根本的な「治療」が施されない限り、問題は解決しない。ノーベル平和賞の権威を高めるためには、金大統領に対する授与は、実際に南北統一が具体化してからでも遅くは無かったのではないだろうか。

■謝罪の必要全くなし、むしろ先生の熱意に敬意を表する
 鹿児島市の市立中学校教師、いじめ監視カメラ設置で謝罪(10月17日)
 報道によると、鹿児島県鹿児島市の市立中学校の教師(44歳)が、自らが担当する2年生の教室に隠しカメラを設置して撮影し、後日生徒らによって発覚。生徒全員と保護者に謝罪した。カメラの映像は隣の教員準備室のモニターテレビに映し出され、録画することもできた。校長の事情聴取に対して教諭は、1人の女子生徒に対するいじめが1年近く続いていたので、加害者を特定するために自分の判断で設置した、と話したという。しかし、同市教育委員会指導課は「教育上好ましいことではない」としており、結局同教諭は生徒と保護者に謝罪した。
 だが、果たしてこの先生は謝罪すべきだったのであろうか。報道によれば、いじめられていた女子生徒に対しては、「死ね」と書かれた手紙や電子メールが送信されたり、教科書やカバンを傷つけられたりする嫌がらせが50回を越えており、7月には、自宅にカミソリ入りの封筒が届けられて生徒本人が指にケガをした。先生は、生徒達から話を聞いたり、保護者や地元警察とも相談して対策を考えていたようだが、加害者を特定することが出来ず、「やむを得ず」カメラを設置したのだという。以上のような嫌がらせは、社会に出れば「脅迫罪」という立派な凶悪犯罪になるのであり(刑法第222条①「生命、身体、自由、名誉又は財産に対し害を加える旨を告知して人を脅迫した者は、二年以下の懲役又は三十万円以下の罰金に処する。」)、「器物損壊罪」や「傷害罪」(カミソリを送付して受傷させているので)も含めて、「いじめ」等として片付けるわけにはゆかない水準にまで達している。放置すれば、より重大な犯罪行為や女子生徒の自殺に繋がる可能性もある以上、何よりもまず、第一に加害者の行為を早急に差し止める必要があったのは明らかであり、教師の目の届かないところで行われるいじめ問題を適確に解決するためには、必要不可欠な措置だったのである。先生のほうも、何も24時間365日生徒たちを監視カメラで監視・管理しようというのではなく、あくまで当該いじめ事件を緊急的に解決するためにやむなくとった措置であった。この先生こそが、「いじめは許さない」という断固とした決意に燃え、被害者の平穏な学校生活を守ろうという気概のある、称賛すべき教師なのではないだろうか。いじめ犯人も混じっている生徒らに謝罪する必要は全く無かったし(無関係な生徒なら、学校という公共空間を利用する以上この程度のことは受忍すべきだ)、むしろ謝罪してしまったほうが「教育上問題があ」ったのではないだろうか(自らを「非」と認めて謝罪するのではいじめ犯人側に敗北宣言をするに等しい)。

■パレスチナ側は武器の使用を止めよ
 バラク・イスラエル首相、停戦合意を遵守しなければ和平プロセス中断を言明(10月21日)
 報道によると、イスラエルのバラク首相は20夜、国営テレビとのインタビューの中で、パレスチナ自治政府側がシャルムエルシェイクの停戦合意を守らなかったと非難するとともに、21日から22日にかけてカイロで開催される「アラブ首脳会議」が終るまでに事態が改善されなければ、中東和平プロセスそのものを中断する方針を明らかにした。一方、ニューヨークの国連は20日、パレスチナ情勢に関する緊急特別総会を再開し、「暴力行為、とりわけイスラエル軍によるパレスチナ市民に対する過剰な武力行使を非難する」とし、和平交渉の早期再開などを求めた決議を賛成92、反対6、棄権46の賛成多数で採択したという(日本は棄権、アメリカは反対)。
 元々今回危機は、エルサレムの領域主権の帰属を巡る争いから9月13日に予定されていたパレスチナの主権宣言が遅れ、パレスチナ人側に不満が燻っていたところに、イスラエル保守政党・リクードのシャロン党首がエルサレムの聖地のモスクを訪問し、パレスチナ側の感情を逆撫でしたところに端を発っしている。その意味では、パレスチナ側が街頭に出て不満を表現するのももっともなことだ。しかし、今回の事件でパレスチナ側は、かつての「インティファーダ」のような投石、放火に留まらず当初から自動小銃など武器を使っており、これがイスラエル側の強硬措置を招いたことは明らかである。恐らく、イスラエル側としては、相手が武器を持ち出してきた以上、早期に圧倒的な軍事力で抵抗を抑え、事態を収束させようとしたに違いない。そして、実際に幾度かの停戦合意においても、組織的に動いているイスラエル側は統制が取れており、自主的にきちんと停戦していた。にもかかわらず、統制が取れていないパレスチナ側は、合意後も依然として小競り合いを続け、停戦合意に違反しており、イスラエル側の不信感を招いている。その点、国連決議にあったイスラエル非難は妥当ではなく、パレスチナ側こそ誠実な停戦の履行を求められているというべきであろう。無論、パレスチナ側には色々と言い分があるかもしれない。しかし、パレスチナ人は、こうした問題を通じて国際社会に「迷惑」をかけていることも又自覚すべきであり、安易に武器をとって争うようでは和解は出来ないことを自覚すべきである。
 ことは、エルサレムの帰属問題についても言える。現在、中東和平プロセスは三つの宗教の聖地が存在するこの都市の帰属問題で停止しており、イスラエル側・パレスチナ側双方が全エルサレムの帰属を主張している。しかし、同じ土地を2つの国が共有するのでもなければ事態打開は困難であり、旧市街を東西に分割するか、第三国ないしは国際機関による管理を行うのでなければ双方が納得しまい。それこそ、「仏教徒である我々日本が占領し統治したほうが、まだマシなのでは」とさえ思えてくる。双方の妥協を促したい。

■「神の国発言」どころではない大失言ではないか
 森首相、北朝鮮の日本人拉致問題巡り「行方不明」者扱いの発言(10月21日)
 報道によると、韓国で開かれている「アジア欧州会議」(ASEMに出席している森喜朗首相は20日夜、ホテルで同行記者団と懇談したが、この中で、北朝鮮(自称「朝鮮民主主義人民共和国」)による日本人拉致疑惑に関連し、1997年(平成9年)11月の与党三党訪朝団の団長として訪朝した際、拉致された日本人を「行方不明者」として扱う代わりに、北朝鮮側が被害者を第三国へ出国させるよう、訪朝団として提案していたことを認めた。これは、20日午前のトニー・ブレア英首相との首脳会談の席上出た発言で、続けて「日本は米欧と違った対応をしなければならないことを理解し、側面から支援してほしい。」と述べたという。当時の与党三党訪朝団と北朝鮮側とのこうした交渉は当時伏せられ、結局、北朝鮮は後に「行方不明者はいなかった」と回答、拉致疑惑は解決していない。この問題は24日になっても収まることなく、与党・内閣からも批判の声が上がっており、更に中川官房長官の記者会見(発言は当時の中山正暉副団長=日朝友好議員連盟会長の「個人的な考え」だったと説明、後に中山代議士本人が抗議)とその後の森首相の釈明が食い違うなど、問題ぶりを露呈した。
 森首相によると、97年当時の日朝会談で日本側が拉致問題を持ち出すと、北朝鮮側は激しい口調で日本側出席者を罵り、席を立とうとしたという。このため、森団長が昼食の休憩を提案し、日本側で対応を協議。会議の再開直後に中山副団長が「北朝鮮もメンツがあるだろうから行方不明者として扱う考え方があるのではないか。北京とかバンコクとかにそっと移したという話ができないだろうか」と訪朝団として提案したという。
 言うまでもないことだが、場合によっては一国の主権や存立に関わる可能性のある外交問題においては、情報の管理や発言に特に慎重さが求められる。一外交官といえども公式的な発言は国家を代表するものとして受け取られるし、発言を誤れば戦争になることさえある(それ故に、外交の世界では真意をオブラートに包んだ「外交辞令」が発達した)。いわんや、一国の首相をやである。我が国はこれまで、繰り返し「拉致問題の解決」を表明してきており、北朝鮮側との対立の溝は深かった。実際問題として、外交当局が森首相発言のような方法で拉致日本人を帰国させることは不当ではないが、それは隠密裏に行われるべきであり、公式に「テロ国家に屈した」ことになってはならないのである。今回の発言で、もはや政府としては「この手」が使えないことになり、交渉を一層難しくしたのは勿論、我が国の公的立場を損ねたことは確かではないだろうか。以前の「神の国」発言問題は純粋な国内事項であり、論旨からしてもそれほど問題があったとは言えないと思うが、今回の森発言は、「神の国発言」どころではない大失言である。

■「右翼団体」と付き合って何が悪い
 民主党、衆議院で中川官房長官の「右翼団体との付き合い」問題を質問(10月24日)
 報道によると、民主党は24日の衆議院本会議で、中川官房長官が右翼団体「日本青年社」幹部と食事を伴にしていたことについて質問し、内閣答弁と事実関係との食い違いを正した。この問題について中川長官は、「政治家は毎日様々な人と会っており、全員を覚えているわけではない」として批判を交わしているが、野党側はこの問題を森政権への攻撃材料として使っていくという。
 しかし、この問題、果たしてそこまで「問題」なのであろうか。なるほど、たしかに日本共産党や社会民主党といった革新系政党からすれば、「右翼団体」など暴力団とも同質な忌むべき存在に映るのかもしれないが、事情は左右一緒であり、日本青年社がダメならイデオロギー上議会政を否定する日本共産党なぞ存在すら許されない、ということになるだろう。保守系の団体を全て「右翼」としてレッテルを貼り、十把ひとからげに批判するところに、この問題に対する野党側のスタンスの問題がある。

■幹部会議での腹を割った議論は大切だ
 田中康夫・新長野県知事、初登庁で県職員幹部と「つば競り合い」(10月26日)
 報道によると、今月の長野県知事選挙で無党派層などの支持を受けて当選した田中康夫・長野県知事(44歳)は26日、事務引継ぎなどのため県庁に初登庁し、就任挨拶や各部局への挨拶周りなどを行った。
 就任挨拶で田中知事は、「行政とは、何をすべきかの前に、どうあるべきかの理念を持つことが必要だ」等と述べ、職員に訓示。また、「県行政はサービス機関」を持論にしている知事は午前の部局長会議も公開したが、この席上、県企業局の藤井世高局長や中村武文・県農政部長ら県庁幹部が「しなやかな長野県、という言葉は非常に分かりにくい。具体的に僕らにどういうことを期待しているのか。」「知事の就任あいさつには非常に腹が立った。われわれ県職員がこれまで、特定の人々の利益のために仕事しているかのような言い方だった」と知事に直言。これに対して知事は、「端的に言えば、自分自身の中に弁証法ができているかどうかだ。自分の中に手鏡を持ち、姿を映してみなければいけない」と答えたが、よくわからないその回答に藤井局長は首をひねって「もっと議論しましょう」と応じた。また、中村農政部長の発言に対しては、「お言葉だが、私は皆さんの全否定などしていない。そういう言い方はしなかったはず。具体的にどこが悪かったのか」と知事が尋ねると、中村部長のほうが「具体的にと言われても・・・」と押し黙る場面もあった。また、挨拶回りで県企業局を訪れた際に、知事が自分の電子メールアドレスの入った名刺を手渡そうとすると、件の藤井企業局長が、「知事ね、会社でいうと、知事は社長なわけでしょう。自分の会社の社員に名刺を渡すというのは、倒産する会社ですよ。」と注意。結局田中知事は名刺交換を行ったが、藤井局長は受け取った名刺の「長野県知事」とある部分を知事の面前で折り曲げ、「では、これは無かったことにしてよろしいですね?」と発言した。
 こうした県庁幹部の応対に対しては、26日夜から県民の問い合わせや批判5000件あまりが殺到。多くは「知事に歯向かうことは、県民に歯向かうことだ」「信任された知事に対して敬意がない」「あなたは長野県の恥です」「あなたこそ辞めろ」といったもので、「名刺折り曲げ事件」の当事者である藤井局長自身も電話の応対に追われたという。その後、局長本人は新聞社の取材に対して、「私がやった行為は弁解のしようがない。だが『部下に名刺を配るなどという他人行儀なことはやめようじゃないか』との思いが突飛な行動になってしまった」「田中知事には大変申し訳ないことをした。おわびしたい。」と発言。一方、当の田中知事は、「具体的な詳細を聞いていないので、私が感想を述べることは企業局長に対しても、県民のみなさん、国内外のみなさんに対しても失礼にあたる。」と述べて、言及を避けた(その後、29日には両者揃って記者会見を開き、藤井局長が知事に謝罪し辞表を提出したこと、知事がこれを慰留したことが発表された)。また、県庁内部からは、「とっぴな言動だけを注目するのは、やめてほしい」「知事も本音で語り合おうとした上でのこと。けんかをたように見られるのは残念で、知事の本意でもないはず」「抗議電話が殺到したことで職員が委縮するのが怖い」といった声も上がっているという。
 しかし、果たしてこうした県民からの批判は、妥当なのであろうか。
 無論、田中新知事はこれまでの県庁出身者とは違う以上、自己紹介は必要であるし、面前で名刺を折り曲げる行為それ自体については、礼節を欠いていたといえよう。しかし、逆にいえば、知事であるからこそ社会常識も又必要なはず。人事権を握っている知事(もっとも、企業局長の正確な上司は、公営企業管理責任者)に敢えて苦言を呈するのは、最高幹部として余程勇気のいることであるし、木端役人や並の官僚なら「事勿れ主義」に陥ってだんまりを決め込み、陰口をたたくところであろう。「知事に反抗することは反民主的だ」等というのは民主制の通俗的・表層的な理解に過ぎないのであって、ああいったプロ同士の「直言」は、これからもどんどんすればよいし、また知事もそれを受けるべきではないだろうか(知事も恥をかかずにすむ)。県庁職員は行政の専門家であって、専門家の守備範囲においてはその見解が尊重されるべきだし、逆に、知事は民意の代表者として、政策の方向性や理念をこそ考えるべきなのであって、それこそが県政における知事と県庁との役割分担であろう(無論、最終的には、民意を反映している知事の最高方針に従う必要はあるが)。元々、知事というものは県政の大まかな方針や理念をうち立てる役目を負っている上、田中知事が元作家であったため、その発言が抽象的になりがちなのは止むを得ないことで、それを議論してどう具体的な政策に下ろして行くのか、が県庁職員の役割であろう。「しなやかな長野県、という言葉は非常に分かりにくい。具体的に(政策に落とした場合に)僕らにどういうことを期待しているのか。」という件の藤井局長の発言(部局長会議にて)は、極めてまっとうである。「お役人意識」の弊害は是正するにしても、26日午前の部局長会議のようなやり取りは是非とも必要だし、そうした「腹を割った話し合い」こそが「しなやかな県政」なのではないだろうか。
 一言で「県政」といってもその範囲は広く、知事一人が全ての仕事をこなせるわけではない。県政を改革するのは、県庁職員の支持なくしては出来ないのであって、そのためには、まずは県庁幹部との忌憚無き意思疎通こそが大切である(そうでなければ、田中知事は東京都の青島前知事の二の舞になってしまうだろう)。無論、県庁幹部の中には、今回の知事選挙で、公務員の立場にありながら前副知事の候補を公職を利用して応援していた者もおり、実際に一部の幹部や市長村職員については、長野県警の捜査のメスが及んでいる。しかし、件の企業局長や農政部長は、『朝日新聞』などの報道によれば、知事選挙に際して「中立」を守ったといわれる幹部の一人であり、むしろ池田前副知事の陣営に加担していた幹部はだんまりを決め込んでいたという。今回の一件では、(「名刺折り曲げ」事件はともかく)発言していた数名の県庁幹部もよくやったと思うし、また当の田中知事のほうも、(通俗的な官僚批判を期待していたであろうマスコミの狙いに反して)「カメラの存在は圧力になる(自由闊達な議論を阻害する)」と言ってコメントを控えたのは、極めて見識のある判断だったのではないだろうか。


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