このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

「独自外交」の意味を履き違えるな
〜田中外相訪米を巡る報道を見て〜

中島 健

 田中真紀子外相は6月18日、パウエル国務長官との日米外相会談を行なった。また、これに先立って、田中外相はホワイトハウスでライス大統領補佐官と会談中、ブッシュ大統領、チェイニー副大統領らとも面会した。45分間のパウエル国務長官との会談の中で田中外相は、「日米同盟が日本外交の基軸だ」と強調した上で、アメリカの新しいミサイル防衛構想ついて「欧州やロシアと日本は違った立場にある。米国の方針を理解している」と述べ、ミサイル防衛構想に理解を示した。一方パウエル国務長官は、沖縄駐留の在日米軍の訓練移設問題等に関連して、「日本の負担を最小限にする努力を行う」と表明したものの、アメリカの地球温暖化防止のための京都議定書からの離脱問題では、「米国の参加が極めて重要」等と撤回を求めた田中外相に対して、「京都議定書を受け入れることはできない」と従来の方針を重ねて示した。更にパウエル国務長官は、会談の最後に「われわれは小泉新政権が日本の構造改革を達成することを最も望んでいる。あなた方は、日本の最良の友人は米国であるということを、いつも忘れずにいるべきだ」と述べ、田中外相の外交姿勢にクギを刺したという。
 なお、会談後の記者会見を自分でこなした田中外相は、ミサイル防衛について、「私が『開発にどのくらいの時間がかかるのか』と質問したのに対し、パウエル長官は『not certain(確言できない)』と答えた」と説明したが、バウチャー米報道官は別の記者会見で、「それは長官の発言ではない。彼は、その問題は技術開発を担当している国防長官の管理下にあると答えた」と述べた。また、同報道官は、「国務長官は『われわれはミサイル防衛システムが実行可能と判断すれば、(配備に向けて)前進していくだろう』ということを明確にした」ことを明らかにしたが、外相の説明にはこの部分はなかった。更に、沖縄米軍基地の訓練移転問題について田中外相は、「パウエル長官は『これは私たちにとってもheadache(頭痛の種)だ』と言った」と記者団に語ったが、バウチャー報道官は「頭痛とも足痛とも言っていない」と完全にこれを否定したという。

▲田中外相の就任で揺れた外務省(東京都千代田区)

 今回の日米外相会談は、ある外務省幹部が表現したように、正に「真紀子の真紀子による真紀子のための訪米」であった。確かに、田中外相は今回の訪米で、日米同盟関係やミサイル防衛構想について(それが真実かどうかはともかく)従来報道されてきた外相の私見(とされるもの)を全て否定しており、一定のイメージ改善は達成出来たのかもしれない。若い時に留学したフィラデルフィアの高校を訪問し、英語で旧友らと会話を交わすといったパフォーマンスは、これまでの外務大臣には見られない光景であった。しかし、それは結局のところ、報道された外相発言や一連の会談拒否によって一旦は損なわれた国益を公費を使って渡米し原状回復したに過ぎず(イタリア、オーストラリア両国外相との会談内容はさておき、アーミテージ米国務副長官との会談キャンセルは事実である)、それほど高く評価し得るものではない。外相の対応一つで、本来使わなくてもよい税金が使われたとも言える。今回の外相訪米に対してアメリカ側は予想を越える厚遇で接し、予定に無かったブッシュ大統領との面会も実現したという(1月の河野外相訪米時は、チェイニー副大統領との会談も実現しなかった)が、見方を変えれば、これは「自分のカウンターパートではない」等として自国の外務副大臣との会談をキャンセルした田中外相に対する嫌味とも受け取れる。また、当初「懸念している」等と述べていたミサイル防衛問題について、田中外相が、国内外の反発にあって結局「欧州やロシアと日本は違った立場にある。米国の方針を理解している」と述べたのは「災い転じて福と為」ったとも言えるが、同時に日米安保体制について「受益と負担について考え直す折り返し点にしたい」等と語ったことはなお不安材料となる。田中外相が何を「負担」と考え、日米同盟をどのように「考え直す」つもりなのか不明だが、もし田中外相が、「日米同盟体制では日本側は基地提供や思いやり予算等の負担の割りには、外交上の利益を得ていない」等という意味でこの言葉を使っていたのであれば、それはとんでもない思い違いという他ない。むしろ、冷戦時代においては、 日米安保条約 体制は我が国にとって軽い負担の割りにはメリットが大きいシステムだったのであって、その「負担」と「受益」の関係をより対等に「考え直」したのが、先の「日米安保再定義」「新ガイドライン」に他ならない。そして、その「負担」と「受益」の関係を「考え直す」にあたって最大の障害となっているのが、集団的自衛権の行使について疑義を生じる 我が国憲法第9条 なのである。
 田中外相は常々「自立した外交を目指す」と述べており、また一部報道にも、「日本はアメリカの属国ではないのだから、ミサイル防衛でも京都議定書でもどんどん文句を言うべきだ」等という論調が見られる。しかし、(京都議定書の問題はともかく)自国の総合的な国力や国益を冷静に分析しないでアメリカに感情的に反発してみたり文句を垂れるというのは、我々が半世紀前に失敗した「いつか来た道」を歩むことになりかねないのであって、これこそ厳に慎むべき態度である。例えば、同じミサイル防衛構想に対する反対意見でも、米国の対外コミットメント低下やロシアの核軍拡を警戒する欧州諸国と自国の戦略核戦力の無効化を嫌がる中国とでは「反対理由」が全く異なっており、オーストラリアのように同構想に賛同する国もある。また、中国と並んで反対の姿勢を示しているロシアは、「アメリカとの戦略核戦力の均衡が維持できるように上手くABM制限条約改訂が出来れば、それでもよい」という柔軟な態度をとっており、絶対反対というわけではない。即ち、今日、ミサイル防衛構想に反対することは「中国の戦略核戦力の保全」を訴えるのとほぼ同義なのであって、これはアメリカの「核の傘」=核抑止力に頼る平和について疑念を呈した田中外相自身の見解とも矛盾するのである(ちなみに、「ミサイル防衛など実現不能」として冷笑する評論家もいるが、説得的ではない。凡そ新しい技術というものは開発段階では成功が危ぶまれるものであるし、もし本当にミサイル防衛が実現不能であれば、中国やロシアがこの問題に真剣に反対している理由が見あたらなくなろう)。京都議定書問題にしても、アメリカを無視して日欧だけで批准することだけが最良の政策ではあるまい。自国で「軍事・経済・文化」の自前の外交手段を一通り持っているのならともかく、そうでなく「軍事」の部分をアメリカに大幅に依存しているというのに、それを忘れてただアメリカに「独自外交」を主張するというのは、小学生の子供が「家出してやる」と親に反抗するのに似て、不様である。
 田中外相に対する国民の支持率は、依然高い。これは、外相の機密費問題に対する取組みや一連の「大胆な」発言が人気を勝ち得ているためだが、外交に携わる者の発言は、場合によっては国家の存亡を左右し得る程の重要性を持っている(例えば、日米関係を「友好関係」と表現するか「同盟関係」と表現するかによって、その政治指導者の日米関係に対する認識が判断される)。実際、今回の一件では、外相の「大胆さ」によって対米関係という国益が損なわれ、それを修復するために国民の税金が余計に使われた。衆議院外交委員会では、鈴木宗男代議士との質疑応答を巡って外相の不用意な「質問制限」発言が波紋を広げ、国会日程を混乱させ、条約3本の批准が遅れた。目玉の外務省改革にしても、先日出された改革案以上の積極的な施策が練られている気配が無い。もし国民が引き続き田中外相を支持し続けるのであれば、そのことによって生じた利益と共に損害も又、全て国民に振りかかってくることを覚悟すべきであろう。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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