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中国原潜の領海侵犯事件に思う
防衛力「見直し」の見直しが必要ではないか

菊地 光
 報道によると、中国(中華人民共和国)海軍の原子力潜水艦が11月10日午前5時、沖縄県の宮古列島・多良間島周辺の日本領海に潜航したまま侵入、約2時間(午前5時50分から7時40分の間)に渡って領海を侵犯した。これを受けて大野防衛庁長官は同日午前8時45分、小泉首相の承認を受けて 自衛隊法第82条 に基づく海上警備行動を発令。海上自衛隊のP−3C対潜哨戒機2機、護衛艦2隻を派遣し、同原潜を追跡した。原潜は、音響解析等から中国海軍の「漢」級原子力潜水艦と見られ、蛇行や高速航行を繰り返した後、12日午前7時すぎ、東シナ海の防空識別圏(ADIZ)の外に出たが、海上自衛隊はそのまま公海上の追跡を続行。同日午後3時50分、海上警備行動が解除され、追跡を終了した。原潜の国籍について、当初政府は「浮上しないと確認できない」等として断定を避けていたが、12日、大野防衛庁長官が記者会見で(1)日本周辺で原潜を保有しているのは中国とロシアしかないこと、(2)原潜は中国の海軍基地のある方向に向かっていったこと、(3)原潜は東シナ海の浅い水域を航行し、海面下の地形を熟知していたこと等から、これを中国の原潜と断定。これを受けて町村信孝外相は12日夕、程永華・駐日中国公使を外務省に呼び、事件の謝罪と再発防止を求めた(程公使は、「調査中なので、直ちに謝罪するわけにはいかない」と応じた)という。 国連海洋法条約第20条 は、「潜水船その他の水中航行機器は、領海においては、海面上を航行し、かつ、その旗を掲げなければならない。」と定めており、今回の中国原潜の行動は、本条文に違反する。
  自衛隊法第82条 は、「(防衛庁)長官は、海上における人命若しくは財産の保護又は治安の維持のため特別の必要がある場合には、内閣総理大臣の承認を得て、自衛隊の部隊に海上において必要な行動をとることを命ずることができる。」と定めている。しかし、同命令の発令は1999年3月の能登半島沖不審船事件が戦後はじめてであり(今回は史上2回目)、特に東西冷戦時代は極めて抑制的に運用されてきた経緯がある(政府も、国会答弁で、海上警備行動の発令は抑制的であるべき旨繰り返し発言している)。実際、能登半島沖不審船事件では、北朝鮮の工作船が海上保安庁巡視船の警告射撃を振り切って逃走する事態になって、はじめて海上警備行動が発令されている。このことからすれば、今回の事件で政府が海上警備行動を発動したのは、相当思い切った決断であったといえよう。もっとも、中国原潜の行動が 国連海洋法条約第19条 あるいは 第20条 に違反しているのは明白であり、むしろ自衛隊発足以来これまでの 自衛隊法第82条 の運用があまりにも抑制的に過ぎたのであって、今回の政府の判断は極めて妥当である。
 付言すれば、現行法上、海上警備行動が発動された場合の権限については 自衛隊法第93条 に規定があるが、基本的には 警察官職務執行法(昭和23年法律第136号)第7条 を準用しており、基本的に正当防衛又は緊急避難の場合の他、武器を用いて相手に危害を加えることができない(そもそも、 警察官職務執行法第7条 は、犯罪行為を行った者を逮捕する際の武器使用手続きを定めたものであり、前提として当該犯人が何らかの「犯罪」を犯す必要がある。しかし、国際法上不可侵権を持つ外国軍艦が、我が国国内法上の如何なる「犯罪」を犯したかを特定することは難しい)。加えて、 自衛隊法第93条 が準用する 海上保安庁法第20条第2項 は、停船命令に応じない外国船舶に対する武器使用について「軍艦及び各国政府が所有し又は運航する船舶であつて非商業的目的のみに使用されるものを除く。」としており、今回の事件では援用できない。つまり、海上警備行動の下では、我が国自衛隊は領海侵犯した外国軍艦に退去を強制するための武器の使用権限が全く認められておらず、 国連海洋法条約 の規定を実施することができないのである(防衛出動が発令されれば可能であろう)。法制度の整備が望まれるところである。
 ところで、小泉首相の私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」(座長=荒木浩・東京電力顧問)がまとめた報告書「未来への安全保障・防衛力ビジョン」(10月4日公表)では、国際テロや北朝鮮の弾道ミサイルなど「新たな脅威」に対処するため、多様な機能を発揮できるようにする「多機能弾力的防衛力」を確立するよう求めており、戦車、火砲、護衛艦、航空機などの装備の縮減を図る一方で、弾道ミサイルの監視・対処や武装工作船への対処などに重点を移すよう提言している。これを受けて、政府部内でも、今月末を目途に新しい「防衛計画の大綱」の策定作業が進んでおり、ミサイル防衛システムの導入や正面装備の縮小が検討さられている(財務省は10月上旬、与党に対して、陸自編成定数を16万人から12万人とし、北部方面隊の4個師団・1個旅団を1個師団に、戦車を900両から425両に大幅削減する案を提示しているという)。しかし、今回の事件や、東シナ海における最近の中国海洋調査船の活動、あるいはガス田開発問題に見られるように、今世紀に入って中国の海洋進出は著しいものがあり、我が国に対する脅威が「新しい脅威」だけになったわけではない。現に、中国海軍は、この数年、新型の駆逐艦や潜水艦を国産あるいはロシアから輸入して配備しており、旧式艦艇ばかりであった1990年代よりも近代化されてきている。台湾海峡においても、ロシアから導入した新型兵器を次々と配備しており、2009年までには台湾(中華民国)との軍事バランスが逆転し優位に立つとの観測もある。「日本本土に地上軍の本格的な上陸・侵略を受けることはない」という識者もいるが、1983年の時点でアメリカが2003年に旧ソ連領地域(ウズベキスタン)に軍事基地を設けるであろうことを予想できた識者は皆無だし、1981年の時点でアメリカ同時多発テロ事件を予見できた識者も皆無であったことからも、「識者」と称する人々の国際政治の将来予測がいかに頼りないものであるかが明らかではないか。今回、海上自衛隊が潜水艦の探知に成功したのも、冷戦時代に100機近く導入したP−3C対潜哨戒機の手柄である。ミサイル防衛システムの導入を急ぐあまり、正面装備を急激に削減するようでは、今後四半世紀を見据えた防衛力「見直し」とはいえない。

 菊地 光(きくち・ひかる) 本会会長


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