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健論時評 2005年1月


■防衛庁の国防省昇格の早期実現を 
 政府・与党、防衛省設置法案を次期通常国会に提出へ(1月3日)
 報道によると、政府・与党は3日、防衛庁を「防衛省」に昇格させるための防衛省設置法案を、次期通常国会に提出する方向で調整に入ったという。これは、同庁の省昇格に慎重だった公明党が一転して提出を容認したためで、
 これまで防衛庁は、旧総理府の外庁として位置づけられ、旧経済企画庁、旧国土庁、旧科学技術庁等と同じ「大臣庁」(長官に国務大臣を以って充てるもの。その他、省と同様に事務次官・政務次官の幹部や内部部局としての「局」を持つ等の特徴がある。「大臣庁」でない庁は、長官・次長のみで内部部局も「部」。)の扱いを受けてきた。これは、一つには、防衛庁の前身である保安庁や警察予備隊本部が内閣総理大臣の直轄とされ、内閣総理大臣の直接の指揮監督の下に置く必要があると考えられてきたからである(一般に誤解されていることだが、内閣総理大臣は、省庁を直接の指揮監督下に置いているわけではない。各省庁を指揮監督するのは各省庁の大臣であり、内閣総理大臣は、内閣の決めた方針があってはじめて各省庁を指揮監督できる)。しかし、その結果、防衛庁は、外務省や財務省と並んで重要な国務を担当する行政機関でありながら、各議案件を独自に提出したり、予算要求や省令の制定を独自に行うことができなかった。また、2001年の中央省庁改革の際、総理府に属する大臣庁が整理された結果、現在では内閣府に属する唯一の大臣庁となっている。当時、防衛庁についても省昇格の議論があったが、慎重論も根強く、結局庁のまま維持された経緯がある(当時、各省庁が組織の縮小を迫られる中で、ひとり環境庁のみが省に昇格していたが、個人的には、果たして環境庁を省に昇格させる必要があったのか、なお疑問が残る)。
 その点、今回の決定は時宜にかなったものであり、一日も速い法案の成立を望みたい。なお、名称としては、諸外国の例も勘案して、防衛省よりも国防省のほうが望ましい(「国防」の文字は、過去に「国防会議」でも使用されており、行政機関の名称として特段問題を生むものではないはずである)。

■スマトラ沖大地震被害に最大限の自衛隊派遣を 
 自衛隊、スマトラ沖大地震に対する国際緊急援助のため1000人規模で派遣へ(1月7日)
 報道によると、大野功統防衛庁長官は7日、先月26日に発生したインドネシア・スマトラ島沖大地震に関連し、インド洋沿岸諸国を襲った津波による被害を救援するため、「国際緊急援助隊の派遣に関する法律」(昭和62年法律第93号)等に基づき、陸海空の三自衛隊をあわせて約1000人をタイやインドネシアに派遣する命令を出した。今回の地震では、我が国からは既に、援助隊法に基づいて救助チームや医療チーム等合計約150人がタイ等4ヶ国に派遣されている他、テロ対策特別措置法に基づきインド洋で活動し帰国途中だった護衛艦等3隻をプーケット沖に派遣(遺体57体を収容し、1月2日に撤収)。更に、1月6日にインドネシアで開催された復興支援緊急首脳会議では、出席した小泉純一郎首相が演説し、「アジアの人々の痛みは、われわれの痛みだ」として、総額5億ドルの財政支援や津波の早期警戒システムの構築を呼びかけた。今回新たに派遣されるのは、統合幕僚会議から派遣部隊の調整にあたる10〜20人、航空自衛隊からC−130H輸送機2機(約120人)、陸上自衛隊から医療・防疫部隊とヘリコプター5機など約230人、海上自衛隊から護衛艦等3隻(護衛艦、輸送艦、補給艦各1隻で約640人)で、援助隊法に基づく派遣としては過去最大の約1000人規模となる。
 今回の大地震災害では、東アジアからアフリカ東岸にかけて実に15万人以上が死亡したとみられ、邦人も今なお200人以上が行方不明(連絡がとれない状況)となっている。我が国として積極的に震災支援に取り組むのは当然のことであり、政府の対応は極めて適切であったというべきであろう(当初プーケット沖に派遣された自衛艦は比較的早い段階で撤収したが、これは恐らく3隻が搭載していた食料や燃料の残りが少なかったために、帰国せざるを得なかったのであろう)。
 ただ、例えばアメリカが3億5000万ドルの支援とともに、空母打撃群1個(通常、艦艇7〜8隻)など兵員約1万3000人を急派し、ヘリコプター30機以上を使って緊急物資や人員の輸送をしているのに対し、我が国の場合は、自衛艦のべ6隻はともかく、医療・防疫部隊230人と輸送機2機はやや派遣規模が小さい印象がある。無論、米軍の1万3000人も全員が現場で救助・医療任務にあたるわけではなく、また我が国も援助隊法上の派遣としては過去最大のオペレーションを組んでいるとは思うが、今後、より大規模な派遣(例えば、最大1万人規模)も可能となるよう、特に大型輸送機(例えばC−17)の導入が必要ではないか。現在、航空自衛隊が保有する輸送機は、(政府専用機ボーイング747-400型機を別にすれば)「専守防衛」の観点からいずれも戦場において短距離輸送任務を行う戦術輸送機のみとなっている(しかも、国産の川崎C−1ジェット輸送機は、航続距離が短く使い勝手が悪いため、PKO等の任務には米国製C-130プロペラ輸送機が使用されている)が、海上自衛隊が大型の輸送艦3隻を保有しているのに、航空自衛隊が「専守防衛」の観点から大型ジェット輸送機が保有できないというのは合理的ではない。

■反論になっていない市民団体の抗議声明 
 VAWW-NETジャパン、NHK番組改変問題で安倍自民党幹事長代理に対する抗議声明を発表(1月17日)
 報道によると、戦争責任を巡って日本放送協会(NHK)が作成した番組の改変問題に関し、当該番組の取材を受けた市民団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン、西野瑠美子・東海林路得子共同代表)は17日、「安倍晋三氏の事実歪曲発言について」と題する抗議声明を発表し、7点にわたって安倍晋三・自由民主党幹事長代理の主張に反論した。
 しかし、公表された文書を検討した限り、この抗議声明は、安倍氏の指摘に有効な反論を行えていないばかりか、むしろ間接的に、安倍氏の主張を認めているところすらある。例えば、VAWW-NETジャパンは、「(女性国際戦犯法廷には)被告と被告側の弁護人がいない(から公平な法廷とは言えない)」とする安倍氏の主張に対し、「開催2ヶ月前に・・・森喜朗氏(首相)に被告側弁護人(被告代理人)の出廷を要請した。しかし、開催直前になっても何の応答もなかった。従って裁判官は「アミカスキュリエ」(法廷助言人※)という形で被告側の弁護を取り入れ・・・3名の弁護士が・・・被告側主張を行い、・・・被告が防御できない法廷の問題点を法廷のなかで指摘した。」と反論している。しかし、アミカス・キュリエ(Amicus Curiae、法廷の友)とは、当該訴訟に当事者となっていない(従って自己の権利義務が争点とされていない)第三者の立場に立つものであり、自己の権利義務を争点として(=法廷の当事者として)弁論する被告側弁護人とはおのずから立場を異にする。「裁判官」役としては、被告弁護人が全くいない中で判決を宣告するのはあまりにも無理があると悟ってかかる措置(法廷助言人による弁護)をとったのであろうが、いずれにせよ被告側弁護人(だけでなく被告人そのものも)が不在なのは事実として不変だ。古来、法諺に「自己の訴訟に裁判官たることなかれ」「一方を聴いて双方を裁判するな」「片口聴いて公事をわくるな」「裁判官は左右同じ耳を持たねばならぬ」というのがあるが、女性国際戦犯法廷は、まさにこれらの法諺に示された基本的法原則を達成できていない。そもそも、昭和天皇や旧軍軍人等、もはや自己を弁護することがができない死者(それこそ「死人に口なし」である)を以って被告人とすること自体に無理があるのであって、それを森首相(当時)の責任に転嫁するのは、筋違いというものではないか。
 同団体はまた、安倍氏の「(女性国際戦犯)裁判自体、とんでもない模擬裁判。模擬裁判ともいえない裁判」との発言に対し、「女性国際戦犯法廷は「模擬裁判」ではなく権力を持たない市民の力によって実現した国際的な民衆法廷である。」とし、単なる模擬裁判以上の意義があると反論している。これは結局のところ「女性国際戦犯法廷」の評価に関係する部分なので水掛け論ではあるが、主催団体側が、本法廷を自ら「模擬裁判ではなく民衆法廷」と評しているのは面白い(何とはなしに「人民法廷」を想起させる語ではないか!)。
 その他の反論(例えば、故松井やより氏を「主催者」と見るか「主催団体の代表」と見るかは完全に枝葉末節の問題であって、そんなことが主題団体側がいうように「重大な事実歪曲、誹謗・中傷」にあたるとも思えない)も、結局のところは水掛け論と言ってよい。むしろ、法廷の公平性の欠闕については、「法廷助言人が被告側を弁護した」と説明することで、間接的に「被告側弁護人はいなかった」=法廷の基本的要件である公平性を欠いていたことを告白している。安倍氏の「最初から結論ありきはみえみえ」との批判に対しても、「世界的に信頼の高い国際法の専門家・・・らによって、当時の国際法を適用して、被害者・専門家・元軍人の証言や膨大な証拠資料・・・に基づき厳正な審理を経て、判決が出されたもの」「主催者に対しても「認定の概要」および「判決」は発表まで全く知らされず、「結論先にありき」という発言は根拠なき誹謗中傷」と反論しているが、主催団体のホームページには、「女性国際戦犯法廷」の意義について、1999年12月の国際シンポジウム「戦時・性暴力にどう立ち向かうか」での故松井やより氏の発表として、「(責任者処罰を求める元「慰安婦」の声を受け止めるために)女性たちで民間の法廷を開いて、国際的に信頼のある国際法などの専門家を招いて、「慰安婦」制度の責任者はだれか、どう処罰すべきだったかなどを明らかにし、それが女性への戦争犯罪であったという事実を確認し、歴史の記録に残そうと、「女性国際戦犯法廷」を提案したのです。」と記されている。法廷に批判的な識者がそう言っているだけならともかく、主催団体の代表自身が法廷の意義を「女性に対する戦争犯罪者の処罰」と明言してしまっている以上、法廷は「結論先にありき」だったと評する他ないではないか(それでも「結論ありきでない」とするなら、故松井代表の発言を撤回すべき)。
 ところで、同団体は、抗議声明の中で、北朝鮮による日本人拉致問題について、「そもそも拉致問題が問題化したのは2002年9月17日の日朝首脳会談以後のこと」と主張している。しかし、拉致問題は当然のことながら日朝会談よりもかなり以前から明らかになっており、日朝会談は北朝鮮側がこれをはじめて認めた日(そして、それまで「拉致問題は日本の警察のでっち上げ」等と主張してきた社会民主党や親北朝鮮の識者たちが、しぶしぶ事実を認めた日)というに過ぎない。女性の人権について敏感で、「国家が裁けないものを民衆が裁く」と主張している団体としては、横田めぐみさんらの「拉致」という国家犯罪にあまりにも鈍感ではないだろうか。

※関係記事: 本誌2005年2月号「NHK番組政治介入問題を考える」

■イラク総選挙:イラク人にも国づくりの義務と責任がある 
 総選挙を前にイラク各地でテロ事件が発生(1月17日)
 1月30日に行われるイラクの国民議会選挙を前に、武装勢力によるイラク各地で選挙妨害と見られるテロや襲撃事件が多発しているという。報道によると、17日には、バグダッド北方・バアクーバ近郊で、武装勢力がイラク軍の検問所を襲撃して8人を殺害。ザルカウィ容疑者率いる「イラク聖戦アルカーイダ組織」を名乗る組織が、犯行声明をウェブサイトに掲載した。同日、北部バイジでは、イラク警察署本部に対し車を使った自爆テロがあり、少なくとも7人が死亡、15人が負傷。更に中部ラマディでは、パトロール中の駐留米軍に対する自爆攻撃があり、米軍が応戦して民間人3人が死亡し、9人が負傷したという。
 報道を見る限り、最近のイラク武装各勢力は、単に駐留米軍を含む多国籍軍や兵力派遣国の一般国民を襲撃、殺害するのみならず、暫定政府当局の関係者や新イラク軍、イラク民間防衛軍、警察をはじめ、イラク一般市民やシーア派宗教指導者関係者(16日には、イスラム教シーア派の最高権威シスタニ師の代理人の息子がインターネットカフェで何者かに射殺されている)にまで及んでおり、占領軍に対するレジスタンスというより、もはや単純な無差別殺人行為、テロ行為になってしまっている。
 イラクの国づくりは、最終的にはイラク人自身の手による他ない。そしてそれは、単にイラク人の権利というだけでなく、国際的に負わされた義務であり、責任である。現在、イラク戦争に至った経緯を考えて、国際世論はイラク人に対する同情的な見方が多いが、国際的な支援や援助に暴力で報復し、総選挙も満足に行えないようでは、シーア派、スンニ派を問わず、イラクという国、イラク国民という国民そのものに対する不信と批判が生まれかねない。折りしも、アフガニスタンでは、色々心配はされたものの、最終的には総選挙で勝利したハミド・カルザイ大統領を中心に、なんとか国をまとめあげ、旧北部同盟各派や旧タリバーン勢力との間で意見の相違はあるものの、小異を残して大同につく形で戦災から復興しようとしている。これは、長年の内戦で疲弊したアフガン国民が平和を切望しているということもあろうが、「今回のチャンスで内戦を止め国家を復興しなければ、国際社会から見放される」という強い危機感があったからではないか。「治安の安定に貢献することは、占領軍=米軍に味方する行為だ」等というのは、あまりにも幼稚で近視眼的な発想だ。
 明治維新以降の日本の近代化や、第二次大戦後の日本の驚異的な経済発展は、「非西洋型の近代化モデル」として中東諸国でもよく知られている。実際、日本から要人が訪問するたびに、中東諸国の首脳は「日本をモデルとして国を発展させたい」と発言すると聞く。しかし、日本の近代化や高度経済成長は、単に日本が歴史的・地理的に恵まれていたからというだけではなく、黒船来航や敗戦といった国難に際して、日本人が内輪もめや短兵急な軍事行動をせず、一致団結して国家建設に邁進したからこそ達成できたものだ(逆に、戦略を欠いたまま短兵急な軍事行動を重ねた結果、第二次大戦は敗北してしまった)。イラク人が真に国家の再建と発展を志すのであれば、親米であれ反米であれ、シーア派であれスンニ派であれ、非生産的なテロ等の犯罪行為を直ちに中止すべきだ。

■民主制の理念に反する民法労連・ジャーナリストらの主張 
 ジャーナリストや民放労連、NHK番組改編問題で声明発表(1月18日)
 報道によると、戦時中の慰安婦問題を扱った日本放送協会(NHK)のテレビ番組が改編された問題で、日本民間放送労働組合連合会(民放労連、碓氷和哉・中央執行委員長)は18日、「NHK番組への政治介入事件の徹底究明を求める声明」と題する声明を発表したという。この中で同会は、自由民主党の安倍晋三幹事長代理や中川昭一・経済産業大臣が番組に政治的に介入したとの内部告発に触れ、「伝えられるような政治家の介入が事実とすれば、憲法違反の事前検閲にあたる行為であり、放送の自由と独立を脅かす許しがたい暴挙と言うしかない」と批判。「制作者としての権利を一方的に蹂躙された担当プロデューサー・・・に心から敬意を表したい。・・・同氏を守り抜くことを既に表明しているNHKの労組、日放労の見解を私たちは強く支持する」としている。また、安倍・中川両氏の説明に対しても、納得できないとして「両氏には国民が納得のいく十分な説明」を要求。NHKには真実究明のための第三者委員会の設置を求めた。
 これに関連して、ジャーナリストや大学教授ら十数人も18日、東京・参議院議員会館で記者会見し、安倍・中川両氏の対応を批判。改変された番組の制作の下請けをしていた「ドキュメンタリージャパン」の坂上 香・元ディレクターは「企画を書き、4話シリーズの3話を担当した。2話が問題となっているが、3話も18秒間削られた」「長井さんの話を聞いて納得した。非常に問題なのはメディアの自主規制。政治家にお伺いを立てる姿勢はメディアの自殺行為だ」と述べた他、ジャーナリストの広河隆一氏は「健全な政治を守るためにも、政治家はメディアに一切口を出してはいけない」と強調したという。なお、本件に関し、朝日新聞は、18日付け朝刊に取材の経緯を説明する記事を掲載したが、これに対して、NHKは同日、「誤った内容の記事が一方的に掲載された」として朝日新聞社宛に抗議文を送付している。
 本件については、既に本誌2005年2月号記事「 NHK番組政治介入問題を考える 」で詳述したので重複は避けるが、NHKといえども国会の予算・業務上の監督を受ける特殊法人であり(ここが、他の放送事業者との最大の相違であろう)、放送法(昭和25年法律第132号)第3条の2第1項の規定に反するような番組を編成すれば、民主国家である以上、当然のことながらその是正を求められることになる。その意味で、現場の「編集の自由」を要求し、安倍・中川両氏の「介入」を一方的に批判する民放労連やジャーナリストらの主張は、民主制の観点から見て、いずれも極めて不当なものばかりという他ない(批判者が、民主制それ自体を否定するのであれば、また別であろうが)。特に、ジャーナリストらの主張は、民放も含めたメディア一般の議論と、NHKという特殊法人(公共放送)の場合とで、議論を混交している感がある。ことに、元プロデューサーの坂上氏は、『創』2002年1・2月号に掲載された「私が見たNHK番組「改編」と過剰な自主規制」と題する論考の中で、「44分という限られた時間枠の番組一つで、全ての視点を含むことなど物理的に不可能で、幻想である。ETVは政見放送ではない。右派、左派、中道派の意見を均等に入れ、賛成、反対、そのどちらでもないという様々な意見がありますよ、と知らせることが『公平公正』だと考えているなら、視聴者をバカにしていることになり、その短絡的な見解自体に問題がある。」と語る等、放送法第3条の2第1項に真っ向から違反する考え方を持っているが、かかる考え方は、国民の代表たる国会が法律を制定するという民主的政治制度の考え方に馴染まない主張、と言わざるを得ない。また、民放労連の声明文では、「伝えられるような政治家の介入が事実とすれば」と条件をつけてはいるものの、安倍氏らの対応を「憲法違反の事前検閲にあたる行為」と批判している。しかし、税関検査訴訟に関する昭和59年の最高裁判所大法廷判決によれば、「検閲」とは、「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止すること」であり、国会議員が、放送法に基づき、NHKの予算を審議するにあたって、NHK側に説明を求めたり特定の番組について意見を述べることは、明らかにこの定義には含まれないのである。民放労連は、憲法違反を云々する前に、憲法判例を調べる必要があったのではないだろうか。

■特権を批判するより、特権に相応しい国会議員を育てよう 
 国会議員の互助年金等に関する調査会、両院議長に答申を提出(1月20日)
 報道によると、国会議員の互助年金制度の改革を議論していた衆参両院議長の諮問機関「国会議員の互助年金等に関する調査会」(座長:中島忠能・前人事院総裁)は20日、現在72.7%となっている互助年金の国庫負担率を約50%に引き下げた上、負担と給付を見直す新たな議員年金制度を作るよう求める答申をまとめ、河野洋平衆議院議長と扇千景参議院議長に提出したという。
 国会議員の年金については、国会議員互助年金法(昭和33年法律第70号)に定められた国会議員のみの特別な年金で、毎月の歳費の10%(現在、10万3000円)と期末手当の0.5%(現在、2万9605円)を納付すれば、在職10年で引退後に年額412万円、在職50年で年額741万6000円を受け取ることができる。だが、互助年金を巡っては、「互助」の名前とは反対に、国庫負担率(つまり、掛け金以外で税金から投入される分)が70%以上と高いことが「特権的」と批判され、一部野党や国会議員が廃止(一般の公的年金のみとする)を主張してきた経緯がある(昨年春、小泉純一郎首相が賛成を表明した他、民主党もマニフェストに「廃止」を盛り込んだ)。今回、調査会が答申した新制度「国会議員年金法」は、議員年金の国庫負担率を(平成21年度以降の)国民年金と同じ約50%に引き下げ、掛け金(納付額)を歳費の13%(13万3900円)、期末手当の10%(59万2100円)に増額するとともに、給付水準も見直し、支給開始を在職10年以上から在職12年以上に延期するとともに年額も288万4000円に減額(最高額も年額392万円に減額)するとしている(但し、既に年金を受給している元国会議員については現行通りの年金額維持を求めている)。
 国家財政の厳しさや国会議員の高齢化に伴う年金国庫負担額の上昇が問題となる中、国会議員互助年金についても何らかの見直しをすること自体は、妥当なことだ。国民年金について、政府(政治家)が掛金の負担増を求める中、政治家自身も襟を正す必要があるとの考え方もあるのかもしれない。この問題に関する新聞各社の論説も、概ね議員年金の廃止で足並みが揃っている。
 しかし、「国会議員といえども一切の特権は認められない」「政治家だけがトクをするのは不平等だ」等といった一時の刹那的な意見で、あるいは選挙における人気とり政策として、議員年金それ自体を全廃したり、制度を大幅に改正するのは、如何なものだろうかと首を傾げざるを得ない。国会議員は、普通の勤労者や会社員と異なり、選挙による落選という不確定なリスクがあり(一般の勤労者でも失業リスクはあるが、仕事の内容が公的・政治的色彩を帯びているという意味で、同列には扱えない)、また国民の負託を受けて国政に参画する重要な職業である。仮に退職後あるいは落選後、経済的基盤が急激に不安定になれば、それだけ賄賂や不正な政治献金に対する抵抗力が弱まることは避けられない。退職を先に伸ばして議員の世代交代を阻害したり、現状にも増して落選を回避するために、一層人気取り政策に走る危険性もある。本件について日本経済新聞の1月21日付社説は「(国会議員に特権を認めるのは)世間の感覚と一致しているといえるのだろうか。」と書いているが、「世間の感覚」「国民の割り切れない思い」という不明確・不明朗な「感覚」や「思い」で制度の改廃を論じるのは、健全な議論とはいえない。第一、議員年金が高すぎるというのなら、国会議員の歳費そのものでさえ、「一般企業や公務員と比べて高すぎる」として削減の対象になり得るではないか。悪しき平等意識に立ってバッシングをする前に、必要なコストは、民主主義の必要経費と割り切るだけの度量が必要なのではないだろうか。「政治家がダメだから特権は一切認めない」というのではなく、「特権を与えるに値する政治家を有権者が育てる」という姿勢が必要だ。

■合併自治体の安易な新名称を憂慮する 
 愛知県美浜町・南知多町の合併協議会、新市名を「南セントレア」にすると発表(1月27日)
 報道によると、来年3月の合併を目指している愛知県美浜町・南知多町の合併協議会は27日、合併後の新しい市の名称を「南セントレア市」とすることを決めたという。「セントレア」は、今年2月に開港する中部国際空港の愛称で、空港を運営する中部国際空港株式会社が商標登録している。合併協議会によると、新市名は公募した作品と合併協議会委員の作品から、委員が3作品を無記名投票で候補作品24作品を選定。更にその中から1作品を合併協議会が選んだという。
 現在、カタカナの名称を持つ地方公共団体は北海道ニセコ町、山梨県南アルプス市等があり、またかつては滋賀県マキノ町(平成17年1月1日より、合併して高島市となる)があった。カナカナ名称が一概に悪いとは言えないが、「セントレア」は(空港とはいえ)一企業の商標、しかも英語の造語であり、かかる名称を自治体で採用することには大いに違和感が残る。他の企業が市名を使って経済活動をするにも支障が出てくるし、果たして地域住民はこの名前で愛着が湧くのか。現に、両町の町民からは、早くも抗議が殺到しているという。
 自治体の名称は、市役所や市長の独占物ではなく、住居表示や店舗名称にも使用され、更には地域住民が「わが町」として語る重要な経済的・文化的公共財である。安易なイメージ戦略からひらがな名称やカタカナ名称を採用すれば、一時的には話題になっても(あるいはそれが狙いかもしれないが)、後々確実に禍根を残すことになる。
 その点、最近の「平成の大合併」で誕生した新市名の中には、いかにも軽薄な印象を与えるものがある。例えば、長野県八田村、白根町、芦安村、若草町、櫛形町、甲西町の4町2村が合併した南アルプス市は、本場のアルプス山脈を有するフランス人、スイス人には恥ずかしくて紹介できない。しかも問題なのは、かかる軽薄なる名称が、住民の意思とは離れたところで決められている点だ。例えば、大宮・浦和・与野の三市が合併した埼玉県さいたま市は、新市名を公募した際、漢字の「埼玉市」よりも順位が低い「さいたま市」を敢えて選んだ。「南セントレア市」のケースでも、全国から334件134通り集まった公募作品の中に「セントレア」を含むものはなく、協議会委員が「国際交流都市を目指すのに清新なイメージ」を求めて勝手に決めたもの(ちなみに、公募の第一位は「南知多市」で70件、第2位と第3位は両町名を併せた「美南市」)。しかも、驚くべき事に、第2回合併協議会の投票では「セントレア市」「南セントレア市」「遷都麗空市」(「せんとれあ」と読む)なる作品が合計点数で「南知多市」を上回ったという。「国際交流」というが、いざ外国人に面と向かって市の名称を説明したとき、歴史的経緯や自国の伝統を軽視するが如き名称では、むしろ自分たちが恥ずかしくなるのではないか。国際化の意味を履き違えているとしか思えない。 
 両町では2月27日に合併の是非を問う住民投票が行われる予定だが、新市名がネックとなって合併が中止される事態も危惧されよう。実際、佐賀県・湯陶里(ゆとり)市は、一旦決定したものの住民からの抗議が殺到して「嬉野市」に変更された経緯がある(その後、合併そのものが中止された)。奇抜な名称ではないが、白神山地の世界遺産指定地域が含まれないにも関わらず「白神市」を名乗ろうとした秋田県能代市と周辺6町村の合併協議会は、県内外から抗議が殺到して合併そのものが白紙撤回されてしまった。第一、まだ出来たての中部国際空港「セントレア」よりも、「知多半島」のほうが遙かに知名度があるのではないか。新市名の変更を求めたい。

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