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NHK番組政治介入問題を考える 
偏向番組の是正は政治家として当然の責務ではないか

菊地 光

1、はじめに
 報道によると、日本放送協会(NHK)の長井 暁・番組制作局チーフプロデューサーは1月13日記者会見し、2001年1月30日にNHK教育テレビで放送された旧日本軍のいわゆる「慰安婦」問題等を扱う模擬裁判に関する番組について、当時内閣官房副長官だった安倍晋三・自由民主党幹事長代理ら与党政治家から番組内容を改変するよう指示された、と公表した。それによると、放送直前の1月29日午後、松尾 武・NHK放送総局長(現、NHK出版社長)、国会対策担当の野島直樹・担当局長(現理事)ら幹部が、中川(昭一・経済産業大臣)、安倍両氏に呼ばれ、議員会館などでそれぞれ面会。番組内容の一部を事前に知っていた両議員は「一方的な放送はするな」「公平で客観的な番組にするように」と求め、中川氏はやりとりの中で「それができないならやめてしまえ」などと放送中止を求める発言もしたという。長井氏はまた、「制作現場への政治介入を許してしまった海老沢(勝二・NHK)会長や役員、幹部の責任は重大です」「(海老沢NHK会長は)自民党の旧竹下派の力をバックに会長に上りつめた人だ。海老沢さんは政治家に気を使うが、それが逆にNHKは議員につけ込まれることになったのではないか」と主張、海老沢NHK会長を批判した。
 これに対して、安倍幹事長代理は、「この模擬裁判は、主催者側の意図通りの報道をしようとしているとの関係者からの情報が寄せられたため、事実関係を聴いた。その結果、裁判官役と検事役はいても弁護側証人はいないなど、明確に偏った内容であることが分かり、私は、NHKがとりわけ求められている公正中立の立場で報道すべきではないかと指摘した。国会議員として言うべき意見を言った。政治的圧力をかけたこととは違う」「プロデューサーは事実と全く違うことを述べている。NHK側から私に『会って予算の説明を行いたい』というので会った。その際、自民党で話題になっていた番組について説明があり、私は『公平公正な報道を行ってもらいたい』と述べたのが真実だ。私がNHK側に圧力をかけたことは全くない」「私がいつどこで誰と何を話したかを証明してもらいたい。それができないなら謝罪してもらいたい」と反論。また、中川経産相は、NHK幹部と面談したことを認めた上で「NHKが予算に関して説明に来たのは(2001年)2月2日で、放送日よりも後だ。当方から放送内容の変更や放送中止は一切言っていない」「疑似裁判をやるのは勝手だが、それを公共放送がやるのは放送法上公正ではなく、当然のことを言った」「公正中立の立場で放送すべきであることを指摘したものであり、政治的圧力をかけて中止を強制したものではない。」と説明。「やめてしまえ」という言葉も「NHK側があれこれ直すと説明し、それでもやるというから『だめだ』と言った。」と語った。なお、NHKは、13日、「政治的圧力を受けて番組が変更された事実はない」とする関根昭義・放送総局長の見解を発表したほか、14日、関根昭義放送総局長と三浦元広報局長名で、「NHKの信用を著しく傷つけた」として朝日新聞の箱島信一社長、吉田慎一編集局長あての抗議文を渡し、謝罪と訂正記事の掲載を求めている。
2、問題となった番組とは
 問題となった番組は、4回シリーズで放送された特集番組『戦争をどう裁くか』の第2回「問われる戦時性暴力」で、2000年12月に東京で民間団体「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク(VAWW—NETジャパン、西野瑠美子共同代表)が開催した「女性国際戦犯法廷」を紹介したものであった。同裁判は「加害国日本、被害6カ国、武力紛争に取り組む女性人権活動家などで構成する国際実行委員会」によって「20世紀最大規模の戦時性暴力といわれる日本軍性奴隷制(「慰安婦」制度)を裁く」ために開廷され、「国際的に著名な法律専門家である4人の裁判官(※注)が、当時の国際法に照らして、天皇有罪と国家の責任を認定する判決を下し」たという(以上はVAWW—NETジャパン・HPより引用)。
 しかし、この「女性国際戦犯法廷」は、「法廷」と名乗ってはいるものの、実態としては特定の市民団体による政治的集会という性格が強いものであった(後述)。そのため、これを後追いするだけの番組内容が、NHK教育テレビの特集としてあまりにも政治的に偏向しているとして、市民や保守系の政治団体等から抗議が殺到したこと等から、内容を一部変更。それでも偏りは全面的には是正されず、安倍・中川両氏からの指摘を受ける事態に至った。結局、民衆法廷に批判的立場の専門家のインタビューを増やす、日本兵の行為は『人道に対する罪』に該当し、天皇に責任がある等とする民衆法廷の結論部分等を大幅にカットする、中国人元慰安婦の証言等をカットする等の改訂作業を行い、40分の短縮版(当初44分)が実際に放送された。
※注:4人の裁判官役は、ガブリエル・カーク・マクドナルド・国連旧ユーゴ戦犯法廷前裁判長(米国)、クリスチーヌ・チンキン・英国ロンドン大学教授(国際法)、カルメン・マリア・アルヒバイ国際女性法律家連盟会長(アルゼンチン)、ウィリー・ムトゥンガ・ケニア人権委員会委員長(ケニア大学教授)。また、首席検事役は、ティナ・ドロゴポル・豪フリンダース大助教授(前国際法律家委員会職員)、パトリシア・ビザー・セラーズ・国連旧ユーゴ国際戦犯法廷法律顧問(米国)の2人

3、放送法と「NHK」という特殊法人
 しかし、報道されている事実を吟味する限り、今回の問題において、安倍・中川両氏の行動が殊更問題であったとは到底思えない。
 日本放送協会(NHK)は、「公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内放送を行い又は当該放送番組を委託して放送させる(中略)ことを目的」とする特殊法人である(放送法(昭和25年法律第132号)第7条)。その報道機関としての高度の公共性故に、一般の特殊法人や独立行政法人よりも強い独立性を認められているが、国の設立する特殊法人であることに変わりは無く、当然のことながら内閣・国会による民主的・政治的関与の下に置かれている。民主主義の観点からみて、当然のことであろう。例えば、内閣総理大臣により任命される経営委員会委員は国会の同意人事(第16条第1項)となっている(逆に、独立性を尊重する観点から、会長人事は経営委員会の権限であり、政治的に介入することはできない(第27条第1項))し、収支予算、事業計画及び資金計画については、これを総務大臣に提出し(第37条第1項)、総務大臣はこれに意見を附して国会に提出し、国会の承認を受けなければならないこととされている(第37条第2項)。
 そして、かかる国会承認(同意)事項の審議においては、国会議員は、民主的(政治的)な観点からこの是非を審査し、賛否の態度を示すこととなるが、その態度を決するにあたり、NHK側から事情を聞いたり、全国民の代表たる政治家として所信をNHK側に伝えるのは、国政の当然の作用である。無論、ここでNHK側が政治家の要求や意見を無視すれば、予算や人事の面でそれなりの対応をされることになるが、これは、国権の最高機関たる国会に放送法上許された管理権限の行使であり、適切な緊張関係の具体化であって、「不当な政治介入」などではない。国会議員が、国会での審議の行方を念頭に、NHK側に対して意見を述べるのもこれに準じるものである。仮に、国会(議員)によるかかる「報復」が政治的に不当であるならば、次回の国政選挙において、有権者たる国民自身がその当否を判断すればよいのであって、そこに長井プロデューサーやVAWW—NETジャパンが出る幕は無い(私の知人の公務員等は、「何故、一特殊法人の一職員に過ぎない人が、堂々記者会見を開いて与党の政治家を批判できるのか、感覚としてよくわからない」と言っていた)。その意味で、「番組や記事が視聴者や読者、つまり国民のためになるか、中立公正であるか、それを判断するのはあくまで報道機関自身でなければならない。」とする朝日新聞社説(1月13日付)は完全に誤りという他ない。確かに放送法第3条は、「放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」と規定しているが、これは何もNHKをして民意(政治)から完全に超然とした(独立した)機関たるの地位を保証するものではないのである(民意から完全に独立した「公共放送機関」などありえない)。

4、「法廷」の名に値しない「女性国際戦犯法廷」
 ところで、放送法第3条は、「放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。」としているが(逆に言えば、「法律に定める権限に基く場合」には干渉され得る)、同時に同法第3条の2第1項は、NHKを含む全ての放送事業者は、国内放送の放送番組の編集に当たっては「政治的に公平であること。」「報道は事実をまげないですること。」「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」を求めている。つまり、「意見が対立している問題」について、「できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること」を怠る番組=偏向番組は放送法違反であり、その是正を求めることは適法な行為となる。
 そもそも、番組の素材となった「女性国際戦犯法廷」は、第二次世界大戦中の我が国の特定の制度のみを強調して徒に批判するものであり、「法廷」の構成(主催団体の意向の沿った法廷の構成、「被告」側の依頼する弁護人の欠如、主催団体と同一の意向を持つ裁判官役という公平性の欠闕)や論理構成(国際法の解釈の無理、近代法上刑事裁判においてタブーとされる事後法の遡及適用を行っている、証拠の審査方法の問題性)からしても法律学的にこれといって取り上げるべき性質のものでもなく、我が国の戦争責任を批判する各国市民団体が、身内に都合のよい「法的」解釈を重ねて「判決」なるものを出したものである(産経新聞社『正論』2001年12月号記事「「女性国際戦犯法廷」の愚かしさ」によれば、法廷の会場は「天皇を処罰しろ」といった垂れ幕が飾られ、異様な雰囲気であったというが、とても「法廷」を開く環境ではない)。換言すれば、一政治団体の政治的イベント、決起集会としてはともかく、客観的正義を明らかにする場としての「法廷」を名乗るものとは到底認められないものであった。主催者らは本件「民衆法廷」について「グローバル市民社会が開いた民衆法廷」等と自画自賛しているが(もっとも、何故かその「判決文」はVAWW—NETジャパンのホームページでは概要しか読むことができないが)、民衆法廷であれ正式の国際裁判であれ、法的思考(リーガルマインド)を用いて紛争を解決せんとする「法廷」と名乗るためには、その判決の論理的説得性とともに、法廷の公平性、当事者の判決受理可能性(つまり、両当事者が判決を受容できるだけの「器」)が求められる。ある事件を巡って原告と被告が法と論理の世界のテーブルに着席し、弁論・防御を十分かつ公平に行い、人間の持てる最大の思考力を駆使して両者の主張する主観的正義を吟味し、賢慮によって客観的正義たる「賢慮」を得る。かかる条件を欠く、「被告」とされた側の依頼する弁護人の出席すらない「法廷」は、本件のような「民衆法廷」であれ、正規の裁判所による裁判であれ(例えば東京裁判=極東国際軍事裁判)、「法廷」の名に値せず、「正義」の仮面を被った政治的イベントに堕落するのである(実は、主催者らもその「不公平性」については薄々気づいていたらしく、法廷の取材や傍聴は「法廷の趣旨に賛同する」と宣約した者のみを許し、産経新聞社等の取材は拒否していた。もし自ら「法廷」の名に値すると自信を持っていたのなら、何人の傍聴も拒む必要はなかったであろう)。もし、主催者らが真に後世の歴史的・法的評価に耐えうる「法廷」を形成したいと欲するのであれば、その構成や審理手続きについて、意見の異なる団体と広く連携する等してもっと慎重に準備すべきであった。主催団体は、「国内メディアは天皇と「慰安婦」という二つのタブーに挑んだこの「法廷」を恐れたのか、ほとんど黙殺した」等と恨み節を言う前に、何故この「民衆法廷」が「黙殺された」のかを考えるべきではないだろうか。
 いずせにせよ、本件「民衆法廷」がその形式、内容において多くの批判を浴びていたことは事実であり、それを無視した形で一方的に番組を制作しようとすれば、放送法第3条の2第1項の趣旨に照らして、全国民の民主的な代表者たる国会議員から「公平性の担保」を求められるのは至極当然のことである。この点、安倍・中川両氏の行動は、放送法の趣旨に合致こそすれ、反するものではない。
「法廷」や「裁判」の意義については、本誌「健論法学」内記事「 「法」とは何か 」を参照されたい。
ところで、本件に関して、小泉首相は14日、「安倍・中川両氏の行動は問題は無い。むしろNHKの方が問題」と述べたという。ここで小泉首相は明言はしていないが、安倍・中川両氏を問題なしとしていることからも、小泉首相が「問題視」しているのは、NHKそのものというよりも長井チーフプロデューサーのほうであろう。何とまた正論を吐く首相ではないか。

5、おわりに
 今回の問題の核心は、「日本の戦争責任の追及に積極的な番組制作者や「民衆法廷」主催者の意向を反映した番組に対する、戦争責任を認めようとしない保守的な与党政治家の介入」などではなく、放送法第3条の2第1項第2号・第4号の趣旨に明らかに反する番組を制作したNHKと番組制作者自身の問題性、換言すれば、番組制作者の、番組の客観性・公正性論理的説得性に対する配慮の無さにこそある。「政治的中立性」とは、外部からの政治的批判を許さない「超然主義」のことではなく、2つの権力(国会と報道機関)の「抑制と均衡」の緊張関係にこそ成立するものであり、また番組内容の政治的公平性とは、正に放送法第3条の2第1項第4号がいうように、「意見が対立している問題については、できるだけ多くの角度から論点を明らかにすること。」である。だから、「政治的公平性が定義できない以上、それが拡大解釈され、与党政治家による言論封殺に繋がる」といった批判は全くあたらない。「言論には言論を以って対抗すべきである」から政治的介入は不当だと主張するむきもあるが、それ以前の問題として、言論で「対抗」すべき場を奪うような番組制作のやり方は、偏向報道として厳しく批判されても仕方あるまい。そもそも、「自分たちに都合の悪い政治的批判は『不当な圧力だ』等というのは、あまりにもご都合主義ではないか。民主主義社会においては、報道機関自体が政治的存在であり、報道内容によっては、番組それ自体が「不当な圧力」になる。
 むしろ不可解なのは、何故この問題(2001年1月の出来事)が今頃(2005年1月)になって蒸し返され、大々的に報道されているのかである。最近、一連のNHKの不祥事に関連して、NHK自身や海老沢NHK会長に対する批判やバッシングが高まっているが、これに関連付けて、本件をNHK会長と番組制作者のNHK内部の争い(海老沢会長の立場が弱くなったことを利用した、反海老沢派の反乱)と評するむきもある。また、この番組を制作したNHKの子会社「NHKエンタープライズ」のプロデューサー、「民衆法廷」を開催した団体(過去に元朝日新聞記者が代表をつとめた)と朝日新聞社の人脈的つながりから、本件をNHK会長と安倍・中川両氏の政治生命の転覆を図った政治的事件と捉える識者もいる。あながち、真実を衝いているのかもしれない。
 本件に関して、社会民主党の福島瑞穂党首は12日、「メディアの編集権への悪質な介入であり、断じて許されるものではない。権力の乱用、悪用だと思う」と厳しく批判、国会で安倍氏らの責任を追及する姿勢を示したという。朝日新聞の13日付け社説「NHK——政治家への抵抗力を持て」もほぼ同様の趣旨であり、「このような行為は憲法が禁止する検閲に通じかねない。」等と主張している。では、福島党首は、仮に社会民主党が与党となった際、NHKが社会民主党の政策を一方的に(=反対意見を紹介しないで)批判する番組を放送しても、NHK予算・人事に影響力を行使しないと誓うのか。あるいは、NHKが首相の靖国神社参拝や自衛隊の海外派遣について全面的に賛成する番組を、参拝反対派や派遣反対派の見解を無視して放送した場合も、「メディアの編集権への悪質な介入」ととられるようなことはしないのか。NHKが東條英機元首相やイラク戦争を礼賛する(=一方的な視点から賛同する)番組を放送した場合も、「憲法が禁止する検閲に通じかねない」事前チェックをしないのか。ぜひご本人に問うてみたいものである。

 菊地 光(きくち・ひかる) 本会会長

「健論時評」1月分 に関連記事があります。


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