このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

普天間基地問題は原点に立ち戻れ
〜政治的信条ではなく、あくまで現実的視点に立つべきだ〜

中島 健

 沖縄県宜野湾市の米海兵隊普天間飛行場の返還と、これに伴い同県名護市辺野古・キャンプ・シュワブ沖に海上航空基地(ヘリポート)を建設する問題は、平成10年2月以来、停頓したままである。普天間基地の返還については、既に日米の政府間(SACO=沖縄に関する特別行動委員会)で代替基地の建設を条件に合意されているが、代替施設の建設予定地となっている名護市では、市民投票の結果「建設反対」が「建設賛成」を上回る多数となり、地元の合意は得られていない。また、沖縄県の大田昌秀知事も、既に名護市市長選挙の際に海上航空基地建設反対の立場を正式に表明しており、政府は、今のところ、今年の沖縄県知事選挙をにらんで、冷却期間を置いているように思われる。
 そもそも、普天間飛行場の移設問題は、沖縄に駐留する米海兵隊の兵士らによる少女暴行事件をきっかけとして、沖縄県全土に広がった反基地運動に端を発している。その背景には、第二次大戦末期に米軍と地上戦を戦い、最終的に米軍に占領されて以来、米軍基地の撤去を求めてきた地元住民の反基地感情があるのは明らかであろう。また、住民を巻き込んだ地上戦が戦われた結果、反基地感情と並んで、反戦感情が強いことも理解できないことではない。
 しかし、沖縄のそうした歴史を一応理解した上でも、私はなお、沖縄の反基地運動に賛同することはできない。無論、その理由の一つは、こうした運動が反戦運動、反自衛隊運動、更には日米安保条約に反対する旧社会党系、共産党系の団体(更には、極左暴力集団とも)と連動しているからであるが、そうした政治的信条を差し引いてもなお、これらの運動は首肯しかねるところがある。それは、基地の周辺住民は、その基地の使用目的に、己の政治的信条からあれこれ口を挟むべきではないからである。
 単純な例で説明しよう。例えば、ある町に新しく、パンの製造工場が出来たからといって、周辺住民は、その工場の操業目的そのものに反対である事を理由に(ここでは、「パンの製造」)、工場の撤去を求めることはできない。 日本国憲法 は土地の公共性に留意しつつ財産権を保障しており( 第29条 )、所有する土地を如何様に使用するかはあくまで所有者の自由であり、自由に使用する権利がある。隣の店がパン屋だろうが、本屋だろうが、周辺住民は原則的にはその内容に文句をつけることはできないのであって、ましてや、普天間基地というのは私企業ではなく、国家の安全保障を担当する重要な施設なのだから、これを拒絶する事の国政への影響を考えれば、それへの反対は妥当性を欠くと言わざるを得ないのである(無論、反対運動を主導している運動家は、そうと知りつつ反対運動を展開しているのであろうが)。
 無論、だからといって、土地の所有者はその所有地で如何なる活動を行ってもよいわけではない。例えば、 民法 (明治29年法律第89号)は、その規定の中に私権濫用の禁止や社会的利益との調和などの条項を持っており、所有権絶対の原則が100%認められている訳ではない。また、各種行政法令の中には、一定の公益上の理由から、行政目的を達成するため、土地の使用方法について制限を設けているものもある(農地の売買について農業委員会の許可を要するとした農地法や、市街地の用途について規制した都市計画法、風俗営業の開業規制に関する風俗営業法、土地収用の対象となる土地について規制を定めた土地収用法など)。沖縄の米軍基地問題では、離着陸する軍用機の騒音や、基地が市街地の中心を占めているために緊急車両が迅速に移動できない等の問題に関して、社会的利益との調和が求められることになる。基地以外の例では、悪臭、騒音、振動等の公害を発している場合、青少年の健全な育成に反する場合などが考えられるだろう。しかし、繰り返すが、沖縄県民、とくに宜野湾市民は、普天間基地の存在が「住民生活に影響するから」という理由で基地返還を主張できても、「日米安保反対であるから」という理由では主張できないはずだし、すべきではない。その様な観点からの基地反対論は、政府・自民党ばかりか、日米安保を支持する大多数の国民にとっても受け容れ難い選択肢であり、結果として基地問題の解決の停滞をもたらすだけである。
 普天間基地の問題を解決するとすれば、それは、(1)平時における訓練飛行の制限、防音工事の促進による騒音被害の軽減、(2)基地から外出する兵員に対する教育の徹底、(3)場合によっては緊急車両の基地横断の容認、といった政策によるべきであろう。これらの施策によって、(米兵が基地外で犯罪を犯しても、起訴されるまでは米軍が当該兵士を拘禁するとした)日米地位協定の不平等性の問題、基地の騒音公害の問題、それに沖縄側が度々主張している「基地によって市街地形成が阻害されている」問題(もっとも、歴史的事実としては、宜野湾市の市街地に普天間基地が建設されたのではなく、戦後宜野湾市が那覇のベットタウンとして発達してきた結果、基地周辺に市街地が形成されたのであるが)、この3つが一挙に解決するのである。ちなみに、米軍人の法的地位の問題に関して、ドイツは、既に米軍基地内部に自国法の適用を認めるよう、冷戦終結後にNATOの地位協定を改正した、と聞く。
 沖縄米軍基地問題は、それが安保・自衛隊問題、更には(冷戦時代には)「資本主義陣営か共産主義陣営か」「自由主義陣営か社会主義陣営か」「親米か親ソか」といった政治問題と密接な関連を有しているだけに、問題が複雑になり勝ちである。しかし、こうしたイデオロギーの問題に深入りしてこの問題を議論していては、結局のところ、現実の基地被害をなくすことはできない(第一、国民の大多数は、濃淡はあれ日米安保条約を原則として支持しており、安保反対論の見地からする基地不要論は受け容れられない)。いずれにせよ、基地問題は現実的見地、生活者の見地から、議論されるべきものである。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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