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対人地雷問題に関する若干の補足
〜著者への質問を中心に〜

中島 健

  月刊「健章旗」1998年6月号 に掲載した拙文「 再論・我が国は対人地雷全面禁止条約に参加すべきか 」、及びそれを元に行った弁論「我が国は対人地雷全面禁止条約に参加すべきか」及び英語弁論「Should Japan join the total ban treaty on Anti-Personnel Mines?」では、聴衆の皆様から様々な質問やご指摘を頂いた。そこで、今回はそれらの質問に対する答えを中心に、対人地雷問題に関する若干の補足をしていきたいと思う。

1、我が国の国是と地雷問題

●Q.我が国は憲法第9条などで平和国家を標榜している国家であるが、対人地雷の廃絶という、世界が平和へ向かって動き出そうとしているこの条約に、平和国家であるはずの我が国が参加しないのは矛盾であり、ただでさえわかりにくい我が国の国際的イメージを傷つけ、折角「平和国家」色を出そうとしているのに、国際的な信用を落としてしまうのではないだろうか。

 なるほど、確かに我が国は憲法第9条において、侵略戦争の放棄を謳い、また原子力基本法や「宇宙の平和利用」原則、非核三原則、武器輸出三原則等により、平和を国是としている。しかし、それでもなお、我が国は自分の身を急迫不正の侵略から守るために、自衛隊という自衛のための軍隊を保有しており、また政府の憲法解釈も、我が国は自然権的権利によって自衛力を保持していると認めている。ところで、我が国の平和と安全を守ることを主任務とする自衛隊は、当然自衛力を発揮するために武装しているのだが、それらの武装は我が国が平和国家であっても許される、自衛のための必要最小限度のものである(ことになっている)。そしてそれらの武器は、平和国家という国是に抵触しないよう、武器輸出三原則等によって海外への移転が禁止されており、少なくとも我が国の武器輸出政策によって他国の紛争を惨劇化させた実例は無い。つまり、たとえ平和国家を標榜したとしても、ただちに自動小銃や戦車といった武器の所持が否定されるわけではないのである。そして対人地雷もまた、我が国においては専ら自衛隊の厳重な管理の下に、自動小銃や戦車と同じく、自衛の範囲を越えない防衛兵器として使用されているのであって、平和国家の国是に抵触しないことは明らかである(※注)
 そもそも対人地雷の問題は、その無差別性故に人道問題として認知されはじめた。たしかに、対人地雷そのものは、人道問題とすべき無差別性を内包してはいるが、しかしそれは、訓練された正規軍隊が使用すれば回避することが十分可能なのである。実際、世界の主要な国々は、特定通常兵器制限・禁止条約の規定に従って、地雷原の設置場所や表示等について様々な義務を負いつつ、適切な範囲で地雷という有効な武器を使用しているのである。
 しかしながら、これらの条約に拘束されないゲリラ等の武装集団が対人地雷を使用すれば、それは簡単に残酷な無差別攻撃兵器となってしまう。ところで、対人地雷全面禁止条約は、後者によって生まれる被害を食い止めるのに、前者を規制することによって達成しようとしている。これは、おかしなことではないだろうか。赤十字国際委員会がまとめた「対人地雷 味方か?敵か?」でも、多くの地雷被害者が、ゲリラ設置の地雷によるものであることを認めているのに、である。より単純化していえば、少年によるナイフ犯罪が多発しているのに対処しようとして、家庭の調理用包丁を禁止してみても、少年のバタフライナイフは何等影響されないのと同じことである。

※注記
 逆に、もし対人地雷が平和国家の国是と衝突する、というなら、対人地雷よりも殺傷性の高い拳銃(対人地雷は、1発で命までは奪わないが、拳銃なら1発で簡単に人を殺傷できる)、自動小銃、擲弾発射筒、榴弾砲弾、戦車砲弾やクラスター爆弾、それに対艦ミサイル等の武器も潔く廃止すべきである。いや、そもそも自衛隊の武装それ自体が、平和国家の国是に抵触するということにまで飛躍し、結局は非武装中立を意味することになる。そして、非武装中立が如何に我が国にとって不可能な、馬鹿げた政策であるかは論ずるまでもないだろう。

2、国際貢献の方法

●Q.我が国は資金援助によって貢献すべきだ、というが、それではこれまでの我が国の『お金で解決』という悪い姿勢を踏襲するだけではないか。

 なるほど、たしかに「資金援助による貢献」は一見、表面的には従来の我が国に見られた『お金で解決』という安易な態度に相通ずるものがあるかもしれない。しかし、こと対人地雷の撤去に関しては、その性格が他の分野の援助とは大きく異なるのであって、上記のような批判は当てはまらない。
 勿論、我が国が対人地雷の撤去作業に「金」だけでなく「人」も出すことは不可能ではない。例えば、海外青年協力隊や国連平和協力隊を活用して、有志の青年や自衛隊の地雷原処理部隊を出動させることができる。そして、我が国の費用の下でこれらの部隊を国際貢献に供することは、短期的には目に見える国際貢献に繋がるであろう。
 しかし、ちょっと待って頂きたい。拙文でも述べた通り、これらの紛争当事国の経済は破綻しており、平和が戻っても仕事が無いといったことがしばしばある。また、例え農地を持っていても、対人地雷に汚染されていて耕作できず、仕方なく一時的に別の仕事を探さなければならない例もある。このように、紛争終結直後の紛争当事国においては、雇用環境が悪く仕事が無いことが多いのだが、もし我が国が、この地において地雷撤去技術者を訓練して、地雷探知機器を貸与し、その現地技術者を雇用して対人地雷の撤去を行うことができれば、単に地雷を撤去できるだけでなく、仕事が足りない紛争当事国に新しい雇用を生み出し、民心の安定にも寄与することができるのである。つまり、我が国がでしゃばって部隊・人員を出すよりも、むしろ資金と地雷撤去技術を出して、紛争当事国の国民を雇用した方が、より有効かつ長期的な国際貢献に繋がるのである。以上の理由により、私は我が国の対人地雷問題に対する貢献は、NGOや紛争当事国政府を通じた地雷撤去資金の援助によるべきである、と考えるのである(もっとも、一部の論者の中には、自衛隊の海外派兵につながるような対人地雷撤去の貢献を嫌って、「資金援助」を推奨する者もいるが、私はそのような考えは全く念頭に無い)。

3、地雷の代替兵器

●Q.原発の周辺に地雷原を設置する前に、機雷によって敵潜水艦の侵入を阻止すればよいではないか。

 確かに、機雷を使用することも不可能ではない。しかし、それでは平時から(例えば原発の密集する)山陰海岸全域を機雷封鎖しなくてはならなくなってしまう。地雷を使用するならば、平時の設置は原発等の戦略拠点の周辺だけですみ、効率的である。

●Q.空挺部隊による原発侵入を許せば、周辺の地雷原も無意味になってしまうのではないか。

 実際のところ、空挺部隊、つまり伝統的に落下傘降下をする部隊は、大変危険な任務であり、原発施設そのものに空挺降下することは、降下時の危険性や降下後の集合等の観点からもむずかしい(周辺の空き地に降下したあと、襲撃してくる可能性の方が高い)。また、空挺降下するためには当然航空機に乗ってくるわけだが、そのような航空機は簡単に探知され航空自衛隊によって迎撃される(但し、敵が味方航空基地やレーダー基地を予め無効化し、局地的な航空優勢を確保しているのならば話は別だが、そのような可能性は非常に低い)ので、そのような可能性は非常に低いと見てよい。何故、特殊部隊員は潜水艦を使うのかと言えば、それは海中は空中と違って、レーダーのように画一的に探知・識別するような技術が無く、浸透には好都合だからである。

4、我が国の国際的立場

●Q.既に我が国はこの条約に調印してしまっており、またこの条約はノーベル平和賞を受賞しているほど世界的に認知されたものであって、これを破棄することは我が国の国際的な信用を損ねることになるのではないか。

 拙文でも書いたとおり、そもそも我が国は対人地雷を輸出して非人道的な作戦に間接的に関与したことはなく、むしろ地雷撤去資金を捻出しているのであって、世界の兵器輸出諸国と同列に扱われるべき立場にはない。また、我が国の近傍には北朝鮮という狂気の集団が存在しているのであり、我が国の国防が朝鮮半島情勢と密接に関っている以上、これは我が国の特殊事情として考慮されるべき問題である。これらのことを世界各国に明確に説明した上で、我が国は他の未署名国と共同歩調をとるべきであろう。現に、国連常任理事国の過半数がこの条約に未加盟なのであり、ことに我が国の最大の友好国・アメリカ合衆国が未参加であることは大きい。ただし、現時点で条約そのものから脱退してしまうのは得策ではないので、条約を批准しない、というのが最も現実的な選択肢なのではないかと考える。なお、「ノーベル平和賞を受賞しているから」などというのはあまりにも軽率で、ノーベル平和賞を受賞しているからといって我が国の国防をおろそかにしてよい理由にはならない(そもそも、ノーベル平和賞それ自体が、かなり胡散臭い賞である)。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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