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通信傍受法案を考える
〜その内容と論点〜

中島 健

【目 次】

第1章 はじめに
第2章 刑事手続の基礎的概念

    ①法定適正手続の保障
    ②任意捜査の原則・強制処分法定主義
    ③令状主義
第3章 通信傍受法案の概要
第4章 通信傍受法案の評価できる点と問題点
    ①評価できる点
    ②問題点

第5章 おわりに

■第1章 はじめに

 近年の我が国における犯罪は、一方で通常の 刑法 犯についてはなお各国と比較して低調に推移しているものの(但し、認知件数は微増傾向)、他方で暴力団による薬物・銃器の取引等の犯罪、オウム真理教による所謂「地下鉄サリン事件」等の凶悪犯罪、更には総会屋や詐欺商法等の一連の経済犯罪を挙げるまでもなく、経済社会・科学技術の高度発達した今日の現代社会にあって、それらを悪用して組織的に行われるようになって来ており、平穏な市民生活を脅かし、健全な経済社会の維持に対する重大な脅威となっている。特に、こうした組織的犯罪は組織的かつ確信犯的であるが故に犯罪目的が実現しやすく、計画的な証拠隠滅や犯人隠匿工作を行うために密行性が高く、また犯罪そのものの発見や究明が困難であり、従来の刑事法に基づいた手続きでは対処しきれない部分が生じている。更に、国際的にも、1988年の「麻薬及び向精神薬の不正取引の防止に関する国際連合条約(麻薬新条約)」をはじめ、1989年のアルシュ・サミット(先進国首脳会議)経済宣言、1994年のナポリ・サミット経済宣言、1995年のハリファックス・サミット議長声明、1996年のリヨン・サミット議長声明等で、国際組織犯罪や薬物取引、資金洗浄等について繰り返しその重要性が宣言されてきており、主要先進国の一員である我が国としては、こうした国際的な動向を無視することは出来ない。
 そこで、法務省は1996年10月8日、法制度に関する諮問について検討する法制審議会に対して組織犯罪対策立法の諮問を行い(諮問第42号)、法制審議会刑事法部会は翌1997年9月10日、「組織的な犯罪に対処するための刑事法整備要綱骨子(案)」を法務大臣に対して答申した。そして、それを受けて法務省は、1997年10月13日までに、「組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律案要綱骨子」「刑事訴訟法の一部を改正する法律案要綱骨子」及び「犯罪捜査のための通信傍受に関する法律案要綱骨子」を作成、1998年3月10日国会に提出した。

▲法案を提出した法務省(東京都千代田区)

 一方、こうした「高度化した犯罪」に対処するための特別立法は、組織的犯罪の捜査・公判の遂行に大きく資するものであるが、それは同時に、捜査機関の日常市民生活への介入をもたらし、 憲法 で保障された自由権や刑事訴訟の在り方、更には国民プライバシーの権利と衝突し兼ねないことも又、事実である。特に、本稿で取り上げる通信傍受法案(いわゆる盗聴法案)は、憲法の保障する通信の秘密に対する例外であり、従ってこうした立法は、国民の憲法上の権利との整合性の問題も含めて、慎重な態度で検討されることが望ましい。事実、既にこの通信傍受法案は 日本弁護士連合会 をはじめとする各種団体から根強い「反対」が主張されている。
 そこで本稿では、まず刑事手続の基本的概念や原理について確認し、通信傍受法の概要について概観した上で、その評価できる点、問題点について考察する。

※注釈
 この章の資料については、以下のものを使用した。
法務省刑事局刑事法制課編 『組織的犯罪と刑事法』 有斐閣、1997年
日本弁護士連合会ホームページ 『「組織的な犯罪に対処するための刑事法要綱骨子」に関する意見書』

■第2章 刑事手続の基礎的概念

 刑事手続とは、犯罪と刑罰を定める実体法である 刑法 (明治40年法律第45号)に規定された犯罪行為を行った者に対して、刑罰を課すための具体的実現に関する手続きのことであり、我が国においては、刑事訴訟法(昭和23年法律第131号)、刑事訴訟規則(昭和23年最高裁規則第32号)、少年法(昭和23年法律第168号)等で具体的に規定されている。この内、成人の刑事事件の手続きを定めた刑事訴訟法は、実質的真実究明と共に公共の福祉、基本的人権尊重のための「法定適正手続の保障」の観点から、刑事手続に、原告(検察官)と被告(被告人)とが対立して攻撃・防御を行い、その主張について裁判所が第3者の立場から判断を下すという「訴訟」の類型(三面構造、対審構造)を採用している(※注1)。なお、狭義の刑事手続は公判手続のみを指すが、広義の刑事手続は捜査から公判手続、刑の執行までの全過程を含む。
 ところで、こうした刑事手続は、捜査の過程等で、時として強制力を伴った処分(強制処分)が為される場合があり、被疑者及びその関係者の精神・身体の自由その他の基本的な人権を侵害する危険性が高い(事実、強制処分はそうした法益侵害を一定の範囲内で認めるものー逮捕や押収ーであり、それが正当化されるのは法令行為<刑35>として違法性が阻却されるからに他ならない)。その為、基本的人権の尊重を基本原理とする 日本国憲法 は、 第31条 から 第40条 にかけて、刑事訴訟のあり方に関して特に詳細な規定を持っている。従って、刑事訴訟法は、そうした 憲法 上の保障も踏まえて、適正手続きのための幾つかの重要な原則を定めており、また刑事訴訟法に新たな制度を導入しようとする時は、こうした憲法規範の規定に十分な注意を払う必要があるのである。その具体例を実際の刑事手続に従って列挙すれば、まず捜査に関して、「任意捜査の原則」(刑訴197①)・「強制処分法定主義」(刑訴197①但)、「令状主義」( 憲33〜35 )があり、続いて公訴提起に関して「起訴状一本主義」(予断排除の原則、刑訴256⑥)、公判、特に事実認定に関して「証拠裁判主義」(刑訴317条)、「弁論主義」(刑訴298①、但し②は職権探知主義を認める)、「自由心証主義」(刑訴318)、「自白法則」( 憲38②③ 、刑訴319①)、「伝聞法則」(刑訴320①、例外は321以下)、「違法収集証拠の排除法則」(学説)、「疑わしきは被告人の利益に」、また刑が確定した時点で「一事不再理」(憲39)といったものがあり、更に刑事手続全体に関して「弁護人選任権」( 憲34 、刑訴30等)、「法定適正手続の保障(手続法定の原則)」( 憲31 )及び「黙秘権の保障」( 憲38① 、刑訴198②・291②・311①等)が挙げられるが、ここでは、本稿の主題である通信傍受法に特に関係する「法定適正手続の保障」、「任意捜査の原則」及び「強制処分法定主義」、そして「令状主義」について概観する。

●1、法定適正手続の保障
  憲法第31条 は、「何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪われ、又はその他の刑罰を科せられない。」として、人身の自由のための法定適正手続を定めている。これは、アメリカ合衆国憲法修正第5条の「法の適正な手続due process of law)」(※注2)に由来する規定で、人権保障と密接不可分の関係にある(※注3)。そして、通説では、31条は単に手続の法定のみを要求しているように読めるが、母法の解釈に従って実際にはその他に①法定手続そのものが適正でなければならないこと(後述する「告知」と「聴聞」の保障)、②手続だけでなく実体もまた法定であるべきこと(罪刑法定主義)、そして③実体法そのものの適正をも要求しているものである、と解釈する(※注4)
 この原則の内容として特に重要なのが、公権力が国民に刑罰その他の不利益を科す場合には、予め「告知」と「聴聞」、つまり当事者への通知と弁解・防御の機会を与えなければならない、とする原則(告知と聴聞を受ける権利)である(※注5)。そして、刑事訴訟法においては、(ちょうど刑法について罪刑法定主義が根本原則となっているように)適正手続の原則はその全体を貫く根本原則となっており、具体的には、例えば捜査段階では留置中の被疑者に犯罪事実の要旨及び黙秘権(刑訴198②)の告知、弁護人選任権・接見交通権(刑訴39)、弁解の機会の付与等といった形で保障されている。

●2、任意捜査の原則・強制処分法定主義
 捜査とは、捜査機関(司法警察職員、検察官)による、公判の提起・遂行のための被疑者の発見・確保と証拠の捜索・収集行為のことであるが、刑事訴訟法第197条1項は、「捜査については、その目的を達するため必要な取調をすることができる。但し、強制の処分は、この法律に特別の定のある場合でなければ、これをすることができない。」として、「任意捜査の原則」(強制処分法定主義)を定めている。実務上も、捜査機関の捜査は任意捜査が主体であって、「司法警察職員は、犯罪があると思料するときは、犯人及び証拠を捜査(するものとする)」(刑訴189)し、実況検分(=任意の検証)、聞き込み、内偵、参考人の取調べや被疑者の在宅取調べ等を経てはじめて逮捕、拘留等の強制捜査に至る(※注6)。また、条文自体には必ずしも任意捜査を優先させるべきことが規定されているわけではないが、捜査活動が個人生活の法益に与える影響を考慮して、捜査比例の原則から任意捜査の原則が導出される。なお、任意捜査であっても職務質問のように拘束を含む場合がある。任意捜査と強制捜査の区別は、単に直接・間接(罰則等による強制)の強制がある場合というばかりでなく、相手方に対して違法な権利侵害をもたらすものも含まれ、例えば盗撮や盗聴等プライバシーのような無形的な法益を侵害する場合も、「強制捜査」と呼ぶことが出来る。強制捜査の具体例としては、召喚・勾引、逮捕・拘留、捜索・差押等がある。

●3、令状主義
 令状主義とは、捜査機関は第三者である裁判官の発する、正当な理由に基づき、対象物が特定されている令状が無ければ強制処分(強制捜査)をすることが出来ない、とする原則であり、これは治安担当官であっても法律専門家ではない警察(司法警察職員)に対する司法的抑制(強制処分の濫用防止)のための制度である。但し、現行犯逮捕は、人権侵害の危険性が少ないため令状なしでの逮捕が認められるし( 憲33 、刑訴213)、「死刑又は無期若しくは長期三年以上の懲役若しくは禁錮にあたる罪を犯したことを疑うに足りる充分な理由がある場合で、急速を要し、裁判官の逮捕状を求めることができないときは、その理由を告げて被疑者を逮捕することができる」という緊急逮捕の制度もある(「この場合には、直ちに裁判官の逮捕状を求める手続をしなければならない」)(刑訴210)。これは、 憲法第33条 の規定(現行犯逮捕以外の無令状逮捕を認めない)と衝突するものであるが、昭和30年(1955年)の最高裁判所判例は、緊急逮捕も合憲と判示している(※注7)。なお、 憲法第35条第1項 の「捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、〜」の規定は、特定性の要求、つまり一般令状(一般的探索的捜索令状)を禁止していると解されている(※注8)

※注釈・参考文献
1:そもそも我が国の刑事手続は、戦前にあっては、強い欧州法の影響下にあったため、訴訟とはいえ裁判所自らが実質的真実究明を目指して捜査、公判を遂行する職権主義的、糾問主義的な制度が採用されていた(例えば、判事も検事も共に司法省・裁判所の管轄下にあり、また法廷では判事と検事が正面の一段高いところに同列に着席し、弁護人は被告人と共に判検事と対面する二面構造を採用していた)。しかし戦後の占領改革で、「刑事手続は民事訴訟と同じ」と考え、歴史的真実の究明よりも適正手続を重視する米国法(注2参照)の影響を受けた改正が為された結果、民事訴訟と同じ当事者主義の考え方が導入され、弁論主義や処分権主義に基づく米国法的な制度が採用された(但し、米国法の如く、司法取引やアレインメントの制度<有罪答弁を行えば、証拠調べを省略できる、という制度>等、被告側の処分権は認められていない)。それ故、現在の刑事訴訟法は、欧州法的な「(歴史的)真実究明」と米国法的な「適正手続」の両者の要素が混在しており、そのことが法第1条の文言に現れている。
(:井田 良『基礎から学ぶ刑事法』有斐閣、1995年 172〜177ページ、
  田宮 裕『刑事訴訟法』有斐閣、1992年 3〜7ページ)
2:アメリカ合衆国憲法修正第5条:「…何人も、法の適正な手続き(due process of law)によらないで、生命、自由または財産を奪われることはない。…」
 なお、アメリカ合衆国憲法修正第14条は、各州の法律についても、法定適正手続の原則を定める。
 こうした考え方は英米法の特徴であり、古くは1215年のマグナカルタ(大憲章)第39条に由来する。
(:阿部照哉・畑博行 『世界の憲法集』有信堂、1991年 12ページ。また、
  小林 節『憲法』増訂版 南窓社、1994年 60ページ・
  大沢秀介『憲法入門』成文堂、1998年 164〜166ページ。)
3:アメリカで特に適正手続が重視されるのは、多民族国家である以上法の実体についてはその在り方を巡って各文化毎に争いが生まれてしまうのであり、客観的に見て適正な手続がとられたかどうかで判断を下そうとする傾向があるからである。
4:芦部信喜『憲法』新版 岩波書店、1997年 218ページ。
 但し、手続法定・適正及び実体法定・適正の根拠については、これを13条等他の規定におく有力説もあるが、結果としてこの4つを保障することにかわりはない。
(:伊藤 真『憲法』弘文堂、1998年 242ページ)
5:なお、「告知と聴聞の権利」は、行政手続法(平成5年法律第88号)等により、刑事手続だけでなく行政手続にも準用される。
(:芦部前掲書、220ページ。また、
  大沢前掲書、166ページ。)
6:田宮前掲書、63ページ
7:最高裁は、一定の厳格な条件の下で、罪状の特に思い犯罪の捜査のために緊急逮捕は必要であるし憲法第33条の趣旨である「不当逮捕の禁止」に反しない、として、緊急逮捕を合憲とした。
 なお、緊急逮捕合憲の学説については、①令状逮捕説(全体的に見れば、令状による逮捕と同じである)、②合理的逮捕説(現行犯と同じく、合理的である。母法であるアメリカ合衆国憲法修正第4条にならったもの)、③治安維持上の緊急行為であるとする説、④公共の福祉による制約であるとする説がある(その他、相対的合憲説もある)。また、我が国においては令状発付権者は裁判官だけで、検察官にはそうした権限が認められていないことも考慮する必要がある。
(:芦部信喜・高橋和之編『別冊ジュリスト 憲法判例百選Ⅱ』 有斐閣、1994年 242〜243ページ。
また、田宮前掲書、78ページ・
   芦部前掲書、222ページ・
   小林前掲書、45ページ・
   大沢前掲書、167ページ。)
8:田宮前掲書、100ページ。


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