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健章書評

「健章書評」1999年後期へ


田中明彦『新しい「中世」』日本経済新聞社、1996年・・・1999年6月号

 21世紀の国際社会は一体どのようになるのか。我が国でも最も著名な政治学者である著者は、これを「新しい中世」であるといった(知的に)刺激的な表現で性格付けている。即ち、来世紀の国際社会は、近代国家の諸特徴が薄らいだ先進諸国の間に、かつての中世と類似した非近代的関係が発生し、一方、未だに近代国家の水準に留まる国、更には国家形成以前の混沌とした状況にある国があるというのである。21世紀の国際政治を考える上で好適な1冊であるが、最終章にある著者の我が国外交に対する提言部分には異論もある。

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黒井文太郎『世界のテロと組織犯罪』 ジャパン・ミリタリー・レビュー社、1999年・・・1999年5月号

 エジプト・ルクソールでの観光客銃撃事件、コンゴでのゴリラ観光客襲撃事件を挙げるまでもなく、今日の第三世界において、テロリズムの標的はもはや政府機関や軍だけには留まらなくなってきている。また、人類全体の工業技術の発達は、それだけテロ集団にも凶悪な武器がわたりやすくなっていることを意味しており、オウム真理教による化学兵器テロリズムなどがその典型といえよう。本書は、世界50ヶ国以上を取材して反政府組織や非合法組織と接触してきた著者が、その取材の集大成としてまとめた文献であり、特に実際に組織と接触したときの体験記等の一次的情報が含まれているのが説得力を持っている。

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石澤靖治『日本人論・日本論の系譜』 丸善ライブラリー、1997年・・・1999年4月号

 我が国が世界の歴史の表舞台に登場してから1.5世紀が経とうとしているが、この間、欧米各国それに日本人自身の手によって、「日本人とは何か」「日本とは何か」といった問題が繰り返し論じられてきた。「和魂洋才」「入欧脱亜」といったスローガンからもわかるように、元来、日本人は自らを以って独自の価値体系と行動様式を有する存在であると認識していた訳だが、これが欧米側の認識とも一致したため、現在ではこの「文化の差」は双方から主張されるに至っている。本書は、そうした状況の中で過去に日本人論・日本論を公表した、ルース・ベネディクトから榊原英資に至る16の人物・組織について焦点をあて、その内容や変遷を解説している概説書であり、比較的簡単にその流れを掴むことが出来る良書である。

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長尾龍一『憲法問題入門』 ちくま新書、1997年・・・1999年3月号

 日本国憲法が公布・施行されて半世紀以上が経過し、最近では主要政党の「論憲」容認や超党派の国会議員による「憲法調査会」の国会設置等、現行憲法を見なおす動きが活発化してきている。しかし、社会におけるこうした動きにも関わらず、憲法学の分野に関しては、未だに憲法改正に消極的な見解しか見られないのが実状である。無論、例えば今日国家公務員試験・司法試験等の受験生の間で「基本書」とされている芦部信喜『憲法』(岩波書店)が、GHQの制憲行為の違法性や「八月革命説」の曖昧さ、憲法改正問題について否定的であるのは、特定の憲法学者の思想というよりも憲法学そのものの特質(と限界)ということも出来るだろう。だが、こうして憲法学が現行実定憲法の論理的取り扱いに終始し立法論を完全に排除した(無論、法実証主義的立場からは、そうした憲法学のあり方のほうが好ましいということになるだろうが)結果、憲法学者が著述した膨大な量の論文は、主権者である一般の国民が現行憲法の是非について考える材料としては、あまりにも一面的に過ぎる、甚だ不完全なものに終わってしまっているのである。
 その点本書は、題名からも明かな通り、単なる『憲法入門』でも『憲法学入門』でもなく、立法論を含む『憲法問題入門』であって、単に法解釈学的立場からの問題解説に留まらず、広く国民の立場から現行憲法及び憲法学を包括的に批判・再検討の対象としている点で、既存の「基本書」とは一線を画す良書である。これは、著者の長尾龍一氏(東京大学大学院総合文化研究科教授)が憲法学者ではなく法哲学者であるからだが、象徴天皇制に関する個所等個別的には異論もあるにせよ、随所に見られる現行制度や憲法学に対する鋭い批判は、その欺瞞性を明らかにしていて痛快ですらある。

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松村 劭『戦争学』 文春新書、1996年・・・1999年2月号

 戦後半世紀の間、専ら憲法第9条をはじめとする「平和主義」的法体系及び文化の下で、我が国においては戦争に関する事項は只管忌避され、汚らわしい、あるいは怪しいものとして扱われてきたが、その結果、例えば我が国の大学においては、社会科学の一環としての安全保障学や軍事学、戦争学といった分野の学問が大きく制限され、あるとしてもせいぜい防衛大学校における研究に終始していた。
 しかし、言うまでも無いことだが、戦争は好もうと好まざるとに関わらず出くわすものであり、また平和国家を標榜するとしても、その対極にある社会現象としての「戦争」を学問する軍事学、戦争学は必須のものなのであって、平和主義を主張するのであればなおのこと軍事学の必要性は強まる。
 本書は、これまで我が国においてはあまり公刊されてこなかった戦術や戦史を中心とした戦争学を扱ったものであり、著者の松村氏は元陸将補で戦略・戦術研究のプロフェッショナルであるだけに、その内容は非常に信頼性が高いといえるだろう。

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江畑謙介『アメリカの軍事戦略』 講談社現代新書、1996年・・・1999年1月号

 東西冷戦が終結し世界唯一の超大国となったアメリカは、その軍事戦略をポスト冷戦期にあわせて大きく転換した。1993年に公開された「ボトムアップ・レビュー」と呼ばれる新戦略がそれであるが、しかし、時代状況が変化したとはいえその海洋国家としての地理的な性格までもが変わったわけではなく、また依然として世界第1位の圧倒的な軍事力を保有する地位を保持していることは周知の事実である。特に、ヨーロッパに前方展開していた多数の米軍兵力は削減されたが、アジア太平洋地域においては、なお10万人程度の米軍と空母機動部隊を展開し、そのプレゼンスを維持している。冷戦後の我が国の安保論議ではそのことが度々指摘され、「何故米軍は冷戦が終わったのに出ていかないのか」等といった一方的な批判がなされる傾向があったが、無論その背景には、アメリカの「自己の国益」を基調とした新たな世界戦略がある。本書は、我が国における代表的な軍事評論家でありJane's Defense Weekly誌日本特派員である江畑謙介氏が、そうしたアメリカの軍事戦略も含め、核兵器から平和維持活動、更には兵器輸出まで総体的に解説した概説書であり、現代アメリカの軍事戦略を知るのに有益な良書である。

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「健章書評」1998年後期へ

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