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十六橋の橋脚

 このページの内容は、主として
「戊辰戦争は今」、読売新聞社編、歴史春秋社、2000.1.15初版、'01.10.31第2版
を参照しました。編者・著者(畑 敬之助)の方に御礼申しあげます。

十六橋の名前の由来:弘法大師が、15個の石塚に、16個の橋を架した事によるという。
       (怪しいかも?、”弘法大師”、”小野の小町”、日本全国どこにでも出て来るし。)


戊辰時の十六橋:

  戊辰時の十六橋の橋脚  

 戊辰時の十六橋は、(畑 氏が採用した、小沢寅雄氏論文によると)1786年に、
 すぐ近くの笹山産の柱状節理の石を使って、修造された物らしい。

 石材は縦・横20〜30cm、長さ4〜5mの角柱材で、これを井桁状に

  (キャンプ・ファイヤー等で、よく使われる組み方。まず平行に、二本置き、
  その上に、下の石と直交するように、平行に二本置く。これを繰り返す。
  上から見ると、”井”の字に見える。)


 組み上げ、橋脚とした。橋脚は、22個あり、それらに、同じ石材で、
 橋をかけた(都合、23個の橋になる)。

 (←)猪苗代湖北西湖岸・笹山
 周辺の道で、柱状節理!
 比較的らしき所で、こんな?

 (→)近くの”諏佐乃男神社
 なる門柱の石!カット面に
 緩いウェ〜ブあり。
 自然石じゃないか?

 これだ!
 高さ2.5m?、地下部を入れると、4m位だろう。
 この石で、井桁組みの橋脚を作ったんだ!
  
橋脚幅2m、橋脚間2mで、川幅90mになる。
・・・壊しづらく、応急処置しやすそうですね・・・



明治期の十六橋:1880年(明治18年)、(安積疎水の水量調節のため)水門16個を持つ
 アーチ式の石橋(幅3.3m)に改造された。「白虎隊の歩いた道(春)」始めのあたりの橋 を16個
  繋いだ様な形)



現在の十六橋:1913年(大正2年)、橋は、現在の鉄骨橋に、水門はその直ぐ下流に
 別造りされた。

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