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room 4 - sec.1 白虎隊の歩いた道(春)  

                            記載の誤りに気付かれた方は、BBS等で、ご連絡ください。
  

 その日、白虎士中二番隊は、旧滝沢街道白河街道の一部)(地図の1、2)を
 東に進み、戦場に向かいました。

 強清水(の少し手前)からは、白河・江戸に向かって南下する白河街道と分かれ、
 戦場である、二本松街道(上〜裏街道)(地図の3,4)を進みます。

 現在、旧滝沢街道のすぐ北側には、山腹を迂回し、緩やかな登りになった、
 生活道路の滝沢街道(地図、蛇行した白いルート)があります。
 さらに、その北に、大きくカーブした49号線や、磐越自動車道があります。

 敗走時は、街道の南側の、山中を帰ったようです。



1.滝沢本陣から金堀まで

.滝沢本陣から金堀まで
  滝沢本陣より、東へ道なりに真っ直ぐ(現・滝沢街道への左折をしないで)
 行き、Y字路を、左に登ると、入り口があります。駐車スペースはありません。
 Y字路を右へ行くと、3台位と、10台位駐車できるスペースがあります。
 金堀側も、5台停まれるかどうか?位です。

  ルートは、遊歩道で、車は入れません。
 県?〜市?〜地元の有志の方?が、よく整備してくださっています。
 道の地面は、昔、山石を割って敷いた様な所、
 最近、川石を敷き、コンクリートを打った様な所があります。
 あまり、泥んこには、ならないと思います。
 若松からは、海抜で、230M位は登ります。

  森林浴に最適!

写真は、洞窟の出口以外、全て、H13.5.12に撮影しました。  
             写真中の日付は(整理の都合上)御容赦を!。
 滝沢本陣
  前線基地です。白虎隊や主君・松平容保(カタモリ)が、
  ここで待機していました。”西軍が十六橋(ルートの終点)を
  突破した”、との報を受け、白虎二番隊は出陣・・
  ・・滝沢街道を、戸ノ口原へと向かいました。
チョットだけ退路を載せます。
戸ノ口堰疎水 (新堀、猪苗代からの
 農業用水)は、この石造りの橋の
 上を流れ、白虎隊が自刃前に
 通った洞窟へと、続きます。

 (cf.この橋は、工法から明治期の物
  だろう。当時は、もっと単純な橋か?)


 Y字路の手前で、細い道を、
 (”東京電力の所有地なので、立入禁止”
  の看板があります)

 右の土手沿いに行くとあります。
 滝沢街道本道に出ようとした飯沼らは、敵の砲撃を受けて、
 引き返し、
 山中を、飯盛山に向かいました。
 左写真の様な、所でしょうか?


 右写真は白虎隊が自刃前に通った
 洞窟の入り口です。
 (当時は、コンクリートは打ってない
  でしょうが。)
** 往路 **
 滝沢街道と、(退却時にたどり着いた)不動滝方面との
 分岐点(Y字路)に、大きな道祖神があります。

 白虎隊は、祈ったでしょうか?
   ・・出撃の時は、祈らないでしょうね。
 ルート1は、遊歩道です。
 石が敷き詰められ、足場は、
 そんなには、悪く有りません。

 広葉樹、針葉樹等、緑のトンネルは、
 森林浴に最高です。

 若松からの登りは、手ごろな運動に
 なります。
 道端では、
   山野草が、
      出迎えてくれます。
 ルートの中程、やや若松よりに、
 茶屋跡が有ります(写真左)。

 近くには、舟石という奇岩があります。
  (もう少し分かり易い
   写真
は、 こちら

 登りきると、滝沢峠だ。少し下りると金堀集落になる。


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2.金堀から強清水まで

.金堀から強清水まで
  金堀からは、ゆるいUカーブを曲がった直後、強清水からは、現・滝沢街道の南、
 200m??位の所に、閉鎖してない林道様の入り口があります(角柱の道標あり)
 入り口は、どちらも駐車スペースは、ほとんどありません。
 金堀側は、遊歩道等に多少、路上駐車可能か?

  ルートは、基本的に遊歩道です。
  車も入れなくは無いが、道幅狭く、つづら折れで、普通車や大型4駆は、
 避けた方が賢明です。ジムニー、ミニパジェがベストです。
 軽自動車でも、切り替えしをしたいコーナーがあります。また、地元有志?〜
 (所有者の方?)が、時に手入れしてますが、雪解けや梅雨明け時は、弱い路肩が
 解らない位の雑草と、深さ20cm位の泥んこで、スタックしたり、谷に落ちたりする
 危険性大です。命掛けのドライブが好きな人は、ご自由に!。
  若松(金堀)からだと、やはり、海抜で90m位、急激に登ります。
 金堀の滝
  ルートの金堀寄り1/3位の所、北側に、殆ど稜線から落ちる
 滝があります。

  私、会津若松市制100周年の、これらルートの散策企画に、
 参加し、良かったので、これらのルートを紹介しました。
  ”この滝名が、まだ無いので、皆で決めましょう”というので、
 私は”昇竜の滝”と命名しましたが、上記に決まりました。
 (?地名そのままだし、元から有った名前では?)
  滝の上は、更に、路面の状況が悪化します。
 写真の下1/3位のところ、分るでしょうか?
 路肩が80cm位、崩れています。
  強清水からの入り口(沓掛峠(くつかけ峠))は 、しばらく
 平坦です。



3.〜4.強清水から戸ノ口(十六橋)まで

.〜.強清水から戸ノ口(十六橋)まで
 
 強清水の蕎麦屋さん街の49号線寄りより入り、金の橋・銀の橋付近まで。
 49号線に、かなり近く、平行しています。
 生活道路として、使われています。ほとんどup・downありません。
 強清水(こわしみず)
   飲兵衛の息子を、いさめるため、この清水を飲んで、酔った
  ふりをしていた父の話が、伝説として残されています。
   ニシンや饅頭のてんぷらが具の蕎麦が特徴的。
  
 赤井谷地の沼
  低い小山の峰続き(秋編・第2胸壁)の
  直後にあります。昭和天皇陛下が詠ま
  れたという句碑がありますが、草書で、
  私には、読めません。

  付近の地下水は、鉄分が多いのか、
  融雪道路も赤錆色です。

  しかし、谷地は、春は、赤くなかった!。
  季節のせいかな?
 大野ヶ原(南部)
  緩い丘陵地帯です。良い畑や、田んぼに、開墾されてます。
  戊辰当時は、どの位、農家が入植していたでしょうか?
  
 戸ノ口原付近
  野鳥の観察所や芝生、体育施設等をもつ、レクリエーション
  ・センターを造成中です。昔の、萱・葦・ススキ・蒲等の原野
  は、ほとんどなくなりました。
  安積疎水 十六橋水門
  安積疎水(明治15年完成です)への
  水量を調整するため、日橋川への
  放流量を調整する水門です。

  戊辰の頃の橋は、堅牢な石橋でした。
  会津軍が(敵の侵入を防ぐたね)
  破壊しようとしたが、間に合わず、
  西軍が、ここを突破した事により、
  白虎2番隊に出撃命令が出されました。
   十六橋、推定建造法は、こちら。



5.戸ノ口堰洞窟

 戸ノ口堰洞穴
  自刃直前に通った洞窟
  (農業用水のトンネル)

  ここを出て、山腹を少し南下、
  町が炎上しているのを見て、
  城が落ちたと勘違いし、自刃しました。



 (この写真のみ、3月下旬に撮影)




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