このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
room 4 - sec.1 白虎隊の歩いた道(春) |
記載の誤りに気付かれた方は、BBS等で、ご連絡ください。
その日、白虎士中二番隊は、旧滝沢街道(白河街道の一部)(地図の1、2)を 東に進み、戦場に向かいました。 強清水(の少し手前)からは、白河・江戸に向かって南下する白河街道と分かれ、 戦場である、二本松街道(上〜裏街道)(地図の3,4)を進みます。 現在、旧滝沢街道のすぐ北側には、山腹を迂回し、緩やかな登りになった、 生活道路の滝沢街道(地図、蛇行した白いルート)があります。 さらに、その北に、大きくカーブした49号線や、磐越自動車道があります。 敗走時は、街道の南側の、山中を帰ったようです。 |
1.滝沢本陣から金堀まで
1.滝沢本陣から金堀まで 滝沢本陣より、東へ道なりに真っ直ぐ(現・滝沢街道への左折をしないで) 行き、Y字路を、左に登ると、入り口があります。駐車スペースはありません。 Y字路を右へ行くと、3台位と、10台位駐車できるスペースがあります。 金堀側も、5台停まれるかどうか?位です。 ルートは、遊歩道で、車は入れません。 県?〜市?〜地元の有志の方?が、よく整備してくださっています。 道の地面は、昔、山石を割って敷いた様な所、 最近、川石を敷き、コンクリートを打った様な所があります。 あまり、泥んこには、ならないと思います。 若松からは、海抜で、230M位は登ります。 森林浴に最適! |
写真は、洞窟の出口以外、全て、H13.5.12に撮影しました。 写真中の日付は(整理の都合上)御容赦を!。 |
![]() 前線基地です。白虎隊や主君・松平容保(カタモリ)が、 ここで待機していました。”西軍が十六橋(ルートの終点)を 突破した”、との報を受け、白虎二番隊は出陣・・ ・・滝沢街道を、戸ノ口原へと向かいました。 |
チョットだけ退路を載せます。 |
![]() 農業用水)は、この石造りの橋の 上を流れ、白虎隊が自刃前に 通った洞窟へと、続きます。 (cf.この橋は、工法から明治期の物 だろう。当時は、もっと単純な橋か?) Y字路の手前で、細い道を、 (”東京電力の所有地なので、立入禁止” の看板があります) 右の土手沿いに行くとあります。 |
![]() ![]() 引き返し、 山中を、飯盛山に向かいました。 左写真の様な、所でしょうか? 右写真は白虎隊が自刃前に通った 洞窟の入り口です。 (当時は、コンクリートは打ってない でしょうが。) |
** 往路 ** |
![]() 分岐点(Y字路)に、大きな道祖神があります。 白虎隊は、祈ったでしょうか? ・・出撃の時は、祈らないでしょうね。 |
![]() ![]() 石が敷き詰められ、足場は、 そんなには、悪く有りません。 広葉樹、針葉樹等、緑のトンネルは、 森林浴に最高です。 若松からの登りは、手ごろな運動に なります。 |
![]() 山野草が、 出迎えてくれます。 |
![]() 茶屋跡が有ります(写真左)。 近くには、舟石という奇岩があります。 ![]() 写真は、 こちら 。) |
登りきると、滝沢峠だ。少し下りると金堀集落になる。 |
room4 入り口(地図)に戻る? |
2.金堀から強清水まで
2.金堀から強清水まで 金堀からは、ゆるいUカーブを曲がった直後、強清水からは、現・滝沢街道の南、 200m??位の所に、閉鎖してない林道様の入り口があります(角柱の道標あり)。 入り口は、どちらも駐車スペースは、ほとんどありません。 金堀側は、遊歩道等に多少、路上駐車可能か? ルートは、基本的に遊歩道です。 車も入れなくは無いが、道幅狭く、つづら折れで、普通車や大型4駆は、 避けた方が賢明です。ジムニー、ミニパジェがベストです。 軽自動車でも、切り替えしをしたいコーナーがあります。また、地元有志?〜 (所有者の方?)が、時に手入れしてますが、雪解けや梅雨明け時は、弱い路肩が 解らない位の雑草と、深さ20cm位の泥んこで、スタックしたり、谷に落ちたりする 危険性大です。命掛けのドライブが好きな人は、ご自由に!。 若松(金堀)からだと、やはり、海抜で90m位、急激に登ります。 |
![]() ルートの金堀寄り1/3位の所、北側に、殆ど稜線から落ちる 滝があります。 私、会津若松市制100周年の、これらルートの散策企画に、 参加し、良かったので、これらのルートを紹介しました。 ”この滝名が、まだ無いので、皆で決めましょう”というので、 私は”昇竜の滝”と命名しましたが、上記に決まりました。 (?地名そのままだし、元から有った名前では?) |
![]() 写真の下1/3位のところ、分るでしょうか? 路肩が80cm位、崩れています。 |
![]() 平坦です。 |
3.〜4.強清水から戸ノ口(十六橋)まで
3.〜4.強清水から戸ノ口(十六橋)まで 強清水の蕎麦屋さん街の49号線寄りより入り、金の橋・銀の橋付近まで。 49号線に、かなり近く、平行しています。 生活道路として、使われています。ほとんどup・downありません。 |
![]() 飲兵衛の息子を、いさめるため、この清水を飲んで、酔った ふりをしていた父の話が、伝説として残されています。 ニシンや饅頭のてんぷらが具の蕎麦が特徴的。 |
![]() 低い小山の峰続き(秋編・第2胸壁)の 直後にあります。昭和天皇陛下が詠ま れたという句碑がありますが、草書で、 私には、読めません。 付近の地下水は、鉄分が多いのか、 融雪道路も赤錆色です。 しかし、谷地は、春は、赤くなかった!。 季節のせいかな? |
![]() 緩い丘陵地帯です。良い畑や、田んぼに、開墾されてます。 戊辰当時は、どの位、農家が入植していたでしょうか? |
![]() 野鳥の観察所や芝生、体育施設等をもつ、レクリエーション ・センターを造成中です。昔の、萱・葦・ススキ・蒲等の原野 は、ほとんどなくなりました。 |
![]() 安積疎水(明治15年完成です)への 水量を調整するため、日橋川への 放流量を調整する水門です。 戊辰の頃の橋は、堅牢な石橋でした。 会津軍が(敵の侵入を防ぐたね) 破壊しようとしたが、間に合わず、 西軍が、ここを突破した事により、 白虎2番隊に出撃命令が出されました。 十六橋、推定建造法は、こちら。 |
5.戸ノ口堰洞窟
![]() 自刃直前に通った洞窟 (農業用水のトンネル) ここを出て、山腹を少し南下、 町が炎上しているのを見て、 城が落ちたと勘違いし、自刃しました。 (この写真のみ、3月下旬に撮影) |
NEXT 白虎隊の歩いた道(夏冬) へ進む? |
room4 入り口(地図)に戻る! |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |