このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

  土津神社 (はにつ神社)



 会津藩藩祖・保科正之公は、当時、衰退しつつあった神道の復興に
 勤めた。吉川惟足を師とし、ト部家神道を学んだ。
  寛文十一年(1671)公は惟足から霊号を「土津」と奉られた

 公は、「自分の没後は神道で、磐椅神社(いわはし神社:延喜式に載って
 いる会津の三社の一つ)
の神地に葬ってもらい、磐椅神社の末社になり
 たい」いう遺言を残し、墳墓の地も決めていた。

 公の没後、遺言通りに葬られ、土津神社が建てられた。

 土津神社は、神殿・回廊など奥日光又は東北の日光といわれる程、
 壮厳壮麗であったが、戊辰の兵火で社殿がことごとく焼失した。
 今の社殿は明治(1880)七月に造営されたものである。


 猪苗代町並から、猪苗代国際スキー場に
 向かい、T字路型の突き当たりに、入り口・
 大鳥居がある。
 
 大鳥居の手前、左手には、大山巌元帥の直筆による
 「忠魂碑」(左の石碑)がある。その右には、日支、日露、
 大東亜戦争(第二次世界大戦、犠牲者がやたら多い、当然、
  これを記すのに、戦後建て替えている。)
犠牲者名が記され
 た碑がある。

 大鳥居の下の階段を登ると、
 手前には社務所等、

 正面、さらに階段を登った所
 には、拝殿が見える。

 右手に行くと、亀石に乗った、正之公の亀趺(きふ)
 (顕彰碑)がある。高さ一丈八尺(5.45m)、幅六尺
 (1.83m)×五尺(1.51m)。日本最大の顕彰碑らしい。

 亀は、墓地のある北を向いている。

 顕彰碑(亀趺(きふ)碑)に関し、少し詳しくは、 こちら

 拝殿で参拝した後、右(または左)へ行くと、
 森の中に、本殿が見える。

 さらに右へ行き、杉林の中の道(→)を6分程、
 登ると、奥の院の門(↓)がある。
奥の院の門は、右の木戸?から入れる。
小山の頂上に、八角形(直径1.8m位)の
墓石がある。



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