このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


  長床 (熊野神社)



 H14.11.24 山都の大鉄橋でSLを撮影後、山道を通って喜多方に出た。
 山崎集落を確認しようと、山際を南下した。山崎の一つ手前の集落が、
 新宮集落だった。新宮!!鎌倉時代初期、佐原義連の六男?
 六郎時連が館を構えた所だ!

 その集落の奥に、長床はあった。
 長床!観光ガイド等を見て、一度は行ってみねばと思っていた寺社だ。
 一時は日本の首都であった京都の、三十三間堂には及ばないが、
 結構、迫力のある長床(拝殿)だ。

 社伝「新宮雑葉記」によれば、1055年に、源頼義が、紀州熊野三社を、
 河東町熊野堂に勧請し、その子義家が、この地に遷し勧請したと言う。
 1611年の会津地震で倒れ、その後焼失して再建、1963年国重文に指定
 され、1974年、建立時の大きさに復元された。

正面に大きな鳥居がある。
案内板やカーブミラーと比べると、大きさが解る。



 鳥居の左手に大きな木がある。
 幹の途中が裂けていて、向こうの青空が、垣間見え
 る。完全に落葉していて、

 木肌だけからは、何の木だか?
  私には、解らない。


鳥居からの並木道を進むと、長床(=拝殿)が見えてくる。
横27m、奥行12m、
期待値通りの迫力だ。写真に撮ると両端が切れてしまう。



 南東の角から、撮ってみた。
 黄緑〜黄色の、銀杏の葉の
 絨毯が、見事だった。


 同じ南東角に、その銀杏の木はあった。
 最初の建立時に植えたらしい。
 (樹齢、約 950年?)


拝殿中央奥から、本殿への石段がある。
二丈角位の社が三つある。本宮、新宮、那智宮の三社らしい。




並木道の中程、左手に、宝物殿?がある。
神社なのに!良い仏像が多い。

中央には木像文殊菩薩騎獅像(県重文)が安置されている。
天井に届かんばかりの大きさで、迫力がある。
国重文の銅鉢も所有してる様だ。




 
 その左手には、木像薬師如来坐像が安置
 されている。

 如来像の周囲を、40cm位?の人々の像が
 囲んでいる。下の写真は、左角の三人(↓)。
 一人一人の表情も生き生きとしている。



 右手には、木像虚空蔵菩薩座像(左)、
 木像如意輪観音坐像(右)が安置され
 ている。




 鳥居を入ってすぐ、”文化財維持のため、拝観料として\300.寄付して
 下さい”という看板があり、左手に受付(トイレ付き)の建物があります。
 
 この神社、周囲を塀で囲っている訳ではなく、傍から入れます。

 でも、文化財の維持って、結構大変だと思うし、\300.以上の感動が
 あります。協力してあげましょう!!
 





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