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04.カンカン遍路行状記Ⅱ

  (内海中学校の巻)
 


 平成13年。愛媛県南宇和郡内海村。ここはキラキラ真珠の里でもある。
登校時に出会う中学生達は愛想がいい。自転車で追い越しざまに朝の挨拶を投げかける。
ぞろぞろと一人残らず挨拶をする。最初は異様であったが、今は当たり前である。

 中学生達が見知らぬ年寄りにも挨拶をする。都会では考えられない光景である。
何か尋ねようと近寄っても、目を伏せたまま有らぬ方向へ足早に逃げていく。都会では
子供達を巻き込む事件の多い近頃、自衛手段の一つとして『見知らぬ人間と言葉を交わ
すな』『急いで逃げ出せ』は当たり前のことと理解されている。

 内海の中学生。この雨のように降り注ぐ朝の挨拶は、一種の驚きであった。
道路の端を一列になって整然と学校へ向かう子供達の後姿を見ていると、70歳まで生
きてきたことが嬉しくなる。

    四国の子供達、小学生も中学生も人なつっこい。身体の何処かでほんの少し合図を送
るとに、疑いも無く近寄ってくれる。話し合いにも応じてくれる。
内海の中学生にそれを強烈に感じるのは、地形のなせる業かもしれない。
  
 都会の学校なら幾条もの登下校路があり、生徒数は分散されてしまう。
だが此処では内海隧道を過ぎると学校までは一本道、背中を追い越していく。学校を過
ぎると、由良半島の中学生達と鳥越隧道入り口を終点に対面することになる。
朝の挨拶は風を切って爽やかである。
 
 地形がそうであるからといって、誰もが気持のいい挨拶が出来る、というものでもな
い。人は気持のいい挨拶を受けたとき、初めて気持のいい挨拶を返すようになるのかも
知れない。江戸川の土手でアキカンを拾いながら、道行く人に気持のいい挨拶を心掛け
るようになった。
この歳になって久しく忘れていた気持のいい挨拶を、内海の中学生に教えられた。

 四国でのアキカン拾いを考え、「拾い集めたアキカンを引き取って頂けませんか」
  四国全市町村にお願いをしたところ、内海村役場から
『役場 De.あ.い.21 須ノ川公園売店 にお持ち下さい。お引き取りいたします』
の有り難いお返事を頂いた。それ以来役場を除く、へんろ道の2箇所にアキカンを持ち
込んでいる。

 平成15年、小澤氏と2人。アキカンを拾って須ノ川公園売店に持参した所、売店は
閉まったまま。
『どこかこの辺でアキカン引き取ってくださるようなところ、或いはゴミ箱など有りま
せんか』
いい加減なもので、通行中のお母さんに声を掛けてしまった。
『アキカンなら中学校で引き取ります』
『中学校ですか?』
『ええ、そうです』
手に荷物を抱えたお母さんは、顎で方向を指し示すと急がしそうにスタスタと行ってし
まった。学校の先生でもなければ言えない返事である。先生には見えない小母さんであ
るのだが……信じていいのかどうか、咄嗟に判断は浮かばない。

 引き取るところが無ければ此の儘、津島町宿泊地まで持参しなければならないし、途
中にアキカンが転がっていても拾うことは出来なくなる。
本当に引き取ってくれるのかな。そう思いながらも中学校まで引き返すことにした。
校門の近くに金網製のゴミ入れがあった。お母さんのアキカンは中学校と言ったのは,
このゴミ箱のことかと納得した。ゴミ入れでありながら、中も回りもゴミひとつ無く舐
めたように綺麗である。

 辺りに誰もいない。ゴミ箱だけが綺麗に浮き上がって見える。綺麗過ぎてアキカンを
投げ入れることは憚られた。学校で許可を頂いてからにしよう。ふたりの思いは同じ。
校門へ歩き出した。
学校の内外を隔てる塀の近くには、一本の雑草も生えていない。タバコの吸殻のポイ捨
ても見当たらない。
このアキカン快く引き取っていただけるかも知れない。そのような予感がした。

 門は鉄扉で塞がれ『本校に御用のない方の入門を禁止します』言い回しは違っても、
学校にはこのような意味の看板の付いているのが普通である。
  内海中学校の門柱に、このような看板があったかどうか記憶にはない。
心豊かな家庭は家の中がひと目で見渡せるように、校門からは学校の隅々まで見渡せた
ような気分になっていた。

 すんなりと校区内に足を踏み入れることが出来た。
職員室のある玄関は何処だろう。校舎に沿って歩き出す。
『あ,此処だ、ここだ』
玄関に身を入れると
『いらっしゃいませ』
先手を打たれた。見ると一人の男性が腰を折り会釈をしている。

 事情説明の上アキカン引取りをお願いすると、気持ちよく引き受けていただけた。
  『どうぞ、お上がりください』
勧められるままに靴を脱ぐ。直線の長い廊下に目をやる。綺麗だ。造られたばかりの
新しさ、綺麗さではない。よく清掃整理されている。学校の周りの清掃と同じである。
一室に通され名刺交換をして校長先生であること、ここが校長室である事を知った。
一時間以上お話しをしただろうか。
内海中学校との、これが初めての出会いであった。

 平成16年月29日。御荘湾ロープウエイ山麓近くに宿をとる。朝ゆっくりと宿を出る。
拾い集めたアキカンを持って De.あ.い.21へ。アキカンお引き取りいただきながら、
内海中学校出身、前川君の絵の展示即売会を観る。
今夜の宿泊は、展示会場の前の旭旅館。荷物を宿にお願いし、車のお接待で中学校へ
向かう。

 『今日は』『こんにちは』『今日は』
校門の周りを男女数人の学生が掃除をしていた。
姿を見つけると、何時もと変らぬ元気な挨拶が飛び込んでくる。その顔は、みな生き
生きとしている。近くに、先生の姿があるわけでもない。
男子生徒は箒を振り回しふざけ合って掃除はそっちのけ。遊び回るのが普通なのに、
此処では夫々が真剣である。

 『一期一会』を一生に一度の機会とだけ捉えるのであれば、一期十会、一期百会で
あって欲しいと思う。学校の周りの美しさの理由(わけ)を知るだけに、2年と2度の
学校訪問を必要としたからである。男子生徒のメリハリの利いた動きは、武士(もの
のふ)を髣髴とさせた。
女生徒のそれは、芯の強い大和撫子と重なった。そして彼等彼女等の本丸に、二度も
登城できたことは遍路冥利に尽きるもの。

 遠い昔に忘れ去ってしまったもの。今こうして内海中学生に生き続けているのは、
学校の教育に拠るのか、家庭の躾に因るのか、地域社会の存在なのか。三者三様の結
びつきによるものなのか。見詰める回数が増えれば、薄皮を剥がすように判ってくる
ことなのかも知れない。
 
 学校を辞し、アキカンを拾いながら宿に戻った。
宿前の停留所にバスを待つのか、大勢の小学生達が集まっていた。男の子に言葉をか
けてみた。
『何年生?』
『6年生』
『じゃ今度は中学生だ。内海中学校はとてもいい学校だよ』
『そうだよ。とってもいい学校だよ』
中学生になることを、心待ちしている顔。
小柄な女の子が寄ってきた。
『私は五年だよ』

 平成17年。サクラの花の咲く頃、男の子は中学2年生。女の子はピッカピッカの中
学生。制服に身を包み、夢に胸含ませているに違いない。
そしてこの年寄りも、柏峠のへんろ道を歩くか。それとも気になる内海中学校を望む
自動車道を歩くか。
胸に2つの悩みを抱えながら、遍路の杖をを曳くのだろう。


下の(内海中学校)をクリック、左上のシーカヤックの窓を覗くと
【溌剌と元気な表情を見せる内海中学校の皆さん】
の笑顔にいつでも会えます。どうぞ…

04.カンカン遍路行状記Ⅲに続く

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