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赤ちゃんのお尻

 四国へは新幹線。東京6.36分発ひかり301、岡山行きに乗ることにしている。
岡山到着は10.47分である。岡山発うずしお9号徳島行きは10.52分、乗り換え時間は5分しかない。
乗り換え時間5分。以前はそれほど窮屈ではなかったのに、歳の所為か命がけになってきた。
階段で一度転びそうになってからは、後発のマリンライナー23号、11.34分発を利用することに決
めている。

 うずしお9号は三本松駅に停車をすると、徳島駅までノンストプ。板野駅、池谷駅に停車はしな
い。徳島駅まで行って13.19発鳴門行き普通列車に乗り換え、池谷駅下車して1番霊山寺まで一
駅歩く。歩くのが厭なら、高松12.38発〜坂東14.13着の鈍行を利用するしかない。

 それでも「うずしお9号」をやり過ごし、マリンライナー23号を利用するのは、乗換えに危険が
伴うからだけではない。
岡山からの特急うずしお9号は、高松での停車時間が短い。『雪苺娘』に出会う時間がない、が
本当の理由である。 

 駅のホームに入って来た電車は、必ずバックしなければならない。前に進むことが出来ない仕
掛けになっているのが高松駅構内。停車した電車の前方には改札口があり、大きな駅舎が電車
を押し戻すようにど〜んと胡坐を掻いている。

 駅舎と向かい合って電車に尻を向け、車止めの表示を自認するかのように小さな売店が、幾つ
か立っている。電車の発着時には大勢の客が夫々の方向に走り回り、一段落すると人波が一気
姿を消し、まるで夏を過ぎた海水浴場を思わせる構内である。
『雪苺娘』に初めて出会った場所が、此処である。
ケースには、湯気の立ちそうな白い饅頭が、肩押し合って並んでいた。



『この饅頭を下さい』
『はい、お幾つにいたしましょう』
何やら仕事をしていた売り子は手を休め、そう言いながら箱を取り出した。少なくても4個は入り
そうな箱であった。
『いま食べますので3個下さい。箱は要りません』
糖尿病患者であるが故に……饅頭ください、と言った時は1個の積もりであった。
…お幾つに……と言われた時に、2個と考えた。
返事を待つ売り子の目線と合った時に、3個下さいが決まったのである。
3個目は宿に着いてから食べればいい。

 間食に甘いものはいけない。食事の直後に少しなら……何冊目かの糖尿病患者読本に書いて
あった。高松12.47発うずしお11号の待ち時間は18分。改札口並びの讃岐うどんの暖簾をくぐる時
間はない。食事の後にはならないが、昼食として2個なら日本糖尿病学会の「食品交換表」に照ら
して、もさほど問題はないだろう。自己流の、周到な解釈であった。

 電車が走り出して屋島につくころ、『雪苺娘』の袋は空になっていた。宿での夕食後であるべき
3個目も、既に腹に納まっていたのである。買う時も喰う時も、1つが2つ、2つが3つ……箱入れで
4個買ったとしても、買っただけ口に投げ入れたに違いない。糖尿病とは決め事が守れない、食い
物に意地の汚い病気である。

 電車の中で袋を開け残りの1個を摘んだ時、意外な感情を想いだした。つやつや、すべすべ、つ
るりとして、膨らんだ形が今にも壊れそうな、それは忘れていた昔の感触であった。

 長男が生まれ、退院してからの風呂入れは当方の専門であった。すべすべ、つるりは長男の尻、
そのものに思えるほどであった。噛み付いて中にあるべき餡子がない。饅頭でないことに気が付い
た。餡子とは違う。大きな苺がひとつ、ねっとりとした物に包まっている。苺を噛むと、口の中に
もうひとつの味が一杯に広がってくる。苺が入っていなかったら、二度と買うことは無かったろう。
 
 『雪苺娘』この不思議な目新しい文字に誘われ、饅頭の思い込みで買ったものが、饅頭ではなか
ったは一生の不覚。饅頭、大福、今川焼き等々、中に小豆の餡子が入ったものと豪語していたの
に、高松駅に着く度『雪苺娘』を買い込むのが習慣になってしまった。
口中の広がる妙な舌触りとすべすべつるつる感が、饅頭でもないのに番外編に登場させるする理
由になった。

 因みに長男は、髪は薄く、疎らに生えた不精鬚。料理酒にさえ飛び付く、大酒のみに成長してし
まった。
今まで働いてきた教員生活よりも、定年退職までの年月を数えた方が早い。すべすべ、つるつるの
尻など、想像に難い変貌を遂げている。
それでもこの子の父たる老人には、口の周りを白くして『雪苺娘』を貪る時、遠い昔が懐かしく甦っ
てくる。


【2003年ホームのベンチで2個を平らげた後、『雪苺娘』の使用材料を訊きたいと、もう一度行っ
た売店の写真である。売り子の姿はなく、何と無用心な。と思ったのだが、帰宅して写真をよく見
たら、腰を下ろして仕事をしている売り子の影が、ガラス越に写っていた。
食の作業が忙しく終わり、食道を駆け下る本体の写真を撮らずじまいだった。

2004年。ひとつを腹に納めて2003年を思い出し、残った1個に慌てて撮影を試みたのが、この写
真である。
大きさを比較する物差しとして、千円札を敷いてみた。通貨偽造と見られることもあるので、要注
意。の忠告も受けた。
下手くそと言われることはあっても、この写真が偽札に化ける? そのような心配は造幣局にもな
いだろう。「こんな写真」と言われても、出来上がるまで何年も費やしているのだ。】

CAN

じんだ餅


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