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カンカン遍路行状記Ⅰ
四国遍路道『アキカンを拾おう』と言い出してから2年が過ぎました。多くの人たちの協力
を得て、漸く今年実行に踏み切ることになりました。多少の不安を抱えての第一歩です。
<平成15年2月15日から2月28日までの行動記録>
糖尿病は昔からの相棒『同行二人』は彼と私のこと
弥次さんとは小澤氏のこと
15日 高知屋さん泊
市川駅午前2時56分発快速で東京へ。小澤氏と合流、加藤氏が見送りに来てくれた。旅は順調
の筈、が四国に入って突然おかしくなってきた。
宇多津駅下車、駅前広場にて産経新聞社、高久氏に逢う。
この辺りから有らぬ方向へと流れ出す。
高久氏との話を早めに切り上げ、急ぎ飛び乗ったは特急ならぬ鈍行。手には特急券が残る。
親切なお婆さんに、乗り換え駅を教えられたがそれも裏目。この駅には、特急は停まらない
アキカンを拾うどころか、高知駅からバスでやっとこ。お土産なしの一日となった。
16日 マリンハウス酔竜さん泊
バスに乗り、仁淀川大橋を渡り土佐市にて下車。アキカンを拾いながら、清滝寺に向かう。
境内のテントにオバチャン2人。80歳以上ときいたが、元気にみかん売り。何時ものようにみかん
のお接待を頂いたので、手持ちの羊羹でお返し。此処でのお話が楽しみのひとつ。
『旧正月の16日はおしるこのお接待の日』今日がその日。何でこんなに美味しいのだろう。
塚地峠を越える。雨上がりの彼方に、宇佐橋が虹のようにその姿をくっきりと見せている。絶景の
場所がある。この道も昭和初期には庶民の生活道路であったと言う。当時の人達の生活の吐息が
聞こえてくる、懐かしい峠である。
マリンハウス酔竜さん①袋 清滝寺さん①袋
17日 真沙旅館さん泊
朝の宇佐大橋を渡り15分ほど歩く。須崎バス営業所より車上の人となる。
須崎駅下車。料金1000円也。須崎駅からは電車特急。立ったままで運賃290円、特急券310円。
土佐久礼駅に下車。
七子峠に向かう途中、休憩所あり。男子便器は周りに砂利を敷き詰め、このトイレ、なかなか
の優れもの。ちょいと休んで流した分だけ、水の補給は忘れまい ぞ。
このような坂でも年々きつくなる。お年の所為か。
峠の茶屋で昼食。『焼きめし』チャーハンではない。それに『おでん』を撮む。糖尿病の腹は、
流れ来るもの何でも歓迎だ。聞き分けのない困った奴。
影野駅にて再び乗車。窪川駅下車、缶拾いをする。例の和菓子舗で団子の君を少々。
真沙旅館さん①袋
18日 佐賀温泉さん泊
窪川駅に向かう。朝食済んだばかりなのに、足は昨日の菓子舗の前に止まる。あとは1年過後。
糖尿の嘆きを、足は知っている。同じ団子を少し多めに買う。
電車に乗る。くろしお鉄道の電車には、目立つように『アキカン入れ』も置いてある。
それでも腰掛の下、出入り口の隅の方に転がって、アキカンは自由に遊んでいる。
運転手兼車掌さんが暇を見て片付けるのだろう。
大規模公園の近くの駅に降りる。たこ焼きのオバチャンに会えた。待ちに待ったたこ焼きなのに
今日はやっていないと。糖尿の怒ること。コーヒーとアイスクリンで諦めさせる。
暑さ寒さも彼岸まで‥か。
再び電車に乗って逆戻り。荷稲駅で降りでアキカンを拾う。お宿の洗い場に置いて声を掛ける。
此処はカン内洗浄が決まり。先ず目の前の売店に首を入れる。緊急の場合を考えて明日の非常食の
準備をする。おでんもある。芋かりんとうもある。憎い饅頭もある。明日の為にも今夜に毒味を。
それに風呂には3回以上、入らねば損をしたような気分になる。忙しいお宿だ。
佐賀温泉さん①袋
19日 民宿旅路さん泊
朝ゆっくり。旧道を歩き荷稲駅から電車に乗る。中村駅前の定食やにて昼食。500円にて残りは
お接待。中村駅発足摺岬行きのバスに乗る。くもも下車、空き缶拾いを始める。道路の反対側、
杖を持つ手を軽く挙げ、会釈をして追い越していくお兄さん。真新しい菅笠に黒ずくめの服装、
背丈もあるし颯爽と歩く姿は、頼もしい限りだ。挨拶を返してしてやり過ごす。
宿に着いたら隣の部屋から、先ほどの青年が顔を出す。
『よう』声だけかけて、わが部屋に入る。
部屋ではお茶の道具に混じって大きな饅頭が、これ見よがしに
ど〜ん
と胡坐をかいている。
甘味は身体に悪い。他人の意見など聞いた事もない糖尿さんも、今夜は珍しく神妙。
『お兄さん、甘いものは疲れを取るぞ』胡坐のままの饅頭ひとつ。ゆらりと揺れて糖尿さんを離れ
隣の部屋へと移り行く。彼は打戻りでなく月山神社を通り姫ノ井を越えるという。道路状況など話し
部屋に戻る。
夕食後、女将さん隣の部屋に来て、青年と長々話をしている。どうも可笑しい。三浦青年、
女性ののような話し方。どうも女性のようだ。困ったな。
『お母さん。三浦さんは女性かね』
襖越しに声を掛けて見る。
『なに言ってんのよ』 やっぱり。げらげら笑いながらお母さんの返事が返ってきた。
申し訳ないと三浦青年、いや三浦お嬢さんに詫びを入れて、事となきを得た次第。
これで若い女性を男性に見誤ったこと2回。70歳を過ぎたからとて許されることではあるまい。
冷や汗が体中を駆け巡った一日であった。
民宿旅路さん①袋
20日 民宿久百々さん泊
午前7時、出立。足摺までアキカンを拾う。途中で出会った若い男性に、お弁当の接待をする。
お宿で頂いたもの。
袋一杯になったアキカン、金剛福寺さま納経所にて気持ちよく受け取って頂く。
打戻り。今来た道を引き返す。つづら折の杉林のところで三浦青年ならぬ、三浦お嬢に会う。昨日
の非礼を謝す。
暫く歩いて、今度は付かず離れずの小澤氏に会う。彼は月山回り。此方はコケの道なる三原を越え
る。落ち合う先は観自在寺前と決めてある。手を振ってすれ違う。
開を過ぎて窪津新橋に抜ける遍路道、突端から見下ろす景色は絶景そのもの。打戻りを繰り返す
理由のひとつでもある。ところが今回工事の為、最後のところで通行止め。歩いた分だけ引き返す。
遍路道の入り口に通行不能の看板設置を、現場監督さんにお願いする。
工事はまだまだ終りそうもない、と思われるのでくれぐれも注意が必要。
以布利を過ぎて再びアキカンを拾う。ただいま参上。玄関の、チャイムを鳴らしてホット安心。
夕暮れも、くももの浜は美しい。
民宿久百々さん①袋 金剛福寺さん①袋
21日 嶋屋旅館さん泊
下ノ加江から三原を越えて39番延光寺に到る遍路みち。苔に宿した露玉に杉木立を潜り抜けた
朝の光がキラキラと。『宝石のように、夢の中を流離うような、とても美しい苔のみち』
初めてのお四国巡り。法輪寺境内でスケッチブックを小脇に手挟んだ、品の良いお遍路さん。
元美少女のお嬢さんに教えられた。ときめきを胸に何度か歩いて見たものの、火星人のように
一向に出会うこともない。枯れた2月にあろう筈も無いと、漸く理解する。
夢は心に秘めて、何時までも『ゆめのまま』であることが美しいのかも知れぬ。
今回はゆめの道を歩くことなく、午前8時宿毛行きのバスに乗る。中村駅下車。10時48分発
くろしお鉄道ワンマンカーに乗ってみる。有岡駅まで320円。
今流行の <カワイイ> の一言で表現できる小さな駅舎。降りてびっくり、ホーム待合室。
外から見れば、できたてホヤホヤ。その中身の、汚いこと汚いこと。ちり取りはあるが、箒は
ない。12ヶの椅子のうち、腰掛けられそうなのは3脚だけ。火の付いたタバコを押し付け消した
痕。椅子ばかりではない。壁も扉もメッタギリ、宮本武蔵もさぞ驚くことだろう。
椅子の上にも、灰と吸殻折り重なって討ち死にしている。脇には飲みかけの飲料カンが4人
水腹を抱えてお座りしてるし、3人はだらしなく口をあけ鼾をかいて昼寝している。
床には菓子の空き箱包み紙が散乱し、周りの汚れも気にすることなく地べたに寝転んでいる者
もいる。風に吹かれ声を上げ、ひとりサッカーを楽しんで………。
線路上にはもっと多くの者たちが、肩を寄せ犇めき合っている。彼らはサポーター。電車の
通るたび、手を上げ腰を振り嬌声を撒き散らす。目も当てられない。
仮にサポーターが原因で、電車が不通になったら。
『一体どうしてくれるんだ。学校に遅れた、会社に遅れた。この責任はどう取る積もりだ。
損害金を払え』そう言って鉄道本社に怒鳴り込むのは、サポーターをばら撒いた人間だろか。
人間って本当におかしな動物。<カワイイ>と<キタナイ>は同じ意味を持つらしい。
吸殻23本を拾いゴミ入れに処分。
駅の周りだけでカン袋が一杯になり。2袋ぶら提げてお宿で処分。一寸かなしいお土産。
嶋屋旅館さん②袋
22日 民宿磯屋さん泊
朝食後コーヒー。パラパラ、雨具の準備をして宿を出る。山寺下のバス停で犬を連れたご婦人
と立ち話。御主人自衛隊勤務、各地を転々。漸く生まれ育ったこの地に戻れたと嬉しそう。
ゴミについて関心が有る由、カンカンラリーのゴミ袋と一緒に名刺を渡す。
バスは宿毛駅前で宇和島行きに乗り換え、高知県愛媛県の県境で降りる。ゴミにも居住権がある。
不法侵入は認められない。『わが町のゴミだけ、引取りオーケー』の条文が、足枷になっている。
新しい県に足を踏み入れるとき、古い県のアキカンを所有していてはいけないのである。
紛争を避ける為に、アキカンには目もくれず歩き続ける。
『もう〜いいでしょう』水戸黄門よろしく拾い始める。雨のアキカン拾いは大変。漸く1袋が
満杯になる。本道を避けて深浦港を目指す。狭い道を挟んで、低い軒が肩を並べている。静かで
アキカンの姿は見えない。ゴミのない港街。街を抜けると道はだらだら上りになる。
雨が強く降り始めた。2メートルの堀を隔てた山際に、柱だけの小屋が見える。雨宿りだ。
小屋に駆け込む。合羽を脱ぎリュックを下ろしてひと息つく。時計を見る。そうだ。思い出した
ように、弁当の包みを取り出す。女将さん心尽くしのお握り弁当。雨音を聞きながら頬張る。
終戦後、紙も鉛筆もなく裸足で学校に通った。配給される食料は腐ったサツマイモやジャガ
イモだけ。
それなのに遠足のお弁当。竹の皮につつまれたお握り2つ、しその葉に網目がついてこんがり焼
かれてあった。このお握りに母がどれほど苦労したのか知る由もない。あの時の美味さが、今も
口いっぱいに広がってくる。母親の面影すら思い出せない親不幸者なのに。
雨に逆らうように、辺りの茂みから靄が湧き上がる。雨にも濡れずにお握りを食べる。
そう、いまが極楽だ。あの世に極楽などありはしない。そう思う。
然し、この世の極楽も長くはない。食事が終ると、再び合羽を羽織って歩き出す。
本道との合流広場、ある・ある・ある。3袋満杯になってもまだある。残りは諦める。
3袋のアキカンに担がれるようにして御荘町に辿り着く。無事、本日の行程を終える。
民宿磯屋さん②袋 観自在寺さん①袋
23日 旭屋旅館さん泊
此処には御荘湾を渡って宇和海展望台まで、御荘湾ロープウェイで行くことができる。
山頂には旧日本軍の戦闘機『紫電改』が展示されている。
戦後瀬戸海から引き上げられ、補修されたもの。
現状保持の目的から機体には無数の腐食穴があるが、往時の勇士を偲ぶには充分。
子供の頃、ゼロ戦に乗ることが夢であり憧れであった。紫電改の顔面に立って見ると、此れは正
しくライオン。爪を立て今にも襲わんばかりの形相だ。この機に跨るのは、命がけに違いない。
紫電改に比べたら、ゼロ戦は豹。追うも速く逃げるも速い。
大空を輪舞する細くしなやかな肢体は、天女をも想わせる。もう少し早く生まれていたら、
もう少し戦争が長引いていたら、俺も乗ったに違いない。
そう思うとじ〜んとしたものが込み上げて来る。なんとなく大事な場所になってしまった。
ふもと駅から、さんちょう駅までロープウェイに乗ったこともある。帰りに風が出てゴンドラが
、 ゆらゆら揺れて気分の悪い思いをした。切符売り場には『強風時、運行を中止』の張り紙があった
と記憶している。ゼロ戦操縦士を希望した割には高所恐怖症である。
今回は車で気分ウキウキ。楽しみは此処まで。道中アキカンを拾いながら、内海村に急ぐ。
旭屋旅館さん① De.あ.い.21①
24日 三好旅館さん泊
空き缶拾いに柏、大門間の遍路みちは不向きである。車道のアキカンを丹念に拾う。
内海隧道を抜けると、海の見える風景が広がる。自転車歩行者専用のトンネルが、別に掘られて
いる。自転車も歩行者も便利になった。捨てられたアキカンが海側へ転がったら、2メートルの
杖ではどうにもならぬ。リールでアキカンをヒョイヒョイ、神業を披露する釣り人はいないかな。
それでもアキカンは袋一杯になる。須ノ川公園売店は休業中。
内海中学校入り口のゴミ箱が目についた。
学校にお願いしたら引き取っていただけるかも知れない。校舎に沿って歩く。
職員室の脇の入り口を入ると、『どうしましたか』目の前に一人の男性が立っている。
訳を話すと、アキカンは気持よく引き取っていただけた。
誘われるままに通されたのは校長室、つまりは校長先生だった。
ゴミの話や生徒の気質、教育の難しさ等、お茶を頂きながら此方も大いに勉強になった1時間。
アキカン引き取っていただき、どこか申し訳け無さを残しながらお暇する。
以前も朝早くこの道を通ると、前からも後ろからも、生徒の元気な挨拶がとんできた。
此処はキラキラ、真珠の採れるとこ。それ以上に内海の生徒さん達、いや大人の皆さんも、
キラキラ光り輝いていることでした。
三好旅館さん① 内海中学校①
25日 宇和島パークホテルさん泊
今朝もゆっくり、朝食あっさり。と思いながらも糖尿は忠告を無視、皿まで舐めてしもうた。
それでも元気良く、朝の一歩を踏み出すことが出来た。
気分のいい朝の空気。決めていたとおり、松尾トンネルを避け旧道に足を向ける。
「現国道56号線松尾トンネルは全長1710m 通過所要時間‥‥‥排ガス充満の状態になる。旧国
道は1700m余分に歩くが『静閑で自然豊か』である」
四国遍路ひとり歩き同行二人[別冊] 142ページに上記の注がある。静閑で自然豊か、この7文字
に惹かれ歩いたことがある。砕石工場が多く轟音が山々にこだまして、小鳥の囀りなど耳にする
ことは無かったし。それに旧松尾トンネルを抜け坂を下ると轟音は更に弾け、大型ダンプが砂塵
を巻き上げ走り回っていた。松尾トンネル内歩行がまだ、安全かと思うほどであった。
今日はどうだろう。アキカンを拾いながら、ゆっくりと上る。不景気の所為か砕石を休んでい
る工場もある。静かだが、ゴミやアキカンが目立つ。トンネルを抜けて驚く。道路の山側はゴミ
の山、山、山である。冷蔵庫、自転車、布団、ぬいぐるみ、軽自動車、机、食器棚、等々。
ありとあらゆるものが、捨てられている。
自動車からはエンジンオイル、バッテリー液が流れ出すことだろう。やがて雨に洗われ、谷川を
下り、宇和島の海を汚染する。加害者も被害者になっていく。
ゴミの中からアキカンだけを拾い上げる。同じ1袋なのに重く感じた。
来年は綺麗になっていてほしい。
市内の堀川、子鯔の大群。水面に口を出しパクパク、立ち泳ぎしている。
魚は未だ生きている。まだ生きている。
宇和島パークホテルさん①
26日 ふじや旅館さん泊
昨日は宇和島商店街で夕食を摂った。その帰り、何気なく和菓子屋のショー.ウインドーを覗く
と、桜餅が手を上げて助けを求めているではないか。「義を見てせざるは勇なきなり」と少々多
めに助けてしまった。多めに助けたは、多めに食べたに等しい。等式が成り立つことになる。
どうも腹の具合がおかしい。調子が悪いのではない。
身体を動かす度に腹の外皮が半径×半径×3.14の条件で、ゆらりゆらりと動いたような気がした
からである。しかも半径の数値が膨らんだ予感さえするのだ。
よし、今日は歩くぞ。歩かねばならぬ。、歩かねばならぬ。そう思ったのも朝食が終った時だけ。
ホテルを出ると、足は自然に宇和島駅へと歩き出す。脳の命令系統は分断され、足の勝手を止め
ることも出来ないでいる。宇和島駅からの車中は、足も脳もスヤスヤである。
大洲駅下車。駅前からカン拾いを始める。十夜ヵ橋永徳寺さんへお届け。
境内の前がバス停。なんとまあ、願ったり叶ったり。時間はまだ充分にある。向かいの食堂で昼
食を摂る。店内ではお土産も売っている。甘い物をほんの少し。糖尿の気付け薬としてだ。
程なくバスが来た。乗客は少なく腰を下ろす。仕事のない脳はすぐ横になる。
ぼんやり外の景色を見ていたら、脳が大騒ぎを始めた。小田町へ通じる道路が山の向こうに消え
ていくのに、バスは山のこちら側を勢い良く走っている。『どうする?』心配そうに脳が訊いて
くる。
そういえば『次は○○に停まります』のアナウンスが有ったっけ。次で降りればいいと高を括っ
ていたが、バスは停まるを忘れて走り続ける。漸く大きな部落に停車した。戻りの時間表には、
夕方までバスの運行は無い。足はブツブツ言ったが、歩いて引き返すしかない。
幾つものバス停を怨めしく、通り過ぎる。
あのバス、急行だったこと思い出した。歩いて歩いて昨日の桜餅。今日の糖尿の気付け薬。
到頭全部吐き出したことになる。アキカン袋を引き摺りながら、今夜のお宿に這い込んだ。
スリッパに足が入らない。反抗しているのではない。
足自身、己をコントロール出来なくなっていたのだ。
おへんろの皆様、ゆめゆめ御油断召さるな。『バスは、すべての道を走ることなし』
ふじや旅館さん① 永徳寺さん①
27日 リバーサイド富士さん泊
小田町役場担当課長さんと面談。新真弓トンネルに到るまで、部落ごとのゴミ回収場所。これ
らの利用許可を頂く。勇躍、アキカン拾いながら真弓トンネルを目指す。袋が一杯になった所で、
早速ゴミ回収場所に置かしてもらう。近くで農作業をしていた方が寄ってきた。役場との場所使
用許可の経緯を話すと 『ご苦労さんです』 労いの言葉と一緒に、缶コーヒーと蜜柑を頂いて
しまった。
途中に食料店があった。袋を見て引き取りましょうと言って下さる。お言葉に甘えることにす
る。カンカンラリーのメンバー加入もオーケー。話がいろいろ弾む。相棒の糖尿が買えよ買えよ
と、例の如くに脇腹を突付く。彼の言いなり、此処で昼食の調達となる。
三島神社を曲がると、ほぼ直線の遍路みちが山を登っていく。遍路みちの左側にゴミ回収場所
がある。袋の口をしっかり結んで隅に置く。一服しながら時計を見る。お昼だ、お昼だ。
相棒のあいつが、此れがいいと掴んだパン菓子を口に入れる。向かいの山肌を自動車が行ったり
来たり、結構忙しい。
トンネルを出ると、そこは久万町。
アキカンを拾いながら、部落を通るたび辺りをきょろきょろ。お店が無い。
私ではない。相棒の、相棒の仕草である。
あの時もう少し、多めに買込めばよかったのに。恨めしくも言ってみるのだが、
相棒は知らん顔である。人生には決断が必要 であるか。
リバーサイド富士さん① 商店さん① その他②
28日 民宿一里木さん泊
朝、コーヒーを馳走になる。
歩き出せばすぐに美川村。上黒岩には上黒岩岩陰遺跡がある。此処まで来れば一見の価値あり。
資料館には鍵が掛けてあるが、前の家にひと声掛ければお婆ちゃん。いやあなたの御歳によって
は、娘さんが内部の案内をしてくれる。入館料は100円か200円。
美川村役場に寄って、アキカン入れドラム缶使用の確認をとる。
元気良くアキカン拾い。3袋のアキカン、3ヶ所のドラム缶に投入す。
楽しみは岩屋寺さんの参道。此処に大判焼きのお店がある。中の餡子は、それはそれは。
ぐるりと御三戸を回って不平が無いのも、この大判焼きがあるお蔭。そのお店が閉まっている。
隙間を覗いても人の気配は無い。如何したのだろう。
残りの参道が頭の中で、遠く遠く険しくなって行く。
納経も済んで帰りにもう一度、覗いてはみたが、ひっそりと寒い。
急に疲れが出てきた。それでもお宿へのお土産を拾いながら、国民宿舎古岩屋まで辿り着いた。
古岩屋荘前休憩所に腰を下ろす。バス停はあるが、最終便は午後の早い時間に終っている。
足はもう歩きたくないと脹れている。相棒は声を掛けても横を向いたまま。
仕方が無い。タクシーを呼ぶ。
トランクを開けてリュックをいれ、ガチャガチャ騒がしいカン袋も入れてもらう。
『本当に申し訳ありませんね』と運転手に頭を下げたら、『お金を払うんだろう?』相棒の糖尿
は不機嫌に言う。太宝寺を下がって饅頭やがあったが……こんな話をしたところで、今更誰も耳
を貸さんだろう。
説得を諦め、黙ってタクシーに乗り込んだ。
民宿一里木さん① 美川村ドラムカン③
カンカン遍路行状記Ⅱに続く
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