このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

カンカン遍路行状記Ⅱ



四国遍路道『アキカンを拾おう』と言い出してから2年が過ぎました。多くの人たちの協力
を得て、漸く今年実行に踏み切ることになりました。多少の不安を抱えての第一歩です。 

         <平成15年3月1日から3月10日までの行動記録>

           糖尿病は昔からの相棒『同行二人』は彼と私のこと
弥次さんとは小澤氏のこと




 1日  民宿みよ志さん泊
 
 前回は雪の中、三坂峠を越えた。冷たく厳しい雪の三坂越えであったが、5本の指に入る
遍路道の風景であると思う。これから何度四国の地を踏むか判らぬが、これほど厳しく雄大
な自然の懐に抱かれることは無いだろう
純白の斜面を竹杖一本で滑り降りる。両側の木々が鬩ぎ合う僅かな幅がそれと知れる遍路道。
三分の二ほど下った所で、逆打ちの遍路に逢う。
杉は幹を震わせ雪を振り落とす。雪は風を呼び、遍路の挨拶をかき消し谷へと落ちてゆく。
夢のような雪の三坂峠。

 今日は雨、合羽を身に着けたままバスで峠を下る。大久保坂にて下車。バス停からアキカ
ンの山。ゴミ袋はみるみる膨らんでゆく。拾いながら林道を下る。
あの日のように雪が降り積もったら、此処も白一色になる筈。夏草が生え茂ったらグリーン
一色のキャンバスになる筈。綺麗と汚いは裏表、紙一重なのかもしれない。
拾うことを諦める。これ以上はどうにもならぬ。雨脚が強すぎる。

納経所にお引き取りをいただき、境内の接待所にてしょうが湯を頂く。人心地がついた。
 夕暮れ。拾い続けて『おな〜りぃ〜
温かい風呂に入れていただいて、この世の幸せあの世の極楽を感じたことでした。
 民宿みよ志さん①袋  八坂寺さん①袋


 2日  月の家旅館さん泊

 今日はバスと電車を利用する、ゆっくりの日。お宿から道後温泉前まで歩き、其処から市電
に乗ることになっていた。
坊ちゃん列車の前に明治時代服装の男女がいる。大勢の観光客、そのカメラのモデルになって
いる。弥次さんもカメラを取り出し懸命に写していたが、写される側に回らなければ損だと気
がつき被写体になる。2人とも両手に花と鼻を膨らましてみたが、出来上がったものを見て思っ
ていたイメージとは想像も出来ない。カメラの余りの正直さに腹が立つ。
肝心要のときに役に立たないのもカメラだ。

 松山駅からで〜ん〜しゃ。浅海駅下車。
ここの海岸を過ぎる度、夕焼けの眺めは美しいだろうと、何時も期待していた。しかし曇りや
雨の日ばかりで、波に千切れる夕日の悲哀など観たことも無い。何か口に入れる物を探せども、
海に迫り出すレストランも食堂も扉を閉めたまま。休業。景色より食いしん坊の糖尿兄貴は、
此方の方が寂しいと言う。何となく此方にも、空腹が伝染してくる。共に花より団子か。
 アキカンは何処にでもある。
拾って、拾って。拾って、拾って。月の家さん、お願い。
 月の家さん①袋


 3日  栄家旅館さん泊

 宿を出るとすぐ目の前がJR菊間町駅。駅がある限り足は電車に乗りたがる。饅頭屋ある限り、
糖尿は喰いたがる。大西駅で降りてアキカンを拾う。苦労したのに法隆寺さんはお留守。
玄関脇にアキカンの大袋を、そっと置いてみた。

 窮屈な合羽を着て小雨の中を歩き出す。本道から延命寺への分かれ道。嗅覚ゼロの鼻腔に相
棒が、何かを感じたらしい。
左を向く。足はスタスタとそちらへ歩き出す。足は暫く休みたいらしい。詰まらんことで、
二人の意見が直ぐにまとまる。困ったもの。眼の前は大きな饅頭工場。こんな時黙っていれば
可愛気もあるのに、口の奴までが口を出す。
『すみませ〜ん。売ってくださ〜い』
も少し上品に言えばいいのに、工場を突き抜けんばかりの大声だ。
恥ずかしいったらありゃしない。女性工員が顔を出した。売っていただけませんかと口調が変
わる。工場長に聞いてきますと、女性は引っ込んだ。
小売はしないんだ。糖尿がしょぼくれる。
やや間があって男性が顔を出した。3日間何も食べていないのです、の擬態を絡ませて糖尿は
相手の同情に訴える。
『分りました。欲しいのは何個ですか』
『6個お願いします』咄嗟に口が言ってしまった。10個だろ? 糖尿が押し戻そうとしたが、
もう後の祭り。3個は弥次さんへ。割り当ての3個を食べて、10個買えば良かったにと言いな
がらも、大暴れをしなかった。美味かったに違いない。お気に入りのひとつになったらしい。
あいつは来年、10個買うことだろう。

 電車を乗り継いで国分寺、またまた電車で丹原町。辺りをキョロキョロ。
『あの和菓子屋さん、なんて言ったっけ』
糖尿どん、餡子の美味さは判っても、屋号や饅頭の名前はからっきし覚えられないでいる。
まったく、もう〜。
『さっき食べたばかりだろう』といったら、
『明日は早いんだ。今買っておかなきゃ』だって
もう付き合いは、や〜めた。
 栄家さん①袋 法隆寺さん①袋 延命寺さん①袋 国分寺さん①袋


 4日  石鎚温泉さん泊

 宿の御主人。次の宿近くのお寺さんまで荷物を届けましょう、と言ってくださる。
荷物を預けてのお身軽がる登山では、御利益が無いのではあるまいか。お大師さんに叱ら
れるのでは。思案熟慮中なのに、足は臍を突付いてくる。バス遍路に、車遍路に、バイク
遍路に、自転車遍路に、歩き遍路とウジャウジャ居るではないか。
荷物を背負ったかどうか。お大師さんに判るはずも無いだろう。どんな御利益が有るとい
うのだ。約束がまだ白紙なら、身軽になって横峰さんを越すべきだ。
『怪我をしない』に賭けるのが、ギャンブラーのギャンブラーたる所以だろ?
  足は自分のことしか、考えていない。
お弁当に、饅頭に、飴玉に、飲料水だけを持ってその方がいいとは。相変わらず糖尿は食
い気しかない。
『じゃ、お願いしまぁ〜す』
他人の口車に乗って、口は直ぐに口を滑らせる。

 前夜の宿泊客6名一括、お宿を出る。九州のお母さんにその娘さん、関東の元美少女2人、
取り纏めて都合6人。
露見したときの言い訳にと、何時に無く懸命にアキカンを拾う。お大師さん、何処かで見
ているような気がしたからでもある。アキカンで袋は直ぐに、満杯になる。
車道を上り詰めると休息所がある。トイレも有るし、第一眺めがいい。タバコに縁は無い
が、何時も此処での一服が楽しみ。

 『さ〜て、出掛けよう』愈々急な山登りになる。独りであったら愚痴だらけ、不平満々
暴れ回る筈。なのに肩に食い入るアキカンの重さも何のその、足は横峰寺へ到る最後の難
関を上り始める。杖を片手にさっさ、さっさと修験者の足に劣らぬ、それは見た事もない
驚きである。異性の瞳を気にすると、ここまで変身出来るものなのか。

 ちらちらと降り出した四国の雪、笹の葉に音を立てるようになってきた。天候の変化に
健脚も、そう長くは続くまい。案の定、苦しそうに口がゼイゼイ呻き声を出し始めた。
『ゼイゼイ声は出すな。首を取られても喚くもんじゃない。日本男児だろ、日本男児。』
足は凄い剣幕。
『そうだそうだ。急ごう。仲間割れしている場合ではない。』
糖尿が建設的な意見を言うのは、おかしい。何かを計画しているか、予感があるのかだ。
こんな時でも、脳は今夜の宿を漫然と考えているだけだ。温泉だし少しはゆっくり出来る
かな、だって。私の家族は団結心など更々ない。自分さえ良ければいい。一心同体の熟語
が理解できないでいる。

 それでも途中休憩することもなく、山門に辿り着くことが出来た。それぞれがホットし
た。結果的に一心同体になれたのは、この時だけであった。

 納経所で訳を話したら、丁寧にアキカンの袋を引き取っていただけた。指定の場所に袋
を置き、記帳が終わり『ご苦労さん』と6名にタルトとしょうが湯を頂いた。
山道を上っているとき、糖尿は既にしょうが湯の匂いを嗅いでいたのかも知れない。奴の
横顔を見ながら、知っていたのかと聞いたら蛇の道はへびよと嘯いた。

 甘味は脳を活性化する。これは嘘だ。タルトを補充してもしょうが湯を補充しても、脳
は相変わらずどろ〜んとしたまま。
彼を除いて皆元気。横峰さんを一気に下る。香園寺さんをお参りし近くの喫茶店で解団式を
行い、再びアキカンを拾いながら石鎚温泉に飛び込んだ。
‥‥‥‥いちどはア〜おいでドコイッショ、おゆのなかにも〜コリャはながさくよ‥‥‥
 横峰寺さん①袋 香園寺さん①袋 石鎚温泉さん①袋



 5日  ビジネス旅館京極さん泊

 朝7時。昨日準備したアキカン1袋を持って、目の前の前神寺さんへ。一連の行程を終え
て部屋に戻る。9時10分チェックアウト。駅に向かう。駅舎にはお遍路さん? がひとり。
笠もなければ杖もなく、荷物もなさそう。肩に羽織った汚れた白衣だけが、それを想わせ
る。顔中に伸びきった髯が、胡散臭い。そう言ったら、すかさず糖尿の一言が飛んできた。
『お前だって髯が伸びているだろう。相当なものだ。お前の方が、余程胡散臭い。電車に
乗ればお前の両隣の席はいつも空いているじゃないか。立っている客がいるのにだ。
人の振り見て我が振り直せは、お前の好きな言葉だろう。』

糖尿の奴、何時になくきつい。
失礼致しました。そそれでも髯の王様の話、聞くほどに判らなくなってくる。四国を何十
回も巡ったと言うが、20回なのか90回なのか。これも胡散臭い話なのだ。糖尿も脳も足も、
減らず口さえ聞いては居ない。
電車の音がする。早く早く、大騒ぎをして切符を買う。
糖尿は石鎚温泉売店で買い求めたお菓子を何処で食べようか。この一念で周りへの気配り
など更々ない。脳は暫く横になれると天下泰平。今日の歩行距離は微々たるものと安心、
足は胡坐をかいている。減らず口さえ唇の大きな隙間から、今にも涎が流れ落ちそう。
あと25日。こんな状態で旅回りをするのかと、此方も思わずこっくりしてしまう。

 伊予三島。一斉に飛び上がってホームに降りる。このグループ余裕がない。良くも悪く
もタッチの差。だから乗り過ごさなかったことにも、乗り遅れたことにも、悲喜はなく、
人よんでの風来坊。
 駅の時計を見る。お昼にはまだまだ時間がある。今夜のお宿は歩いて此処から1時間、
どうしよう。
鈍行とは言へ電車の速さを実感、感動する。足も、脳も、減らず口も、糖尿すらも皆元気。
農林省の水稲生産調整を真似ての時間調整、駅を中心にチェックインまでアキカンを拾う
ことにする。

 駅を中心にぐりぐり拾い始める。元気の溢れてタマちゃんのゴミ袋は、みるみる膨らんで
くる。赤青黄、ペンキきらきらのラ〜メンやさんから、イナセな御姐さんが顔出した。
『お遍路さん、ラーメン、何でもお接待するわよ。ゴミ拾い有り難う』
シャカリキになってアキカンを拾っている様子、遠くから眺めていたに違いない。
突然の申し出に食い意地の汚い糖尿も、流石にドギマギしている。
『どうして、どうしてラーメンがタダになるんだ?』
御姐さんの腹を引っ掻き回したところで、理由なんぞ判らんさ。と答えたが脳ですら不思
議な顔をしている。
『もうひとり、相棒がいますので…』と体よく断ったが
『一緒に連れてらっしゃい。その袋置いてきなさいよ』とアキカンの袋を引き取った。
アキカン袋を預かっておけば、もう一度戻ってくると思っているのかな。アルミ缶1kg
で60円か70円だろ? 脳はまだ寝ぼけたことを言っている。

 新しいタマちゃんのカン袋を取り出し、アキカンを拾い始める。待ち合わせの伊予三島
駅についた。約束の5分前。
 15分待っても弥次さんの姿が見えない。ジリジリしてきた。高架橋を渡って駅の反対側に
いってみたら
『おそいぞ!』相棒はタバコをくゆらしながら不機嫌だ。駅で会おうと言ったら別れた場<
所だろうに。奴は勝手に賑やかな方へと行ってしまう。お互いに始終纏わりついていなが
ら、心の波が高ぶり寄せてくる。東海道膝栗毛の弥次喜多だって、こんな調子だったかも
知れぬ。平成の遍路弥次喜多なら仕方のないことか。で、いながら食い物の話になると、
前後を忘れてすぐに妥協する。恥知らずでもある。久し振りラーメンが食べれる、心はい
い日和になってきた。 

 暖簾を分けて頭を入れる。
『いらっしゃ〜い』やっぱり来たねと、御姐さん。
『値段どおり代金を受け取ってくださるなら食べます。お接待なら帰ります』
商談はまとまり、お金を払って食べることになる。糖尿の希望により、麺の上に沢山の具
の乗っているのを注文する。驚くほどのテンコ盛りだ。早速、眼に周囲を調べさせる。
どの客も丼はテンコ盛りだとの報告が届く。珍しく脳が『掛かれッ』と大声を上げた。
皆と同じに安心したらしい。匂いも料金に含まれていると錯覚したのか、鼻は鼻腔を広げ、
逃がすものかと湯気を懸命に吸い込んでくる。鼻を邪魔するほどに口は、顎を外し麺を銜
え込んでいく。

 右手は箸を器用に使い麺を引っ掛け、まだ口から麺の尻尾が垂れ下がっているのに、押し
込む込むチャンスを窺がっている。左手は熱い丼をカウンターから僅かに浮かしている。
早く呑め呑めとレンゲが付いているのに、口に丼ごとスープを運ぼうとしている。

『溢すな。熱いぞ。よく見ろ。気をつけろ。……』
脳は猛り狂って次々に指令を出している。珍しいこともあるものだ。指令に忠実な眼と耳
には、御姐さんの姿も言葉も何もない。直径1尺ほどの丼に全神経を集中して、それ以外
に気配りする余裕などない。
ガツガツと口に放り込む品の悪い昼食でも、丼を逆さにし汁の一滴も落ちないことを確認
すれば、鷹揚な立ち振る舞いと柔和な顔になるから不思議である。

 こんな有様を見せつけながら、御姐さんにアキカン引き取りの確約をいただいたこと。
カンカンラリーメンバーに参加いただけたこと。怪我の功名とは言え大きな収穫であった。

 缶を拾いながらお宿に向かう。それでも時間が早すぎる。墓地の石段に腰を下ろし時間
の調整をする。漸く午後2時に宿に入る。今度は夕食までの時間を持て余す。
相棒の弥次さん「美味しい喫茶店が近くにある」というので、ノコノコついていったが、
喫茶店の姿の「す」すら見えてこない。とんだ道草を食った。喜びと悲しみは、あざなえる
縄の如し。楽あれば苦ありだ。
 ネギいちラーメンさん①袋 ビジネス旅館京極さん①袋



 6日 民宿岡田さん泊

どんよりとして、雨が降りそうだ。タクシーにて三角寺に向かう。タクシーを降りて目標
の奥之院仙龍寺へと歩き出す。勿論アキカンを拾いながらである。
道を間違えたことに気がつく。随分と遠回りになる。しかたがない。それでも歩き続ける。

 犬に吼えられた。前に仙龍寺から椿堂へ行くときに通った道、思い出した。今は仙龍寺
へと歩いている。気の遠くなる距離だ。脳も足も口も思い出したのか、静かになった。
相棒の弥次さんは、道を間違えたと判ったときから押し黙ったままだ。右手だけが杖先の
フックでアキカンを掻き上げ、黙々と左手のタマちゃん袋に押し込んでいる。
…肩に舞うよな…(石川さゆり節の歌詞のあったような気がするのだが)霧雨が降ってき
た。左下のダムの水面、色が変わってきたように見えた。雨宿りの場所もない。
急ぐでもなく、休むでもなく、ダムに沿ってくねくね曲がった単調なみち。歩き続ける。
疲れたことも、休みたいことも、腹の減ったことも、ぜ〜んぶ忘れてしまった頃に駐車場
が見えてきた。着いた〜、やった〜、の感慨はなく、顎が2〜3センチ駐車場の方向に向
いて伸びただけである。

 駐車場から急坂を上ることになる。谷川を挟んでと言うよりは、瀧を挟んでと言った方
が正確かもしれない。流れの向こう側には冬場、上り易いようにコンクリートの階段が設
えてある。地震でもおきたらどうなるのだろうと心配するほどの、直立する岩山に抱かれ
ている伽藍。下を見ると崩れたらどうすると思う程、迫り出した岩場に御本堂は乗っかっ
ている。ぐうたらに日を過ごしても此処で生活を続ける限り、それだけで霊験新たかな修
行になり、悟りも開けるのではあるまいか。
 
 四国霊場何ヵ寺か、履物を脱いで御本堂に参るところがある。此処もそのひとつ。
靴を脱ぎ玄関から真直ぐに廊下を奥へ向かう。段々暗くなる。突き当たって左に曲がると
ビラビラと眼に痛い灯りが飛び込んで来た。金色に見える。納経所隣りが御本堂、突き当
りがお大師堂とするのか。ご本尊様の近くまで行けそうな雰囲気もあるのだが、廊下で両
手を合わせる。『君子危うきに近寄らず』修行が足らんと叩かれ、いやそれ以上に何しに
来たとお大師さんに訊かれたら、それこそ返答に窮するからでもある。

 それに如何したことだ。此処の空間は祈りの間、御仏に尻を向けいるような気分が襲っ
てくる。手を合わせる遍路を、ここでのお大師さんは前ではなく後ろから見詰めている感
じだ。弥次さんも廊下から動かないところを見ると、同じ穴の狢。御仏にお願いをするほ
どの自信はないのだろう。

 その時だけ遍路らしさの一連の行為を終え、納経をお願いする。アキカンの袋を駐車場
待合小屋の後ろに於いてきた旨を告げる。

 玄関で靴を履く。肩に舞うよな雨だったのに、雨足は地面を叩き激しい音を立てている。
『喰っていこうか』どちらが言うともなく玄関脇の庇の下に腰を下ろす。雨音を気にしな
がら冷たいお握りを頬張る。「温かいお茶が欲しいな」と思ったら何処からか「贅沢は敵」
の言葉が飛んできた。そうだよなと皆が納得した。冷たい水をひと口飲んで雨具を身体に
巻きつける。雨の中歩いて歩いて椿堂参詣アキカンのお引き取りを頂き、漸くお宿に辿り
着けた。
 仙龍寺さん①袋 椿堂さん①袋 民宿岡田さん①袋


 7日 ビジネスホテル観音寺さん泊

   眼が覚めた。外が気になる。天気予報。晴れは間違えるくせに、雨は決して間違えるこ
とはない。やっぱり雨だ。アキカン引き取り契約の遍路宿へ届ける、タマちゃんウタちゃ
んのカン袋4束6kg、それにお菓子を含めれば合計7kg。通常の荷物の上にこれを加え雲辺
寺の山を登る。しんどい、しんどい。

 同宿9人。一緒に宿を出たのに登り始めたら、最後尾になってしまった。杉の枝葉から
雨の雫がポタポタと寒い。何時になく時間はどんどん過ぎていく。
漸く杉林が切れて車道に出た。何度も歩いた所だが、車道に立ったときの達成感は今まで
の記憶には無かった。ヤレヤレである。

 雨の中、杖を伸ばしてアキカンを拾う。88霊場の中で1番高い、つまり天空に最も近い
場所に建立された、雲辺寺。
歩き遍路か、マイカー遍路か、地元の人か。誰が捨てたか、カン、カン、カンの歩行者天
国だ。袋は瞬く間に一杯になる。天空に近い場所に此れほどのアキカン、御仏がばら撒い
たに違いあるまい。林の中、小さな畑、谷底にも、御仏でなければ説明が尽くまい。
もしも人間だったら、あなたかわたしか。

 ヨッコラショと持ち込んで納経所にお引き取りいただく。風も強く雨も寒い。
ケーブル山頂駅に駆け込む。初めて足を踏み入れた。ストーブが置かれて温かい。合羽を
脱ぎ、濡れた身体を乾かす。熱いお茶を頂いたので、ついでにお弁当をひろげる。
待合室が暖かだった分、外に出ると風は強く雨は冷たい。雨の遍路道を下る。ケーブルに
は乗らないものと思い込んでいるせいか、足は愚痴一つ言わない。
突然靴が3センチほど、のめり込んだ。道幅を拡げる工事をしているらしい。麓まで数ヶ所。

 次は本山寺。歩き続ける。麓は雨が上がっている。本来は大興時寺、神恵院、観音寺、
本山寺が標準コースである。しかし、アキカン引き取り所確認のが目的なので、別計画
になっている。だから行程に合わせ、タクシー、バス、電車、すべての交通機関を利用
する。区間飛ばしもする。今日中に本山寺、これが駄目なら計画変更せざるを得ない。

 遍路道の歩き方は道を尋ねて歩くこと。遍路は、進路を住民や道人に尋ね、その情けに
すがりながら札所を巡るのが本来の姿。と指導書のなかに詳しく記されている 
右へ曲がって左へ曲がって、とうとう歩いている現在位置が解らなくなってしまった。
指導書に従い尋ねるべし。

 ガソリンスタンドで働く女性に尋ねた。年配の彼女は、指差して答える。
『あの信号機をこっちへ曲がる』右へ曲がる仕草を見せた。
『真直ぐ行くと橋がある。橋を渡ってこっちへ曲がればすぐだよ』
橋の先を右に曲がれと指を動かす。
『信号機を右に曲がって、橋を渡って右ですね』
確認をするとそうだと頷いて、忙しそうに事務所に入ってしまった。

 風が強くなってきた。雨雲が下がってきたのか、辺りの輪郭がぼやけて見える。そろそ
ろ暗くなる時間帯でもある。
 漸く橋が見えてきた。渡って直ぐ右に折れる。カン袋はとうに満杯。杖と袋を右手に持ち
左手で飛ばされそうな笠を抑えていたら、アキカン拾いなどできよう筈もない。
大分歩いたのにどうも様子がおかしい。

 工場の事務所から男性が出て来たので追いかけた。道を尋ねる。
『どちらから、きましたか』
の問いに、あちらからと今来た方を指差すと、
『通り過ぎました。観音寺から来れば本山寺の塔の屋根が見えたはずですが……』
彼は怪訝そうな顔をして、一寸微笑んだ。間抜けな遍路に見えたのかもしれない。
『戻るしかありません。高松高速道路を過ぎて、この川に架かる橋があります。
見えますか、あの橋ですが広い道路です。其処を突っ切り、2つ目の橋の道も突っ切ります。
右手奥に大きな森が見えてきます。突き出るように塔も見えます。70番の本山寺です。
此処から3キロ近くありますよ』
女性は感覚的に、男性は理論的に判断するらしい。

 頑張ったが2つ目の橋で時計は5時20分を指した。間に合わなかった。橋を渡り町並みを
今夜の塒へと向かう。アキカンを拾いながら2袋を満杯にする。しかしお宿の見当がつかな
くなる。
 年配の男性に尋ねる。首を捻って男性は、我々を玄関に招き入れた。奥から大きな図面
を持ち出したが判らない。結果はもう少し先へ行って聞いてください、であった。
親切を謝し最初の十字路、何気なく右を見たら目指す宿の看板が、いやそのものがあるで
はないか。嬉しいような、ガックリするような。

   宿で見てみたら指導書の中に次なる一文があった。
「歩き始めたら、自然の中に身をまかせる。天候の変化すべて修行の要素、携帯ラジオを
持たない。天気予報を気にしない」と。尋ねても……………は諦めろとは書いてなかった。
 雲辺寺さん① ビジネスホテル観音寺さん①


 8日 せと国民旅館さん泊

 ふれあいパークみの、満員にて宿泊不能。計画を大きく変更。68番69番は昨年アキ
カン持込をしているので、今回はパス。早朝タクシーにて本山寺。タクシーのトランクに
は昨日拾った満杯のアキカン袋一つが積んである。10分前に到着。午前7時1番に納経
を済ませ、アキカンの引取りをお願いする。

 早足でJR本山駅に、電車は既に姿を見せている。列車通過待ち合わせ、飛び乗って漸
く間に合った。
みの駅下車、三野町役場を訪問。ふれあいパークみので各関係の皆様にお会いする。
カンカンラリー発足時、アキカン引き取り所をお願いしたところ、4箇所を指定し『カン
カンラリー』看板を貼り付けてくださった町でもある。行き違いばかりだった、弥谷寺の
御住職にもお会いすることが出来た。

 アキカンが少なく、集めるのに苦労する町である。去年遍路道の2箇所に穴場を見つけ
た。お礼の手紙にアキカンの少ないこと、2箇所にアキカンの山が出来ていることをお話
しをしたら、今年は綺麗になっている。だから今年のお土産は無し。

 駐車場入り口の道路にアキカンが1個転がっている。拾いに行こうと歩き出したら、走っ
て来た車が止まった。ドアーが開くと運転手が拾い上げ、そのまま走り去った。
アキカンやゴミの少ない理由を見た気がした。

 時間がない。なりふり構わずアキカン拾って75番へ袋をお願いして番外18番へと向
かう。袋を渡せば電車の発車時間。息が詰まりそうだ。

 『あそこの大福美味かったよな』
糖尿の言葉に釣られてJR八十場駅に下車する。探し回った末に間違えに気がつく。あれは
郷照寺での話。苦あれば楽ありは嘘。苦があっても楽があるとは限らない。
糖尿ばかりではない。全員、喰いたかったな〜。寺に通じる角地、杵でペッタンペッタン
最高に美味い。何と言おうと今年は諦めが肝心。仕方がない、次の電車を随分と待った。
お宿に着いたのは暗くなってから。
『早くなんか食べさせて〜』死にそうな糖尿の声は震えていた。
 本山寺さん①袋 甲山寺さん①袋 海岸寺さん①袋


 9日 せと国民旅館さん連泊

 陰になり日向になりの弥次さん、元気がない。仮病とも見えぬ。鬼の霍乱だ。
仕方がない、連泊することにした。幸い今日はからりと晴れた。久し振り身内だけの、番外
香西寺行となった。連泊ともなれば呑気なもの。カンを拾いながら足の向くまま気の向くま
ま、のたりのたりの道行である。

 JR国分寺駅乗車、JR鬼無駅下車、知り合いのお宅を訪問。少しばかり懐かしい昔の話をし
て目的地へと歩き出す。根香寺を経て香西寺、一宮寺と何度か通っている。だが形は逆打ち。
鬼無から4キロ歩くのに、3回も道順を聞かねばならなかった。
 逆打ちは2倍の功徳があるとは聞いたが、大変なことは確か。しかし冷静に考えると、逆
ちには功徳に関係なく『2倍の苦労がある』これが正解ではあるまいか。
苦労は間違いなくついて回るが、2倍の功徳を戴いた人の話は聞いたことがない。
ひとりの遍路が1度に順打ちと逆打ちが出来るなら、比較のしようもあるのだが………。
人生も、ひとりにひとつだけ。比べようにも、己にふたつの人生はない。

 ようやくアキカン1袋を持って納経所に辿り着く。おかしい。以前は境内にアキカン入れ
が何箇もあったのに………。
納経を終えアキカンの引取りをお願いすると、入り口のアキカン入れにどうぞといわれた。
無作法にも、アキカン入れを少なくした理由を聞いてみた。
 ゴミというゴミが捨てられるようになったこと。ゴミ入れをはみ出し其処がゴミの山にな
状況が続いた。だから見える場所、監視できる場所、つまりは納経所ノ前にしたという。
以来ゴミ問題は解決したが、そのゴミは
「今日も何処かに捨てられているのでしょうか?」
「そうでしょう」と自問自答する。道路下の藪の中、廃屋の庭に投げ捨てられたビニール袋
を思い出す。

 「カラスも散らかします。人間より困ったものです」
話しが変な方向へ流れ出した。御主人を亡くされた奥様が、墓所に毎日のように綺麗な花を
持って通ってこられる。
ところがある日、お参りすると前日のお花が抜き取られお墓の周りに捨てられている。その
ような状態が何回も続いているので何とかして欲しい。と申し入れがあった。
犯人探しと隠れて見ていたら、飛んできた一羽のカラス。辺りを見回すような仕草の後、花
立の花を1本1本抜き始めた。全部抜き捨て花立ての水を飲み始めた。
事実を奥様に話したが最初は信じてもらえなかった、という。

 「カラスって利口ですよ」
利口というのは、人間に比べてか。それとも、何に比べて利口なのだろう。
供えたばかりの花を引き抜き投げ捨て、美味しい水を飲む。
見方によればどこか人間にそっくり。タバコの吸殻イヤ、弁当の空箱イヤ、汚れたナプキン
臭くてイヤ。纏めて窓から投げ捨てる。マイカーいつも清潔。他人の迷惑など気にしない。
自分さえ良ければ、それでいい。

 毎日花立を綺麗に洗って新しい水を入れる。カラスは水の綺麗なことを知っているのだ。
しかし自分が引き抜き投げ捨てた花が、ゴミになることは考えない。
ゴミ箱が撤収されたとき人間は、他のゴミ箱に投げ入れる。他のゴミ箱のないときは目立た
ない場所、林の中や谷川へ投げ落とす。水は汚染され、やがてその水は蛇口から流れ出し、
自分たちの飲み水になる。そしてカラスも美味しい水と信じて花立の水を飲む。
どちらが利巧か、比較の域を超えているとも思うのだが………。
 毎日墓参の奥様が花立の水を換えていること。その水の美味しいこと。カラスは何処で学
習したのだろうか。スズメやメダカのようにカラスにも学校はあるのだろうか。
「カラスは利巧」よりも「カラスは人間と同じく×××」なのではあるまいか。

 食堂を探したが見当たらない。JR香西駅の近くコンビニでお握りを買い、駅待合室で腹
に入れる。カラスは電線に止まって此方を見ている。
物見遊山気分で糖尿も、誰も文句は言わない。後は電車で国分駅まで。アキカンを拾いな
がら国分寺跡を見学。それでもゆったりした一日であった。
 香西寺さん①袋 せと国民旅館さん①袋


 10日 岡田屋旅館さん泊

 昨日と同じ、朝食は午前7時。JR国分駅からJR鬼無駅まで電車を利用。記憶を辿って
香東川に向かって歩くも、記憶ほどいい加減なものはない。行き交う人に何度尋ねても、
見知らぬ道をくるくる回っている感じ。それでも漸く川に出ることが出来た。
川に沿った遊歩道を歩き、丹念にアキカンを拾う。自動車に乗った人だけがアキカンや
ゴミを捨てているような言い方をする人も多いが、総てがそうであるとは限らない。
しかし駐車スペースのある広場や、自動車の通れる幅のある道に捨てられるゴミやアキ
カンの多いのも事実である。

 一宮寺納経所、アキカン1袋、お引き取り頂く。
バスで高松行き、停留所の時刻表12時発。仕方なくテクテク歩くことにする。バス、電車、
タクシーと乗り慣れた足にとっては、きつい1日。爪先の小石をけり始めた。
「此処で少し休んでいこう」後ろを歩いていた弥次さんが声を上げた。喫茶店だ。
「時間を調整してバスで行こう」足は歓声を上げた。中に入ると軽食もある。
結局ここで早い昼食を摂ることになった。糖尿の喜ぶこと、喜ぶこと。チャーハンならぬ、
ヤキメシ。後はコーヒーで時間を調整するだけ、皆ニコニコである。
店を出てアキカンを拾いながら800m、上角田バス停にてバスを待つ。

 アキカン袋を持ってバスに乗り込むこと、恥づかしいような申し訳ないような気分で隠れ
るように乗車したものだが、今は袋のアキカンをガチャガチャ言わせながら、脳は大意張り
である。 

 終点前築港駅前で下車、足の喜ぶこと電に乗る。弥次さんは琴電屋島駅で降りた。こちら
は古高松駅に下車する。懸命に拾い始める。2袋を拾わねばならないからだ。
「うどん屋があったよね。あれは美味かったよね〜」糖尿は妙に絡んでくる。
「確か山田うどんだろ」寝ている筈の脳がこんなところに口を出す。
「お店があったら、食べさせてやるよ。但しアキカン2袋拾うことが条件」
皆が張り切った。お店の裏の道こっそり抜ければ判るまい。

 「おお、此処だ此処だ」看板を見つけた目が、脳に御注進。脳の指示に口が喚いている。
裏にも大きな看板を掛けているとは………。駐車場を通って入り口へ向かう。
食い過ぎではないかと言ったら、今日はまだ饅頭を食べていないから、だって。
お前の身体が心配だと、それが糖尿にはわからない。食い物にありつけば、何ともいえない
幸せな笑顔を見せる。

 漸くアキカン2袋になる。うどんの効果があったというもの。
目標を達成すると気分は爽やかになるもの。何時もはぜいぜい苦しい坂道なのにすいすい
登ってしまった。アキカンの所為か、うどんの所為か。糖尿に聞いてみて。
 一宮寺さん①袋 八栗寺さん①袋 岡田屋旅館さん①


カンカン遍路行状記Ⅲに続く
体験記トップに戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください