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カンカン遍路行状記Ⅲ



四国遍路道『アキカンを拾おう』と言い出してから2年が過ぎました。多くの人たちの協力
を得て、漸く今年実行に踏み切ることになりました。多少の不安を抱えての第一歩です。 

         <平成15年3月11日から3月20日までの行動記録>

           糖尿病は昔からの相棒『同行二人』は彼と私のこと



 11日 あづまや旅館さん泊

 旅館のご主人市場、帰るのは午前8時の予定、朝食はそれ以降になる。気侭な、いちにち。
ぶらりと次の予定地へ。ケーブルの山頂駅前には、お土産屋さんが並んでいる。足がフラフ
ラと吸い寄せられていく。糖尿の眼がキラキラと輝いてきた。他の土産品には目もくれず、
一点を凝視する。先にあるのは、饅頭。ねだられる儘に2パックを求める。
品のよいご婦人に代金を払う。岡田屋支店の暖簾が掛けてあるのを見て尋ねたら、本店はた
った今出立したお宿。朝食を終ったばかりで饅頭2パックでは笑われる。早々に引き上げる。

 それでも口笛を吹きながら、朝日に柔らかい八栗の山を下りる。
アキカンは不思議と線路上、線路わきに多い。鶏が餌を啄ばむように、琴電線路と11号線
の間のカンを掬い上げる。ふぐのように膨らんだ「たまチャン袋」を抱えて志度町に入る。

 平賀源内のエレキ館に足が止まる。
「見学していこうぜ。何時も忙しそうに通り過ぎたが、今日は時間もある。チャンスだ。
皆行こうぜ。」
居眠りの脳にしては、すこぶる元気がいい。今日をピクニックと勘違いしているらしい。
羞恥心も無くカン袋をガシャリと入り口に置くと、手は財布をまさぐりる。
300円の入館料を支払い、右手をさっと挙げた。

 入館するとエレキの実験に使用した器具がおいてある。手は面白そうに取っ手をくるくる
廻し続ける。居眠り専門の脳に高等な原理など解るはずもない。取っ手を廻すほど、平衡感
覚が失われていく。活字に縁の無かった眼に、説明文の読み解けるはずもない。人の意見に
聞く耳もたぬ耳に、スピーカーの案内など耳に入るはずもない。はずもない者同士が幾ら集
まっても(はずもない)を越えるはずもないだろう。

 ホウホウの態でエレキ館を出た。
「全く、スゲイヤァ〜」第一声がこれである。何を凄いと言っているのだろう。
レベルの低さを棚に上げ、見ても聞いても触れても何も解らなかったことに、平賀源内の偉
大さを感じ取ったのかもしれない。
「こんなに偉い人だ。エレキ羊羹とか、ひらが饅頭とか、げんない大福とかさァ……あると
思うんだ。探して味見してみようよ」
糖尿の目のつけどころは違う。こちらの足元を見て、摺り寄って来る。
それどころでない。此方はトイレに行きたいのだ。

 志度駅は何処だろう。駅を探してキョロキョロしていたので気がつかなかった。
「お遍路さん、その袋お預かりいたしましょう。」
優しい目のお母さんに、声を掛けられた。
「有り難う御座います。でも重たいし中身は汚れています………」
まだ話も済んでいないのに、お願いと言わんばかりに手は袋を突き出している。違うんだ。
他人様の御好意には一度は辞退する。それでもと言われたとき、改めてお礼を言ってお願
いするのが礼儀。お接待だって、 ラッキーと飛び付く態度は恥ずかしいこと  相手の
お話しの後で戴くのが礼儀。解ってくれよな。と言いながらも今なすべきことは、トイレ
の探索である。大事の前の小事、目を瞑ってアキカン袋をお渡しする。

 ご厚意を謝し、教えていただいた志度駅へと走る。トイレがこんなに大事なものとは。
トイレに「お」をつける理由がこれで判った。
おトイレを出て急ぎ切符を買う。時間がない。改札を出たら電車が来た。売店でエレキ羊
羹とか、げんない大福を探さずに志度町を離れたことは、財布にも糖尿にも幸せであった。

 志度寺から長尾寺まで歩いたことも、志度駅からオレンジタウン駅まで乗ったこともある。
今度はひとつ先のJR造田駅まで行ってみよう。発言者は足である。
 造田駅前の案内板で、長尾寺までの道順を確認する。駅舎に戻り、八栗のお山で手に入れ
た饅頭のパックを開く。水を買うことはしない。はるばる千葉から持参したペットボトル
にお宿の水を頂くことにしている。のん兵衛はよく言う。地酒は、地元の肴で地元で呑む
に限ると。同じように、地元の饅頭は地元の水に限るのだ。
「ああ、馬かった〜 牛(べご)まげだ〜(負けた)」
あんこに陶酔しきったときの、糖尿の口癖である。

 さてこれからが大変。駅前の広場から、道路の側溝の流れの中からアキカンを掬い上げ
る。どうしても2袋が必要。減らず口を叩いている暇はない。今日一番の仕事になった。
如何にか仕事が纏まって長尾寺。先ずは参拝、納経所。何時もの如く売店にて、お引き取
りいただく。お茶を飲んでいると、糖尿が突如立ち上がった。あれだあれだと指差す先に
は、うどんのメニューがさがっている。

 残った饅頭は食べないから、を条件にうどんを注文する。糖尿は信用できない人物。その
場でワンパックの饅頭は、お嬢さんたちへのお接待に消えて安心。
それにしても、もう直ぐ夕食だというのに。馬鹿は死ななきゃ治らないか。
 志度町のお母さん①袋 長尾寺さん①袋 あずまや旅館さん①袋


 12日 民宿八十窪さん泊

 女将さんに見送られて宿を出る。清水温泉休業中、番外20番大滝寺参詣は諦める。と
いうことはアキカンの持ち込みも諦めるということ。

結願大窪寺までなら、今日もルンルン遠足気分。アキカンを拾ってだらだら坂を上り、前
山ダム畔 <へんろ資料展示室>。 木村さん、藤井さん。お会いして色々お話し、お伺
いするのが楽しみ。そのお土産がカンカン袋では申し訳ないのだが……でもお会いすると
そんな気持は何処かへ消し飛んで、お人柄につい甘えてしまう。
 御挨拶してお茶を頂く。展示室は前回に比べて配置が換わっている。内容が充実して、
それも楽しみのひとつ。
程よく時間を過ごし、お暇する。もう一度女体山を越えたい気持も強いが、諦める。恐ら
くアキカンもないだろうし、袋を持って登れる山でもない。

途中にある、細川家住宅を見学することにする。資料展示室で教えていただいた道順、
間違うことなく目的地に着くことが出来た。
手入れが行き届いて綺麗過ぎるほど。お茶を頂きながら管理人の説明に耳を傾ける。足を
留めること。耳を傾けること。味を確かめること。色んなことに向き合うことが、遍路の
旅を豊かにする。何度か四国を巡り、漸く気が付いた。これが余裕というものか。

 多和支所にてアキカンの引取りをお願いする。所内にてお話を聞き、お茶を頂く。次回
の引取りをお願いして辞す。

 工事中の道路のそばを通る。アキカンが少なく一寸心配。2袋目を取り出し、頑張るこ
とにする。

 時間があった割には、随分と遠かった気がする。チンタラチンタラの缶拾いが原因かもし
れない。何時もなら結願万歳ケジメの88番なのに、その感慨も無い。
これから高知まで歩かねば、一周完歩にならない為か。
 それでも今日は皆和気藹々である。
お宿の夕食に、お赤飯が出るからである。「事情があって赤飯の無いときだってあるん
だよ」と諭したら、そんなことはない。糖尿は激しく首を振った。
糖尿の言うとおり、夕食に赤飯が出た。「ほう〜ら、どうだ」彼は得意満面、此方を覗
き込んでくる。彼の嗅覚は脅威である。

 明日は1時間ほど歩いてバスに乗り、あとは電車。歩くことも少ない。バス停までの
アキカン拾いは中止と決まっている。足も手もそれで機嫌がいいのだろう。
脳はもうコックリを始めている。平和とはこんな身近にあるものらしい。
 お遍路サロンさん①袋 多和支所さん①袋 大窪寺さん①袋 民宿八十窪さん①袋


 13日 民宿阿波さん泊

 朝食一番。お天気もからりとは言い切れないが、小作りな山々を冬雲が小さく飛んで
いく。朝の食卓作業が一段落すると、早春の景色へと繰り出した。  

長野分校近くのバス停、通過時間は8時40分。まだ時間はある。弥次さんは透かさずタバ
コを取り出し美味そうに一服。身内は誰もが、タバコ反対だ。だが彼は左手に携帯灰皿
を持ち、人から離れ風下で煙をふかす。何時も決まったスタイルでカッコいい。誰もが
そう思っているから苦情はない。でも彼に一度だけ尋ねたことがある。

 藤井寺から焼山寺への遍路みち。暫く歩くと弥次さんは酸素が足らんと言わんばかり
に、ゼイゼイと苦しそうに息を吐き出し休憩をとる。そしてタバコの一服。焼山寺に着
くまでこの繰り返しである。其れでも例のスタイルを変えることはない。
『いちいち携帯灰皿、面倒臭くないかね』
『タバコに火を点けると無意識に灰皿が出てくる。面倒も何もないよ』
本当は「タバコは止めたほうがいい」「止められないなら本数を少なくして……」
と忠告したかったのだが。
弥次さんの面が他人の言うことなど耳にしない頑固な一枚岩に見えたので、本音を諦め
た経緯がある。弥次さんへの忠告。ことタバコに関しては無駄である。絶対にお湯の出
ない野原に湯脈を求めスコップで穴を掘るようなものである。と思った。

 喫煙者すべて弥次さんのようスタイルであったら、今回のタバコの値上げは無かった
かも知れない。タバコの投げ捨て、ポイ捨て禁止の標語も生まれなかったかも。
ましてや、東京都千代田区のポイ捨て禁止条例や、罰金などあり得なかったと思われる。

 ゴミ問題の解決は、ゴミを拾うことではなくゴミを捨てないことである。同様にタバ
コはポイ捨て禁止条例や罰金ではなく、タバコを吸わないことであり吸わせないことで
ある。200年で何とかなるかな。それとも1000年かかるかな。変なことを考え始めた。

 8時44分発のバスが定時に到着?
見てみろと定刻だ。手は自慢げに腕時計を指し示す。バスは腕時計の時刻通りのご到着
だが、腕時計の時刻は正確なのだろうか。うかつに信用は出来ない。あの時だって電車
がお前の腕時計より10分も速く着いて、危うく乗り遅れるところだったじゃないか。

 バスは山間をくねって走る。カーブの度に右に左に揺れて心地よい。だんだん外の景
色が、見えなくなってくる。案の定、眼が日傘を差し始めた。これは脳の常套手段であ

「白鳥駅前です」のアナウンスに脳は飛び上がった。急いでバスを降りる。弥次さんも
慌ててついてくる。バスは走り去ったが駅は見えない。どこか間違えたかな、一寸不安
になる。近くにいた小母さんに聞いた。信号を右に曲がって踏み切りを渡り更に右へ、
線路に沿って歩くと右手に駅はあるとの御宣託である。其れでも右が多すぎる。
あった有ったと駅舎を指差し手は大はしゃぎ。踏み切りを渡った時から皆気がついてい
るのに、手の奴は何時も大袈裟だ。

 時間表を見て驚いた。徳島行きの電車がない。何時間も待たねばならないのだ。
『相乗りで三本松まで行きませんか』
お声を掛けて下さったのは、ご夫婦のお遍路さん。同じバスから降りた人達だ。此処に
は急行が停車しないと言う。
脳が騒ぎ出した。
「三本松と言ったら、山に生えてる松じゃないか。白鳥温泉のある白鳥駅に何故急行が
停まらない。木の上にとまるのは鳥じゃないか。」
脳の論理は可笑しくなってきた。バスの案内に咄嗟に反応、白鳥駅前で下車させた自分
自身に怒っているらしい。弥次さんに申し訳ない気持ちもあったのか。
だが誰も相手にしない。歩かずに済んだ。アキカン拾わずに済んだ。足、手の偽らぬ心
境だ。脳は心とは裏腹に、そろりタクシーへとにじり寄る。
四分の一のタクシー代で済んで良かった良かったの顔が、バックミラーに乗っている。

 脳の嫌いな三本松駅に着いた。「あそこで降りなけりゃ、此処まで一直線に来れたん
だよな。」誰かが言ったが、脳はそ知らぬ顔。脳は幾つもの引き出しを持ち、記憶を取
り出し易いように整理すると聞いていた。だが彼のものは生まれつき、後ろと下の板が
ない、例外的な引き出しになっている。引いても記憶は出てこない構造、なのである。
だからそ知らぬ顔をしているのではなく、
政治家同様、既に『記憶にないのであります』
  
 ご夫婦は高松行き、此方は徳島行きの急行に乗る。此方が20分ほど早く発車する。
『大変お世話になりました』脳はにこにこと言った。相手より20分早く電車に乗るこ
とが、にこにこの原因である。余分なタクシー代を支払っても、20分早ければ損はない。
時は金なりと信じて、疑わない。数字的な解釈は彼の最も苦手とする分野である。
単純な細胞で組織された珍しい脳でありながら、珍しく頑固である。

 板の駅下車、懸命にアキカンを拾う。楽あれば、苦 あ り か。
 地蔵寺さん①袋 金泉寺さん① 極楽寺さん① 民宿阿波さん①袋


14日  民宿阿波さん連泊

   ○○テレビのカメラマン午前7時に来る。その車で番外大山寺登り口まで。ここから
本番、アキカン拾いを始める。谷間を覗くとあらゆる所が、ゴミの山になっている。
ダンプで谷へ向け、ザザ〜と投げ捨てた感じ。木の根にかかったアキカン、拾い上げ
ても虚しさが残る、残る。人間の本性は悪なのか。人目のないところ見えない場所で
は、平然とこんなことまで出来るのか。同じ人間として、心すべきことだと自戒する。

 大山寺納経所、寺下のカン、ビン入れをご自由のお使い下さいのご許可をいただく。

 次は市場町役場にて、ゴミステーション2箇所、利用したことを報告する。

 法輪寺へ逆打ちコースで歩いていたら、自転車に乗った年配のご婦人に呼び止めら
れた。
部落の老人会でアキカン集めをしている。最近はアキカンが少なくて困っている。
袋の中のアキカンを返して欲しい話であった。彼女には村の大事なアキカンを奪い去
る「7人の侍」の、野盗に見えたのかも知れない。
 自転車は前も後ろも荷物が鈴なり、アキカンを一体どこに乗せるのだろう。
『どこに載せますか』
『あそこに置いてや』
彼女は顎で指差した。おかしな言い方だが、足を踏ん張りサドルを両手でしっかり握
っていたのだから、残っていたのは顎だけだったと思う。顎の先を辿ると一軒の家が
あった。2メートルほどの小川に橋が架かっている。その家の門の中へ置いとけ、と言
うのである。

   「それはないだろう。他人の家にゴミを放り込むんだら大変だ。叱られるぞ」
脳も口も騒ぎ出したが、声にならない。ご婦人が怖いのだ。
目ん玉だけが飛び出して、「怖いおばちゃんだ」をくり返し警告している。

 懐の深い庭からふたつの顔が橋を渡って近づいて来る。お母さんとお嫁さん、それ
とも娘さんかな。声高な会話、不審に思って首を出したらしい。
『そのアキカンを の、そこに置いてもろうて……』持ち逃げされるアキカンを、よ
うやく取り戻したと言わんばかりの雰囲気である。知り合いよりも仲間らしく、言葉
の激しい割には穏やかな笑顔である。
結局真ん丸と太ったアキカンの袋は、おふたりにお渡しすることになった。

『これを真直ぐ行くとナ、橋がある。その手前を曲がるとお寺さんに行きよる……』
ご婦人は顎を突き出した。そこまでの間に拾ったアキカンは、後で持って帰るから橋
に括り付けておけと言うのだ。何と人使いの荒いお婆だ。いや、ばばちゃんだ。 

 アキカン引取りをお願いしても断られることが多いのに、薄汚いアキカン喜んで略
奪してくださるなんて、アキカン拾いの冥利に尽きる。

 2メートルのカントリ棒を精一杯伸ばして、川底のアキカンまで掬い上げた。
お別れ橋にカン土産を括りつける。「おばちゃん忘れずに持って行ってくれるかな」
口が心配そうに囁いてくる。我家の脳とおばちゃんのそれは同じだ、間違いはない。
ふらふらと自転車をこぐ後姿を見れば、誰でも解ること。誠に頼りない。目もそう
だと見届けている。

 おばちゃんが忘れたら、俺たちが此処にアキカンを捨てたことになるぞ。
もともと捨ててあるものを拾って、橋に括りつけるだけ。罪になる筈がないだろう?
議論百沸だァ。
「見ている者は誰もいないぞ」辺りを見回し目ん玉がちょろりと言った。
誰も見ていないと、人間後ろめたい事も遣ってしまうものだ。タマちゃんを橋に括り
つけて、現場を足早に立ち去ることにした。

 法輪寺納経所、カン袋略奪されしこと報告。故にお土産ゼロ。
大山寺さん①袋 切幡寺さん①袋 ゴミステーションA① ゴミステーションB①袋
老人クラブさん①袋とおまけ 熊谷寺さん①袋 民宿阿波さん①袋


 15日  さくら旅館さん泊

   朝から強い雨、ご主人に坂東駅まで送っていただいた。板野駅下車、バスに乗り
終点まで。昔に比べると乗客が減り、路線が消え、運転本数も減っている。
これは、交通機関を利用して初めて判ったこと。

 アキカンは天気の良い日体調の良い時、無理をしないで拾うのが原則である。
今回は雨でも拾うことにしている。引き取ってくださる方々に実際の引き取りの
体験をいただかねば、折角のシステムが作動しなくなるからである。

 雨に濡れたアキカン1袋、安楽寺納経所にお受け取りいただいた。
駐車場に抜ける売店でコーヒーを飲む。凍るような雨を歩いた体には、沁みる温も
りが有り難い。美味さが隅々まで広がっていく。
冷たいも、温かいも、不幸せも、幸せも、お互いを図る尺度として必要なのか。
不幸の尺度を下げれたら、幸せは多くなるのではあるまいか。そう思う。

 外へ出てカンを拾い始めたら、手先から冷たくなってくる。雨脚が強く視界が、
狭まってくる。鴨島駅前、お宿はもう直ぐだ。

 駅前の通りに幾つものテントが張られている。土曜市だという。歩きながら見てい
ると、有った。真っ白くて大きな大福餅だ。糖尿もじっと見ていたが、何も言わな
い。黙って通りすぎる。気味が悪い。

 お宿に入り部屋での片付けが一段落すると、糖尿は「いくぞ」手に財布を掴ませ
外に出た。見即買といかなかった理由がある。

”そうだ、そうだ、そうだ村の、村長さんが、そうだ喰って、死んだそうだ、葬式ま
んじゅが、でっかいそうだ、なあかの餡子が、少ないそうだ ”

子供の頃の真実を、ふと思い出し”中の餡子が少ないそうだ”が、物凄く気になっ
たからである。

 糖尿は大福餅の前に立つと、人差し指で大福餅の腹を押した。指先を通して餡の
広がりと厚みを確認、思ったより多いと判定した。これを見て売り手のお婆さんは、
大福餅の硬さを気にしていると勘違いしたらしい。
『朝作ったに、今頃になると少しカタア〜なるけん』
こちらも負けない東北弁だが、そちらもつるりとした四国弁で説明をする。大福餅
を中にして、どちらも話は半分しか判らなかったろう。 

大福餅は7個残っていた。5個下さいと言ったら、多すぎると皆が騒ぎ出した。
此方の気配を察知したのかお婆さんの手は間髪を入れず、大福餅5個をわし掴み。
紙袋に放り込みビニール袋にすとんと落すと、ハイよと差し出した。
「すみません。3個にして下さい。」の訂正を入れるチャンスはなかった。

 手品師のような指の動き、どこかで見たような気がする。
そうだ北朝鮮の子供たち。横に抱えた太鼓。右左、右左と目にもとまらぬ速さで打
ち鳴らす。高速度撮影でのみ確認できる手の動き。ばばちゃんの大福餅を掴んで差
し出すまで、西部劇の早打ちと同じ。シェーンを見たようだった。

 爪は角ばり、手の甲はざらざらと硬そうだ。頬被りの顔は日に焼けて黒々と、皺
の中にふたつの瞳が優しく笑っている。あの生きる逞しさとこの若々しい優しさは、
どこから生まれて来るのだろう。思わず釣られて此方もニヤリとしてしまった。
此処には枯れてなを、美しい女性がいる。

 『もう夕食なのに。またそんな物を買って来て…』
糖尿は弥次さんなど気にしない。大福を両手で口に運ぶ。一寸硬い。ぐっと銜えた
ら両側から餡子が飛び出してきた。とっとっとう、落ちる前に口の中へと押し込ん
だ。糖尿はいつになく、にこにこしている。隠れ餡子の推理に間違いがなかったか
らである。

 『毒味、異常なし。これはあなたの責任』
4個のうち2つを弥次さんに、押し付けた。糖尿はいつも、時の勢いで饅頭大福今川
焼きをを買ってしまう。
 彼はサンドイッチやハンバーガーは、包まずに挟むから嫌いだという。
そう言いながら、夕食のあと残り2つを平らげた。胃袋では夕飯を上と下から餡子で
挟んでいるのだが、糖尿に矛盾はないらしい。

 袋を空にしたのは明日になれば硬くなる、が理由。「来年も」は、糖尿の今夜の夢
かもしれない。
土曜市は確率7分の1、奴の白川夜船は今どのあたり。
 安楽寺さん①袋 さくら旅館さん①袋


 16日  さくら旅館さん連泊

   午前9時タクシーにて○○ラジオ局へ向かう。15分前スタジオ到着。簡単な打ち
合わせのあと、本番。カンカンラリーのことを知っていただいて、一人でも多くの
人にアキカン拾いを。この目的の為に出演したのだが、訛りの酷い東北弁、何処ま
で理解してもらえたか、心配。
 終了後、タクシーで徳島駅へ。JR府中駅下車、アキカンを拾う。15番国分寺納経
所にお納めして、やっと人心地がついた。カン拾いが俺たちには相応の仕事だと脳
が呟いた。いやに、しおらしい。

 番外2番童学寺。山裾を回れば、近道とも思えるのだが129号線に出る。
細い雨が降り出してきた。合羽を着けて歩き出す。

 長いこと歩いた気もしたのだが、弥次さんが急にパン屋に飛び込んだ。
昼食には「うどん」が食べたかったのだが、曳かれるように金魚のフンになった。
あるある、棚一杯パンだらけである。見ているうちに「うどん」を忘れてしまった。
糖尿はアンパンの山の前に立ち止まった。ふっくらと膨れ、程よい色合いに焼かれ
たそれは、彼の腹を思わせた。1つ2つ……4つ、糖尿は暫く考えている。4は縁起の
悪い数。だから5つにしようかなと思案投げ首である。

 も1つ取るぞ、皆の期待を裏切って4個のまま、レジで精算を終えた。
数を決めるとき糖尿は、矢張り『うどん』を思い出していたのだ。うどんに出会っ
た時4個なら勝てるが5個では勝てない。彼は宮本武蔵の二刀流の極意を、既に会得
していたのである。

 パン屋の軒を借りて、雨音に耳を傾けながらアンパンを頬張る。美味い。こんな
に美味いアンパンは初めて。弥次さんのそれは、サンドイッチや、何か挟んだもの。
半分食べて残りはリュックにしまっている。糖尿も2個食べて残りをリュックに入れ
た。真似している訳ではない。胃袋にうどんを落とすチャンスに巡り合えたら、ア
ンパンで蓋をしようと考えているのだ。
 童学寺納経所、アキカン1袋お引き取りいただく。今日は此処まで。あとは宿に
帰るだけ。気持が緩んでくる
ふと見ると、建物2棟を繋ぐ屋根下に犬が一匹。退屈そうに寝そべって、此方を不
審そうに見つめている。お寺さんの犬なら遍路だと分りそうなものに、脳はそう思
ったのだが……。

 上下の雨具を脱ぎ、手招きしながら『おいで、おいで』と口が愛想を振りまいた。
「な〜んだ、遍路か。見飽きたよ」 犬は、顎を地面につけたままだ。
糖尿はアンパンを取り出し、見せびらかすように頬張った。おいでと口も囃し立てる。
ゆっくり2メートルまで近づくと此方を無視して、明後日のほうを見ている

 アンパンを千切って鼻先へ投げてみる。
「捨てるんじゃねえ、境内が汚れるだろうが……」
仕方がない、掃除をすしてやるか。ゆっくりと鼻を寄せ、臭いを嗅いで口に入れた。
呑みこむと此方を見た。いや、手に持ったアンパンをじっと見ているのだ。
「捨てるなら早く捨てろ、掃除はしてやる」と言いたげである。
指はアンパンを小さく千切ると、上下に振って見せた。のそりと寄って口を開く。
どうも動作が緩慢である。手は喜んで背中や腹を擦って喜んでいる。

 『お前は太り過ぎだ。これは糖尿病、甘いものは禁物。朝晩あの白い建物まで駆けて
こい。そうすれば体はスリムになって糖尿病は何処かへ飛んでいく。運動と食事療法
しかないのだ。解ったか。』そういって糖尿は犬の頭を軽く叩いた。
偉そうなことを言って、自分が医者に言われていることの受け売りじゃないか。

 下手なゴルファーほど、初心者と見れば先生になりたがる。あれと同じだ。
糖尿は、残り1つのアンパンを2つに割った。小さい方を犬に、大きい方を自分の口に
押し込んだ。犬は2〜3度口を動かし呑みこんだ。糖尿はと見ると、口の中はアンパン
だらけである。「早食いは健康に良くないぞ」と言いたかったが声にならない。
これほどの物を押し込んで感じたのは、過半数を獲得した達成感だけであるらしい。

 『もうないぞ』アンパンをようよう呑みこんだ糖尿は、空になった袋を振って見せた。
なあ〜んだもう無いのかと、犬は先ほどの指定席へと踵を返した。
「この雨の中出かけて行ったに……。今時の遍路は、お接待を貰うことには飛跳ねる
が、お接待を誰かにしてあげる気持、少ししか持ち合わせていないんだから……」
犬は、「分け前が2分の1以下」に気付いた様子である

 雨は止みそうにない。合羽を着て重い腰を上げる。石井駅まで行けば鴨島までは電
車だ。誰もがそう思った。
 国分寺さん① 童学寺さん①


 17日  民宿金子やさん泊

 鴨島駅から電車に乗る。弥次さんは立江駅まで行く。此方は手前の阿波赤石駅で降
りる。恩山寺境内入り口で売る、大判焼きを食いたいが為である。
5個買って持て余し、男装の若い女性遍路に2個手伝ってもらった経緯がある。もう
1度大判焼きのあの味を、確かめてみたかったからである。

 地元の人を探しては何度も道を聞く。遍路道を歩いた記憶が、邪魔をするらしい。
何度訊いても、ピントこないのである。それでも、見覚えのある遍路道に出た。
バス停の先を右に曲がると、恩山寺への登り口である。やがて車道から遍路道へ分れ
て古い山門をくぐる。風にのった牛フンの匂いが、記憶を確かめてくれる。
足取りも速くなる。登り詰めた。アレッ、在るべきところに、在るべき大判焼きの車
が無いのである。3個だけ買う、覚悟を決めてきたのに……。未練がましく駐車場ま
で降りていったが、何処にも見当たらない。 

 『急げッ』脳の号令一下、山を下った。もう一箇所、立江寺前のたつえ餅を賞味す
ることになっていたからである。アキカンを拾いながら疾風迅雷、大げさに言へば立
江寺まで駆け抜けたのである。此処には名物たつえ餅がある。2度、売り切れで買い
そびれている。3度目には間違いなく口に入れることが出来た。旨かった。何を聞か
れても糖尿は旨かったの一点張りだ。
そのたつえ餅が売り切れては大変だ。

 御菓子所 酒井軒本舗。糖尿の欲しがる「たつえ餅」はまだ残っていた。
2パックにした。立江駅に行く。待合所でたつえ餅を口にする。だあれも居ない。

つまり腹8分目が理想で、食べ物の無駄が無くなる」と人は言う。
だが糖尿は違う。「食べきれなくて捨てるは無駄。沢山買って誰かと一緒に食べ
るのは無駄ではない。」彼の持論である。
でも今日は、一人で全部食べてしまった。タクシーで宿に向かう。

 生比奈小学校前で下車。カン袋は満杯に近かったが、此処から拾い始める。
予定より早い時間に着いてしまった。
 民宿金子やさん①袋


 18日  民宿金子やさん連泊

 宿前のバス停、7時20分発のバスに乗る。藤川下車、小雨降り合羽着用。バスを
降りた、もう1人の遍路。3人連れとなる。カンを拾い急坂を上る。灌頂滝で一服。
水は切り立った断崖から噴き落ちる。雨雲が低く垂れ込め、まるで雲の中から渦を巻
いて水が岩を切り裂く水墨画のようだ。杖のフックを利用して流れに落ちそうな缶を
掬い上げる。

 再び同じ作業を続けながら上る。アキカンを引き上げて谷底を見る。何とゴミの山。
『「ゴミを捨てるな」よりも「ゴミは此処に捨ててください」の看板を出したいです。
こんな小さな村でも谷底のゴミを片付けるのに。○千万円もの経費が掛かるのです。』
路上へに不法投棄なら、谷底より経費が安く済みます。山村の若いゴミ担当者の顔。
 『四国の湧き水の飲めるところは1箇所もありません』
四国には湧き水が沢山在ります。保健所の水質検査の上、飲める水にはその旨水場に
提示して欲しいのですが……のお願いの回答であった。
恐縮した担当者の胸のうちは、どのようなものであったろうか。
おふたりのあの時のお顔が目に浮かぶ。

 慈眼寺納経所にアキカン袋を差し出し、引き取り所のご承知をいただく。

 帰りは遍路道を下ることにする。順調に下って国道のような広い道に出た。広い道
を左に進めと指示するように、湾曲に積まれた石垣に矢印が貼り付けられてある。
迷いなく広い道を歩き出す。注意深く探したが、右の谷間に折れる遍路道が見つから
ない。道路は山肌を登り、眼下の部落を離れていく感じ。不思議なことに車もバイク
も自転車も、ひとっこ1人歩いていないのである。
『此処から下ろうか』
弥次さんが下を見ている。急勾配のみかん畑が谷底まで続いている。幾らなんでも、
もう少し歩いて駄目なら引き返すことに決めた。暫く歩いたら部落へ下る小道が見つ
かった。折りよく下から上ってくる地元の人に遇えた。黒い背広の初老の男性、葬儀
の帰りだという。山腹をうねうね切り崩して造られた、国道以上のこの道路について
訊いてみた。行き止まりの道だから自動車も自転車も人も通らないのだと言う。
広域農道だというので、何を運ぶのですかと訊いたら
『行き止まりじゃけん、何も運ばんと……アハハ』
    『アハハ、アハハ』
此方も笑ってしまった。人や車が利用するから道路である。故郷の農道も,川のとこ
ろで行き止まりだ。耕運機も人間も其処まで、あとは引き返す。この道路も国道を凌
ぐ規模であっても、農道であれば行き止まり。山を見れば雑木ばかり、みかん畑はこ
の道路の下方に茂っている。何かを運び出す為でもなさそうだ。
「難しく考えるな。災害時の為に訓練をする、あれと同じで立派な道路を造る為の予
行訓練の結果だろう?」脳の意見である。
「そんなことより早く帰ろう、腹が減ってきた」
この際、糖尿の意見が一番正しい。

県道に出てバス停の時間表を見る。○時間に1本のバスが、あと10分で来る。
此れに乗ろうや、弥次さんを含め全員の意見、遠く山肌にバスが見えたとき,思わず
万歳をしてしまった。
 慈眼寺さま①袋


 19日  ビジネスホテルケアンズさん泊

 朝7時○○テレビ局の車来る。女遍路さん1人鶴林寺越えにに同行したい旨の申し入
れあるも、山越えせず由岐町海岸に直行するので丁重にお断りする。

 車だと方向が判らなくなる。右手に線路左手は海。線路と道路の間に細長い公園があ
る。道路はだらだらの上りになり、道路はトンネルの黒くて小さな口へ吸い込まれてい
る。公園の所で降りて今日のカン拾いが始まる。

 木岐部落から昔道(古い遍路みちと思うのだが)がある。素敵な道だが、今のままで
は紹介したところで如何にもならない。
平等寺から国道55号線鉦打橋を左折、1キロ先JR阿波福井駅手前右折、由岐町阿部
地区までの遍路みちも一行の価値あり。阿部地区から日和佐へ(25km)直行も可能だ
し、由岐町でゆっくり日本一美しい海岸線を堪能することも可能である。
但し阿部地区に宿泊施設あっての話。何とかできれば、この海岸線を見て欲しいもの
だ。
しかし阿部地区には宿泊施設がない。金龍庵御水大師も、この美しい海岸線も忘れら
れていくのかも知れない。

 『こんなに美しいところがね』
この一言が余所者にも、哀しく響きます。
1袋を○○テレビさんに引き取っていただきました。
もう1袋は、お宿へのお土産。

 昼食は駅前の定食やさん。何時も夕方まで賑わっていたのに、今は午後3時には閉
まっている。お客がいないからと。行政の出張所が移転しただけでの、地域の変化は
これほどに大きい。
 夕食は近くの喫茶店。また、焼き飯か〜。糖尿の悲鳴である。
   ○○テレビ局さま①袋 ビジネスホテルケアンズさん①袋


 20日  内妻荘さん6連泊

 午前8時42分発に乗ることで、宿を出る。切符を買う前に電車がホームに入ってく
る。慌てて飛び乗る。だが電車は動かない。驚いたことに、扉を開けたまま20分も
の停車である。

 朝食は電車の中で済ましたし、あとはアキカンを拾うだけだ。牟岐町駅の手前、辺
川駅下車。駅前の道を通り国道55号線に出る。いつもなら薬王寺から歩き続ける道な
のに、何となくカンニングをしたような気分になる。路上に人影がないか確かめる。
自動車すらも走っていない。「しめしめ上手くいったぞ」脳は小声で言った。
歩き通すのも、バスや電車を使うのも、自転車バイク自動車を使っても (遍路)
そのものに変わりはないと教えても、彼の何処かに後ろめたいものが残っているよう
だ。いつになく全員、静々とアキカンを拾う。

 警察署内のお接待所。何度か歩いたが気がつかなかった。弥次さんの口から初めて
その存在を知った。遍路は気さくに寄れるのだろうか。
 人間とは脛に傷持つ動物である。子供の頃、他人の畑のトマト、きゅうり、甘柿を
盗ったこと。終戦を生き抜いた者の記憶には、錆として残っているいる筈だ。
もう時効である。理性は確認しても感情は今でも尾を引いている。警察署の前を通る
だけでも気が引ける。お接待を受ける遍路が少なかった理由も、その辺にあったので
はあるまいか。お遍路君子?は、微かな臭覚を頼り方向変更したことを誤認している
のである。

 警察署で発案され実行されたお接待が、やがて地元の人たちに引き継がれ『牟岐町
お接待の会』として署駐車場の一角に存続、運営されていることが不思議でもある。
(それらの経緯に付いてはで詳細に述べられている)
 余所者として「四国のお接待の本当の心」を知りたくて数日間、お接待の仲間入り
をお願いしていた。

 10時の約束に遅れて『牟岐町お接待の会』のテントに到着。皆様にご挨拶して漸
く安堵。足止めをして、此処で数日滞在するには目的がある。
歩き遍路の皆さんに、道中のアキカン1個でも10個でも拾って下さるよう、お願い
することである。アキカンを拾う趣旨のパンフや、引き取り場所の名簿、アキカン入
れの袋を並べてみたが、上手くいかない。話し合いの切っ掛けが掴めないのである。
会員の人は、それと見た遍路に説明の上袋などを渡している。
笑顔を絶やさない。初対面なのに昔からの知り合いの風情である。笑顔か〜あの真似
は出来ないと、脳はシャッポをぬいてしまった。お接待の基本はこれから始まるのだ
ろうと、彼はひとり納得してしまった。
 1日目は短い時間で終った気がした。大坂峠を越えて、お宿に向かう。
 牟岐町お接待の会さん①袋 内妻荘さん①袋


カンカン遍路行状記Ⅳに続く
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このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください