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カンカン遍路行状記Ⅳ



四国遍路道『アキカンを拾おう』と言い出してから2年が過ぎました。多くの人たちの協力
を得て、漸く今年実行に踏み切ることになりました。多少の不安を抱えての第一歩です。 

         <平成15年3月21日から3月31日までの行動記録>

           糖尿病は昔からの相棒『同行二人』は彼と私のこと
弥次さんとは小澤氏のこと




 21日  内妻荘さん2泊目

 天気予報は雨。空を見れば雨になりそうもない。
『車でお送りしましょう』
宿の女将さんの申し出。
『有り難うございます。でも近いから歩いていきます』
「人の親切を無にすることは、いけないことだと思うがな」と足が言い出した。脳も
相槌を打っている。楽をすると何処までも楽をしたくなる人間の性。結局は送って頂
くことになった。無言だった者たちも、当然という顔をしている。

 トンネルを抜けると右側に牟岐警察署、数日間の仕事場である。仕事場といっても
やれる仕事は何もない。弥次さんと「よってらっしゃい、やすんでらっしゃい」遍路
呼び込み、いや誘導ご案内の仕事しか残されていないことに気がついた。交互に席を
立っては誘導ご案内をする。どうぞ〜お寄りください〜。
 有り難うございますと 喜んでお寄り下さるお遍路さん。そこで休んできたばかりで
すので失礼します。手を振り笑顔で通り過ぎるお遍路さん。此方を一瞥、五月蝿いと
払いのける仕草で、向こう側の歩道を足早に駆け抜けるお遍路さん?
  脛の傷が大きかったのかと思ったりもする。色々なお遍路さんが通り過ぎていく。
 
 優しい遍路、知的な遍路…………………と色んな遍路はいるけれど、家の大将はど
の辺かな。口が脳に問いかけた。そうさナ〜脳は言い辛そうである。俺は良く見て
いるから正確な答えが出せるぞ、目が言った。公表しろよと耳が囁く。
本当の事を言ったら騒ぎになるだろ。それはそうだと、口がアハハ…と笑った。
遍路の姿がなくなると、直にだれてくる。連中を纏めきれないのは、脳に問題がある
のだろう。
 内妻荘さん①袋


 22日  内妻荘さん3泊目

 朝から雨。予報では正午より曇りとのこと。今日は女将さんの送りを辞退して、雨
の中を歩く。風も強く笠が飛ばされそう。それでも予定の時間には到着。
既に倉田さんご夫婦、署の前で待っていてくださる。初めての四国遍路の折、途中で
南さん戸田さんの5人で暫く一緒に歩いた仲。牟岐町に滞在することを知って会いに
来て下さった。こんな雨の中を、本当にありがたい。1時間ほどで、またお別れ。

 雪になる。思うほどに雨は冷たい。風は強く舞って体温を奪っていく。テントに重
石を付けたり、シートでテントを囲ったり、指先が悴んで思うように作業が捗らない。
それでもお遍路さんは姿を見せる。会員の皆様は、湯気の立つお茶やコーヒーを笑顔
で接待している。バケツにお湯を取り、手を温めるよう勧めている。こんな寒い日、
嫌な顔もしたくなるだろに、微塵も見えては来ない。むしろ喜んでいる風潮すら感じ
られる。何故だろう。不思議な世界を垣間見た想いである。

 昼食も仕事柄、交代。弥次さんは昨日と同じ明るくて落ち着いたレストラン、コー
ヒーもある。此方はうどん屋さん。糖尿の好みである。うどんがどうしてもと、いう
のではない。蒲焼の匂いでご飯を食べる小咄がある。糖尿はうどんの匂いを嗅ぎなが
ら、カツ丼や玉子丼を腹に入れるのが最高のご馳走と信じている。
食堂の外に出ると糖尿の満足感は、雨と雲を突き破り天空へと消えていく。

 食えることが幸せ。戦中戦後を空腹を抱えたまま生きた少年。白いご飯が腹いっぱ
い食べれたら、この命捨ててもいいと思った少年。バナナは重病になったとき1本。
病気になれないことを哀しく考えた少年。バナナは贅沢品。
今は健康なのに、日に2本も食べれる幸せ。味噌汁に梅干、お新香にご飯、干物があっ
たら幸せ。それこそ言うことはない。
 小さなことに、幸せを感じたい。本来人間には幸せが沢山あって、不幸せはほんの
少ししかなかったと思う。
食べれることに幸せを感じてくれる、糖尿に感謝をしたい。

 ひょっとしたら「お接待の会」の皆様は、お遍路に会えることが幸せと感じている
のかも知れない。そうでなければ、雨の日も風の日も雪の日もあの笑顔を持ち続ける
ことは出来ないと思う。お接待の心を表現するものは、いつでも同じあの笑顔。
だからこそ、初対面の遍路も胸中を開き語り合い、会うたことの喜びを噛みしめてま
た歩き出すのではあるまいか。 
と独断解析をしてみたが、お接待の心はそれほど単純なものではないのかも知れない。

 午後曇りの予報は外れて日が射してきた。帰りは柔らかな日差しの中を、アキカン
を拾いながら、テンテンの気分であった。
 内妻荘さん①袋


 23日  内妻荘さん4泊目

 昨日とは違って過ごし易い、春めいた気候を感じた。雨の為に寒さだけを感じてい
たが、暦は春を連れて来ている。テント内の接待用具の準備を手伝いながら、桜の枝
を見る。冷たい雨や風に吹かれ溶け込むように黒い悲鳴を上げていたのに、枝先には
白いものを着けている。

 花だ。思った瞬間、全てが春になった。瞳孔は見ているようで、何も捕らえていな
いのかも知れない。赤信号が見えなかったり、踏み切りの遮断機が見えなかったり。
 太い幹がたわわに枝を張り、その幹を地中の根がしっかりと支えている。
枝先の堅い突起が少しづつ少しづつ膨らみ、薄紅色の蕾をつくる。心して見なければ
根源を見落としてしまう。花の白さだけで桜を観念的に認識していないだろうか。

 地中に深く無限に広がる根は弘法大師、つまりお大師さんとその教え。四国の人達
は1000年以上の昔から、その教えに育まれ信じ守り続けた。永々と次世代に伝えた先
人達の束が、風雪を刻んだ幹を作り上げている。花は夫々の地に散りばめられた宝塔
の灯である。灯を絶やさずに守り続けるのは枝の役目、その地の人たち。遠い時間を
過ぎて、それは幹へと変化する。

 遍路は鳥となり花弁をつつき、蝶となって蜜を求め、蟻となって幹を登り枝に這い、
空腹を満たそうとする。どの形の遍路が正しく、どの形の遍路が間違っていると言う
のではない。花を見たときに枝を想い、幹に触れたときに根を瞑想することが遍路の
在るべき姿だと思う。
 多額のお接待のとき、ラッキーとVサインの心はいけないこと。お接待の心は、い
つも一つ。大きい小さいの形ではない。お預かりするもの。
それは、何時か誰かにお渡しするもの。次から次へと列なるものが、お接待の心。
それは数珠のように繋がるもの。繋げるものと思う。

 お接待を受けた遍路は、「お大師様の根のように」いつかお接待をする側に回らね
ばなりません。(乗り物で席を譲る)(ゴミを拾って片付ける)(他人の為に何かを?
してあげる)これも立派なお接待です。
何度も言います。お接待の心に大小はありません。

 『最近(へんど)が多くなったね』
この言葉を耳にする度、同じ遍路として遣り切れなさを感じます。
『牟岐町お接待の会』のテントに寄る遍路、通過する遍路、一人残らず四国に溶け込
んだ普通の「お遍路さん」であって欲しい。

 お前も含めてだろう、と脳の一言はキツイ。
 
 昼食は、いつものうどん屋さん。糖尿は今日も「とんかつ」を食べたいと言う。
胃も「腹も身の内」と諌めたが、彼は言うことを聞かない。騒ぎは、明日以降ここで
「とんかつ」食べないことで沈静化した。糖尿だけが権力を拡大することに、誰もが
危惧しているのだ。
外にでると脳は両手を高く上げさせた。とんかつをストンと胃袋に収める為だ。今日
限り食べないと誓った、糖尿への親心でもある。それに缶拾いは、お休みと決めてあ
る。血糖値が上がるのではあるまいか。心配事は次から次へと増えていく。

 宿に帰る。夕食にはまだ時間がある。何か食べ物があるだろう、糖尿がリュックの
中を、引っ掻き回し始めた。その時カラスが鳴いた。『ん…』カラスはカァカァと鳴
くものと思っていた。「あほ〜、あほ〜」と聞こえてきたのである。
よく聞くと「あ」が強くて「あっほ〜」に近い。しかしそれは紛れもなく、日本語の
れっきとした「阿呆」である。

 カラスは何度も鳴き叫ぶ。阿呆だ、阿呆だ。目口耳鼻が、脳を見つめた。
事の良し悪しより結束の崩壊を何り嫌う脳は、彼らをバックに糖尿を睨みつけた。
糖尿は慌てた。糖尿の言いなり菓子探しを手伝っていた手は、「今日はご苦労さん」
何時の間にするりと足の脹脛を揉み始めた。誰も阿呆になりたくないらしい。
『食事の準備できましたよ〜』
階段の下で女将さんの声がした。犯人探しの中断が共に嬉しく、どどっと階段を駆け
下りた。


 24日  内妻荘さん5日泊目 

 天気は変わり易い。夕刻雨になるとの天気予報。裏切られること多く信用はしてな
いのだが、折角乾かした雨具をリュックに入れて接待所に向かう。何となく降りそう
な予感がする。

 いつもの呼び込み、手馴れたものだ。
昼食は例のうどん屋さん。約束の所為か、糖尿は何が食べたいの一言もない。
行ってみようか。足は駅前のスーパーへ歩き出した。団子も饅頭もあるのに、糖尿は
元気がない。黙ってチョコレートを5枚掴んだだけ。来る度大騒ぎだったのに、如何し
たのだろう。珍しく皆に心配を掛けている。それでも無事お手伝いを終えて宿へ帰る。

 此処には猫が一匹いる。尻尾を立て、「にゃ〜にゃ〜」足に纏わりついてくる。
階段を先になって駆け上がり、部屋の扉の前で待っている。早く開けなと、此方の顔
を見上げている。部屋へのご案内は自分の役目とフロントを気取っている。何をする
でもなく室内をウロウロするだけである。「ご飯ですよ」の声がかかると、これまた
先になって食堂へと降りてくる。お給仕するわけでもないのに、お座りして此方を見
詰めている。「お箸の持ち方が違うぞ」「食事作法に無い、その食べ方は何だ」言わ
れているようで、味も半減する。

 食事が終ればまた部屋に来る。行火の変わりにしようと思っていると、ヒョイと退
散してしまう。初日から続いている。逃げられる度に「コラッ、コイツ」の言葉で追
いかけたので呼び名は「コイツ」になっていた。可愛い名前もあったろうに……

 今夜はどうしても行火にしたいと「コイツ」を抱っこして食堂から部屋に戻った。
暫く部屋の中でウロウロしていた。
布団の中に入れようとしたが、言うことを聞かない。もう一度捕まえて懇々と因果を
含ませる。お互い意見を尊重し、「コイツ」には掛け布団の上で休んでもらうことに
した。おとなしく布団に乗っかっている。そのうち行火にしてやるぞと思いながら、
うとうとしてしまった。疲れでつい寝てしまったらしい。気がついたら「コイツ」が
いない。灯りが点いていて、弥次さんが書き物をしている。 

『ごめん。トイレに行くとき逃げられた』
弥次さんはそう言ったが、ひょっとすればひょっとする。心の優しい弥次さんのこと、
「コイツ」の心情にほだされて、扉を開けてやったのかも知れない。
秘中の秘も、「蟻の穴から堤も崩れる」か。寝返りを打ち弥次さんに尻をむけ、寝て
しまった。


 25日  内妻荘さん6泊目

 牟岐町接待所お手伝い最後の日、予報は曇りのち晴れ。そう願っていたがその通り
になった。橋を渡りトンネルを歩き30分遅れて接待所につく。
陽気は春。警察署の庭の桜が3分咲きとなって来た。あと数日で桜花の中につくられ
た接待所になるうだろう。見たい気もするが今日1日で明日は旅たち。全て腹八分目
が良いのかも知れない。

 午前午後担当者が替わる。しかし此れまでの6日間同じ人のお手伝いをしてきた感
じである。24人の方々が全く同じ雰囲気なのだ。同じ気持は何処から生まれるのだろ
うか。疑問解明の為に、来年も役に立たないお手伝いをしてみようかな。
風に揺れる桜の花を見ていると来年も、夢が膨らんでくる。
未だ何もかも解らぬ。だから夢が膨らむのかも知れない。

 警察署からお宿までのアキカン拾いをする。漸く1袋になる。
1週間に2人のお遍路さんが、アキカンを拾ったら『みち』は綺麗になる。1か月10人
1年120人。3日に1日拾って下さるなら360人。360は大変な数字なのだろうか。簡単な
数字なのだろうか。
警察署前を過ぎ行くお遍路さんの数を数えては、そう思う。
誰もがポイ捨てをしないこと。皆で守らなければならない、一番大事なことではある
けれど……
 内妻荘さん①袋


 26日

 6泊もすれば旅立ちは、名残惜しくなって来るもの。ちょっぴり寂しい、朝ご飯。

 内妻荘を辞して松坂峠入り口を登る。内妻トンネルご完成するまでは、可也の部分
地元の生活道路であったに違いない。峠の文字の残るだけ険しい道であったのだろう。
今は坂の途中から登るようなもの。排気と危険のトンネル歩行を考えれば、この短い
遍路道の方が楽である。山から浜辺の境に微かに流れる、一跨ぎの小川がある。
吹き溜められたゴミ。その中からアキカンだけを拾う。少しは綺麗になるのだろうか。
捨てなければ汚れないのに……

 鯖大師入り口。大きな旗印。馬では如何にもならぬ、恐竜用のそれには「大福うど
ん」と染め抜かれてあった。糖尿は、大福が3個入っている温かいうどんを想像した。
口は田舎にいた頃、饅頭天ぷらをを食べた事がある。だから大福にうどんを絡めたも
のだと考えた。脳は大福の中身にうどんを入れた、肉まんのような物と理解している。
いや、大福なのだから餡子が無ければおかしい。中に餡子とうどんが一緒に入ってい
る。何も分らん手の奴までが、屁理屈を捏ねてくる始末。夫々がそれぞれの思いを胸
に「大福うどん」屋さんの戸を開けた。

『すみませんが……』
『はあ〜イ、らっしゃい』
『あの〜う、大福う……』どんを下さい、と言う前に
『ヘイ、大福何個にしますか』元気な親爺さんの声が飛んできた。店内を見回す。
うどん○○円、大福○○円、のお品書きはあるのだが、大福うどん○○円のそれは見
当たらない。やっぱり大福とうどんは、別物だった。大福を懐に糖尿だけが、悦に入
っている。外に出て、あの大きな旗印をもう一度見上げる。
旗印が間違っている、大福とうどんの間に点を入れるべきだ。それではお品が悪い、
大福とうどんの間一文字分を空けるべきだ。珍しく議論沸々だ。

「大福 うどん であったら、通り過ぎたはず。大福うどんが蟻地獄のように俺たち
を引きずり込んだ。知っている者は知っている。知らない者こそ引寄せる、この旗印
はしたたかな陰謀。大福うどんの親爺さんは、あれでなかなか」
脳の独り言を小耳に挟んだ耳は、大福うどん屋に戻ってその辺を良く確かめてみよう
と言った。
「いや本当のことは知らん方がいい。解ってしまったら面白くなくなる。解らんから
人生は面白いのだ。糖尿を見てみい。あの大福を食って、あと3か月の命と知ったらど
うする? 本当のこと解らんから、あんなに喜んで喰うておる。人生は此れでいいん
だよ」
 暇さえあれば居眠り脳。コックリノドンと陰口を叩いていたのに、陰陽師のお告げ
のような明快なる理論に、耳は驚いた。皆が陽気なのは、間もなく家に帰れることに
あるようだ。

 弥次さんの知っている、「カフェふくなが」で一服する。アキカン引取り場所にも
なって下さった。

 此処を出て間もなく弥次さんと別れる。海部町の山手、柿谷の部落に人を訪ねるから
である。初めての土地は判りづらい。商店で尋ねたら親切に教えてくれた。その上大
変でしょうとカン袋を引き取って下さった。
知人には会えなかったが、思わず心に合掌をしたことであった。
   お店屋さん①袋


 27日  浜吉屋さん泊

 バスに乗る。客は1人だけ。この路線バス、廃止になるのではあるまいか。心配が
頭を過ぎる。最御崎寺手前、大師像前停留所にて下車。椿の花を見たくて遍路みちを
登る。展望台で暫く海を見つめる。今日は漁船も見えない。遠くで雲と海が一緒にな
って、水平線は定かでない。ボトルの水をひと口飲む。寒い。

 最御崎寺を下る。バイクで登ってきたカナダ人の夫婦に会う。京都に1年住んでい
るが、あと1年でカナダに帰ると言う。バイクで四国巡りをしているとのこと。
日本の、それも四国のゴミについて訊いてみた。道は綺麗だと言った。だが
『川はキタナイ、キタナイ。海はキタナイ、キタナイ、キタナイ』とキタナイを何度
も連発したのには、驚いた。バイクを降りて海側の崖下を覗いたら、道路もキタナイ、
キタナイをもっと連発したに違いない。外国の人にあのように言われることは、日本
人として哀しいこと。

 せめて道路だけでもと、アキカンを拾う。津照寺納経所さんに気持ちよく1袋を引
き取っていただく。港の見える食堂で昼食。再びバスに乗る。
田野町八幡前で下車。アキカン拾いを始める。安田川大橋を渡って袋は満杯。
『お遍路さ〜ん』小さな市場のような建物の中から呼び止められた。
『拾ってもらって有り難う。重たいでしょう、置いてきなさいよ』
カンを引き取って下さった上、文旦3個お接待として頂いてしまった。
小母さんたち3人。抱っこされた女の子が、不思議そうに此方を見ている。

 お前は食い意地が張ってんだよ。少し我慢すればあの子に1枚上げれたのに。糖尿
が半分食べてしまったので、残っているのはチョコレ−ト半分だけ。だからもう少し
多めに買えばよかったんだ。糖尿と口とが揉めている。
『爺がさっき半分食べちゃった。此れしか残ってないけど、貰ってくれる?』
銀紙に包まれた半分のチョコレート。女の児はにこりと受け取ってくれた。胸を撫で
下ろしたのは、糖尿であった。

文旦は重いが身軽になったので、もうひと踏ん張りお宿の分を拾い始める。
 津照寺さん①袋 地元の人たち①袋 浜吉屋さん①袋


 28日  旅館かとりさん泊

 予定を変更。バスではなく、くろしお鉄道を利用することにする。道を訊きながら
唐浜駅に着く。後免駅下車、此処から遍路無料接待所に向かう。逆打ち同様に難しい
もの。責任者不在の為説明のみ、次の中村商店さんに向かう。此処も不在、暫く待つ
てみることにする。

 ややあってお母さんが戻ってきた。アキカンをお願いする。
だが糖尿の狙いは餅菓子である。前回で味は熟知している。
小さなお菓子屋さんで、お爺ちゃん1人で作っている。跡を継ぐ人がいないので、あ
と2年ぐらい。仕方あがないよね。がお母さんの話である。
町の隅っこに本当の旨い味があるんだよな。そう言いながら糖尿は幻の味になってし
まうと、懸命に頬張っている。
食べ終わると少し包んでくださいと、備蓄を考えているらしい。自分の病気を忘れて
いるから心配だ。

 戸板橋を渡り、今日のお宿の前を通り過ぎる。去年に比べるとアキカンは少なくな
っている。それでも満杯になった。とさを商店さんにお願いする。
遍路道とは1本隣り、国道55号線左にある。店の奥は遍路休息広場になっている。
 ご主人は絵金への造詣がが深く、興味のある人には持って来いだ。夏祭りの絵金屏
風は7月14、15日の須留田八幡宮の夏祭りの宵に、大通りに沿った町内各氏子の家の、
軒下に1枚ずつ並べて置かれるという。
7月中旬この辺りを歩くなら、予定を合わせても面白いと思う。隣が赤岡町役場、判り
易い場所に在ります。一度足を止め、休息してみたら。
 中村商店さん①袋 とさを商店さん①袋 旅館かとりさん①


 29日  高知屋さん泊

 朝食後、コーヒー。バスにて後免駅に出る。ここで弥次さんと別れる。宿でまた
一緒になるのだが。別れた理由は、糖尿が如何しても「へんろいしまんじゅう」が
食いたいと言ったからだ。後免駅から電車、JR土佐長岡駅で下車する。  
車中から確認しておいた踏切まで戻る。此処からは記憶がしっかりしている。元気
良く歩ける。「へんろいしまんじゅう」のお店は変わりなくと言いたいが、若い姉さん
達の姿が見えない。此れも時代の流れなのか。2箱を買ってリュックにいれる。
御免駅が近いと聞いたので、教えられたとおりに歩く。
土佐長岡駅からより、余程近い。知らないには無駄があるもの、身を持って知る。

 高知駅到着。四国一巡、漸く出発点に戻ったことになる。
改札口を出る。時間がありすぎる。喜久屋旅館さんを尋ねて見よう。足はバス停へ。
仁淀川大橋を渡ってバスを降りる。カンを拾う。
喜久屋の女将さん。アキカン引取りのことお願いしたら、快く引き受けてくださっ
た。ついでに、今拾ってきたアキカンのお引き取り願う。
再びバスに揺られて高知駅まで。
四国最後の缶拾いをしながら、高知屋さんに靴を脱いだ。

 明日は高知駅前の日曜市、お城下まで並んだテントが楽しみ。買うものは決まっ
ているのだが、見て冷やかし歩くのが何とも言えない。そして京都で途中下車。
昼ご飯を食べてお土産を買って、赤福を多めに買って。
『お風呂どうぞ〜』

四国の汗を風呂に流せば一巻の終わりだ。明日は雨が降りそうにもない。
   喜久屋旅館さん①袋 民宿高知屋さん①袋



むすび
 平成13年2月(2001)アキカン拾いの話になりました。四国から帰ると直に、四
国216市町村宛にアキカン引取り依頼の送付書を、送付申し上げました。
70近い返書を戴きました。引き取ります、引き取れない、内容は色々でした。

 平成14年2月(2002)70県市町村。内容に関わらずお伺いをして、ご返事いただ
いたことへの感謝を申し上げました。お寺さんは何処にも寄りませんでした。
その時最後まで一緒に行動してくれたのが、千葉県我孫子市在住の小澤徹三郎氏で
した。
帰りのバスが無くなり宿泊を余儀なく、慌てたことも。大枚を入れたボトル袋紛失
諦めていたところ、帰りのバスの運転手さん。
『此れお客さんのでしょう』
と届けていただいたこと。バスに遅れて次のバスまで、山間の温泉で半日温泉に浸
ったこと。数えたら切がない。
東海道中膝栗毛みたい、だから小澤氏を弥次さんと。
とんでもない此れは尊敬と敬愛を込めての尊称です。お間違いなく………。

 平成15年2月(2003)今年は引き取り場所を巡りました。引き取り場所欠落の地
域はバス電車タクシー等で飛ばしました。2ヶ寺を除きお伺いし、アキカンを持参
しました。弥次さんこと小澤氏の拾ったものを合せると、タマちゃんの袋は約倍
になります。
道中弥次さんと別コース、別宿泊もありました。今回は弥次喜多の喜多を自認す
る菊地昭の行状記です。

 平成16年2月(2004)来年は楽しみが大きくなりました。国土交通省様を介して、
芸東衛生組合様より東洋町から安田町にいたるアキカン入れの使用許可を戴きまし
た。感謝しています。

『現地で協力いただける方々』の記載宿泊施設には、タマちゃんウタちゃんの袋を
用意してあります。アキカン拾いの御意志のある方は是非ご利用下さい。


 04 カンカン遍路行状記Ⅰに続く
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