このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

  おへんろさん誕生

 三種の神器ならぬ、お遍路三種の必需品(杖、白装束、菅笠)を身に着けた瞬間、
へんろ経験二十回の人も、初めての人も、老若男女区別無く、ひとりの「へんろ」が
誕生する。意識する意識しないに拘らず、四国に身体を置く限り「へんろ」として、
あなたは存在するのである。

 遠い昔から代を重ね、四国に住まってきた人たち。おへんろに対する温かい心配り
のDNAが、遺伝子に組み込まれている。
遺伝子は、「へんろ」を形から識別するのである。そして人々は、子供のように、兄
弟のように、父母のように、祖父母のように、或る時は孫のように、慈愛に満ち温か
い心で「へんろ」を迎えてくれるのである。瞬時に心を繋ぎとめる物は、三種の必需
品である。

 初めて三種の必需品を身に着けるとき、誰もが抵抗感に悩むものである。気恥ずか
しいのである。それを感じたときは、四国行脚を志した原点に戻ることである。
自分探しは、今までとは違った自分になること。癒しを享受できる自分に変えること。
悲しみや涙は早く忘れて、明日に向かう自分に変えること。ではなかったのか。
己の意図が「自分を変えたい」にあるのなら、今の着衣をかなぐり捨てて三種の必需
品を着用するに吝かであってはならない。先ずは四国で着衣を変えてみよう。
 
 (杖)正式には金剛杖である。弘法大師の化身と言われ、同行二人やお経や梵字が
書かれた大切な道具である。教本には、杖の足先を洗い部屋に上座か床の間に立てと
ある。古くからのおへんろ宿は別として、この風習に拘らない宿泊施設の多くなって
来たのも事実である。
 橋の上では杖を突かない慣わしになっている。
今の日本は、おかしくなっている。
『お大師さんもう一度この世に戻ってきて下さい。お願いします』
橋を渡る度に力を入れて二度、ジャンジャンと突く「へんろ」の話も聞いた。
ジャンジャンで世の中善くなるなら、此れに越したことはない。
真似して突いてみたい。

  (白装束)此れを着用すれば気が引き締まる。勿論上下着用である。
別名、死装束と呼称されている。七十歳の峠に立てばそろそろである。生きながら死
を疑似体験できるなんて、嬉しいことだ。何処かのお宿にお棺があって、今夜は此処
でごゆっくりお休み下さい。そう言われたらもっと嬉しいと思う。
翌朝、大の字になって寝れる幸せ、生きていることの幸せを体感できるのではあるま
いか。それは、自殺を考えるそのものを霧散させるような気がする。
白装束を透してあの世を想い、白装束を透してこの世を見つめる。時に触れ誰にでも
与えられ強要される、即ち人生なのかも知れない。

 四国霊場結願には、三百里(1200㎞)以上の距離を歩くと言われている。その大部
分は車道を歩かねばならない。交通事故から身を守るために、白衣は重要な役割を果
たしている。歩行は、できうる限り右側歩行を心掛けるべきである。
人間の目は前方確認のみ、後方確認の機能は持ち合わせていないからだ。
 すれ違う際スピードを落とし、或いは反対車線に大きく迂回するダンプや乗用車。
ナンバーを確かめると、殆どが四国四県の車である。雨水をはじきスピードそのまま、
すれすれを走り去るのは、他府県ナンバーの車が多い。車にさえ人の心が見えてくる。
「歩きへんろ」は、時間も費用もかかるもの。だが見えなかったものが、浮かび上が
って見えてくるのも事実。だから、歩ける限り『歩きへんろ』を続けることをお勧め
したい。歩いて歩いて早く『歩き遍路』に追い着きたいもの。

 (菅笠)野球帽、登山帽と同じ頭に載せるものと理解したい。
格好悪い。似合わない。それは、あなたの決めることではない。四国の人たちは皆、
羨ましく思っている。
せめて自分の思いをあなたの心に乗せて、一緒に霊場をの参拝を遂げたい。だから
「おへんろさん」と温かく迎えてくれるのである。
 大きさの違い、材質の違い、値段の違い、文字の書かれたもの、無地なるもの。
菅笠と言われる被り物はいろいろである。通風がよく、それでいて雨が漏らない。
多少の雨なら我慢の出来る、被り物である。
市販品の菅笠は、ついている顎紐が貧弱で使いものにならないことである。事前に購
入して紐を付け直すか、紐を持参して現地で付け直すか。何れにしろ自分で、手をか
ける必要がある。

 以上三種の必需品。どなたが着用しても似合わない人はひとりもいない。
しかも三種の必需品着用で、やがて『遍路』と言う永遠の土俵に立てることは、本当
に素晴らしいことである。

霊場での作法に続く


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