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霊場での作法
作法については、遍路関係の本に記載されている。
へんろみち保存協力会編「四国遍路ひとり歩き同行二人」は特に詳しい。作法の初めから
終りまで流れるように記されてはいるが、必ずしもその通り守らねばならぬものでもない。
お気に召すままの、所以でもある。自分の思うがままでよいと言いながらも、遵守事項の
あることも確かである。
(お経)読経は仏前勤行法則、つまりお経を見ながら読み上げるのが正当である。
信仰心も薄く何となく「へんろ」に変身した時、一種のカンニングと思った。しかも公認
のカンニングで、第一歩が気楽に踏み出せたことを思い出す。
しかし簡略に簡略して、最低下記の④までを行わねばならない。と教えられた。
① うやうやしくみ仏を礼拝したてまつる と唱える。
② 般若心経 一巻
③ 御宝号(南無大師遍照金剛) 三返
④ 回向文 一返
以上である。
(判衣、納経帳、納経掛軸)は、共に札所の御宝印を戴くものである。へんろ一人が
お願いできるのは、それぞれ一つだけ。例えば一人で納経帳二冊携行はいけないのであ
る。また判衣は道中衣として着用は許されない。中には着用している人も散見するが、
気をつけたいものである。
(納札)本堂、大師堂の二ヶ所の納札箱に納める。最近、納め札の住所氏名から色々
な勧誘のチラシが届く話もある。道中ご一緒した先達さんに、住所記入は県市郡までと
教わった。でもこれは各人の考え方による。
(納経)ご本堂、お大師堂の参拝の後、納経所にて御宝印を戴くのが手順である。
しかし、バスの添乗員が一括して納経帳その他を山と抱え納経所に向かうのを見ると、
順序を無視して我先に駆け込みたくなるのも事実である。
「歩きへんろ」の無駄にできないのは時間である。お寺さんによっては「歩きへんろ」
優先もあるが、そうでないお寺さんもある。これは、事前に納得して置くべき事柄で
もある。
納経が先か、参詣が先か。これも状況によっての、お気の召すままである。
堂宇での苛立ちや憤懣は、「遍路」の意に反するもの。一連の行為には四十分の時間
の余裕を見ておくべきである。ゆとりは心を穏やかにする。
白衣の身は、何時も穏やかな流れの中に浮かべたいものである。
作法は微に入り細に入るが、これとてお気に召すままである。
読経は読怯で読享であるに続く
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