このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

遍路石と保存



  平成11年2月10日、何の予備知識もなく四国徳島空港に、ひとり降りた。
取り敢えず宿が心配なので、案内所に向かう。話が何故かよく伝わらない。其れならと
タクシーに乗車。1番札所へと向かう。運転手さんが話しかけてくる。
『お客さん、遍路するのかね?』
『はい』
『それなら中古の自転車を買いなさい。歩いて88ヶ所は回れないよ。是非自転車を買い
なさい』
おいおい、俺は歩いて回る積もりで来たのに、自転車を買えとは何を言い出すのか。
心の中でつぶやく。

 1番札所に到着、タクシーを待たせて遍路みちの必需品。頭にあったのは、へんろ道
保存協力会発行の〔四国遍路ひとり歩き同行二人〕のみ、之を購入。
札所とはどの様なものかと、待たせておいたタクシーに乗り込み、2番極楽寺、3番金
泉寺を見学して回る。再び1番札所霊山寺に戻り、下車。
門前の遍路道具店に入り、勧められるままに遍路用品一式を購入、紹介された宿に
一泊。
   翌朝7時、1番札所霊山寺にお参りし、2番札所極楽寺に向かう。笠、杖、白衣、初
めての遍路姿、何故か照れくさい。しかし四国の人達は毎日見慣れているので、じろ
じろ見る人など居ない。遍路マークを探しながら、3番札所金泉寺へ………

 四国に来て、はや1か月。体重は10kg減少。足の豆も治り、肩の痛さも無くなり、少
し余裕も出てきた。それでも「遍路シール探し」だけは気が抜けない。
徳島、高知に比べると、愛媛はシールが少ないような気がした。
 30分も見当たらないと、不安がむくむくと膨らんでくる。
そんな時に目に入ってきたのは、遍路石。
手形が指差している。「あ、間違いないな」一安心である。遍路石に寄り、思わず手形
を撫でている。
旅人や遍路たちを励まし、安堵させてきた遍路石。私は何百年も昔の旅人たち〔遍路]
と思いを共有していると、知らず知らずのうちにその手形に温もりを感じていた。
それ以来、遍路石の写真を撮り続けてきたが、気になることがある。
【写真参照】



大事に保存され昔をそのままに語り継ぐ遍路石も多いのだが、邪魔者のように打ち捨て
られ、間もなく命を終える遍路石も少なくない。
 ① 他の用途の為に木材を括りつけられた遍路石
 ② 売出し用の旗を括りつけられた遍路石
 ③ 道路工事のかんばんを括りつけられた遍路石
 ④ 倒れたり、倒れかかった遍路石
 ⑤ 折損したまま打ち捨てられている遍路石


 
 これら遍路石たちを見るにつけ、人の心の変り様を突き付けられた気がしてくる。
遍路は「お接待」だけを追い求め、果樹園を歩めば無断で果実を口に入れ、宿泊の約束
も己の都合で破棄し。
この様な遍路の我侭放題を見せ付けられたら、いつか遍路に対する親しみも尊敬さえも、
四国の地から失われるのではあるまいか。
その崩壊は既に始まっている、のではあるまいか。ひとりでも多くの人が遍路姿に身を
変え、先人の辿った遍路みちを歩いて欲しい。路傍の遍路石の指差す先に、流れきた過
去と流れいく未来を見詰めて欲しい。と思う。

 遍路文化を形成する要素を挙げれば、
①霊場88ヵ寺、番外霊場20ヵ寺、その他弘法大師修行の遺跡などである。
②これらを繋ぐ道路、即ちへんろ道である。
③そして、このへんろ道を祈願の道として巡礼を続ける、遍路である。
これら①〜③までの根本を繋いだ、遍路文化形成の礎は何か。問われれば、躊躇無く
【阿波、土佐、伊予、讃岐】四国の住人。その1000年を越える〔お接待のこころ〕が答え
である。
それは親から子へ、子から孫へと理屈も無く、そうあるべきものとして、永永と今日ま
で譲り続けられてきた〔こころ〕である。1本の藁が撚り集まって縄になる、心の縄は、
今も伸び続けている。絶やすことなく未来に向けての今を、撚りあわせなければならな
いと思う。

 こころの縄は観念的なもの。しかし昔のこころを見てみたいと思うなら、遍路石に触
れ、文字を読み、その形から具体的なものを己の感覚で読み解くべきもの。
大正時代には大正時代の、明治時代には明治時代の、江戸時代には江戸時代の、それ
ぞれの時代のこころを宿し写している、遍路石。 
寺が仏の心を衆生に結縁させる場であるならば、遍路石は闇の中、衆生に寄り添うて進
むべき方向を指し示めした、衆生の涙の痕でもある。

 バス遍路、自家用車遍路、バイク遍路、自転車遍路、歩き遍路、野宿遍路とスタイル
は様々。無限の広さ、穏やかな時の流れに己の人生を浮かべ。遍路宿で古人の涙の一椀
を啜り。遍路石を撫でその温かさを感受できる【歩き遍路】を、お勧めしたい。  
遍路宿では大正末期、昭和初期の遍路の悲しみや喜びをの有り様を語り聴くこともでき
る。聴くことで、人生に大きな功徳を得ることもある。

 遍路石は本来道案内の石柱と考えるなら、文字の判読不能は許されない。
風化、かび、苔の清掃は、何処まで許されるのだろう。
①ワイヤーブラシの使用 ②黄銅ブラシの使用 ③歯ブラシの使用 ④たわしの使用
⑤サンドペーパーの使用 60番 120番 240番
勿論、水も使用したいのだが……

 反面、四国遍路文化の重要な文化財のひとつと考えるなら、手を加えることは許され
まい。「生者必滅会者定離」石柱も、やがて消滅するのが定めとする。
とはいえ、天授を全うさせるべく心砕くのが、文化財に対する日本人の責務ではないだ
ろうか。
遍路石も四国の遺産であり、同時に国の大事な遺産。道路工事の邪魔と圧し折られるこ
となく、大売出しの旗の支柱にされることなく、大勢の人に見守られて天寿がまっとう
出来るよう見守りたいものである。
                         下総 遍郎

 遍路道で見つけたものに続く

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