このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

遍路道で見つけたもの



 四国の遍路道には、いろいろな宝物が落ちているという。
行き詰まった人生に新たな道を探したり、病気の治癒を願ったりという具合に、さまざまな御
利益や救いを求めてお遍路は黙々と長い道のりを歩く。
そんな難行苦行をする人々に対して、仏様やお大師様(空海)はその労に報い、願いに応え
るべく各人に合った宝物を道中に用意しておいてくれるというのだ。

 ところが,,,,,,。遍路道の一部には空缶、ペットボトル、タバコの空き箱などといった仏様やお
大師様が用意しておいてくれたとは思われないものも転がり落ちていた。
 首都圏に暮らす私から見れば、四国は全体的にゴミが少なく、住む人々の心が荒れていな
ことを感じさせられていたのだが、一部の汚れた場所を目にしてちょっぴり残念な気がした。



 ある遍路宿で「カンカン.ラリー」を知ったのはそんなときだった。
食堂に置いてあった大学のノートに宿泊客が思い思いの文章を書き残してあった中に、「道
端の空缶を一日一個拾おう」との提言があった。
私はその提言者の名前と住所を自分の手帳に書き留めた。
 翌日から八十八番の結願の日まで、私は空缶を拾って歩いた。最初は地面に手を伸ばす
のに抵抗があったり、人の目が恥ずかしいような気がして動きがぎこちなかった。
 数日が経つうち、一個目を手にしながら目に入ってくる二個目以降を無視するのは意味が
無く、おかしなものに思えてきて、ぶら下げたビニール袋に入れていくと五個になり十個にな
った。
自動販売機に行き着いて、横に置いてある空缶入れに一個ずつ落とし込むと、気分がすっ
した。

 四国から帰り、控えてあった住所に手紙を書き、「カンカン.ラリー」の小澤さんと連絡が取
れた。
一年後、「巡礼 やすらぎの旅」という本をPHP研究所から出版したが、その中で「カンカン.
ラリー」のことにも触れた。
 そして今、「カンカン.ラリ−」事務局の菊地さんを初めとする皆さんとも親しくおつき合いを
させて頂き、肩の凝らない楽しい時間を過ごしている。

 今、私は外出するとき、ポケットに「レジ袋」をしのばせる癖がついた。残念なことに、この
国はどこを歩いても空缶、空瓶、ペットボトルが転がっていない道はない。それらを拾って
は次に見える飲料の自動販売機の横に置いてある空缶入れ、または駅などにある公共の
ゴミ箱まで運んで捨てている。
 よく通る道から空缶類が姿を消し、きれいになった道を歩くのは楽しみだ。だが、空缶や
ペットボトルがなくなると、その他のゴミが目につき、気になって仕方なくなる。
空になったタバコの箱、コンビニで何かを買った後の白いレジ袋、食べ終えて空になった
プラスチックの弁当箱、鼻をかんでは捨てたのか何枚ものティッシュー,,,,,,,
 思わず手が出てしまう。誰もが目をそむけたまま、一体何年の間放置され続けていたの
かとつくづく思う場所が何ヵ所かあったのだが、思い切ってやってみればあっという間のこ
と。その場所がまるで違って見えるようになり、気分の良いこと限りない。

 「自己満足」で結構。この上ない自己満足感に満たされて幸福だ。静かで、謙虚で、身近
で、しかも明瞭にこの国と人々が必要としている行動。もしかしたら、これが我々の人生を
良いものにし、誰もが幸福に至る極意ではないか,,,,,,とすら思ってしまう。
 四国の道にはやはり宝物が落ちていた。
                             森山 透


「本の紹介」では ①巡礼やすらぎの旅 ②自分の「すきなこと」「やりたかたこと」をやろう  
上記2冊の本の紹介をしています。

本の紹介 05.5.20 
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