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遍路の実情



 昨年(平成16年)2月から3月にかけ、k氏と2人でカンカンラリー(霊場を巡りながらの遍路道
のアキカン拾い)に出かけた時のことである。

 中土佐の「そえみみず遍路道」に入った。この道は2人とも始めての道。100mmから300mm位
の石がごろごろして歩きにくい所もあるが、やはり山のへんろ道は静かで良い。

 下りきって舗装道路に出る手前、土地の人でもなくハイカーでもなく、道路工事の人でもな
い、4〜5人の男性が道路の端で休息している様子………
此方をじっと見ている人、周りを見回している人、枯れ草の地面を見詰めたままの人、座って
ただ空を見上げている人………
過去に何度か、徒歩遍路で四国をお参りしているが、今まで見たことの無い人たち。集団と言
うべきか。
『今日は』
『………』
押し黙ったままで、誰も挨拶を口にしない。

 国道に出た。左に折れて七子峠の茶屋に向かう。少し戻ることになるのだが、昼食を予定し
ていたからである。
茶屋の前に先ほどの様な一団、5〜6人が固まって居た。
一人だけ立っていた。目つきの鋭い大柄な男で、我々を睨んでいるようにも見えた。ほかの人
達は疲れたような表情で腰を下ろし路面を見詰め、唯じっとしている。
女性も一人、混じっていた。
『今日は』
『………』
矢張り挨拶は返ってこない。

 6日後、金剛福寺到着。バスターミナルの腰掛にザックを下ろし、その見張りをK氏に頼み
トイレに向かう。七子茶屋の前で出会った大柄な男とその一団に気がついた。
服装から見ると野宿しながら、彼等も四国を回っている様子。だが、笠、杖、白衣は身に着け
ていない。

 地元のお婆さんとたまたま、お話しする機会があった。
『お遍路さんに宿のお接待をしたら、1週間も居座られて困ったよ。やっと旅立ってくれたと
思ったら翌日、泊めてくれと10人も引き連れてやってきたので断った』
恐ろしかったと言っていた。

 私は宿のお接待を受けたことは無い。しかし、遍路が1週間も同じ所に泊る事など無いと思
う。もし同じ所に留まるとしたら身体を壊した時で、それは病院か温泉だろう。
又、遍路を10人……などと言うのは無い。遍路は多くても、せいぜい3人。人さまの善意を悪用
する 「たかり集団」  としか考えられない。

 若い人の遍路は大いに結構。
自分の進路が決まらない人、自分が何をしているか分らない人、引篭もる人……是非、四国で
遍路をして下さい。出来れば1人、又は2人で。
野宿の場合、近隣の人に必ずことわり、出立の時は周りの清掃を忘れないことでしょうか。
 
 最近、四国の人たちが「お遍路さんを多く見かけるようになりました」と言い、ニコニコと
嬉しげな様子。

 私が最初に四国遍路に来たのは平成11年2月3日。その頃は歩き遍路は1500人位と言われ、台
車を押している遍路も見かけた。宿の食堂も満席、相部屋は当たり前、満室で断る遍路宿が何
軒もあった。

● 平成11年2月の朝
 10番札所 切幡寺参道には、遍路宿、お土産店、遍路用具店、表具店、呉服店等が多くあり、
荷の上げ下ろしの車や店に出入りする人。お参りの遍路やお土産買いの遍路たちでごった返し
ていた。わいわいガヤガヤ人の声と騒音、通り抜けるのに随分、往生した記憶がある。



● 平成16年月の朝
 この参道には5年前と同様、多くの商店が軒を並べるのに荷の上げ下ろしの車や店に出入りす
る人。お参りの遍路やお土産買いの熱気溢れる騒音、今は何処にもない。
営業するも店内に人影はない。扉を閉ざした店もある。K氏と2人静として声も無く、参道を一
気に通り抜けて山門へ。


※ 最初の遍路行、平成11年2月からの4年間と、平成15年2月から同16年2月の1年間を比べて
みる。
 1)歩き遍路1500人と言われていたのが、3500人〜4000人かと言われるようになった。
 2)利用していた宿のうち廃業は0軒であったのに、3軒あった。
 3)休業の宿2軒が、8軒になっていた。
 4)断られた宿0軒が、1軒あった。

1)について
歩き遍路2000人〜2500人の激増が、良かったのか悪かったのか。
このうち宿泊遍路は、1000人以下に減少しているのではあるまいか。平成11年に比べると何処
の宿でも、泊りあわせる遍路の数が少ないのである。75%は野宿遍路の割合になってしまう。
正確に数えたら野宿遍路は、もっと大きな数字になるのかも知れない。

2)について
経営者の高齢化。後継者なし。これは営業利益の問題で、若者が遍路宿経営を見放したのが、
原因か。

3)について
冬季限定とも思われるが、宿泊遍路の減少が一因かもしれない。ひとりの客に風呂を沸かし、
ひとり分の料理では赤字になる。理解できる。

4)について
これは 3)の理由で「宿泊お断り」と言われたのではない。電話で何度もお願いしたのだが、
「お遍路はキャンセルが多いから」この一点張りに根負け。宿泊を諦め次の宿泊地まで、途中
からバス乗車の羽目に。
しかしよく考えてみると、原因は矢張り 3)にあるのかも。


 長年お世話になっている遍路宿や道中で、耳にしたこと目にしたことを、2〜3述べてみる。

○経営者の老齢化と後継者無しが8軒。
「もう少し頑張って、体が動かなくなったら、此処をたたみます」
寂しい限りである。その時が『四国遍路』消滅の始まり。

○宿泊遍路  キャンセルの連絡無し。出来上がった料理、如何しよう。ドタキャンは日常
       茶飯事。同行二人と聞いて呆れるが、お大師さんの思し召しならばと諦める。
 野宿遍路  昔のバス停、幅広い長椅子に長い布団が敷いてあった。野宿遍路が泊れるよ
       うにと。箒も塵取りもあった。今はガラス戸も無ければ長椅子もない。勿論
       箒も塵取りもない。風は吹き込み雨は吹き込み、床には水が溜まるようにな
       っている。所には「野宿禁止」の看板多し。『立つ鳥、跡を濁す』 いや、
       これも時代と共に変るもの。『飛ぶ鳥、フンを落とす』であった。
地元の話を聴けば、「遍路の性格」悪くなりつつあるようだ。

○国道沿いのガソリンスタンド、喫茶店、食堂、魚屋、八百屋等、街を外れれば半分が廃業。
各地のアーケード街、30%が閉店。中には休業中の店もある。締め切りのシャッターが頬を
赤らめ、風に吹かれて外聞も無く「おいで、おいで」を繰り返す。
遍路みち沿いの無人の家が年々増加、老人が増え、野良犬野良猫も増加、野宿遍路も増えた。


 増えた増えたと言っても若者は都会へ脱出。若者の姿も宿泊遍路の姿も減ってきた。宿泊
遍路が減り、遍路やどが廃業で減り続ければ、宿泊遍路は立ち行かなくなる。
この現実は相当に厳しいものである。必然的に遍路宿は無くなる。山中の遍路みちは消え、
四国の誇るお接待の美風も消え、癒しも消え、四国遍路そのものが消える。
やがては最後に残る野宿遍路も、姿を消す運命を辿る。
坂東霊場、白衣纏った歩き遍路の姿無し。四国霊場、今どのような手を打つべきか。


 平成12年、カンカンラリーメンバーに加わって以来、四国でのアキカン拾い、3回を数える。
全体的に、道は綺麗になってきている。(山中や山陰の粗大ゴミは健在?)
理由は地元の人たちの努力によるもの。

★国土交通省四国整備局が主体となって「88クリーンウォーク四国」を実施。(毎年8月8日、
徳島、高知、愛媛、香川、各県コースのクリーンウォーク。(カンカンラリーのメンバー数名
も参加を欠かさない)

★南予のある中学校では年に数回、全校生徒による「ゴミ拾い」が実施され、当日は首長さん
以下三役も参加されたという。

★土佐の民宿の女将さん。「88クリーンウオーク四国」に合わせ年に数回、お宿中心に4キロ
メートル程の区間、ゴミやアキカン拾いを行なっている。数軒、同じような話を耳にしている。

★徳島県山中の投棄ゴミ、地元の人ボランティアの人たち、力を合わせて撤去。

★ゴミ袋を提げて歩いていると、満杯の袋に気がついたお母さんたち 「お遍路さんそのアキ
カン私が引き取りましょう」  とのお言葉、唯、唯、頭を下げるのみ。
(宿泊時アキカン引取りのお宿は沢山あります。アキカン引き取りのお寺さんも商店さんも、
又行政の空き缶入れが利用できる地域もあります。「現地で協力して頂ける方々」に詳しく
記載してあります。ご覧の上、ご活用ください)



 環境保全、地域の美化機運の盛り上がりを肌で感じるようになりました。私も生活地域、千
葉県我孫子市の手賀沼の周りの一部、近所のお年寄りと一緒にゴミ拾いをしています。
カンカンラリーの目的は、ゴミを捨てないことにあります。そして気分の良いときに、ゴミを
拾ってみる。この2つです。
日本全国の皆さん、日本と言う島をゴミの山にしない為にも、カンカンラリーにこぞっての、
参加をお待ちいたします。

 私もそうでした。退職後何もしていない方、老後に不安をお持ちの方。是非一度四国遍路に
お出掛け下さい。宗教に関心が無くても「白衣、笠、杖」を身につけて50〜60日かけて歩いて
みて下さい。
歩いて人に会い、お話して、景色を見て、ただ歩いてみて下さい。体力に自信がないと言うな
ら、バス、電車、タクシーなんでも利用して、歩ける所は歩いて、歩きたいところも歩いて、
四国を歩いて見て下さい。阿波の国、土佐の国、、伊予の国、讃岐の国と4回に分けてもいい
のです。その人その人に、色々な「もの」が観えてきます。

 私の初めての遍路行(平成11年2〜3月 52日間)阿波、土佐、伊予を打ち、そして讃岐。
山は丸く、優しい風景が目に入ってきます。お伽の世界です。この頃になりますと、そろそろ
遍路行の終りが見えてきます。一抹の寂しさも感じます。自然に、足の運びもゆっくりとなり
ます。

 終わりは結願寺。大窪寺の御本堂お大師堂に手を合わせ、無事に88ヵ寺打ち終えた事を
感謝。納経を済ませホッと一息。のんびりと境内の周りを見回すと「……ねばならぬ」の呪縛
から解き放たれたように、陽光も風も木々の葉の囁きも、優しく感じられてきます。

 ああ、もう歩かなくても、いい。これで家に帰れる。よく1,200㎞もの道程を歩ききれたと、
達成感が湧き出て嬉しくなりました。
家を思い出し、家族を思い出し、友人を思い出し、四国の方々の親切を思い出し、何時しか涙
が頬を伝っていました。

大窪寺の山門を辞する時、老後の不安は何も無く、あれもやろう、これもやろう、何でも出来
るように思えてきました。目の前が光り輝いて見えました。

 今年も四国へ参ります。7回目になります。数え切れない大勢のお友達が待っています。
「自分の兄弟よりも、四国の義兄弟の方が信頼できる」このように言う仲間もいます。
健康の為にと、河川敷や土手を毎日歩かれている皆様。一度四国に足をお運び下さい。四国の
1,200㎞はご先祖様の為、父母の為。自分の為に3度歩きなさいと、昔から言われています。
1回でも歩きましたら、自分の本当の健康がチェックできます。何よりも心が健康になります。
どのような悩みでも、「悩みをお持ちの方」「老後の人生を謳歌したい方」白衣に菅笠、身に着
けて、杖を曳いてみて下さい。人それぞれの答えが見つかると思います。

 それでは今年も、行って参ります。          下総 遍郎

遍路石と保存に続く

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