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臨機応変は 高僧の相と思い知るべし
遍路三種の必需品、つまり三種の仏器を身に纏い現世を離れたる貴方は、ひとりの遍路
である。
あなた自身、己の変化に気付かなくても、貴方を見る凡ての衆目は『遍路』と捉えている。
他人の目が有ろうと無かろうと堂々と、苦しさは "おくび" にも出してはいけない。
常に笑顔を絶やさぬこと。笠に隠れて分る筈はあるまいと、高を括ることは生兵法に繋
がる。笑顔は心の顕われ、身体、言葉、行動に反映するからである。
三種の仏器に貴方は、もう巷の人間ではないことを知り、勤め高めることに心掛けるべし。
これから霊場88ヶ寺、番外を含めると108ヶ寺を巡ることになる。
走りに走っても、山門を潜れば揺ったりと歩を進めること。時計を見て無理と判断したら、
順序であるお参りを後に、納経所にて先に納経をお願いする。
最後に回したお参りは、それはそれは揺ったりとして、格別なものである。
これが臨機である。
そろそろ閉門の時間(百貨店に例えれば閉店の時間)である。であれば掃除が行き届い
ている場合が多い。お線香立てには1本の燃え殻も無く、灰は綺麗に均されている。
掃除が終っているのに、お線香を立てていいのだろうか。とは思わないこと。
私の為に特別、お大師様が塵ひとつないお線香立てをご準備くだされたのだ、と解釈する。
献蝋も同じである。想うことで心穏やかに参拝が出来る。
これが応変である。
ほんの少しのタイミングのズレ。読経が済んで振り向いたら、お線香もお灯明も引き抜
いている掃除に出くわすことがある。火を点けたばかりなのにと、嫌な顔はしない。
貴方の立てた蝋燭が瞬間、次の遍路の手に触れ、転がり落ち消えたかも知れない。
その時も今も、貴方に見えたか、見えなかったかの違いだけである。
お大師さんが姿を変えて掃除をしているのだと思うべし。さすれば、
『有り難うございます』
の言葉が口をついて出る筈。感謝の言葉は、人と人とをまろやかに包む妙薬でもある。
蝶の横っ飛び、足は軽やかに大地を蹴り、心に温かいものが沸いてくる。
笠の中の笑顔を温め、自然を観して感ずるとき、人と交わり相手の心に触れたとき、求
めていた癒しや自分自身が見えてくる。四国には癒しがあり、新しい自分があると考える
のは間違いである。目を皿にしてもそんな物、四国の何処にも転がってはいない。
マラソンランナーでもあるまいに、88霊場を28日で回った。
○○旅館はサービスが良かった。○○茶店はコーヒーがただであった。一巡してこのよう
な感想しか残らなかったら、旅費と時間が勿体ない。可哀相の一言に尽きる。
花に美しさを感じるのも、貴方が花に心を開いたから。10円のお接待に涙するのも、貴
方の心が相手の情けを読み取ったからに他ならない。
同じように、貴方の観感の事象は貴方にしか解読できないもの。
癒しも自己の再発見も、貴方自身で悟るしかないものである。
『御本堂、お大師堂、どちらにもお大師さんは居りません』
お杖に書いてあるように同行二人、何時も貴方と一緒でしょ?
お天気のいい日にはリュックの上に、ちょこんととお座りをして後ろを見ています。
雨の日は濡れないようにと場所を変え、襟元にお座りをします。
だから雨に当たらぬように、日差しに暑い思いをされぬように、
お大師様の為にも笠を被ってください。
お大師様は、前を見ることはありません。貴方が1000円のお接待が欲しいと考えようと、
手の届く所に生っている畑の蜜柑をもぎ取り口に入れようと、何も言いません。
凡てを貴方に任せています。
それでいながら貴方の後ろ、貴方の過去、貴方の今までの生き方を見詰めています。
貴方の現在が過去になったとき、貴女の欲も、口に入れた蜜柑のことも知られてしまいま
す。
だ〜れも見ていない。だ〜れも分らない。それでも、お大師様と貴方だけは識っています。
遍路として一番大事なことは、その前に人間であるということ。人間性を失った『へん
ろ』を地元の人たちは『へんど』と呼ぶ。本当かどうか聞いた話だが、へんろ通過反対の
部落すらあるとか。一人一人、心すべき事である。
行動にあたり人間としてあるべき範疇に照らせば、是非に間違いの生ずる筈はない。
お金と時間をかける遍路行。四国の美しさ、温かさ、思いやり。牽いては己の自信と不屈
の精神、人を愛する心、その感性を高めたいもの。
誰もが持ち合わせる、高僧の相を培う為、観感を増幅したいものである。
裸足 草鞋 靴 に続く
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