このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
武蔵野の面影
『真直な路で両側共十分に黄葉した林が四五丁も続く処に出る事がある。此路を独り静か
に歩む事のどんなに楽しかろう。右側の林の頂は夕照鮮やかにかがやいて居る。
をりをり落ち葉の音が聞える計り、四邊しんとして如何にも淋しい。前にも後ろにも人影見
えず、誰にも遇はず。若し其れが木葉落ちつくした頃ならば、路は落ち葉に埋れて一足毎に
がさがさと音がする、林は奥まで見すかされ、梢の先は針の如く蒼空を指してゐる。猶更ら
人に遇はない。愈々淋しい。落ち葉をふむ自分の足音ばかり高く時に一羽の山鳩あわたゞし
く飛び去る羽音に驚かされる計り』
国木田独歩著「武蔵野」の一節である。彼が描いた武蔵野は、今はない。住宅地が広がり、
自然が開発に奪われる。現況に気付いた人たちに守られて、武蔵野の面影は僅かに残るだ
けである。
四国とて「武蔵野」と同様である。コンクリートで固められた国道、県道、市町村道、が
自動車を負んぶして縦横に走り回っている。杖を携え数珠を手にした沢山のお遍路さんが、
窓ガラスに顔を押し付けて、懸命に走る観光バスに身を委ねている。高い位置から四国の自
然を眺める時、其れはそれで楽しいに違いない。
自分の足で四国を確かめようと決意する時、そこには昔からの 『へんろ道』 が用意さ
れている。其れはつい最近、明治、大正、昭和初期まで、当時の人たちの生きる生活の道。
そして絶望の中に僅かの光を追って、迫り来る死期にあの世の幸せを…………
無駄と知りながら求め続け、遍路の彷徨った道がある。
「武蔵野」のように、なだらかで広大な景観ではない。しかし四国の其れは猫の額の山肌
を曲がりくねって、苦しい息を吐きながら見え隠れする。
ひとりこの道を歩くとき、竹林では竹の葉が、落葉樹ではそれぞれの葉が、杉林では杉の葉
が、かさかさと足の運びに合わせて、地面から何かを語りかけてくる。
「前にも後ろにも人影見えず、誰にも遇はず………猶更ら人に遇はない。愈々淋しい。」
この風景に己を置いてみたいなら、冬の季節を選べばいい。温かい四国とは言いながら、
石鎚山に連なる山々の頂は白く輝いている。細く鋭い風は、肌をちくり刺しては飛び去ってい
く。前も後ろも、人の気配はない。独歩は「愈々淋しい」と言ったが四国の其れは、凡てのも
のから解き放たれた「無」の流れでもある。
細い谷川に沿った「へんろ道」は、水を含んだ落ち葉の上に紅い花ひとつ。一重の椿。
見回しても椿の枝は見当たらない。小鳥が銜えてきたのだろうか。黒いキャンパスを、紅い
絵の具で染め上げるように艶やかである。
冬の風の中くるくる回転しながら、じめじめした木の葉に落ちた。ぽとり。微かな音は湧き
水の流れに消えていく。
八重椿が競って花を落とす時、へんろ道は花の絨毯に織り上げられていく。靴底にふわっ
とした心地よい感触が伝ってくる。微かな声が聞えるようだ。
咲き誇る寒椿。一重であれ八重であれ、落ちて冬のへんろ道を温めてくれる花である。
蕾が花になった時、直に枝から落ちて行く椿の花は嫌い。ひとは言う。
もう少し枝に咲いていたら。の想いを残して散るは、何処か人生にも似ている。
椿の好き嫌は、この辺にあるらしい。
人生ばかりではない、何事も自分自身をスパッと切れたら。美しいと言うよりは、怖いこ
となのかも知れない。自然には、休むことなく風が吹いている。
四国遍路5回。2月〜3月冬の名残から早春にかけて。何故かこの季節が好きだから。此
れだけの理由である。
厳しくも寂しい冬の日を耐えて、昼のながさを数えるような。陽の光の柔らかさを弄りなが
ら『もう直ぐ春が来るね』冬の去り行く足音と、早春の芽吹を垣間見て………
番外7番出石寺。人家も案内板もなく、そろそろ心細くなった頃、薄墨の雲が切れて斜め
に陽が指し込んで来た。無数の小さな白い虫が光りの中を乱舞している。
風に乗って流れていく雪虫。遠い昔を思い出すような光景であった。降るのではなく光りを
命と舞い上がっていく。其れは雪。スノーダストとでも言うのだろうか。逆光に輝いたのは、ほ
んの10分ぐらいの時間であった。
宝塚の舞台のように艶やかな音楽を魅せながら、幕の内へ消えていく。
11番藤井寺から12番焼山寺へ向かう。細く背伸びする常緑樹の枝。しがみ付く雪の氷も、
朝の旋風に追われて、パラパラと地面に音を立てる。
冬の寂しさが、立ち込めてくる。
久万町出立時に降り始めた雪。三坂峠にかかる頃には、驚くほどの積雪になっていた。
杖1本を頼りに、坂を下る。白いカンバスに自由な構図を、足で描き上げる。
画才はなくても俺が最初。優越感が湧いてくる。
3分の2ほど下ったところで、逆打ちの遍路が登ってきた。
『お早うございます』
挨拶は相手の顔のに当たって跳ね返る。雪の三坂を歩くのは俺が先、お互いその腹づもり
であったかも知れない。
寒い雪の峠で、温かさを手にする幸運もある。
写真は今年(2004.3.6)の写真である。珍しく24時間降り続いた雪である。
小田町大平地区三嶋神社(右の写真)白装束のお姿である。
途中の商店が休み。故に昼食の手配が不首尾に終わり、腹の虫がぐうぐう泣き続けた日
でもあった。
それでも又来年、同じ季節を歩くことに決めている。其れは、この季節が好きだから。
歩く年ごとに、それぞれの遍路行進曲を耳にできるからでもある。耳を澄ます微かな時もあ
れば、勇ましい曲に合わせ元気に歩くときもある。
哀しい曲も、優しい曲も、嬉しい曲も、遍路の心に合わせ奏でてくれる四国の海、山、自然、
光り、風、そして四国の人々も。その行進曲に乗って『へんろ道』をもっともっと歩いてみたい。
歩ける限りが夢である。
遍路はひとり に続く
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |