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3.電車の現況

 

 

3−1 電車からバスへ

 戦前にできあがった、名古屋と岐阜の交通網ですが、岐阜では早い時期から路面電車とバスの競争があったようです。1930(昭和 5)年の美濃電軌名古屋鉄道の合併も、美濃電軌の過剰投資?に対して新興のバスが路面電車を圧迫したという説もあります。確かに、前述の1930(昭和 5)年の時刻表では、岐阜と関・美濃を結ぶバスの記述があり、発車時刻は書かれていませんが、関まで、運賃40銭、所要時間45分、美濃まで運賃45銭、所要 1時間と書かれています。電車(運賃45銭、所要 1時間 2分)とほぼ互角だったのです。当時バスを運営していた企業については情報を持ち合わせてないのですが、バスはおそらく飛騨街道を関へ向かっていたのでしょう。更には郡上八幡まで行くバス(運賃 1円・所要 2時間)も書かれており、おそらくは関、美濃町を経て八幡へ向かったのでしょう。

 岐阜の中心市街地に対して半径10〜15km程度の範囲を結んだ軽鉄道各路線は、すぐにそれより遠距離のバス路線と競合したと言えそうです。特に長良川北岸の地域は、扇状地地形の散居村の村々を細かく結んで、橋を渡り中心市街地へ至ったバス路線が軽鉄道路線とは関係なく旅客を中心市街地へ運んだと言えます。この交通網は古くから継承されてきたわけです。

 岐阜は川に囲まれ、北側は谷から下りてくる地形ですから、橋や谷沿いの道が交通流を収束することになり、バス路線は終点の柳ヶ瀬や新岐阜駅国鉄駅へ向かって路面電車が通る比較的広い、メインストリートを通ることになるのです。

 従って、後の名鉄岐阜市内線各線は市外線各線の始発駅以遠や鉄道が通っていない谷からのバス路線と競合補完する関係となったと言えます。市外においてバス路線が稠密となり、長良橋忠節橋を渡るバス路線が輻輳すれば、電車のフリークエンシーを上回ることは明らかでした。

 ただ、自家用車の普及する前、メインの交通がバスや電車であった時代には、市内の人口高密度地域は輸送量の大きな電車、市外の低密度地域と市内をダイレクトに結ぶ路線はバスという棲み分けができていたように、地図などからは想像できます。おそらく、現在もそういう交通政策ですすんできたのではないかと想像できます。しかし、構想以上の中心市街地の高齢化空洞化が、予想されたこととは言え、進んだのが現状なのでしょう。このことについては、拙論の後半で再び触れます。

 岐阜のバスは、市営、名鉄、岐阜バスの3者で運行されており、名鉄新岐阜駅隣に、岐阜バスの立派なバスターミナルがあり、また新岐阜駅前には各社の乗り場ポールが何本も立って、各地へ路線が伸びています。多くのバス路線は、鉄道区間より遠くの鉄道が無い地域からの運行で、前述のように中心市街地内相互での電車との競合はあるわけで、おそらく、各停留所では新岐阜行きの電車とバスでは早く来た方に乗るといった、使われ方をしているのではないでしょうか。

 

3−2 名鉄対国鉄

 現在の名岐間のサービス競争のスタイルが定まったのは、昭和10年代の名古屋のターミナル整備と愛知県の交通統制以後のことでした。現在のインフラである国鉄名古屋駅の高架化、名岐鉄道と愛知電気鉄道の合併による名古屋鉄道(第2次=現存)の設立、この2路線の新名古屋地下駅を介した直通運転から現在のダイヤの原型ができあがったのでした。

 名岐及び名古屋豊橋間の国鉄は、区間列車の設定によって、名古屋鉄道と対抗することになるのですが、東京大阪間の大輸送の合間を縫ってのダイヤの設定しかできず、名鉄に地域輸送を委ねる形となりました。新幹線開業前の東海道線の、特急急行準急貨物列車の合間を縫って各駅停車の列車が走っているという構造は戦前とそう変わらないものだったのではないでしょうか。

 一方名鉄は国鉄の長距離優先ダイヤのおかげで、地域輸送に邁進することができたわけでした。多くの支線から名古屋へ向かう直通電車を走らせ、その結果、名古屋近郊で本数を増すという現状のダイヤは、戦中から戦後の長い間に培われてきたものでした。

 その先端としての岐阜地区は、道路交通のレベルが現状より簡易だった時代には軽鉄道網で必要充分だったと言えたのかもしれません。さらに、バス輸送が長距離輸送に耐えられなかった時代には、幹線鉄道〜軽鉄道〜バスといった樹枝状の交通網が当時なりに実現していたと見立てることができます。

 岐阜市内線と市外線は前述したように、北は高富、東は関・美濃、西は鏡島・北方・谷汲・揖斐、南は竹鼻・羽島といった交通路や谷や輪中に沿った旅客交通流の収束に合致した路線を確立していましたから、岐阜の中心性を確立させる役割を果たしたのです。

 これらの培養線から集められた旅客が一旦、新岐阜駅へ集まり、更に高次中心地である名古屋へ向かうという上り交通流とその帰宅の交通流が名鉄電車の名岐間の交通量の何割かを占めていたであろう事は自明でありましょう。

 ただ、名古屋、豊橋以東や、西方への交通は、国鉄に頼るわけですから、岐阜駅が市内線の終点であるということはもちろん、充分に交通流に即した路線網であると言えるわけでもあります。市内線からわざわざ国鉄に乗り換えて、あえて名古屋へ行くという人が多かったかどうかは、データを持ち合わせていませんから何とも言えません。

 新幹線開業後の東海道本線は、始め急行や準急が残され、沿線の地域間輸送に活用されたそうですが、各駅停車列車の本数は開業前と変わらない様子でした。むしろ、「在来線は貨物輸送」という方向で、ダイヤの過密は多少解消できたでしょうが、貨物列車が増えたのではなかったでしょうか。

 名古屋の国鉄が、現在へ続くダイヤの形態となったのは貨物輸送が縮小され、ダイヤに余裕ができた民営化の数年前のことだったと言えましょう。新幹線から接続する30分間隔の長編成の中距離各駅停車列車のみのダイヤから、短編成の列車の頻発運転へとダイヤが変わって、更には快速サービスが加わり、現在のJRの高速頻繁ダイヤに変わっていったのでしたね。

 電車のスピードだけを考えれば、名岐間はJRが圧倒的に早いですね。十数分でしたね。むしろ名鉄は古い集落を結んで走っている形ですから、きめの細かいサービスで役割分担していると見えます。

 

<資料>名岐間(上り)の国鉄列車時刻

交通公社時刻表1970(昭和45)年8月号による

   種別  岐阜発 名古屋着  備考(筆者による)
   急行  017  044  寝台急行「銀河1号」
   急行  031  100  寝台急行「出雲【浜田発】」
   急行  041  109  「ちくま3号・くろよん【長野・南小谷行】」
   急行  211  241  寝台急行「瀬戸2号」
   各停  351  424  【東京行・大垣336始発】
   特急  450  514  寝台特急「はやぶさ」
   普通  500  528  (一宮のみ停車)【三島行】
   急行  503  533止 「のりくら7号」【金沢発夜行】
   特急  521  545  寝台特急「みずほ」
   特急  550  614止 寝台特急「金星」
   各停  552  623  【東京行】
   各停  622  652  【静岡行】
   急行  631  655  「東海1号」
   各停  654  727  【三島行】
   各停  704  736  名古屋から急行「伊那1号」
   各停  738  814止
   各停  747  818  【三島行】
   各停  755  827止 (休日運休)G車付き=電車急行編成
   各停  801  833止
   各停  819  855  【三島行】
   各停  837  914止 G車付き=ディーゼル急行編成
   各停  902  933  【熱海行】
   各停  916  946止
   急行  926  954止 「阿蘇」
   特急  935  959止 「しらさぎ1号」
   急行  943 1011止 「のりくら1号」
   各停  954 1030止 (休日運転)
   急行  959 1023止 「比叡1号」
   急行 1011 1037  「桜島・高千穂」
   各停 1021 1053  【豊橋行】
   各停 1057 1128止
   各停 1119 1153  【豊橋行】
   特急 1132 1157止 「ひだ」
   急行 1139 1206止 「のりくら2号・おくみの【北濃発】」
   各停 1157 1228  【熱海行】
   急行 1213 1240  「ちくま1号【大阪発長野行】」
   各停 1240 1310  【豊橋行】
   各停 1303 1335  【東京行】
   各停 1339 1410  【三島行】
   急行 1347 1414止 「のりくら3号」
   各停 1420 1452  【三島行】
   各停 1506 1537  【静岡行】
   急行 1535 1602止 「比叡2号」
   各停 1541 1612  【三島行】
   急行 1606 1632  「兼六」
   各停 1608 1640  【浜松行】
   各停 1633 1707  【三島行】
   各停 1703 1734  【中津川行】
   各停 1749 1820  【静岡行】
   急行 1801 1830止 「しろがね」
   急行 1806 1833止 「比叡3号」
   各停 1808 1847  【沼津行】
   急行 1814 1841止 「大社【出雲市発】」
   急行 1824 1851止 「のりくら4号」
   各停 1856 1926  【豊橋行】
   各停 1916 1953  【浜松行】
   急行 1922 1946止 「玄海【博多発】」
   急行 1930 2000止 「のりくら5号」(季節列車)
   特急 1935 1956止 「つばめ【熊本発】」
   急行 1951 2021止 「こがね」
   各停 1957 2029  【豊橋行】
   普通 2045 2116  【東京行「大垣夜行」】
   急行 2104 2128止 「比叡4号」
   各停 2118 2149  【蒲郡行】
   各停 2121 2209止 【富山発】
   特急 2130 2153止 「しらさぎ2号」
   急行 2132 2159止 「のりくら6号【穴水発】」(季節列車【珠洲発】)
   各停 2203 2234  【豊橋行】
   各停 2249 2320止
   急行 2343  012  「瀬戸1号」
   急行 2351  023  寝台急行「安芸」

 

3−3 電車の逆襲

 さて、新幹線システムも電車の世界ではブレークスルーなのですが、名鉄も、岐阜の軽鉄道網でブレークスルーをやってくれました。1967(昭和42)年、市内線と揖斐線の直通運転が行われ、直通電車は主要駅・停留所のみ停車の急行運転を始めました。鉄道線側に軌道線電車が乗り入れ、軌道線内で続行運転、鉄道線内では連結運転をするという、アイディア商品が誕生したのでしたね。もちろん起点終点の間の所要時間も最高速度が限られた中で短縮されたわけです。

 1970(昭和45)年、このスタイルの発展形として、美濃町線を活性化する施策が行われたのでしたね。田神線の開業です。新岐阜駅となりの美濃電軌以来の岐阜車庫を、各務原線の田神駅東側へ移転したのを機会として、美濃町線と車庫を結ぶ引き込み線を旅客化し、各務原線へ線路を繋ぎ、美濃町線を新岐阜駅へ乗り入れさせるというウルトラCをやってのけたのでした。

 この時、揖斐線同様直通急行電車を運行し、岐阜〜美濃間の所要時間の短縮にもチャレンジしたのでした。急行電車は新岐阜〜美濃間で10分の短縮に成功し、バスに対して一矢報いたのでしたね。ただ、急行運転はタイトなダイヤだったようで、後年、運転間隔の短縮のほうに施策が変わったのでした。

 ブレークスルーの一方、人口密度の低い区間の鉄道廃止、バスへの移行も行われたのでした。鏡島へ向かう路線と高富へ向かう路線は1960年代前半(昭和30年代後半)に廃止され、名鉄バス路線となったのでした。岐阜バスの路線ではなかったのですね。高富の方向にはバス路線が錯綜していて、高富〜岐阜市内はバスでフリークエンシーが確立していたと言えそうです。

 「電車の逆襲」というと、バスと闘っているように見えますが、実は岐阜の街では電車とバスは補いあっているように見えます。前述の揖斐線直通急行や美濃町線直通急行は、バスで運びきれない旅客を電車で運ぶという考えがあったようにみえます。運行形態自体は1960年代の岐阜には新機軸だったわけですが、21世紀に近づいて、電車も代替わりし、冷暖房やバリアフリーなど時代の要求に応えるようになったのでしたね。その電車たちのデザインについては、またどこかで改めて触れましょう。

 そして、最も最近の「電車の逆襲」としては、羽島新線の開業ですね。1982(昭和57)年、竹鼻線の江吉良から新幹線岐阜羽島駅横への新路線を開業し、新幹線から岐阜への直通路線を開拓したわけです。これは、新幹線開業前の1963(昭和38)年に免許されており、開業まで20年かかっています。一方、最も古い路線の徹明町から長良橋北の長良北町への市内線が昭和の末年、竹鼻線の江吉良から大須までは平成に入って廃止されたのでしたね。

 羽島新線の新羽島駅から岐阜へは、新幹線に接続して30分おきに急行電車が運行されており、笠松から新岐阜までの間は特急並みの急行運転を行っています。今度のダイヤ改訂からは羽島線も15分間隔となり、本線も岐阜から中部空港への新型特急電車が運行されることになっており、名鉄の運行形態も変わる予定です。結構戦略的に見えます。

 

<資料>1970(昭和45)年国勢調査による「従業地・通学地による常住市区町村別15歳以上就業者数及び通学者数」(抄)

  * 岐阜市へ従業・通学の者(総数)

    大垣市 4,468   関市   2,280  美濃市 1,053
    羽島市 2,191   各務原市 6,775  岐南町 1,508
    笠松町 1,801   揖斐川町  855  谷汲村  322
    大野町 1,472   北方町  1,979  本巣町  533
    高富町 2,067

  *関市へ従業・通学の者(総数)

    岐阜市 727    美濃市 1,274

  *美濃市へ従業・通学の者(総数)

    岐阜市 178    関市 420

 

 

 

 

 

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