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6.リストラクチャー
6−1 電車からバスへ(その2)
たしかに、岐阜の軽鉄道網を運営してきた名古屋鉄道・(以下名鉄と略)は、市街の形成のターニングポイントで鉄道網をリストラクチャリングしてきたと言えそうです。
美濃町線の柳ヶ瀬から梅林間は、神田町(徹明町)交差点からの新道が建設されたとき路線変更を行いましたし、1960年代前半、鏡島線や高富線を廃止したわけで、昭和の末年に長良線・谷汲線・揖斐線黒野以遠、平成に入って、竹鼻線末端・美濃町線末端と廃止してきたわけですね。前述の通り、鏡島線と高富線は市街地であったのも幸いして、そのままトレースする名鉄バスの路線になったわけで、人口密度の低い谷汲線や竹鼻線末端部は名鉄から見れば分社の岐阜バスや羽島のコミュニティーバスに委託されたと言えそうです。
で、今回の鉄道各線一旦廃止は、鉄道に代わる輸送をバスに委託してみて、その輸送力を試すチャンスと捉えてもいいかもしれませんね。オムニバスタウン指定はいいことだと思うのですが、浜松には遠州鉄道の鉄道線があるわけで、これが浜北・二俣と浜松市を太く結ぶ軸になっている上でのオムニバスタウン、LRT構想なのでしょう。
東海道線・高山線・名鉄各務ヶ原線以北の貴重なインフラストラクチャーである軽鉄道網をすべて廃止して、バス路線網を張り巡らすことが、岐阜の街にとって望ましいことかどうかは全く分かりません。むしろ、発想を逆転して、これら軽鉄道網を生かす形での都市計画用途地域や道路自動車交通の設定をしたほうがいいと思います。確かに経済面では、名鉄の運営の上での赤字だったわけで、利用者がまとまっていた路線が残っていたわけですから、岐阜の人たち、特に交通弱者の生活導線や生活パターンを大きく変えることになるであろう交通網の再構築は、労多くして益が少ないのではないかと心配するわけです。
6−2 都心新都心
岐阜の街を歩いてみますと、まあ、日本の地方都市の典型的な様子が見られるわけですね。唄に謡われた柳ヶ瀬は思ったより広い範囲で、アーケード街が縦横に広がっています。アーケード自体もリニューアルされており、舗道もきれいにしてあるのは好感が持てますし、柳ヶ瀬全体を1軒の専門店街ビルとして整備しようとしているようにも見えます。ただ、古い商店や料飲店が散在する通りもありますから、専門店地域を集約して、何丁目は何とか街、何丁目は何とか街と言うような、ビルであれば何層にも渡るフロアーを平面に広がるように各商店企業を誘致するといったことが行われてもいいのではないでしょうか。
そして、金華通りではなく、電車通りに面した敷地の建坪率を上げて、高度な利用を促し、公共交通を必要とする人たちのための施設や、おそらくこれから岐阜の街でも増えるであろう高層マンションを電車通り沿いに誘致し、公共交通の交通路を確保、維持するべきなのではないでしょうか。そうすれば、バスで事が足りるか再び議論になるのでしょう。
岐阜新岐阜駅から西南西の県庁や北のコンベンションセンター地域は、柳ヶ瀬とも岐阜新岐阜駅ともそこそこ離れているのですから、これを結べば街の一つの軸ができるはずなのです。オムニバスタウン構想では、軸を結んで交通路を確立するというよりも、環状線へ向かって各方向等間隔に放射線を引いて、面的な交通路の確保を考えているようですね。県庁もコンベンションセンターもその中途の1地点となるはずなのですね。
これらの地点は交通の結節点になる可能性を持っているはずなのに、ただの「交通流を太く設定すべき目的地」程度の位置づけしかされていないのかなとも取れるような構想ですね。
環状道路沿いにいくつかの地点は、パークアンドバスライドなど交通結節点を目指している場所がありますが、そこは、まだ、開発途上であって、それだからこそ新たな建設が可能なのであろうけれども、そこへ車を置いてバスを待つ間に、車は市内の目的地へ着いてしまうのではないでしょうか。
県庁地区やコンベンション地区、競輪場付近を人が集まる場所として再構築し、結節点とするのであれば、固定した公共交通網を設定しても維持できるのではないのでしょうか。この駅や柳ヶ瀬から3方向の各地点を、改めて新都心として整備することから始めて欲しいです。
6−3 新しくも懐かしい
この文章を書くに当たって、検索したHPの一つに「岐阜未来研究団」というページがありました。市内線維持のために大変な努力をされた足跡はすごいなと言うしかないのですが、これからどんな展開を構想されているのかとても楽しみです。
名鉄電車も血を流しながら市内線や各路線を維持するためがんばってきたと思うのですが、岐阜のコミュニティーに名鉄電車がとけ込めなかったということが廃止騒動で奇しくも露呈したということなのでしょうか。
岐阜の人たちは「電車を残す」という意思表示をしたわけですが、名鉄も行政も同じデータを用いて岐阜の人たちにダメ出しをしたというわけですね。名鉄は血を流しており、血を止めなければならない。行政も血を止めるバンソウコを持っていない。ということがわかっただけのことでした。
この「岐阜未来研究団」HPに描かれているかわいい電車のマスコットは、有名な丸窓電車のモチーフですね。「岐阜の電車」と言えば、この丸窓電車が全国的にも有名なのかもしれません。
名鉄も、昭和40年代中盤の直通運転のブレークスルーの時に、丸窓電車をリニューアルして直通急行車両に抜擢したのですね。揖斐谷汲への丸窓電車、関美濃への復電圧車、どちらも旧型車の更新車で超高床車でデビュー当時は、運行形態のブレークスルーにふさわしかったのですが、昭和も終わりに近づいて、それぞれ(当時の)次世代の車両に交代したのでしたね。その前に札幌から転属してきたハイセンスデザインの連接車も戦列に加わったのでしたね。
名鉄は、地元の大車両メーカーの日本車輌の上得意様であり、また、名鉄から発注される電車は路面電車からディーゼルカー、地下鉄乗り入れ車や 130km/h運行のできる特急用まで多岐に渡っていますね。これが日本車輌の技術を進歩させてきたのだと思います。現代的な要求に応えて、バリアフリーに対応した部分低床車両もせっかく建造したにもかかわらず、転籍というわけです。
デザインについて不勉強なので余計なことを言うと起こられそうですが、いわゆる「レトロフューチャー」な丸窓電車の低床連接車とか見たかったですね。もし、復活するなら、名鉄や日本車輌に頼らない安価にして頑丈な電車を調達して欲しいです。
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